- ナノ -


(26話)



 彼女の後を追った西谷さんと田中さんが戻ってきた。二人ともこの世の終わりのような顔をしている。そんな二人を見かねて、菅原さんが声をかけた。

「おい、二人ともどうした?」

 この世の終わり顔で田中さんがゆっくりと口を開く。

「ナマエちゃんが……」
「ナマエちゃんがどうかした?」
「ナマエちゃんが及川のヤローと……デート――」
「言うな龍!!! 言ったらホントになっちまう!!!」

 西谷さんが慌てた様子で田中さんを制した。

 ああ。そういえば青城の及川さんと食事に行くと言っていた。事前に聞いていたので特に何とも思わなかったが、当然知らなかったのであろう菅原さんはそれを聞いて目を大きく見開いた。

「はぁ!? 及川って青城の及川かよ? え、ナマエちゃんと及川ってマジでそういう関係なの?」

 なあ影山? と、王様に向かって問いかけるが、王様は呆然とした様子で立ち尽くしていた。この様子だと知らなかったらしい。仲が良さそうなのに意外だった。

「マジ、かよ……」

 王様が否定しなかったことで、他のメンバー達は『肯定』と捉えたようだった。

 一応大体の話は彼女から聞いて知っているが、わざわざ口を挟むのも面倒……気が引けたので、とりあえず様子を見ることにした。すると、マネージャーの清水先輩が静かに口を開いた。

「それは無いと思う」
「潔子さん……」
「ナマエちゃんは、私たちが動揺するって分かってて、ライバル校の主将と黙って付き合ったりするような子じゃない。もし仮にそうなら、ちゃんと説明してくれると思う」

 そんな清水先輩の言葉に頷きながら、澤村さんも続けた。

「そうだな。俺に今日の部活を休むって言いに来た時も乗り気じゃなさそうだった。彼氏とのデートならもっと嬉しそうにするだろ」

 その言葉に、田中さんと西谷さんの顔がパァッと明るくなった。相変わらず単純……。

「ほら、くだらないこと言ってないで練習始めるぞ」




 練習が終わり、ようやく帰れる。大半が残って自主練に励むようだった。月曜から自主練とか、本当に意味が分からない。

「ツッキー、今日俺、嶋田さんとこ行く日だから……」
「分かった。また明日ね」

 最近、山口は週に何度か、烏野商店街バレーチームの嶋田さんの元で、サーブを教わっている。先日の青城との試合では、ネットに阻まれピンチサーバーとしての役割を果たすことができなかったが、逆にその事が山口に火をつけたようで、より熱心に通うようになっていた。


 一人帰路につきながら、ふと先日彼女を送った時のことを思い出した。そういえば彼女の家はちょうどこの先だったな……。そんなことを思いながら視線をやると、背の高い男と見慣れた彼女が立ち止まって話をしているのが見えた。

 うわ……タイミング良すぎ……。

 さすがにストーカーのような真似はしたくないし、事情がわかっているとはいえ、他の男と仲良さそうに話している所を見るのは若干不快だ。見なかったことにしてやり過ごそうと思った瞬間、彼女の焦ったような声が耳に届いた。

「ちょっ、ちょっと待って!」

 見ると慌てた様子で、迫ってくる及川を止めようと両手を突っぱねている。

 ……しっかり迫られてんじゃん。だから言ったのに。なんであんなに隙だらけなんだろう。しかもあんな風に泣きそうな顔で。それが逆に男を煽ってるって、なんで気付かないんだろう。呆れを通り越してイライラした。


「お、及川先輩、落ち着こう? ホントに待って……」
「待たない」

 このままだと押し切られるのは時間の問題だろう。さすがにそんなところを見せられるなんて冗談じゃないので、とりあえず二人の間に割って入ることにした。


「あれー? 青城の及川さんじゃないですかぁー」

 声をかけると、及川は苦々しげな顔で振り返った。傍にいる彼女も、涙目で僕を見上げている。

「……嫌がってるみたいですよ? 涙目だし」

 だから言っただろ、という意味を込めて彼女を睨みながらそう言うと、彼女はホッとしたような表情を浮かべた。

「ちょっと、邪魔しないでくれない?」
「嫌がる子に無理やり迫らなきゃならないほど、女に困ってるんですか? 意外ですね。モテそうなのに」
「嫌がってねーし!」

 チラリと彼女に視線をやると、どうしたらいいか分からないと言った顔でこちらを見上げている。嫌ならその場を離れればいいのに。なんでいつまでもそんな所で突っ立ってるんだよ。若干イライラしながら彼女の手を引き、自分の後ろに移動させた。

「うちのマネージャーに手を出さないでもらえますか」

 少し見下ろすようにして言ってやれば、及川は悔しそうに息を吐き出して言った。

「あー……最悪。飛雄ばっかり警戒しすぎた。……っていうかずいぶん早いね。部活もう終わり? 自主練とかしないわけ?」

 にこやかに笑いながらそう言われるが、こっちもそんな挑発に乗るほど馬鹿じゃない。

「あいにく、僕はスタミナ馬鹿じゃないんで」

 同じように笑いながら返すと、後ろから「あの……」と控えめな声が聞こえてきた。

「及川先輩。今日は、ありがとうございました。後は一人で帰れます。なので……」

 彼女からそう言われ、及川は再び大きくため息をついた。

「……わかったよ。じゃあまたね。……眼鏡君、うちの大事な大事なお姫様なんだから、ちゃんと送ってけよ」

 『大事なお姫様』そう強調しながら及川は言った。お前のものじゃない。そう言われた気がして、心の中で答えた。

 ――そんなのとっくに分かってる。


 及川が立ち去った後、彼女は恐る恐るといったように再び僕を見上げた。

「なに」

 そちらを見ずにそう言うと、彼女の肩がビクリと震えたのが分かった。

「いや……あの……ありがとう……ございました……」

 気まずそうに言いながら。彼女が俯いた。そんな仕草にもイラッとする。

「だから、言ったよね。平気なのって。君さぁ、ガードが甘すぎるんじゃないの? もっと警戒しなよ」
「警戒って……」
「隙があるからああいうことされるんだろ」
「……ごめんなさい」

 そう言って、彼女はシュンと肩を落とす。ほら、またそうやって被害者ぶる。

「ほら、帰るよ。送ってく」
「あ、ありが――」

 嬉しそうな顔で言いかけて、彼女はハッとしたように息を飲んだ。そして、そろりと一歩後ろに下がった。

「…………何、してんの」
「だって……月島君が……警戒しろって……」

 ……は? 今更?
 呆れや苛つきを通り越して、もはや何も思わなかった。

「……バッカじゃないの。今してどうすんのさ」

 強引に彼女の手を引くと、僕はそのまま歩き出した。

 途中、彼女が僕の手をキュッと握る。見ると、泣きそうな顔をして、少し頬を紅く染めている。こういう顔をするから、さっきみたいに勘違いされるんじゃないの。やっぱり隙が多いんだよ。心の中で悪態をつきながら、こういう顔をするのが僕の前でだけならいいのに、と、ガラにもなく思った。



***



「ツッキー、ナマエちゃん、部活行こう」

 放課後になり、山口が席までやってくる。

「ごめん、私今日日直なの」
「あれ、そうだっけ」
「日誌書いてから行くから先に行っててくれる? 先輩たちにも言っておいてくれたら助かる」

 へへへ、と笑いながら彼女が言う。その言葉に首を傾げた。日直の日誌なんかそんなに時間はかからないはずだ。

「日誌だけでしょ? まだかかるワケ?」
「私の分は終わってるもん。だから高橋次第」

 彼女が親指でクイッと高橋を指差した。どうやらペアの方の問題らしい。指さされた高橋がニッと笑う。

「ふーん。じゃあ先に行くね」
「うん。また後でね」

 パタパタと顔の前で手を振りながら、彼女が笑った。

 そんな何気ない仕草すら可愛いと思ってしまうくらいには、彼女のことが好きなんだと改めて思った。



 手を繋いで彼女を送り届けたあの日から、三日が経った。表向きは何も変わらない。だが、彼女と目が合うことが増えた気がする。きっと自分が無意識に彼女を目で追っているからなのだろうと思った。

 ……中学生か。自分でもうんざりだ。

「もうすぐ合宿だよね」

 隣を歩く山口がポツリと言った。そうだ。またあの地獄の合宿が始まる。

「今度は一週間だっけ? またペナルティの嵐かなぁ……」
「……だろうね」

 毎日毎日飽きるまでボールに触り、試合の後は大抵ペナルティで、床に這いつくばってコートを一周する羽目になる。考えただけで最悪だ。


 ふと、嬉しそうに笑う彼女の顔が頭に浮かぶ。


『私、女子の先輩達と仲良く話すことあんま無かったからすっごく嬉しいんだぁ』


 あの顔がまた見れるのだろうか。そう思ったら合宿もいいかもしれないと、つい思ってしまった。……ダメだ。重症だ。

「……中学生」

 ポツリと呟けば、山口が隣で首を傾げた。

「中学生って?」
「……なんでもない」

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