(27話)
自分の気持ちを自覚することほど、厄介な事はない。
「なあ、早く続き書いてよ」
高橋の声でふと我にかえる。しまった。またぼーっとしてた。
「あぁ、ごめん。……っていうか、高橋の分じゃん。なんで私に書かせるわけ?」
「ナマエの方が字キレイじゃん」
「……まぁいいけどさ」
再び日誌の続きを書くべく手を動かす。もう教室には私と高橋しか居なかった。
あれから三日が経つが、気がつくと月島君を目で追っている。
もちろん、釘をさされたこともちゃんと覚えている。勘違いするなと言われたことも。でも、好きになってしまったんだから仕方ない。私のせいじゃない。
とはいえ、別に何かを望んでいるわけではないし、今のまま関係を変えたいとも思わない。そう。今のままで十分――
「……なぁ」
「ん?」
日誌を書きながら、声だけで返事をすると、高橋が一瞬口を閉ざした。不思議に思い顔を上げると、高橋が真剣な顔をしてこちらを見ていた。
「どうしたの?」
「……バレー部入ったって、マジ?」
低い声でそう問われ、なんだか責められているような気になってくる。
「……マジだけど……。なに、どうしたの、怖い顔して」
……あ、そうか。入学当初、高橋にバスケ部のマネージャーをやらないかと誘われたんだった。バスケは体育でしかやった事がなく、ルールも基本的なものしか分からないくらいだった。そもそも部活に入る気など無かったから断ったのだ。誘いを断っておいて別の部に入るなんて、気を悪くしてもおかしくない。
「あー、ゴメン。バスケ部入るの断ったのに、急にバレー部入るなんて嫌な感じだよね。入る時言えばよかった。ごめんね?」
「んな事別に気にしてねーよ」
「じゃあなんで怖い顔?」
首を傾げながら問いかけると、高橋は言いにくそうに口を開いた。
「……なんで急にバレー部? お前はもうバレーできねーのに、急に入るなんておかしいじゃん……」
「……そう……かな?」
そんなに言われるほど不自然だっただろうか。いまいち高橋の言うことが理解できず、内心首を傾げた。
「……好きなやつでもいんの? ……バレー部」
その言葉を聞いて、ドキッとした。
「……は?」
え、好きなやつって言われた。え、なんでバレたんだろう。そんなにダダ漏れだった? 月島君のこと見過ぎた? たしかに、やたら目が合うと思った。じゃあひょっとして本人にもバレてるんじゃ……。
「な、なんのこと? そんなのいるわけないじゃん」
「じゃあなんで?」
「バ、バレーが好きだからだよ」
そもそもバレー部に入った時は月島君のこと好きじゃなかったし。いや、もちろんその時だって嫌いでは無いけど。でも好きになったのはバレー部入ってからだし……むしろたった三日前とかだし……。
「……影山は?」
「…………へ? 飛雄?」
「影山と……ヨリ戻したのかよ」
……なんだ。飛雄のことか。身構えて損した。飛雄のことならもう何度も聞かれているので、今更驚いたりなんかしない。
「戻すわけないじゃん。私がバレー部入ったのと飛雄は関係ないよ」
「……そっか」
「ねぇ、それよりも日誌書いちゃわない? 早く部活行きたいんだけど」
「お、おう」
***
「ツッキー、部活行こう。ナマエちゃんも今日は行ける?」
「うん!」
授業が終わるとすぐに、山口君が席へとやってきた。部活に正式に参加するようになってから、山口君は必ず私にも声をかけてくれるようになった。それが嬉しい。
教室を出るべく扉へ向かうと、小柄な女子生徒がこちらを見ているのが分かった。
「あ、あの……月島君……ちょっといいかな……」
小柄で可愛らしい女の子は、月島君にそう言うと、頬を紅く染めた。
「ツッキー、先行ってるね」
山口君が慣れた様子で言う。月島君は少し面倒臭そうにため息をつくと、その女の子と一緒に何処かへ行った。
……あぁ、そうか。月島君はやっぱりモテるんだ。あの女の子は明らかにこれから告白しますという感じだったし。きっとこういうことにも慣れてるんだろう。……なんだか胸がズキズキする。
「ナマエちゃん、行こうか」
「う、うん!」
山口君と一緒に体育館への道のりを歩くが、山口君の声はまったくと言っていいほど頭に入ってこなかった。
そっか。……やっぱり告白とかされちゃったりするんだ。さっきの女の子は大人しそうで、頭も良さそうだった。月島君も頭良いし……ああいう子がタイプなのかも。そんな事ばかり考える。やっぱり自分の気持ちなんか自覚しなきゃよかった。気付かなければよかった。好きだなんて。
「大丈夫だよ」
山口君が小さく笑いながらそう言った。
「えっ……?」
「ツッキー、ああいうの大抵断るから」
「へ、へぇー……そうなんだ。……モテそうなのに、なんか勿体ないね」
山口君から目を逸らしながらそう言うと、山口君が再び笑ったのが分かった。
……なんか引っかかる。さっきの山口君の言葉が。
「あの……山口君……?」
「ん?」
「…………『大丈夫』って……なんで?」
「えっ、あぁ……なんとなく、……ナマエちゃんが不安そうだったから……かな」
ハッとして顔を上げると、山口君は少し気まずそうに笑いながら頬を掻いた。
「……そんな風に見えた……?」
「いや、俺がなんとなくそう思っただけだよ」
山口君が首をブンブンと振った。
心臓がバクバクする。山口君にはバレてるんだ。じゃあやっぱり一緒にいる月島君にもバレてるのかもしれない。知られちゃったのかもしれない。
「……月島君は…………知ってる?」
やっとのことでそう問いかけると、山口君は少しだけ怪訝そうに眉を寄せた。
「ああ、ツッキーは知らないと思うよ。でも――」
「言わないで! お願い。……月島君には言わないで…………」
祈るように拳を握りながらそう言うと、山口君は一瞬キョトンとした顔をして、小さく笑った。
「うん。言わないよ。告白とかは自分でした方がいいもんね」
「しないの。告白とか、そういうのは。今のままでいいの。……何も、変えたくないの」
こんな言い方したら山口君が困るって分かっているのに。
案の定山口君は困惑したような顔をしてこちらを見つめていた。
「……どうしてか聞いてもいい?」
山口君が優しい声で言った。
「……私、ダメなの。そういうの…………上手くできないの。恋愛とか向いてないんだと思う。だから……月島君とどうこうなりたいとか、そういうのは無いの。ただ……私が勝手に……好きなだけで……」
「……好きな人と付き合ったり、したくないの?」
「…………上手くできないから……」
自分でも面倒くさい女だって分かってる。でも、こればっかりはどうしてもダメだ。前向きになんかなれない。
山口君は少しの間黙って考えこむようにしていたが、やがて「……そっか」と呟いた。
「大丈夫だよ。ツッキーには言わない。だからそんな顔しなくても平気だよ」
山口君はそう言って微笑んだ。
「……ありがとう」
「いいえ」
少しだけ気が楽になった。それと同時に、手元がやたら軽いことに気が付いた。
「……あっ!」
「どうかした?」
「……教室に……体育館シューズ忘れちゃった……」
恥ずかしい。動揺しすぎた。きっと山口君も呆れてる。チラリと見上げると、山口君はクスリと笑った。
「取りに行く? 一緒に行こうか?」
「大丈夫。……一人で行ける」
「じゃあ、先行ってるね」
「うん。……ありがとう」
「どういたしまして」
そう言って、山口君はヒラヒラと手を振った。
よくよく考えたら、教室まで戻るなら来た道をそのまま戻るより中庭を突っ切った方が速い気がした。普段なら上靴が汚れるので通らないが、部活に遅れるよりはマシだと思った。
ちょうど中庭に差し掛かった時、思わず足を止めた。
「月島君のことが好きです。……よかったら、付き合ってください……」
ドキィッと心臓が今日一番の鼓動を刻んだ。とっさに柱の影に隠れると、胸に手を当てる。まるで全力疾走した後のように忙しなく動いている。
ビッ……クリした……ってか何でこんなところで告白してんの。もっと目立たない所あるでしょう!? 体育館裏とか! ……ダメだ。これ以上ここにいたら聞かなくていいことまで聞きそう。やっぱり遠回りでも校舎の中を通ろう。そう思ってそっとその場を離れようとした時、彼の声が聞こえた。
「……悪いけど、好きな子いるから」
その言葉に、足が縫い付けられたように動かなくなった。
……そっか……月島君、好きな子居るんだ……。そりゃそうだよね。カッコよくて、頭も良くて。そういう相手が居ないわけないや。
『君を助けたの、別に深い意味はないから。勘違いしないでね』
そうか。だからきっとあの時、釘を刺されたんだ。
目の前がグラグラと揺れる。とりあえず大きく息を吸い込んで、ゆっくり吐き出した。
大丈夫。別に私、月島君と付き合ったりしたいわけじゃないし。月島君に好きな子が居たって、私には関係――
「盗み聞き? いい趣味してるね」
「わぁっ!!!」
見ると、いつの間にか隣に来ていた月島君が、ジロリとこちらを見つめていた。
「ちっ、ちがうの! 忘れ物して……ここ突っ切った方が近いかなって……思っちゃって……そしたら……偶然……」
「忘れ物?」
「体育館シューズ……忘れちゃったの。教室に……」
すると月島君はフッと吹き出した。
「結構抜けてるよね」
「そんな事無いし」
「忘れっぽいし」
「そんな事無いもん……」
なんだかダメな奴だって言われている気がして、少しずつ気が滅入ってくる。
「ほら、行くよ」
月島君の声に顔を上げる。
「……どこに?」
「教室デショ」
「月島君も?」
「……タオル忘れたから」
そう言って、彼は私から視線を外した。
「……月島君も忘れっぽいじゃん」
「うるさい」
ポツリと言う月島君が可愛くて、思わず笑う。
……笑いながら思った。月島君に好きな子がいるなら、きっとすぐに彼女とか出来ちゃうんだろうな。そうしたら、こんなふうに二人で一緒になんか居られなくなるんだろうな。
……それは嫌だな。
「どうかした?」
「ううん。なんでもないよ」
もしそういう日が来るなら、できるだけ遅くなりますように。そんな自分勝手なことを心の中で祈った。
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