- ナノ -


two of a kind




 初めて彼女の笑った顔を見た時、『気持ち悪い』と思った。

 貼り付けたような笑顔が嘘っぽくて、本心が全く読めない。何を考えているのかわからない。


 心底気持ち悪かった。



***



「あ、侑が女子と一緒にいる」

 何の気なしに窓の外を眺めていたら、チームメイトの姿が見えた。長身に金髪だけでも目立つのに、アイツは言動が煩いので余計に目を引くのだ。そんなヤツの傍らに、小柄な女子の姿が見えた。

「侑って彼女いたっけ?」

 双子の治に問いかけると、治はおにぎりを頬張りながら俺が指差した方向へと視線を向けた。

「ああ、ナマエか。いや、付き合うとらん」
「そうなんだ? 仲良さそうだけど」

 侑は男女共に友人の多いタイプだが、一定の距離を保って線を引いていることが多い。ここから先は入ってくるな、と。あんなふうに近くにいることを許しているのだから当然特別な関係なのだと思ったが、どうやらそうではないらしい。

「小学校から一緒やねん」
「へぇ、侑があんなふうにそばに置いとくなんて珍しいね」
「アイツはツムの『お気に入り』やから」

 治は含みを持たせるような言い方で笑うと、再び弁当へと向かった。


 『お気に入り』か。ここから見る限りは目立つタイプではないようだが。一体どうやって我らが天才セッターの心を掴んだのか、ほんの少しだけ興味が湧いた。



***



 彼女と話す機会は思いのほか早くやってきた。

 彼女を見かけた日から数日経ったある昼休み、俺は自販機へと向かっていた。ふとみると、先日見た彼女がほんの少し背伸びをしながら最上段のボタンを押しているところだった。飲み物を取り出すと、気配を感じたのか不意に振り返り、目を丸くしてこちらを見つめた。

 大きな瞳に長い睫毛、スッと通った鼻筋、ほんのりと色づいた唇。特別美人というわけではないが、全体的にバランスの整った顔だと思った。パッと見の印象としては大半が『可愛い』という印象を持つだろう。

 侑が好きそうな顔だ。

「あ、角名君や」

 彼女はピッと人差し指を立ててそう言うと、答えを求めるようにこちらをじっと見た。

「あれ、角名君やない?」
「……知り合いだっけ?」
「バレー部やろ? うち、バレー部の試合よく観に行くんよ」

 ああ、なるほど。それなら話したことのない俺のことを知っていても不思議は無い。

「あ、自販機使うん?」

 サッと一歩下がると、彼女は自販機の前を開けてくれた。そんな彼女に軽く頭を下げて、硬貨を数枚入れ、ボタンを押した。ガタガタという音と共に落ちてきた飲み物を取り出すと、彼女は再び目を丸くしてこちらを見つめた。

「……何?」
「それ買うてる人初めて見たわ」

 言われて手の中のパッケージへと視線を落とす。『ぐんぐんヨーグルト』。たしかに絶大な人気を誇る商品でもないが、そこまで言うほどマイナーでもないだろうに。

「そう?」
「うん。どんな味なん? やっぱりヨーグルト味?」

 興味津々といった感じで目を瞬かせながら問いかけられ、一瞬たじろぐ。どんな味かと問われても、この独特な味は説明のしようがない。

「……一口飲んでみる?」

 説明が面倒だったので、ストローを差し込み彼女へと差し出した。

「えっ! ええよ。大丈夫。自分で買うし」
「いいよ。気になるんでしょ? まだ口付けてないから綺麗だよ」
「でも……」

 困ったように眉を寄せながら口ごもる彼女を見ていたら、若干イラッとした。

「嫌ならいいけど」
「嫌やないよ!」
「じゃあ飲めば? 何を気にしてんのか知らないけど、俺は気にしないし。小学生じゃあるまいし」

 何を気にしているのかは大体の検討はついていたが、そこまで潔癖でない自分としては、逆に気にされても気まずいというか、困ってしまう。

「ほんなら一口貰ってもええかな?」
「どうぞ」

 そう言って手渡すと、彼女は恐る恐るストローに口付けた。

「……わっ! 思ったよりスッキリしてるんやねぇ。もすこし甘ったるい感じなんかなぁて思っとったから飲みやすかった。角名君、ありがとう」

 うちも今度コレ買うわ。そう言って彼女はそっと俺の手にパッケージを載せた。

「うわっ、侑君の次は角名君やん」
「ホンマ男が好きなんやなぁ。嫌やわぁ」
「男なら誰でもええんちゃう?」
「うわぁビッチやん! 怖いわぁ。近寄らんとこー」

 悪意の塊のような言葉を後ろから投げつけられゆっくりと振り返ると、数人の女子生徒たちがクスクスと笑いながら駆けてゆくところだった。再び彼女へと視線を向けると、彼女は気まずそうに目を逸らした。

 ……なるほど。まぁあの侑と一緒にいたらそうなるのか。治の言うとおり付き合っていないのなら尚更だ。とはいえ、さすがに『虐められてんの?』とは聞きづらいし、そもそも深入りするつもりもなかった。さて、どうしたものか。

「ごめんなぁ、変なとこ見せてもうて」

 そう言って、彼女はヘラっと笑った。薄っぺらい笑みを顔に貼り付けながら。

 ……なんだろう。なんか気持ち悪い。あんな事を言われて気にしていないんだろうか。彼女からは傷ついたという反応も腹を立てている様子も見受けられなかった。まるで実体のない幽霊のようだ。

「ほな、うち行くわ。次移動教室やから」

 角名君、またね。そう言って、再び嘘くさい顔で笑うと、ヒラヒラと手を振って去っていった。


 気味が悪いというのはこういう感覚なんだろうか。得体が知れないというか、なんとも言えない気持ち悪さだった。自分も人から何を考えているのかわからないと言われることが多いが、案外自分も周りからこう思われているのかも知れないなと、どこか人ごとのように思った。



***



 あれから数日後、朝練が終わり二年メンバーと一緒に教室へと向かっていると、数メートル先を先日話した彼女が歩いていた。

「おん? ナマエやん」
「ほんまや。……アイツ上靴どしたん」

 訝しげに眉を寄せた治の声に引き寄せられるように、自然と彼女の足元へと視線が向く。彼女はペタペタとスリッパを鳴らしながら歩いていた。

 ゾロゾロという足音につられたのか、彼女はゆっくりと振り返ると、先日見た時と同じ気味の悪い顔で笑った。

「あ、侑やん。朝練終わったん? お疲れ様」
「お前上靴どないした」
「……あー……ちょっと履かれんようにしてもうて……せやから職員室でスリッパ借りてきたんよ」
「はぁ? この前もダメにしとったやん。おいお前――」
「ちゃうよ。ほんまになんでもないんやて。……あんま騒がんでよ。侑目立つんやから」

 ふう、とため息をつくと、ふと彼女が顔を上げた。目が合うなり、彼女は大きな瞳を丸くして「あ!」と声を上げた。

「角名君、この間はありがとう。あれからうちもハマってもうて。何回か買うたんよ。アレ美味しいなぁ。角名君が飲んでなかったら一生飲まんかったかもしれん。ほんまありがとうね」

 本心の見えない顔で笑いながら、彼女はそう言った。

「なんやお前ら知り合いやったん?」
「ナイショー。侑には教えられんなぁ」
「なんやそれ」

 ムスッとした顔でそう言う侑を前に、彼女はふふふ、と笑いながら左腕の時計へと視線を落とした。

「あ、うち行くわ。宿題忘れたからセンセ来る前にやらんと」

 ほなまたね。と言い残し、再びペタペタとスリッパを鳴らして去っていった。


 なんだ。侑の前でもあの顔で笑うのか。てっきり侑の前では違った表情が見られるのではと思ったのに。

「角名、知り合いやったんか?」

 治が様子を窺うようにこちらを見ている。

「自販機の前で会って少し話しただけだよ。知り合いってほどでもない」
「さよか」
「心配しなくても侑の『お気に入り』に手出すつもりは無いよ」
「んなこと言うとらんやろ。お気に入りいうても別に付き合うとるわけやなし、ツムは関係あらへんわ」

 なんでもないことのように言う治と、どこか面白くなさそうな顔をしている侑を交互に見て、やっぱり関わりたくないと思った。



***



 あれから何度か自販機へ立ち寄ったが、彼女に会うことはなかった。教室から姿を見ることはあったので、単純にタイミングが合わないのだろう。別に会いたかったわけではないが、自販機の前を通るたびに、あの嘘っぽい笑顔が一瞬頭をよぎる。

 自分でも、らしくないなと思った。


「角名! サム! 部活行くで!」

 放課後になると、隣のクラスの侑が必ずといっていいほど俺と治を呼びに来る。

「なんで毎回呼びに来るわけ? 小学生じゃないんだから現地集合でいいじゃん」
「ほんまやな。寂しがりか」
「うっさいわ! せっかく呼びに来てやってんのに!」
「頼んどらんし」
「なんやと!」

 ぎゃあぎゃあといつものように言い合いになった双子を無視して体育館へ向かうと、手元がやけに軽いことに気がついた。

「あ、シューズ忘れた。銀、双子連れて先行ってて」
「おう! わかった。急げよ、北さん来るで」
「わかってるよ」


 廊下を歩いていると、教室の扉の前で中の様子を窺うように覗いている彼女の姿を見つけた。

 変なシーンばっかり遭遇するんだよなぁ。

 今度は一体何なんだろう。素通りするのも逆に気まずい気もして、多少の面倒くささを感じながらも、とりあえず声をかけることにした。

「何してんの?」

 声をかけると、彼女は弾かれたように振り向いて、いつものようにヘラっとした笑みを浮かべた。

「はは、角名君こそ、何しとるん? えっと……これから部活なんかな?」
「そうだけど。何してんの。なんで中……」

 言いながら教室の中を覗くと、慌てた様子で数人の女子生徒が駆けてくるところだった。

「ミョウジさん! ちょうどよかったわ。あんな? コレ、外に落ちとったからウチら拾っといたんやけど……なんや汚れてて。落ちひんかなー思てんけど、ダメやったわぁ」
「ひどいことする人が居るんやなぁ。ホンマ嫌やわぁ」

 はいコレ、と彼女に手渡したのは、真新しい上靴だった。マジックのようなもので『バカ』だの『死ね』だの汚い言葉が書き殴られている。

「……拾ってくれて、ありがとうね」
「ええんよ。ほら、ウチら友達やし?」
「そうそう。ほんならまたなぁ」

 クスクスと笑いながら走り去る後ろ姿には見覚えがあった。以前自販機のそばで見たものと同じだ。

「……上靴、これで四足目やってんけど、これももう履けんなぁ」

 ヘラヘラと笑いながらそう言う彼女に腹が立った。

「なんでヘラヘラ笑ってんの?」
「……角名君?」
「こんなことされて腹立たないわけ? この間だって言われっぱなしで、今回だってどうせアイツらがやったってわかってんじゃないの? そうやっていつもヘラヘラ笑って……アンタみたいなの見てるとイライラすんだけど」

 彼女はキョトンとした顔で俺を見て、それからハハハっと声を上げて笑った。いつもの貼り付けたような気持ち悪い笑顔ではない。ごく自然に笑う顔を見て、腹が立つより先にこんな顔もできるんだと思った。

「……何笑ってんの」
「ごめんごめん。角名君にはうちがよっぽどか弱い女の子に見えてるんやなぁ思たらおかしくて」

 目尻に溜まった涙を拭いながらそう言うと、彼女はまだ肩を震わせていた。

「角名君、これから部活やろ? 部活終わるまで待ってるから、一緒に帰らん? 面白いもの見せたげる」
「……は?」
「ほな、またあとでな!」

 そう言うと、彼女は返事も聞かずに駈けていった。

「……まだ一緒に帰るなんて言ってないんだけど……」

 誰もいなくなった空間に向かって呟くと、なんとも言えないモヤモヤとした気持ちを吐き出すように大きくため息をついた。





 練習が終わり体育館を出ると、宣言どおりに彼女が待っていた。こちらに気がつくなり、彼女はパタパタと手を振って駆けてきた。

「お疲れ様」
「ってか本当に待ってたんだ」
「待ってる言うたやん。ほな帰りましょうか?」
「おい、ちょお待てや。何なん? お前ら一緒に帰るん? は?」

 俺たちのやり取りを見ていたのであろう侑が、不機嫌そうな顔で割り込んできた。

「私が一緒に帰ろうて誘ったんよ。角名君と話したいことがあったから」
「はぁ!? 話て何やねん」
「侑に関係ないやろ? 心配せんでも大した話やないよ。ただの世間話やし。それに、何でもかんでも侑に言うわけやないんよ。うちにはうちの人生があんねんから」
「はぁ!? せやけどお前――」
「治ちゃん! ボサッと突っ立っとらんで侑のこと何とかして」

 言いかけた侑を遮るようにして、彼女は言い放つ。小学校からの付き合いとはいえ、この双子に向かってこんな物言いをする女を見るのは初めてだった。治は不服そうな顔をしながらため息をついたが、それでも断るつもりもないのか侑のそばへとやってきた。

「何で俺やねん……」
「ええやん。帰る家も同じやねんから連れて帰ったげてよ」
「おい! 話まだ終わっとらんやろ! おいサム離せ!」
「暴れんなや! こっちは部活終わりで腹減っとんねやぞ! 余計な体力使わせんなや!!」
「なら離せや! それで解決やろ! いっつもいっつもナマエの肩持ちよってからに!」
「はぁ!? どこがやねん!」

 恒例の兄弟喧嘩に発展したところで、彼女が自分の口に人差し指を当てながら、俺の服を摘んだ。

「今のうちやよ」

 彼女はヒソヒソ声でそう言うと、チョイチョイと手招きをした。本当は、約束したわけでもないし一緒に帰るつもりはなかったのだが、こうなってくるとここに留まって侑に絡まれるほうが面倒くさそうだ。そう思い、俺は彼女の後へと続いた。





 並んで歩きながら、自分の肩付近にある小さな頭を見下ろした。視線に気付いたのかふと顔を上げると、彼女は小さく肩をすくめた。

「侑がゴメンなぁ。侑は王様やから。昔っから自分が一番やないと気が済まんのよ」
「侑と仲良いんだ?」
「小さい時から一緒やからね。……よくバレー観に行く言うたやろ? うち、侑のバレーに惚れ込んどるんよ。芸術的やん? 侑のセッティング。せやから、侑のバレー見てると、感動するんよねぇ」
「はは、なんとなくわかる気がする」
「ほんま? 角名君とは気が合いそうやね。飲み物の好みも似てるみたいやし」

 ふふふ、といたずらっ子のように笑いながら、彼女は言った。……そういえば、昼間の一件以来、あの気持ち悪い笑い方をしなくなった。

「……で、話って? 何か見せてくれるんでしょ? 何?」
「ああ。ちょっと待ってな?」

 そう言うと、彼女はゴソゴソとカバンから携帯電話を取り出した。画面を手早く操作して、こちらに寄越すと、にっこりと笑った。画面には動画が表示されている。どうやらこれを見せたいらしい。

 彼女から携帯を受け取り再生すると、教室の様子が映し出された。昼間の女子生徒たちが集まって、何やら楽しそうに笑っている。そして、手に持ったマジックを使って何かを書いている様が鮮明に捕らえられていた。コレを見れば彼女の手元にあるあの上靴に『誰が』『何を』したのか、一目瞭然だ。

「綺麗に撮れとるやろ? ようやくちゃんとした証拠が手に入ってん。上靴四つもダメにした甲斐があったわぁ」

 クスクスと笑いながら、彼女はそう言った。

「センセに言うても証拠が無いと信じてくれんやん? 泣き寝入りどころかチクったことで悪化するのがオチやもん。せやから、ちょっと泳がせとったんよ。上手いこといってよかったわ。角名君効果もあったかもしれんなぁ。ありがとうね、角名君?」

 そう言って笑う彼女の顔には、あの双子と同じくらいの負けん気の強さが浮かんでいた。

「ハハハッ! マジか!」

 やられた。大人しい顔してとんだ狼だった。どうりで侑が気に入るわけだ。こんな女見たことがない。

「お、角名君も笑うんやねぇ」
「そりゃ、こんなの見せられたらね。アンタ面白いわ。昼間言ったの撤回する」
「イライラするってやつ?」
「そう」
「よかった。嫌われてしまったんかなぁて思とったから」
「へぇ。そういうの気にしなさそうなのに」
「そら気にするよ。人から嫌われんのってしんどいやんか。……全員から好かれるんは無理でも、できるだけ嫌われたくないなぁとは思う」

 ほんの少しだけ寂しげに、彼女はポツリと呟いた。何を言われても気にしていないように見えていたのはポーズだったのか。そりゃそうだ。人から嫌われたい人間なんてそうそう居ないだろう。強がって見せた裏側で、本当はずっと傷ついていたのかもしれない。

 出会った時からずっと感じていた薄気味の悪さが消えてゆく。彼女は、幽霊でもなんでもない。ただの普通の人間だった。

「で? どうすんの、ソレ」
「ん? ああ、コレ?」

 携帯電話を指差しながら、悪戯っぽく笑う。

「うちとしては買い直した上靴と教科書の金額だけ弁償してもらえたらええんやけどねぇ……」
「仕返ししてやろうとかは思わないんだ? 先生に突き出せば停学くらいにはしてやれんじゃないの」
「そりゃね、気持ちとしてはしてやりたいんやけど……あんま大ごとにして下手に恨まれてもなぁとは思うんよ。ほら、逃げるが勝ちって言うやん? 平和な生活が取り戻せるんなら、それでええかなぁって」

 ふふふ、と笑う顔を見ながら、心の中で同感だと呟いた。今の彼女の被害状況を全て把握しているわけではないが、見た限りの悪戯や嫌がらせレベルなら、それが止むことが一番だろう。相手の交友関係にもよるが、下手に恨みを買って洒落にならないレベルの仕返しをされるほうがリスキーだ。見かけによらず、案外彼女は頭が良いのだと思った。

「ま、それが一番だろうね」
「お、ほんまに気が合うなぁ。侑なら絶対にやり返せー! って言いそうやのに」
「そりゃ侑ならね。俺は面倒なことは極力避けたい」
「うんうん。直接怪我させられた、とかなら絶対に倍にして返すんやけどね」

 シュッシュと握った拳を振るいながら、彼女が小悪魔のような顔で俺を見上げた。

「ま、うまくやれば?」
「うん。うまく取り返せたら、角名君にぐんぐんヨーグルト奢ったげるわ」
「え……なんか共犯みたいで嫌なんだけど」
「えー、もう共犯みたいなもんやん。証拠の品も見てもうてるし?」
「うわ、嵌められた」

 ハハハ、と笑いながら、まぁそれも別に悪くはないかと思っている自分がいた。



***



 あれから数日経つが、彼女の周りに大きな変化は見られなかった。教室の前を通るたびに彼女の様子を窺う。上靴はきちんと履いているし、沈んだ様子もない。絡まれている様子もなかった。もう奴らに話したんだろうか。すんなり話がまとまったならいいが、もし奴らが仕返しなど考えていたら、一人で行動することの多い彼女は格好の獲物だ。頭のいい彼女ならこのタイミングで一人になることはないと思うが、それでもやはり心配だった。

 ……心配、か。しっかり共犯になってるじゃないかと自分にツッコミを入れながら、ため息をついた。


 ふと見ると、例の奴らがコソコソと下駄箱で話しているのを見かけた。彼女のクラスの下駄箱の前で何やら周りの様子を窺っている。

「ねぇ、やっぱやめた方がええんやない?」
「せやで。あの子なんかヤバそうやったやん。目が据わってるいうか……ウチなんか怖いわ……」
「はぁ!? あんな舐めた言い方されて腹立たんの!? 上靴汚されたくらいでなんやねん! ほんま腹立つわ!」

 リーダー格のような女が彼女の上靴に手をかけたのを確認してから、そっと奴らに近づいた。

「ねえ、何してんの?」
「えっ! す、角名君!? えっと……」
「それ、ナマエの下駄箱だけど。なんか用? アイツ、上靴誰かに汚されて何度か買い替えてんだけど。……まさかお前らがやってんの?」

 上から睨みつけるようにそう言うと、女はあからさまに目を白黒させて「あの」とか「その」とかモゴモゴと言っていた。

「つーかさ、人の女に舐めた真似して、ただで済むと思ってねーだろーな」
「えっ……角名君とミョウジさんて……」
「付き合ってちゃ悪いわけ? お前らに関係ある? っつーか……さっさとそれ戻して消えろよ!!」

 ダンッと下駄箱を拳で叩きながら言うと、女どもは蜘蛛の子を散らすように去っていった。

 心の中で「バーカ」と呟きながら振り返ると、目を丸くしたミョウジナマエが口をぽかんと開けながら立っていた。ギョッとして思わず後ずさると、彼女は大きな目をパチパチと瞬かせながらそっと目を伏せた。

 全部聞かれたんだろうか。いや、ひょっとしたら話しているのを見られただけで、会話は聞かれてないかもしれない。

「うちって……角名君と付き合うとったん……?」

 うわー……バッチリ聞かれてた。その場をごまかすために、とか色々頭の中に言い訳は浮かんだが、どれも口からは出てこなかった。すると彼女は小さく笑いながら言った。

「ウソウソ。上手いこと場を治めるために言うてくれたんやろ? ちゃんとわかっとるよー。ほとぼり冷めたら訂正しとくから、安心してな?」

 ニッコリと表面上は笑って見えるその顔が、どこか歪だった。

 ああ、そうか。この子は嘘を隠して笑うと、この顔になるんだ。そう思ったら、なんだか急に胸の奥がザワザワした。
 別に彼女のことが好きなわけじゃない。彼女のことだってまだよく知らないことが多い。でも……。


「……しなくてもいいよ、訂正」
「ん?」
「……俺は、別にそれでもいいと思ったから言ったんだし」

 彼女は再び目を大きく見開くと、今度は嘘のない顔で笑った。この笑った顔は好きだな、と今更ながら思った。

 目が合うと、彼女は小さくオホン、と咳払いをして、あの小悪魔のような顔で俺を見上げた。

「うちも、それでもええけど?」
「ならいいんじゃない?」
「うん。……なぁ、今日も角名君部活やんね? 部活終わるまで待っとるから、一緒に帰らん? 今日は、見せたいもんは特には無いねんけど」
「いいよ」
「ほんなら、またあとで」

 嬉しそうに笑いながら、彼女が駆けてゆく。

 彼女の後ろ姿を見送りながら、あの双子の片割れの顔がポンと頭に浮かんだ。ああ、また侑に絡まれるかな。……まぁいいか。付き合ってんのは侑じゃなくて俺だし。

 そんなことを思いながら、部活終わりをほんの少しだけ楽しみにしている自分がいることに気付いた。
 

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