- ナノ -


(1話)


 世の中には二種類の人間がいる。才能がある奴と、そうじゃない奴。

 俺は前者だ。持って生まれた才能がある。俺のこの脚はサッカーをするためにあるのだと言っても過言ではないだろう。

 サッカーをするために生まれてきたのだと、初めて他人をぶち抜いたあの瞬間から、信じて疑わなかった。


 ……ただの一度も。



***



 高校に入ってすぐに、サッカー部への入部を決めた。羅実は強豪だと聞いていたので、名前を売るにはちょうどいいと思った。
 なのに、入ってみればお決まりの先輩後輩の上下関係。非効率的すぎていい加減うんざりだった。


「監督に気に入られたからっていい気になるなよ。……と、お兄が言ってる」
「くわっ!」

 帰り道に呼び止められたと思ったら、案の定だ。こういった輩に絡まれるのは初めてじゃないが、正直言って面倒臭い以外の何物でもない。

「別に……。才能があるかないか。それだけのことですよ」

 そう一言だけ告げて、その場を離れた。


 別に煽ろうとか、そういったつもりは欠片も無かった。ただ事実を言ったまでだ。

 この世は才能が全てで、それがあるかないか、ただそれだけのことなのに、無駄に絡んでくる奴は多い。そういう時は大抵一度勝負すればカタが付く。正直、その時間さえ無駄だったが、手っ取り早く黙らせるにはちょうどよかった。

 クソの役にも立たない上下関係とか、先輩後輩とか、心底どうでもいい。そんな時間があるなら一分一秒でも長くサッカーがしたかった。


 絡まれた面倒臭さに内心辟易しながら歩いていると、ふと昨日の帰り道のことを思い出した。


 ――そういえば、アイツは今日も居るのかな。


 昨日の帰り、一匹の黒猫と出会った。

 野良のくせに毛艶が良く、まんまるの目が印象的な可愛いやつだった。だが、可愛い見た目に反して、性格は勝気で食えない奴だった。
 可愛い顔をした黒猫は、俺の手からかりんとう饅頭を掻っ攫うと、屋根の上へと消えて行った。

 明日も来るから。そう告げて別れたが、今日は会えるだろうか。


***


 あの黒猫に会いに空き家へ向かうと、人の気配がした。朽ちた外観から空き家だと思っていたが、実は人が住んでいたんだろうか。なら勝手に入るとマズイか。そんなことを思い、足を止める。

 ちょっとだけ楽しみだったのに。無意識にそんなことを思い、案外自分があの猫を気に入っていたことに気付く。

「千切君?」

 声をかけられ顔を上げると、見知った顔がこちらを見つめていた。

「千切君だよね? あ、私分かる? サッカー部の――」
「分かる。マネージャーの……」

 ――名前なんだっけ。

「よかった、覚えててくれて。マネージャーのミョウジナマエです」

 一瞬名前が出てこなくて言葉に詰まったのに、彼女は気にした様子もなく笑った。

「……悪い」
「ううん。名前、覚えられないよね。私もまだ千切君とほんの数人くらいしか覚えられてないもん」

 悪戯っぽく肩をすくめている彼女の傍には昨日の黒猫が居て、甘えるようにスリスリと額を撫で付けている。慣れた様子から、彼女に気を許しているのが分かった。

 ――コイツ……俺にはネコパンチをお見舞いしたくせに。

 悔しいような腹立たしいような複雑な気持ちを抱えながら見つめていると、視線に気付いたのか、彼女も手元の黒猫へと視線を移した。

「この子、可愛いでしょ? いつもここにいるの。だから帰りによくここに寄るんだ。結構懐っこいでしょ?」
「俺は昨日コイツに手ぇ引っ掻かれたけど……」
「えっ! そうなの?」

 問いかけに頷くと、彼女は眉を顰めて咎めるように黒猫を見た。猫は可愛い顔で「にゃー」とひと鳴きして、前足をペロペロと舐めた。


 ――コイツ猫被ってやがる。


「大丈夫? 傷とかなってない?」
「ああ、平気」

 引っ掻かれた手を広げて見せると、彼女はホッとしたように笑った。

 彼女の足元で黒猫はニャーニャーと甘えたような声を出している。

「ん? あー……ごめんね、今日はオヤツ一つしか持ってないの。もう無いんだ。そんなにお腹すいてたの? もっと持ってくればよかったね」
「あ、ならこれ食うか?」

 昨日と同じかりんとう饅頭をチラリと見せると、彼女も顔を上げた。

「それは何?」
「ん? かりんとう饅頭」
「かりんとう? へー、食べたことないや」
「マジ? 美味いよ。食ってみる?」
「いいの? ……じゃあ、君の半分貰っていい?」

 律儀にも猫にお伺いを立てると、猫は「いいだろう」と言わんばかりに偉そうにニャーと鳴いて前足を舐めた。
 かりんとう饅頭を半分に割って、片方を彼女に渡す。

「ありがとう。いただきます」

 恐る恐る、という感じで齧り取ると、次第に彼女の目が大きくなった。長い睫毛がパチパチと動いている。

「美味しい! 外側がカリッとしてて、でも中は結構柔らかいんだね! 餡子も甘すぎなくて美味しい!」
「だろ? オーブンとかで温めるとカリカリ感が増してもっと美味いよ」
「へー、今度やってみる! コレ、ホント美味しい。なんで今まで食べなかったんだろう。人生損した気分」
「ハハッ、大袈裟だな」

 自分の薦めたものを素直に褒められ、思わず声を上げて笑ってしまった。同時に自分の表情筋が緩んだのも自覚してしまい、小さく咳払いをした。


 ――まぁでも別に悪い気はしないよな。


 自分に言い訳をするように心の中で呟いていると、ふと猫と目が合った。大きな瞳で見つめられ、まるでさっさと寄越せと言われているような錯覚に陥る。

「ああ、悪い。ほら、お前の分な」

 残りの半分を猫に差し出すと、昨日と同じように猫の爪先が伸びてきたので、サッと手を引く。

「おっと。そう何度も同じ手に引っ掛かると思うなよ」

 猫は饅頭を取り上げられたと思ったのか、恨めしそうにじっと俺を見つめている。

「別にやらないなんて言ってないだろ。ほら、お食べ」

 再び饅頭を差し出すと、猫は警戒しながら俺の手から饅頭を持っていった。

「ありがとう。ご馳走様でした」
「どういたしまして」
「千切君はかりんとうが好きなの? それともお饅頭?」
「んー、どっちもかな。和菓子が好きなんだ」
「そうなんだ。でも分かる気がするなぁ。私もケーキとかよりも、甘納豆とかの方が好き。白花って分かる? 白くて大きいお豆で……」
「ああ、あれか」
「あれの甘納豆が大好きなんだ。食べ応えがあってね、美味しいんだよ」
「へー、じゃあ今度食ってみるよ」

 そう言うと、ミョウジはクスクスとくすぐったそうに笑った。

「何だよ」
「ううん。ただ、千切君って、もっと怖い人かと思ってたから。昨日の先輩とのやり取りとか」
「ああ。だって生産性無いのにあんなの無駄だろ」
「そうだね、私もそう思う。学校ってさ、年功序列みたいなのホント好きだよね。運動部だけじゃなくて文化部も含めてさ」

 彼女は、ウンザリといった顔でため息をついた。

「勝負の世界はいつだって結果が全てなのにね。どれだけひたむきに頑張ったって、結果が伴わなければ評価してもらえないのにね。今回だって実際先輩たちよりも千切君の方が強かったから、先輩たちは何も言えなかったわけだし。……ただ、恨みを買ってつまんない因縁つけられても勿体無いから、その辺りは上手いことやった方がいいかもね」

 急に説教じみたことを言われ、思わず眉間に力が入る。

「……それって説教?」
「違う違う! 変に絡まれる方が時間の無駄じゃないかなってこと」

 ――やっぱり説教じゃんか。

「ご忠告どうも。あいにくそういうの上手くやれるタチじゃないんで。それに、文句言う奴がいたら俺の脚で黙らせる」
「……怒ったの?」
「別に怒ってねーけど」
「ごめんって。……ふふっ」

 堪えきれないといったように吹き出してから、彼女はクスクスと笑った。

「……何」
「千切君って結構激しい人なんだね。なんか今日だけで色んな一面を見ちゃった気分。……ふふ、なんか得しちゃった」

 そう言って彼女は、無邪気な顔で笑った。あまりに屈託なく笑うものだから、少なからず腹を立てていたのも、いつのまにかどこかに行ってしまった。

「なんだそれ」

 つられて笑うと、彼女の瞳が弓なりに形を変えた。

「実は同じクラスだよ」
「誰が」
「私と千切君」
「マジかよ。言えよ」
「覚えてないかなって思って」
「……悪かったよ。つーか根に持ってんじゃん」
「ふふ、嘘だよ。ちょっと意地悪しただけ」

 ごめんね、と言いながら、彼女はちっとも悪いと思ってなさそうな顔で微笑んだ。でも、不思議と腹は立たなかった。



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