- ナノ -


(5話)



「家庭科部?」
「そう。家庭科部」

 ふふふ、と笑いながら言うと、宮君はキョトンとした顔をして首を傾げた。

「先生にね、お料理とかその辺りの一般教養を学ぶにはどうしたらいいですかって聞いてみたの。そうしたら、家庭科部に入らないかって」
「それ、うちの担任が顧問やっとるからやろ。しょっちゅう部員少ないから掛け持ちでいいから入ってちょうだい言うとるし」

 騙されとるで。ジロリと私を見ながら宮君はそう言った。

「でもね、お料理だけじゃなくて、ミシンとかお裁縫もやるんだって! 家庭科の授業みたいでしょ!?」
「そら『家庭科部』やもん。家庭科みたいなもんやろ」

 そう言って、宮君はケラケラと笑った。

「ま、楽しそうで何よりやな」
「うん! お菓子とか作ったら、宮君にあげるからね」
「おん。楽しみにしとくわ。……せやけどアレやな、ナマエが部活始まったら忙しなるんかな」
「大丈夫だよ。活動は基本的には週に二回だけなんだって。水曜と金曜」
「そうなん?」
「うん。時間も、宮君の部活が終わる前に終わるよ。……私が部活の日は、宮君が部活終わるまで待ってるから、その……一緒に帰れる?」

 首を傾げながら問いかけると、宮君は、うっと息を呑んで私から目を逸らした。

「……ほんまいややわ」
「…………嫌?」

 断られた……。

「ごめんなさい……調子に乗っちゃった。一緒に帰るのはやめておく……」
「ちゃうわ! そっちの嫌なわけないやろ!」
「……じゃあどういう意味? 私何か変なこと言った?」
「アホか! 可愛すぎんねん!!」
「かっ……!?」

 まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかった私は、口を開けて固まった。

「こっちは手出すん必死に我慢しとるいうのに……」
「……手……?」
「頼むから無防備にそんな顔せんでくれ。……念のため言うとくけど、他の男の前でその顔したらあかんで」
「……その顔……?」
「その顔や! ほんまにもう……これだから目が離せん……」

 宮君はそう呟くと、大きなため息をついて私を抱き寄せた。ぎゅうっと抱きしめられ、少しだけ息が苦しくなった。

「相変わらず細っこい身体やなぁ。折れてしまいそうや。手なんか出せへんわ……」
「そんな簡単に折れないよ。宮君はがっしりしてるね。私も鍛えたらこうなれる?」
「あかんあかん。もっとちゃんと食べへんと」
「えー、最近はちゃんと食べてるよ?」
「全体的にもうちょい量食べてほしいとこやけど、食うとるもん見た感じやとタンパク質が足らんな」
「タンパク質?」
「タンパク質が足りひんと筋肉つかへんで」
「そうなんだ? 知らないことがいっぱいあるんだね」
「ナマエは好奇心旺盛やな」
「ふふ。じゃあ色々勉強してみる」

 宮君と一緒に居ると、今まで興味のなかったものにまで、急に興味が湧いてくるから不思議だ。もっともっと、色んなことを知りたい。
 宮君は、そんな私の頭をひと撫でして、小さくため息をついた。

「……家庭科部、頑張ってな。応援しとる」
「うん。宮君もバレー頑張ってね」



***



 集合場所の調理室に行くと、もう数人が集まっていた。よく見ると見覚えのある顔も居た。確か同じクラスの子だ。

「あ! ミョウジさん! こっちこっち!」

 彼女は私に気付いて大きく手を振ると、手招きをした。

「今日からやろ? あんな、治から言われてんねん。『俺の彼女が今日から家庭科部入るからよろしゅう頼むわ。面倒みたってな』て。ビックリしたわぁ! いつの間に付き合うとったん!?」

 ギョッとして彼女を見やると、彼女はキョトンとした顔をして私を見つめ返すと、私の耳元で囁いた。

「あ、内緒やった?」
「あ……違うの。ちょっとビックリして……」

 付き合って数日が経つが、知っているのは侑君くらいなものだと思っていた。私は話すような友達自体居ないし、宮君も自分から触れ回るタイプじゃない。だからまさかもう誰かに話しているとは思わなかったのだ。

「ビックリ?」
「えっと……宮君、有名だから……」
「そらそうや。この辺りの学校で宮ツインズを知らんもんはおらんで。うち、治たちとは中学から一緒やってんけど、その頃から有名やったんやで。うちの学校だけやなしに他校にもファンとかおるし」
「そ、そうなんだ……」

 やっぱりファンとかいるんだ。分かってはいたが、現実を突きつけられると尻込みしてしまう。

「あ! うちはちゃうで? 治たちのことは好きやけど、友達やし。それに、うちサッカー部に彼氏おるんよ。せやから心配せんでも大丈夫やで!」

 ニッと笑って彼女はそう言った。なんだか裏表の無さそうなのが伝わってくる。

「あ! ミョウジさんって、下の名前なんやったっけ?」
「ナマエです」
「ほんならナマエちゃんて呼んでもええ? あ、私のこともサキって呼んでな?」
「サキ……さん?」
「やめやめー! 『さん』ってなんか他人行儀やん! やり直し!」
「じゃあ、……サキちゃん」

 そう口にした瞬間、なんだか少し照れくさくて、でもそれでいて胸のあたりがほんわかと温かいもので包まれるような、そんな気がした。思えば、こんなふうに誰かと話すのは宮君以外には初めてだ。
 ……いや、転校する前だって、こんなことは無かったかもしれない。女友達と話すのは、こんな感じなんだろうか。

「うん! それならええわ。今日は休みやねんけど、他にも二年生おるから、今度紹介するなー!」
「うん。ありがとう」





 部活が終わり、バレー部の練習が終わるのを待っていると、ゾロゾロと人が出てきた。その中に見慣れた顔を見つけたが、残念ながら私の待ち人ではなかった。
 私が待っているのはもう一人の方です。と、心の中で呟いた瞬間、ふと目が合ったような気がして、慌てて目を逸らす。それなのに、その人物はなんら気にした様子もなく声をかけてきた。

「おん? サムの女やん」
「……その呼び方やめてくれません?」
「サムの女はサムの女やろ。ほんならなんて呼べばええのん? 自分、名前なんやったっけ?」
「……ミョウジナマエです」
「ほんならナマエちゃんやな」

 ナマエちゃんナマエちゃんと連呼しながら、侑君は楽しそうに笑った。

 侑君と話すのは先日階段の踊り場で話して以来だ。あの時はどちらかというと殺伐とした雰囲気で別れたはずだが、今日の侑君からは先日のような殺気は感じられない。てっきり嫌われているのだと思ったが、そうではないのだろうか。
 彼の変わりように内心戸惑っていると、同じクラスの角名君が声をかけてきた。

「なんだ、やっぱり治と付き合ってたんだ? 最近よく一緒にいるなとは思ったんだよね」

 あまり話したことはないけれど、同じバレー部だということは宮君から聞いたことがあったので、彼のことは知っていた。

「白々しい言い方すな。とっくに気付いとったくせに」
「あ、バレた?」
「えっ!?」

 家庭科部のサキちゃんと同じように、角名君も宮君から聞いたんだろうか。ひょっとして、実はもうクラスの殆どが知ってたりして。
 学校中の人気者の宮君とこんな地味な女が付き合っているなんて知られたら、やっぱり嫌がらせとかされるんだろうか。サキちゃんはああ言ってくれたけど、やっぱり怖い。私みたいな一般人には刺激が強すぎる。

「なんやこの世の終わりみたいな顔して」
「……侑君には言いません」
「は? 相変わらず生意気な女やな」
「だってこの間怖かったもの! 侑君は急に怒るから怖いの!」
「こないだのはお前が急にワケ分からんこと言うからやろ!」
「そんなの私と宮君の問題でしょ!? 侑君には関係ないじゃない!」
「なんやとこのクソブタ……!」
「なっ……!!」

 いきなりの暴言に思わず口を開閉させて固まると、すぐ隣でブハッと吹き出す気配を感じた。
 
「ハハッ……! ダメだ! 面白すぎる。侑と言い合いするとか、気強すぎでしょ。ミョウジさんあんた面白すぎ。最高」
「それ……別に褒めてないですよね」
「角名! お前どっちの味方や!!」
「別にどっちの味方でもないけど……まぁこの場合、侑の味方じゃないことだけは確かだよね」
「なんやと!」

「何騒いどるんや」

 その一言で、場の空気がピリッと凍りついたのを感じた。

「き、北さん……!」

 ギョッとした顔で振り返ると、侑君も角名君も固まってしまった。聞いたことのある名前に振り返ると、普段委員会でお世話になっている先輩が立っていた。

「あ、北先輩」
「ああ、ミョウジか。こんな時間まで残って何しとるんや」
「部活終わりなんです。ちょっと人を待っておりまして」
「そやったんか」
「先日はありがとうございました。北先輩に教えていただいたとおり、新聞紙使ったら窓ガラスすごく綺麗になりました」
「ハハハ、そうやろ」
「……え、なんでそんな普通に話しとるんですか。北さんコイツと知り合いやったんですか?」
「委員会で一緒やってん。美化委員」

 な? と視線で語りかけられ、私は頷いて答えた。

「で……? 侑、何騒いどったん」
「……なんもないです」

 北先輩から目を逸らしながら、侑君が答えた。北先輩はしばらくジッと侑君を見つめてから、くるりとこちらを向いた。

「侑に何か言われたんか?」

 いきなりの問いに、視界の端で侑君の肩がビクリと跳ねた。咄嗟に侑君を見ると、侑君はもうそれこそこの世の終わりみたいな顔をして項垂れていた。角名君に至っては、我関せずとさっさとこの場を離れていた。

 別に一方的に何かを言われたワケじゃない。さっきのアレは売り言葉に買い言葉みたいなものだ。それに、たとえ一方的に何か言われたのだとしても、それを言いつけるような真似はしたくない。

「いいえ。特には何も」
「……そうか。ほんならもう時間も遅いから気ぃつけるんやで」
「はい。お疲れ様です」

 北先輩を見送ると、侑君がムスッとした顔で立ちはだかった。

「なんやねん今の」
「何が?」
「とぼけんなや。恩売ったつもりか」
「別に侑君に何か一方的に言われたワケじゃないし、嘘はついてないでしょ。っていうか! なんでそんなに喧嘩腰なの!?」
「ああ!? 喧嘩売っとんのはそっちやろ! 喧しブタ!」
「ブタブタ言わないでよ!!!」

「喧しいな。何揉めとるん?」
「宮君!」
「サム!」

 宮君は私たちの顔を交互に見やると、小さくため息をついた。

「なんやまた喧嘩しとったんか。ツムもええ加減にせぇや。なんで毎回突っかかっていくん?」
「別に俺が毎回突っかかっとるわけやない」
「ナマエがなんも無いのにお前に喧嘩売るわけないやろ」
「うっわ、なんやそれ! ベタ惚れやん!」
「せやで。それのどこが悪いん」
「ちょっと! そういうのここで話すのやめて!」

 宮君にそう言ってもらえるのは嬉しいが、さすがに人前ではやめて欲しいというのが本音だ。


「それよりサム、この女相当なやり手やで」
「は? どういう意味や」
「この女ジョーカー隠し持っとったんや」
「はあ? 意味分からん」

 眉間にシワを寄せながら首を傾げる宮君に、角名君が歩み寄る。

「ミョウジさん、北さんと知り合いだったんだよ。それで侑がビビってる」
「別にビビっとらん」
「北さん? ああ、委員会一緒やって言うとったな」
「知っとったんかーい!」
「ナマエが北さんと知り合いやったからてツムになんも関係ないやん」
「せやけどいきなりやで! 北さんやで! ビビるやん!」
「ビビっとるやん。しょぼ」
「うっさいわ!」

 テンポの良いやり取りを見守っていると、ふと宮君がこちらを見て、スッと私の手を取った。

「ほんなら俺コイツ送ってくわ。ツム、オカンに言っといて」

 そう言うと、宮君は返事も待たずに歩き出した。





 侑君たちと分かれ、宮君と並んで歩く。

「ナマエは大人しいくせにツムとは喧嘩すんねんな」

 宮君がカラカラと笑いながら言う。
 それを聞いて、なんとなく胸の奥がモヤモヤした。

「どないした?」

 急に黙り込んだからか、宮君が少し心配そうな顔をして、私の顔を覗き込んだ。

「……私、侑君に嫌われてるのかも」
「ハハハ、なんやそれ」
「……だって……」

 会えばなぜかいつも喧嘩になる。それは、私が嫌われているからなのではないだろうか。考えないようにしていたが、こうも続くとさすがにそう考えざるを得ない。

「なんや、ツムに嫌われるんはそんなに嫌か」
「…………宮君の家族だもん。嫌われるのはイヤ」

 大好きな人の家族に嫌われるのは辛い。彼に相応しくないと言われているようで、辛くなる。

「ホンマに嫌っとったら、多分ツムは口きかんで。突っかかってくんは、気に入っとるからやろ」
「……そうかなぁ」

 ふう、とため息をつきながら言うと、私の隣で宮君も同じようにため息をついた。

「なんや腹立つわ」
「えっ!」

 聞こえてきた物騒な単語に思わず目を見開く。

「な、なんで……?」

 恐る恐る問いかけると、宮君はこちらをジロリと見つめてから言った。

「なんでツムは『侑君』で、俺はいつまで経っても『宮君』なん? 俺は付き合うてからは『ミョウジさん』やなくて『ナマエ』って呼んでんのに。なんでナマエは俺のこと名前で呼んでくれへんの」
「そっ、それは……」

 本当は付き合いだしてから、何度か名前で呼ぼうと試みたこともあった。でも結局、恥ずかしさが勝ってしまい、できなかった。それっきりになっていたのだ。てっきり宮君は呼び方なんて気にしていないのだと思っていたが、そんなことはなかったらしい。

「は、恥ずかしくて……」
「名前呼ぶくらい恥ずかしいことあるか。ほれ、ええ機会やから呼んでみ?」
「ええー……今……?」
「今呼ばんといつ呼ぶんや」

 ほれ、はよせえ。そう言いながら、宮君はじっとこちらを見つめている。逃してはくれなそうだ。

「お………………治くん……?」

 出来るだけ小さな声でボソッと呟くが、宮君の反応は無い。チラリと見上げると、少しポカンとした顔でこちらを見たまま固まっていた。

「あれ? 治君? おーい」

 目の前でパタパタと手を振ると、宮君はボソボソっと何かを呟いた。

「え? 何? 聞こえな――」

 宮君の口元に耳を近づけようとした瞬間、宮君は私の言葉を遮って強引に抱き寄せた。

「うわぁ! ど、どうしたの!?」
「あかんわ……破壊力がありすぎや……」
「へっ!?」

 私のことを抱きしめたまま、耳元でそう呟くと、更にギュッと抱きしめた。

「うー……苦しいー」
「帰したないなぁ……どないしよ……」

 普段はしっかりしていて私のことを引っ張っていってくれるはずの宮君が、まるで駄々っ子のように呟く。それがなんだか可愛くて、思わず笑ってしまった。

「じゃあどこか行っちゃう? 一晩くらい帰らなくても、うちは多分大丈夫だと思うけど」
「……いや、あかん。今、俺ハラペコ状態やねん。せやから一口食うたくらいじゃ満足できひん。……一晩じゃとても足らんわ」
「ならどこかでご飯食べる?」
「…………お前わざとやろ」

 大きな大きなため息とともに吐き出すと、宮君はジト目で私を睨んだ。

「……あっ」

 そういうことか。ようやく宮君の言った意味が分かった。その途端、一気に顔が熱くなる。

「わかったら中途半端に煽らんでくれ。チンコ勃ったらこの場で襲うで」
「チ…………わ、わかった。気をつけます……」

 ごめんね。小さな声で呟くと、宮君はそっと私の手を引いた。

「ほな帰ろか。送ってくわ」

 宮君は優しい。この時は、私のペースに合わせてくれているんだと思っていた。
 彼が言ったことの意味を、本当の意味で思い知るのは、まだもう少し先の話だ。
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