- ナノ -


(6話)



 その日は、治君がバレー部のミーティングがあるというので、私はクラスメイトで同じ家庭科部のサキちゃんたちとお昼ご飯を食べていた。

「ほんなら、付き合う前にもう家遊びに行ってたん!?」
「ひゃあーやるなぁ。ウチやったら恐れ多くて宮ツインズと一つ屋根の下でなんか呼吸できひん! 呼吸困難になるわ」
「ホンマホンマ。ナマエちゃん度胸あるんやなぁ。そら治も惚れるわ」

 ほんまやなぁ。と笑いながら、女の子たちが言う。サキちゃんの紹介で、家庭科部の二年生メンバーとすっかり打ち解けた私は、こうして治君が居ない時はサキちゃんたちとお昼ご飯をご一緒させてもらっている。

「それにしても治は過保護やねんなぁ」

 サキちゃんの呟きに、ノンちゃんがウンウンと頷きながら応えた。

「ホンマやわ。治君って、侑君に比べると大人しいし、もっと冷めた感じなんかなーって思っとったけど、全然そんなんちゃうやんなぁ?」
「過保護……?」

 確かに、治君は世話焼きだし、いつも気にかけてもらっている自覚はある。だが、外から見ていてもわかるほどなのだろうか。
 すると、サキちゃんがカラカラと笑いながら言った。

「過保護やん! 治、今日みたく昼休みになんか用事ある時、いっつもうちんとこ来て、いついつ俺おらんから昼飯んときナマエのこと頼むわって言いよるんよ」
「えっ!?」

 まさかそんなことになっているなんて夢にも思わなかった私は、思わず持っていたおにぎりをギュッと握った。中身がにゅっと飛び出しそうになり、慌てて口に含んだ。
 たしかに、治君が居ない時は必ずといっていいほどサキちゃんが席まで誘いに来てくれる。そういうカラクリになっていたのか。謎が一つ解けた気分だ。
 もぐもぐとおにぎりを味わいながら内心頷いていると、山ちゃんがうなり声を上げた。

「あーでもわかる気するわぁ。ナマエちゃんってなーんか守ってあげたなるもんな。男心をくすぐられるいうか……」
「あんた女やん」
「女やけど! 言いたいことはわかるやろ!」

 ノンちゃんの鋭いツッコミにも負けずにそう言うと、今度はサキちゃんが頷く。

「まあわからんでもないなぁ。うち、治のことが無くてもこうして仲良うなってたと思うし」
「うん、ウチもウチも!」
「あたしかてそうやし」

 口々にそう言われ、なんだか顔が熱くなってくる。

「あ……ありがとう……」

 こんなふうに友達と話せるようになるなんて思わなかった。家庭科部に入ってよかった。



 食事が終わり、飲み物を買いに行くというノンちゃんたちと一緒に売店へ行くと、不意に肩を叩かれた。
 振り返ると、見知らぬ女子生徒が数人ズラリと並んでいる。上靴の色で三年生だということがわかった。

「あの……?」
「なぁ、ミョウジナマエってあんたやろ? ちょっと話したいことがあるんやけど、一緒に来てくれへん?」

 リーダー格のような人がニッコリと笑って言った。

「えっと……」

 どう答えたらいいのか迷っていると、横からサキちゃんがズイッと身を乗り出した。

「あー、すいません。うちら次移動教室なんですよー。ほら、はよ準備せんと――」
「大丈夫大丈夫。話ならすぐ終わるし。な?」

 サキちゃんの言葉を遮って、女の人が言う。

「ほんならうちも一緒……」
「話したいんはミョウジさんだけやから。部外者は引っ込んでてくれる?」

 女の人はそう言うと、ニッコリと笑った。なんだか威圧感があって逆らえない。

 ……用件なら分かっている。この手の話なら早くカタをつけたほうがいい。先延ばしにしたところで解決しないだろうし。


「……大丈夫。行ってくる」
「せやけど……」

 なおも心配そうな顔で見つめるサキちゃんに、私は小さく首を振って応えた。

「平気。話をするだけだから。先、戻ってて?」

 できるだけ笑ってそう言うと、サキちゃんたち
に背を向けた。




 先輩方に連れられて、目立たない校舎の脇へとやってきた。

「あんた治君と付き合うとるんやって?」

 開口一番にそう言われ、思わず心の中でため息をついた。ほらきた。予想どおり。そんなことを思いながら、私の前で仁王立ちしている彼女を見つめる。

「一体どんな手使うたん」
「どんな手って言われても……付き合ってほしいって言ったのは私じゃないですし」

 嘘は言ってない。付き合ってと言ったのは治君の方だ。先に好きだと言ったのも、治君だ。……たとえ私の気持ちがバレバレだったとしても。

「あんたみたいな地味なんと、治君が付き合うわけないやろ!」
「そうや! なんか汚い手使うたんやろ!」
「……そんなこと私に言われても。治君に聞いてください。私のどこがいいのか」

 私だってわからないくらいなんだから、答えようがない。

「何なん……!? コイツめっちゃ生意気やん」
「ホンマ。治君の前では猫かぶっとるんやろ」

 先輩方が口々に言う。そういえば侑君にもいつも『生意気な女や』って言われるもんなぁ。不意にいつものやり取りを思い出してしまい、思わず小さく笑った。

「何がおかしいん!?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと思い出し笑いを……」

 言いかけた私の髪を、リーダー格の女の人がグイッと掴んだ。

「痛っ……!」
「治君と別れろや。あんたみたいなブスで性格も悪い女、釣り合わんってわかるやろ! 別れるって言え!」
「嫌です! 付き合うも別れるも、決めるのは私と治君でしょう? 私が地味だろうがブスだろうが性悪だろうが、治君がそれでいいって言ったからいいんです! 他人のあなたから、とやかく言われたくない! 治君とは、絶対に別れない!!」

 掴まれた髪はひどく痛んだけれど、負けるもんかと睨みつけてそう言うと、彼女の顔がみるみるうちに赤くなった。


「何しとるんー?」

 間延びした声が聞こえ、視線を向けると、侑君が腕組みをしてこちらを眺めていた。

「なんや面白そうなことしてますやん。でもそいつ、サムの女なんやけど。……人の女捕まえて、何してはるんですか? 先輩」
「こ、これは……」

 慌てて髪を掴んでいた手を離すと、そのまま私を突き飛ばした。

「いたっ!」

 お尻をしたたか打ち付けて、思わず口から悲鳴が漏れる。

「ちっ、違うんよ……私らはただ話してただけで……」
「そうやそうや。ホンマなんもしてへんし……」

 青い顔をして言い訳を始める彼女たちを尻目に立ち上がると、スカートの裾をパンパンと払った。……払いながら思った。先日踊り場で話した時と同じ殺気を、侑君から感じる。怖いからとりあえず私は黙ってよう。

「大勢で一人取り囲んで、髪掴まんとでけへん話って……何?」

 笑ってるけど目が全然笑ってない。ゾワっと背筋が凍った。

「ねぇ……ヤバイよ」
「行こう」

 口々にそう言って、先輩方はバタバタと逃げるように去っていった。


 ポツンと取り残された私は、チラリと侑君を見上げる。

「……なんや」
「……別に。……その……ありがとう……ございます」

 侑君から目を逸らしながらそう言うと、隣でブハッと吹き出す声がした。

「おまっ……礼くらい可愛く言えへんのかい! ……ま、あれなら一人でも平気そうやったけどな。ホンマ、ナマエちゃんは見かけによらず気ぃ強いなぁ」

 侑君につられて私も少し笑った。

「そうかもしれないけど、……ちょっと怖かったから、助かった」
「髪、すごいことなっとるで」

 そう言いながら、侑君はちょいちょいと私の髪を整えてくれた。

「侑君、どうしてここにいるの?」
「おん? 部室出て歩いとったら、サキが血相変えて飛んできよったんや」
「サキちゃんが?」
「なんや最初サムと間違えられてん。でもあんたでもええから先行ってろ言われた。失礼な女やで」

 むすっとした顔でそう言う侑君を見て、ふと先日の治君との会話を思い出した。

『ホンマに嫌っとったら、多分ツムは口きかんで』

 いつも言い合いになるのに、こうして心配して探しにきてくれたんだと思ったら、なんだか胸がチクチクした。侑君に対する態度を改めないといけない。そう思った。

「ありがとう。探しにきてくれて」
「……別に、お前のためちゃうで。サムがキレたら手ぇつけられんからや。俺までとばっちりで怒られたら面倒やし」
「それでも嬉しかった。……ありがとう」
「…………おん」

 そんなやり取りの中、バタバタと人が駆けてくる音がした。

「アホ、治! そっちやないっ! そっちそっち! そこっ……曲がったとこ!!」
「ナマエ!」

 声とともに治君が血相を変えて飛び込んでくる。その後ろでは、サキちゃんたちがゼエゼエと肩で息をしながら死にかけていた。

「ナマエ! 大丈夫か。何があった」
「……えっと……とくには……何も……」

 何を話していいかわからず、とりあえず言葉を濁す。言いがかりのようなものではあったけれど、実際には話をしていただけだ。怪我をさせられたわけでもない。髪は掴まれたけど、それをわざわざ言いつけるのも、治君を心配させるのも嫌だ。

 ダンマリを決め込んでいると、治君は侑君へと向き直った。

「ツム、見とってんやろ。何があったか言え」
「全部は見てへんよ。俺が見たんはコイツが治と別れろて髪掴まれとったとこだけ」

 飄々とした様子でそう言うと、侑君は私を指差した。
 なんで言っちゃうの……。心の中でため息をつきながら侑君を見やると、侑君はしれっとした顔でそっぽ向いた。


「…………は?」


 低い声が聞こえた。今まで聞いた中で一番低いかもしれない。ギョッとしてそちらを見ると、先ほどの侑君とは比べ物にならないくらい、治君の背中から殺気が立ち昇っている。

「……どいつや」
「は?」
「顔見たんやろ」
「見たけど覚えてへんわ。多分三年やろ。上靴青やったし」
「なら一緒に行ってどいつか教えろ」
「はぁ? なんで俺が……ちょお待てや! サム!」

 言うなり侑君の腕を掴みながら、ズルズルと引きずっていこうとする治君を慌てて止めた。

「ちょ、ちょっとまって! 大丈夫だから。怪我とかもしてないし……」
「髪掴まれたんやろが! ……クソブタが……ぶっ殺したる」

 ギリギリと歯を鳴らしながら物騒なことを言う治君を見ながら、私は途方に暮れた。止められる気が全然しないんですけど。

「ナマエ、先教室戻っとれ」
「でも……」

 縋るように侑君へと視線を飛ばすと、侑君は何も言わずに首を振った。うわ。この人サジ投げた。ダメだ。私が止めるしかない。止めなければ治君が犯罪者になってしまうかもしれない。そんなことになったら停学……下手したら退学かも。バレーができなくなる。そんなことになったらダメだ。
 私は覚悟を決めると、治君の前に両手を広げて立ち塞がった。

「そこどけ」
「だ、ダメだよ。行かせらんない。行ってどうするの?」
「謝らせるんや! 当然やろ! 人の女の髪掴んで脅しといて、ただで済むと思うなクソがっ……!」
「ダメだよ! 私別に気にしてないし、脅されたって治君と別れるつもりないもん! あの人たちにもそう言ったし!」
「俺の気が済まんのや!」
「ダメだってば! もしどうしても行くって言うなら……」
「言うなら? 何や」
「い、行くなら……お、治君のこと…………怒るから!」
「お……?」
「怒るよ! わ、私が怒ったら、治君よりも怖いんだから! 泣いて謝っても許してあげないよ! それでもいいの!?」

 言い終わるや否や、侑君がブーッと吹き出すのが聞こえた。

「あかんわ! ギャグやん! サム、負けたれ負けたれ。お前じゃナマエちゃんには敵わんわ」

 ヒィヒィ言いながらお腹を抱えて笑う侑君を見ながら、治君は掴んでいた腕を離した。

「……あかん。毒気抜かれたわ」
「それがええわ。……ナマエちゃん、髪掴まれて凄まれても『絶対に別れない!』ってタンカ切っとったし、多分もう大丈夫やろ。許したれや。……ほんならナマエちゃん、またなー」

 ヒラヒラと手を振って、侑君は去っていった。

「……あ! うちらも行かんと」
「せや。移動教室やし」
「ナマエちゃん、またあとでな」

 続いてサキちゃんたちもそそくさと教室へ戻っていった。

 今度は治君と二人、ポツンと取り残されてしまった。チラリと様子を窺うと、もう先ほどのように怒ったりはしていないようだった。

「えっと……私たちも教室戻る……?」
「……いや、どっか二人きりなれるとこ行こうや」
「授業は……?」
「サボる。ええやろ?」

 そう言って、治君は私の手を引いて歩き出した。



***



 治君に連れられるがままに歩いていくと、薄暗い空き教室のようなところに到着した。しばらく使われていないのか、ほんの少しだけ埃っぽい。治君がそっと入り口に鍵をかけたのがわかったが、見ないフリをした。

「こっち」

 そう言って、治君は再び私の手を引く。手近な机に腰かけると、私を引き寄せて腰を抱いた。いつもははるか頭上にある治君の顔が、すぐ目の前にある。無言で私を見つめる治君の目が怖くて、私はそっと目を逸らした。

「……まだ怒ってる?」
「怒るんはナマエなんやろ? こんな可愛い子に怒られるなんて怖くてかなわんわ」

 そう言って、治君は私の髪をそっと撫でた。

「髪引っ張られたんか。痛かったやろな……」
「平気。今度やられたら、仕返しに掴み返しちゃう」
「女の戦いやな。怖いから近寄らんとこ。……次なんかあったら、すぐ言うんやで」
「うん」

 治君の大きな手が私の頬を包みこんだ。そのまま、がじっとかぶり付くように唇を奪われた。ぬるりと舌を差し入れられ、そのまま丸ごと食べられてしまいそうな感覚に思わず治君のシャツをギュッと握った。

「……あかんわ。勃った」

 ボソッと呟くと、治君は私の腰をそっと撫でた。

「なぁ。嫌やったら死ぬ気で抵抗してくれへん? 今なら我慢できるかもしれん」
「……するつもり無いから……鍵かけたんじゃないの…………?」
「……それは万が一に備えてのことやん。ナマエが嫌やって言うのに無理やりなんかせんよ」

 そう言いながら、ジッと私を見つめる。治君の熱っぽい視線が絡みつく。それだけで丸裸にされているような気にさえなってくる。

「嫌だなんて……言うわけない。治君になら、…………食べられてもいい……」

 そう言いながら、チュッと音を立てて治君の唇にそっと触れると、再び宮君の大きな手が私の頭を丸ごと包み込んだ。

 ああ、これから私はこの人に食べられちゃうんだ。そう覚悟しても、不思議と恐怖心は無かった。

 治君は優しい。以前ハラペコだと言っていたはずなのに、私に触れる手は、最初から最後までずっと、優しいままだった。
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