(5話)
防衛任務が終わり、本部へと戻る。流石に疲れたので今からランク戦をする気にもなれず、ここで少し早めの夕食を済ませてしまおうと、ナマエは食堂へと向かった。
中途半端な時間だったせいか、いつもは混雑している食堂だが、今は空席が多いように思えた。
そんな中、一際目立つ一団が目について、思わずナマエは固まった。A級一位の太刀川隊だ。太刀川の長身と、出水の金髪は、それだけで目を惹くのだ。見つけるなという方が無理だ。
この防衛任務が終わったら、太刀川と話をしようと思っていたが、まさかこのタイミングで会うとは思わなかった。心の準備が出来ていない。
心の中は修羅場一色だが、知らん顔するのも変な気がして、とりあえず挨拶だけして別の席へ座ろうか、などと考えながら食堂へと足を踏み入れようとした時、聞こえてきた会話にナマエは思わず足を止めた。
「そうだ! 太刀川さん! 彼女できたって本当ですか!?」
太刀川隊の末っ子、唯我が太刀川に問いかける。それを聞いて、出水が呆然としたように口を開いた。
「は? ……何、言ってんだ、お前……」
「太刀川さんが女の子と一緒に仲良さそうに歩いてるの見たって、専らの噂ですよ!」
「あぁ……」
困ったように笑う太刀川の様子に、ナマエは息を飲んだ。心臓がばくばくと音を立てる。立ち去らねば、そう思うのに、金縛りにあったかのように足が床に張り付いて離れない。
「……は? マジなんすか、太刀川さん」
出水の低い声が聞こえる。
「ん?」
「彼女って」
「あぁ、まあ……そうだな」
太刀川が曖昧に肯定する。
「じゃあ……彼女いんのに、アイツに手ェ出した、ってことすか……?」
「は? 何言ってんだお前……」
マズイ。話題が自分のことに切り替わった。流石にこれ以上ここにいてはいけないと、ナマエは勢いよく振り返ると、すぐ後ろに迫っていた人物と危うくぶつかりそうになる。
「うお! ビビった!!」
「あ! ごめんなさい!」
「いや、こっちこそ……って、ナマエじゃん。何してんのお前、こんなとこ突っ立って。入んねーの?」
米屋は不思議そうに首をかしげながらそう言うと、食堂の方へと視線を向ける。
「ほら、出水達も居るぜ」
その言葉にナマエも恐る恐る視線を向けると、出水が立ち上がり、驚いたように目を見開いてこちらを見ていた。ほんの一瞬見つめ合い、ナマエは弾かれたようにその場から逃げ出した。
「あ! おい!」
遥か後方で、声がした。それが米屋のものなのか、出水のものなのか。それとも太刀川のものなのか、ナマエには分からなかった。
***
廊下を駆け抜け、階段に差し掛かったところで、グイっと腕を掴まれる。振り返ると、焦ったような顔でナマエを見つめる出水と目が合った。
「やだ! 出水、離して」
「いや、待てって。なんかの間違いだろ……」
ナマエが出水達の会話を聞いていたのだと分かっている口ぶりだった。ナマエは咄嗟に笑顔を作ると、首を振りながら言う。
「へ、平気。ほら、もうやめようと思ってるって言ったでしょ? 最初から、私なんかが太刀川さんとどうにかなるなんて思ってないし。自惚れる……つもりも無いし……。か、彼女が、居るのは、さすがに知らなかったけど……」
言いながら、ポロリと涙が落ちた。目の前の出水の顔が歪む。
「本当にね、もうやめようと思ってたの。ほんとだよ。だから……平気だから……」
「平気じゃねーだろ……」
「何、してんの、お前ら……」
聞きなれた声に顔を向けると、追ってきた太刀川が二人の顔を交互に見ながら眉を寄せた。
「何、どういうこと。なんで泣いてんの」
不機嫌そうな声に、ナマエはビクリと肩を震わせると、出水の影に隠れた。そんなナマエの態度に、太刀川は更に不機嫌そうに眉を寄せる。
「おい、ナマエーー」
「いや、太刀川さん、彼女いるんすよね。ならこれ以上コイツに構わなくても良くないすか?」
「は!? 何言ってんだよ。コイツだよ、彼女」
「「は?」」
聞こえた声に、ナマエと出水は同時に声を上げる。出水が弾かれたようにナマエを見つめる。
どういうことだと、出水の顔が言っている。いや、知らない知らない。ナマエはフルフルと首を振る。
「……は? いや、付き合ってるよな、俺たち」
今度は太刀川が戸惑ったように声を上げる。
「……し、知らない」
「はぁ!? 何言ってんだよ」
「だって、好きとか言われてない!」
「え……? いや! 言ってんじゃん! 毎回!」
毎回……。頭の中で反芻して、ナマエはハッとしたように顔を上げる。
「そんな……さ、最中に言われたって、ただのリップサービスだと思うじゃないですか!」
「はぁ!? んな器用な真似ができるかよ!」
「……あほくさ」
ボソッと呟く出水の声に振り返ると、心底どうでも良さそうな顔をした出水が居た。
「じゃあ、太刀川さん、コイツ置いていくんで。お幸せにー。お疲れしたー」
抑揚の無い声でそう言うと、出水は大きくため息をついた。
「ま、待って出水……! 行かないで!」
ナマエの声を無視して、出水は手を振りながら去っていった。そんな出水の後ろ姿を縋るような目で見てから、ナマエはそっと太刀川へと視線を戻す。太刀川の背中から怒りが見える。
「何、付き合ってると思ってたのは俺だけ? じゃあナマエは好きでもない奴とああいうことしてたのかよ」
「違っ……! 私は好きだもん! 知ってるくせに!」
「じゃあ何だよ、付き合ってないって」
「だって! 太刀川さんが私のことなんて、本気で好きになるはずないって思って……ましてや付き合うなんて……。っていうか! 付き合おうって言われてないし!」
「どうしてそうなるんだよ……」
太刀川はげんなりと肩を落とした。
「だって……太刀川さん……A級一位だし……」
ゴニョゴニョと呟くと、太刀川のため息が聞こえてくる。
「あのさぁ、A級とか関係ないだろ。ってかナマエは俺がA級一位だから好きになったのかよ」
「違います!!!」
「だろ? 俺だって同じだよ。A級とかB級とか関係ねーよ」
少しの間、二人の間に沈黙が落ちる。
「……太刀川さんって……私のこと、好きなんですか?」
「好きだよ」
「なんで? どこが?」
「どこがって……」
太刀川はため息をつくと、頭をガシガシと掻いた。
「最初は、俺を見上げる顔がただ単に可愛いなーって思った。んで、次に戦った時の獣みてーな目つきにやられた。お前に睨まれるとゾクゾクするし、正直興奮する。あと、泣かせてやりたいとも思う」
「え……変態……」
「うるせー。正直に話してんだから黙って聞いてろ」
恥ずかしそうに顔を赤らめながら咳払いを一つして、太刀川は続けた。
「お前が笑った顔が好き。俺を見て駆け寄ってくる、子犬みたいなところも好き。料理が上手いところも好き。負けず嫌いなとこも可愛いし、どうやったら相手に勝てるのか真剣に考えてる時の顔も好き。新しい戦法考えついた時の、悪戯っ子みたいな顔もすげぇ可愛ーー」
つらつらと出てくる太刀川の言葉に、ナマエは顔を赤らめると慌てて両手で太刀川の口を塞いだ。
「も、もういいです! 恥ずかしくて死にそう……」
太刀川はナマエの手を取ると、両手を壁に縫い付けた。
「じゃあ、今度はナマエが俺の好きなところ教えて」
至近距離から覗き込まれ、逃れようと見をよじるが、太刀川と壁に挟まれて逃げ場はない。
「そ、それは……内緒です」
目を逸らしながら言うと、目の前の太刀川がフッと笑う気配がした。
「それってズルくないか? 俺にだけ言わせてナマエは教えてくれないんだ?」
「か、顔が近いです!」
抗議の声を上げると、太刀川はニヤリと笑う。
「近くないだろ」
「近いです! もう、こんなとこ誰かに見られたら……」
「近いっていうならこのくらい近くなきゃ……」
太刀川はそう言うと、ゆっくりと顔を近づけた。唇と唇が触れ合いそうなくらい太刀川の顔が近づいてきて、思わずナマエは目を閉じる。
だが、いつまで経っても触れてくる気配はなく、恐る恐る目を開ける。すると、楽しそうに目を細めている太刀川の顔が目に入った。
「ちょっ……太刀川さん!」
「悪い悪い、可愛くてつい。期待した?」
「し、知りません!」
口を尖らせながら言うと、太刀川は楽しそうに笑った。イラッとして、ナマエは太刀川の手をグッと押し返す。力を入れていなかったのか、あっさりと両手は自由になり、ナマエは太刀川の拘束から抜け出した。
「……帰ります」
そう言って歩き出すと、太刀川も後へ続く。
「じゃあ飯食ってくか」
「食べません。家で食べます」
「ナマエの手料理か」
「太刀川さんの分はありませんよ」
「怒るなよー」
「怒ってません」
犬のように後ろをついて歩く太刀川が、ふう、とため息をつくのが聞こえ、ナマエはしぶしぶ振り返ると、軽く睨みながら言った。
「……昨日の残りのカレーしかありませんけど」
「じゃあうどん買ってって、カレーうどんにしようぜ」
「自分でやってくださいね」
「とか言いながらやってくれるくせに」
うっ、と言葉に詰まる。太刀川の言う通り、どうせ帰ったら自分がやることになるのだ。迅でなくても鮮明に見えた未来の画に、ナマエはため息をついた。
「ご飯食べたら帰ってくださいね」
「ご飯食べてエッチしたら帰るよ。ナマエにとっては付き合って初めてのエッチってことだろ?」
「太刀川さん!!!」
肩のあたりを思いっきりグーで殴ると、太刀川は大袈裟に「痛ってぇ!」と声を上げて殴られた場所をさすった。
「冗談じゃん。怒んなよー」
「もう! 本当に知らない!」
あーもう。なんてデリカシーの無い男なんだろう。ナマエは恥ずかしさを誤魔化すように歩く速度を上げる。
きっとあの男は、困ったような顔をして、ナマエの少し後をついてきているのだろう。犬だったらば耳が下がって尻尾も脚の間に入り込んでいることだろう。大型犬のような太刀川の姿が安易に想像できて、ナマエは心の中で笑った。
なんだかんだ言って、ちっとも憎めない大きな男に、ナマエは会ったときから、いや会う前からずっとベタ惚れなのだ。
カレーうどんか。そういえば作ったこと無いな。そう思って、ポケットから携帯を取り出し、操作する。歩きながら操作していると、大きな手に反対の手を握られた。
「歩きながら携帯いじるなよ。危ないだろ」
太刀川の格子柄の瞳がナマエを優しく見つめる。
「じゃあ、太刀川さんが私のこと持っててください」
クスクス笑いながら言うと、太刀川も笑った。
「いいよ。お届けはどちらまで?」
「じゃあまずはスーパーまで」
「うどん買いに?」
「そう。うどん買いに」
そう言って笑うと、太刀川の目が弓なりに細くなる。
「やっさしー」
「ほら、ちゃんと連れてってくださいよ。寄り道しないでね」
太刀川が好きだ。ランク戦の時の子供のような楽しそうな顔が好きだ。他の追随を許さない圧倒的な強さも好きだ。訓練室で私を切り刻む時の冷たい目だって、私は好きだ。見ていて興奮する。私の作った料理を美味しそうに食べる姿も大好きだし、私を抱く時の熱っぽい瞳だって好きだ。
でも……。
「……くやしいから、絶対教えてあげない」
「ん? なんか言った?」
「いえ? なんでも」
そう言ってナマエが笑うと、太刀川は困ったように笑うのだ。その顔だって大好きだ。
そうだ。うどんと一緒にお餅も買おう。あとはきな粉を買って、食後にきな粉もちを作ってやろう。
ナマエは太刀川の凛々しい横顔を見ながらそんなことを思うのだった。
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