- ナノ -


(9話)



 年が明け、春高が終わった。

 我が稲荷崎高校バレー部は、二回戦で宮城県代表の烏野高校というところと対戦し、惜しくも敗れた。優勝候補の二回戦敗退というのは、それはそれはセンセーショナルな出来事で、地元のローカルテレビで何度もニュースが流れ、そのたびに私はテレビを消した。

 早く治君に会いたい。

 治君が落ち込んでいるのかはわからないし、バレーのこともわからない私が、何を言っていいのかもわからない。でも、それでも会いたい。顔を見て話したい。たったの一週間なのに、もう一ヶ月近く会っていないような気がする。

 治君に会いたい。

 ベッドに横になったまま携帯電話を手に取るが、そこには何の通知も無く、何度見ていても画面が変わることはなかった。

「……おさむくーん……」

 静かな端末に向かって語りかけると、それがスイッチになったようにパッと画面が明るくなり、震えだした。

「えっ! えっ!」

 『着信 宮治』と表示された画面を乱暴にスライドすると、震えがピタリと止んだ。

「も、もしもしっ!?」
『もしもーし。なんか声上ずっとるな。今大丈夫?』
「へ、平気っ! 部屋で、ゴロゴロしてた!」
『ほんま? なんかテンション高ない?』
「ちょうど、携帯を見てて……治君に会いたいなぁって思ってたところにかかってきたから、ビックリしちゃって……」

 まさか携帯に向かって呼びかけていたとは言えず、そこだけはボカして答えると、治君はハハハッと笑った。

『今ちょうど試合見終わって、宿帰るとこやねん。明後日の夜に帰るから、そん次の日にでも会えへんかなー思て』
「あ、会いたい! 会う!」
『ほな時間とかは後でまた連絡するわ。……ほんまはこれも別に電話やなくてもよかってんけど、声聞きたいなぁ思て』
「……私も……」

 小さな声で呟いたのと同時に、電話の奥が急にザワザワと賑やかになった。
 
『何。誰と電話しとん。あ、ナマエちゃんやろ! なあ! ナマエちゃんやろ!』
『喧しいわ。お前向こう行けや』
『おい侑、邪魔せんとき。治かて彼女と電話くらいするやろ。ゆっくりさせたれや』
『そうだよ侑。妬みはみっともないよ』
『うっさいわ! 黙っとれ!』
『うっさいんはお前じゃ! つーかお前ら全員向こう行けや!! 邪魔や!!!』

 最後の治君の声が一番うるさくて、思わず耳を押さえる。きーん、と耳鳴りがして、慌てて反対の耳へと電話を当てると、遠くから治君の声が聞こえた。

『……しもーし。ナマエ? 聞いとる?』
「ごめんごめん、聞いてる」
『ほなまた連絡するから。なんやバタバタして悪かったな』
「ううん。声が聞けて嬉しかった。気をつけて帰ってきてね」
『おん。ほなまたな』

 電話を切っても、まだ耳元に治君の声が残っている。ほんの数分声を聞いただけなのに、さっきまでと気持ちが全然違う。

 自分にとって、治君の存在がどれだけ大きいのか思い知ったような、そんな出来事だった。



***



「ほれ、お土産や」

 そう言って、治君は私にキーテイちゃんのストラップをくれた。キーテイちゃんがスカイツリーにコアラのように抱きついている。

「わぁ! 可愛い! ご当地キーテイちゃんだ!」

 この、少し目つきの悪いなんともいえない表情が、これまた可愛い。

「怒っとるときのナマエに似とるなー思て買うてきた」
「えっ、こんな顔してる?」
「しとるしとる。ツムと喧嘩しとるときなんかはこんな顔やで」

 カラカラと笑いながら治君が言う。どうやら落ち込んではいなさそうで、私はホッと息を吐き出した。

「……じゃあこのスカイツリーは治君ね。背が高いから。今つけていい?」
「お、気に入ったんか」
「うん! 可愛い!」

 携帯電話に装着したストラップを眺める。見れば見るほど可愛い。

「大事にするね」
「おん。……あ、そういえば」
「ん?」
「進路のことやけど、正式に決めたわ。……バレーは、高校まででしまいにする」
「そっか。……侑君は?」

 以前見た限りでは、到底納得しないような様子だったが、円満に話がついたのだろうか。

「いや、相変わらずやな……」
「そっか……ちゃんと思ってること全部話した? 侑君に」
「…………言わんでもわかるやろ。……双子なんやし……」

 ムスッとした顔で口を尖らせたまま、治君はボソボソと呟いた。治君は時々、こういう子供のような一面を見せる。治君には言わないが、こういうところは侑君とよく似ているなぁと思う。

「ちゃんと話さないとさ、伝わらないよ? 治君、いつも私にはちゃんと話してくれるのに」
「ツムにナマエの百分の一でも可愛げがあったら俺かて素直になれるわ」
「可愛いじゃない、侑君」
「…………はぁ?」

 見るからに不機嫌そうに眉間にシワを寄せ、治君が私をギロリと睨む。

「……えっと……自由奔放なところとか?」
「自由と無神経はちゃうやろ」

 つまらなそうにそう言うと、治君はプイっと顔を背け、これ見よがしに大きくため息をついた。

「……え、怒ったの?」
「別に怒ってへんけど」
「怒ってるじゃない……。なんで? おーい、治くーん。こっち見てよー。淋しいよー」

 ツンツンとほっぺたをつつきながらそう言うと、治君は急に振り返り、私の手をガッと掴んだ。

「淋しいんはこっちやわ。久々に会えたいうのに恋人は他の男のことばっかり褒めよる。……やってられん」

 ポイっと掴んだ手を放しながらそう言うと、治君はそっぽ向いて再びため息をついた。どうやら本当に機嫌を損ねてしまったらしい。

「そんなことないよ。治君が一番だよ。一番かっこいいし、一番可愛いし、一番大好きだよ。ご機嫌直して?」
「ウソや。ほんまはツムの方がええんやろ」
「……それ、本気で言ってるなら、怒る」

 ジッと治君の目を見つめていると、居心地悪そうにキョロキョロと動いた。

「…………本気なわけないやん。……ナマエが俺にベタ惚れやて知っとるし」

 ムスッとした顔で呟くと、治君はそっと私の手を取った。

「ほんま困るわ。弄ばれて」
「ふふふ、治君も私にベタ惚れ?」
「言わんでもわかるやろ」
「分かってもね、聞きたい時もあるんだよ」

 グリグリとほっぺたを指で突っつくと、治君はその手をするりと絡め取り、強引に抱き寄せた。

「……好きや」
「私も好きだよ、治君」
「……知っとる」



***



 学校が始まり、再び慌ただしい日々がやってきた。

 今日は様々な業種の人が学校へやってきて、それぞれのブースで職業についての説明をしてくれる、職業紹介の日だった。半日かけて行われるので、効率良く回れば三箇所ないし四箇所は回れるだろう。また、もう既に進路が決まっている者たちは、自分の興味のある分野の話を聞くだけで、ほぼ自由時間だ。


「ほんならどこから回る?」

 席まで迎えに来てくれた治君と一緒に教室を出て、見取り図を見る。

「んー……治君に任せる」
「いや、俺はもう方向性は決まっとるんやから、ナマエが気になるとこから回った方がええのんとちゃう?」
「うん……でもまだ全然決まってないし、時間もったいないから治君の分野の飲食関係のとこから回らない……?」

 むしろ別々に回りたいくらいだ。何も決まっていない自分に付き合わせるなんて気が引ける。私は、適当に歩きながら、気になったところをちょろっと覗ければそれでよかったのだ。

「ほんなら俺んとこから回るか。途中でどっか気になるとこあったらすぐ言うんやで」
「はい」


 あれから、進路についていろいろ考えた。治君に言われたとおり、楽しいことや好きなことを中心に、私なりに考えてはみた。でも、楽しいことも好きなことも、何を考えても治君が一緒についてきた。治君が私のすべてで、一人ではやりたいことも思い浮かばない。
 今の私の生活の中で唯一治君から切り離されているものといえば、家庭科部での活動なわけだが、それすらも怪しい。正直、料理は後で治君に食べてもらいたいからというのが大きいし、手芸などについても何か作るたびに『治君に似合うかな』などと考えてしまう。

 考えれば考えるほど、彼に依存していると思う。

 そんな私が進路なんて、本当に決められるのだろうか。そう考えただけで不安で、足元の地面がガラガラと崩れていくような、そんな気がした。



 飲食業界の企業が集まる教室に行くと、もうすでにそこそこの人数が集まっていた。治君の進路に関わるであろう、調理側の話や経営側の話を一通り聞いて教室を出ようとした瞬間、とあるブースの机に並んだ写真が気になり、足を止めた。

 鯉のぼりやクマ、カエルにサンタさん。いろんな形をしたおにぎりやハンバーグの写真が並んでいた。何となく懐かしいその光景に、思わず引き寄せられる。

「どないした? ああ、給食やな。……保育園か?」
「私の通ってた保育園も……こういうの食べた気がする……」

 懐かしい。そういえば、私は小さい頃クマさんのハンバーグが好きだった。どうして忘れていたんだろう。

「食育の一環なんです。小さい子供やと形が変わるだけで苦手な食材も食べられたりするので。他にも、トウモロコシの皮を剥いてもろたり、自分らでパン作ってみたり……」

 そう言って、お姉さんは別の資料を見せてくれた。写真の中で、小さな子供たちが楽しそうにピザを作っている。ほっぺたや鼻の頭にケチャップをつけている子もいる。

「楽しそう……」
「ほんまやな」
「よかったら資料どうぞ」

 そう言って手渡された冊子には、『栄養士・管理栄養士』と書いてあった。




 教室に戻り、先ほど貰った資料を眺めていると、治君が私の顔を覗き込んだ。

「興味あるん?」
「え……?」
「顔。キラキラしとる」

 言われて自分の頬に手を当てる。

「……私、保育園で育ったって言ったでしょう? そういえば、保育園の給食が好きだったなぁって思い出したの」
「そやったん?」
「うん。忘れてた。……私のお迎えは、いつも夜遅くてね。そういう時は、給食室の先生が小さなおにぎりとかサンドイッチを作ってくれるの。遅くて淋しいっていうよりも、それが食べられるのが嬉しかったんだ。……特別って感じがして」

 保育園の頃のことはあまり覚えていない。でも、保育園に行くのは大好きだった。先生たちはみんな優しくて、母が仕事で忙しくても淋しくなかった。

 
「……私……子供たちに、給食を作りたい……。……そういう仕事がしたい」
「おお! ええやん!」

 治君がニッと笑いながら私の頭をわしゃわしゃと撫でた。


 ずっと描いていた将来の夢とか、目標とか、そんな大層なものではないけれど。それでも、自分から何かしたいと思ったことは初めてだ。

 給食を食べて、美味しいなって思ってもらいたい。食べることを好きになってもらいたい。

 治くんが私に教えてくれたみたいに。美味しいものを食べた時の幸せな気持ちを、今度は私が子供たちに教えてあげたい。

「きっとええ先生になれるわ」

 屈託なく笑うこの人に、何度救われたことだろう。治君に言われたら、なんだってできるような気がする。今のように依存するのではなく、もっともっといろんなことを覚えて、一人前になりたい。

 優しいこの人と、この先の道を並んで歩けるように。
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