- ナノ -


(25話)



「もしもし?」
『あ、ナマエちゃん? デートの約束だけどさ、来週の月曜とかどう?』
「はっや……」
『だってモタモタしてたらまたそのまま流れちゃいそうだからさー』
「でもうちは月曜日も部活ですけど」
『終わってからでいいよ。ご飯食べに行こう。迎えに行くからね』
「いや、絶対来ないで! 及川先輩目立つんだからホントやめて」
『照れなくていいよー』
「照れてないから!」



***



「うーん……」

 何度目かのため息をついた時、後ろから月島君の怪訝そうな声が聞こえてきた。

「どうしたの。さっきからうるさいんだけど」

 うるさいと口では言いながらも、表情を見る限りはそこまで迷惑そうには見えない。

「あのね、次の月曜日、及川先輩とご飯食べに行くのね」
「及川さんって青城の? ……へえ。仲良いんだ」
「そういうんじゃなくて。中学の時に約束したのがそのままになってて」
「約束?」
「及川先輩の本気サーブ受けてみたいから、本気でサーブ打ってくれたらご飯奢ってあげますって」

 今思うとなんて怖いもの知らずだったんだろうか。今程では無いとはいえ、当時中学生の及川先輩のサーブも十分すぎるほどの威力だった。まぁでも、だからこそ受けてみたいと思ったわけだが。

「何それ。自信満々じゃん。さすが女王様」
「うるさいなぁ。まぁでも、それが実現する前にちょっと色々あって流れちゃったんだけどね」
「色々って何」
「ん? ……ちょーっと怪我しちゃってね……」
「怪我? 足?」
「いや、それとは別。聞きたい? 超ーーー痛い話」
「結構です」

 スッと顔の前に手を立てて、月島君が言った。

「そう? でさ、その約束が月曜日なの。青城ってね、月曜は部活休みなんだって。でもうちは部活だよって言ったら部活の後でいいって言うんだけど……あの人が大人しく待つと思う?」
「……無理じゃない?」
「そうなんだよねぇ……特に飛雄なんか簡単に掌でコロコロっと転がされそうだし。他の先輩にもちょっかい出しそうだからさぁ……大人しく部活休んだ方が無難かなって」

 でもできれば休みたくない。入ったばかりだし、同時期に入った谷地さんはバレー初心者だ。清水先輩が谷地さんに教えている間、マネの仕事をする人間がいた方がいいに決まってる。

「……っていうか大丈夫なの」
「何が?」
「大王様に言い寄られてるんじゃないの? ホイホイついてって大丈夫なわけ」
「あはは、言い寄るってナイナイ。及川先輩って昔から付き合おうとか言うけど、その割には他にちゃんと彼女いるし、本気じゃないよ。可愛がってもらってるなーとは思うけど……幼なじみの従妹だし、妹みたいなものなんじゃないかな」

 言いながら、心の中で頷いた。
 ……だって実際に彼女居たわけだし。

「……あっそ。ならいいけど」
「へー、心配してくれるんだ?」
「一応うちのマネージャーだからね。変なイザコザに巻き込まれると迷惑ってだけだよ」
「素直じゃないなぁ」

 小さく笑いながらそう言うと、月島君はムッとした顔でヘッドフォンを装着した。どうやら怒らせてしまったらしい。



***



 及川先輩と約束した月曜日がやってきた。

 昼休み、三年生の校舎に向かった。上級生のクラスに来るのは少しだけ緊張する。
 三年四組の教室を覗くと、ちょうどお目当の人物を見つけることができた。パタパタと手を振ると、澤村先輩が気付いてくれたらしく、教室の外まで出てきてくれた。

「お昼休みにすみません」
「いや、どうした?」
「実は、今日部活お休みさせていただきたくて……」
「ああ。用事か?」
「はい……ちょっと……人と会う用事が……」

 さすがにライバル校の主将と会いますとは言いづらくて、言葉を濁した。

「なんだ、乗り気じゃなさそうだな」
「ハイ……あ、いや……嫌ってわけではないんですけど……。本当は部活終わってからって思ってたんですけど、待たせたら待たせたで多分みんなに迷惑がかかりそうなので……その……」

 やはり何度考えても、及川先輩をおとなしくさせる方法など、私には思いつかなかった。

「よく分からないが、ミョウジがそれがベストだと思うんなら任せるよ」




 放課後になり時計を見るが、約束の時間まではまだ間がある。ギリギリまで部活準備を手伝ってから行こう。そう思い体育館へと向かった。

「あれ? ナマエちゃん、今日は部活休みなんじゃないの?」

 さっき大地から聞いたけど。と、菅原先輩が意外そうな顔をして言った。

「はい。準備だけしてからって思って」
「マジ? サンキューな。助かるよ」

 あらかたの準備が終わって時計を見ると、いい時間になっていた。そろそろ及川先輩が着く頃だろう。

「では、失礼します」
「なんだ! 帰っちまうのか!?」

 西谷さんが目を丸くしながら言う。相変わらず声が大きい。

「はい。すみません。明日は来ますよ」

 ちょうどそのとき、ふいに携帯が鳴った。液晶に表示されている名前を見て、思わず頬が引きつった。

「げ……ちょっとごめんなさい」

 そう断ってから電話を取ると、ご機嫌な及川の声が耳に届いた。

「もしもし? 今どこ……は? 門ってうちの正門ですか!? 目立つからやめてってあれほど言ったじゃない! 今すぐ移動してよ! どこでもいいからちょっと離れたところでじっとしててください。すぐ行きますから」

 慌てて電話を切ると、田中先輩と西谷さんが真剣な顔で私をジッと見つめていた。マズイ。野生の勘か? 勘ぐられる前に立ち去った方が良さそうだ。

「では、お先に失礼します」

 誤魔化すようにヘラっと笑うと、そそくさと体育館を後にした。



 正門のそばまで行くと、案の定女子達に囲まれている及川先輩を見つけた。ウンザリした気持ちでため息をつくと、とりあえず小さく声をかける。

「及川先輩……」
「あ、ナマエちゃん、お疲れ」
「目立つところに居ないでってあれほど言ったのに……」
「だからこうして私服で来たじゃん。制服は目立つかなーって思って」
「それでも目立つの! ほら、早く行きま――」
「「あーーーーー!!!」」

 これ以上目立ってたまるかと、及川先輩の腕を掴んで引きずるようにその場を離れようとすると、勢いのある大声に阻まれた。見ると、体育館で別れたはずの田中先輩、西谷さんのやかましコンビが、何故かすぐ後ろに立っていた。

「なんで居るの……」
「おい!!! てめえ!!! 何うちのマネージャーに手ぇ出してんだ!!!」
「おいナマエ! まさか用事って及川と会うのか!? 付き合ってんじゃねーだろうな!!!」
「あれ? 言ってなかったの? ナマエちゃんは今日は俺とデート――」
「デートじゃない! 付き合ってもいない! 余計なこと言わなくていいから! 先輩たちも! 早く部活に戻ってくださいね!」

 及川先輩の背中を押しながら、後方の二人にも声をかけると、ようやく正門を離れることに成功した。



***



「ごちそうさまでした。私がご馳走する予定だったのに、なんか結局奢ってもらっちゃってごめんなさい」
「いいっていいって。俺も久々にゆっくり話せて嬉しかったよ。楽しい時間ってあっという間に終わっちゃうよね」

 明日からナマエちゃんに会えなくて寂しいな。そんな歯の浮くようなセリフを、及川先輩は恥ずかしげもなく続けた。


「そういえばさ。ナマエちゃん、雰囲気変わったよね」
「そうですか?」

 思ってもないことを言われ、少しだけ首を傾げた。

「うん。なんか少し前まではピリピリしてた印象だったけど、それが柔らかくなったって感じかな」

 たしかに、入学当時に比べたら、今は気が楽だ。バレーを見るのを我慢することもないし、中学の時と比べて窮屈な思いをすることも減った。
 これもみんな、バレー部に誘ってくれた菅原先輩や清水先輩のおかげだ。他の先輩達にもすごく良くしてもらっている。もし私が変わったとすればバレー部のみんなのおかげだろう。

「ひょっとして飛雄とヨリ戻した? この間もデートしてたもんね」
「デートじゃないってば。……しつこい」

 あれはただバレー教室に付き合っただけで、そういう理由じゃない。

「じゃあ誰? いるよね、好きな人。……まさかバレー部じゃないよね?」

 及川先輩がムッとした顔で言う。

 一瞬、あの長身のクラスメイトの姿が浮かぶが、慌ててブンブンと首を振って打ち消した。

「ちっ、違うし! 変なこと言わないで!」

 違う違う。そんなんじゃない。


「ちょっと……何、その反応。え、本当にバレー部なの? 嘘でしょ」
「だから違うって……」
「一年?」
「やめてってば!」

『君を助けたの。深い意味――』

 ちょっとやめて、月島君今出てこないで。

 あー、マズイ。自分の顔が赤いのが嫌でも分かる。

「……うわー。最悪……やられた……」
「だから違うってば……」

 及川先輩から目を逸らし、顔を手でパタパタとあおぐ。顔が熱い。



「……ナマエちゃんさぁ、俺のことはどう思ってるの?」

 え? と思い顔を上げた次の瞬間、至近距離で及川先輩と目が合った。相変わらずの端正な顔立ちに、心臓がドキッと跳ねる。

「ちょっと……近いんじゃないかな……」
「だってナマエちゃんこうでもしないと信じてくれないじゃん」
「信じるって……? ねぇ、冗談やめ……」
「冗談に見える?」

 及川先輩がにっこりと笑う。じりじりと壁側まで追いやられ、逃げられないように両手で囲われた。ゆっくりと及川先輩の端整な顔が迫ってくる。

「ちょっ、ちょっと待って!」
「ナマエちゃんさぁ、俺が好きだって言ったら、俺の事見てくれた?」
「好きって……嘘ばっかり……」
「嘘じゃない」

 いつものおちゃらけた表情とは違い、及川先輩が男の顔で迫って来る。心臓がバクバクと音を立てた。
 これは本当にマズイ。こんなに顔の整った男に迫って来られて逃げられる女がはたして何人いるんだろうか。いや、きっと居ない。こんな時ばかりは自分の恋愛経験の無さが恨めしい。

「お、及川先輩、落ち着こう? ホントに待って……」
「待たない」

 やっとの事で顔を背けるが、及川先輩は逃げられないように私の頬に手を添えた。ゆっくりと近づいてくる及川先輩の顔に、唇を結んでギュッと目をつぶった。


「あれー? 青城の及川さんじゃないですかぁー」

 声に反応してか、及川先輩の動きがピタリと止まる。恐る恐る声の主をチラリと見ると、月島君がすぐ近くに立っていた。

「月島くん……」
「嫌がってるみたいですよ? 涙目だし」

 月島君がこちらをチラリと見て、そう言った。

「ちょっと、邪魔しないでくれない?」
「嫌がる子に無理やり迫らなきゃならないほど、女に困ってるんですか? 意外ですね。モテそうなのに」
「嫌がってねーし!」

 月島君はいつもの挑発的な口調で言いながら、私の手を引いて自分の後ろへと匿うような形に移動させた。

「うちのマネージャーに手を出さないでもらえますか」

 まるで守るように自分と及川先輩の間に立ちはだかる月島君のことを、ぼんやりと見つめる。背の高い月島君は、こうやって見上げると壁のようでもあり、自分を守ってくれる盾のようでもあった。
 縋り付きたい気持ちを抑え、その代わりに彼のシャツをそっと握った。


「あー……最悪。飛雄ばっかり警戒しすぎた」

 そう小さな声で及川先輩が呟く声だけが聞こえる。月島君が居て、及川先輩がどんな顔をしているかは分からない。

「っていうかずいぶん早いね。部活もう終わり? 自主練とかしないわけ?」
「あいにく、僕はスタミナ馬鹿じゃないんで」

 そっと月島君の隙間から顔を出すと、二人ともにこやかに笑いながら会話していた。それが少々恐ろしい。

「あ、あの……」

 声をかけると、ほぼ二人同時に振り返った。二人とも顔が怖い。

「及川先輩。今日は、ありがとうございました。後は一人で帰れます。なので……」

 その言葉に、及川先輩は大きくため息をついた。

「……わかったよ。じゃあまたね。……眼鏡君、うちの大事な大事なお姫様なんだから、ちゃんと送ってけよ」

 月島君はそっぽ向いたまま答えなかった。



 及川先輩が立ち去るのを見送ってから、恐る恐る月島君を見上げた。

「なに」

 目線を合わせずに短く言われ、ビクッと肩が跳ねる。

「いや……あの……ありがとう……ございました……」

 小さな声でお礼を言うと、月島君はようやく私を見た。

「だから、言ったよね。平気なのって。君さぁ、ガードが甘すぎるんじゃないの? もっと警戒しなよ」
「警戒って……」
「隙があるからああいうことされるんだろ」
「……ごめんなさい」

 また叱られた。最近月島君には怒られてばかりだ。


「ほら、帰るよ。送ってく」
「あ、ありが――」

 言いかけて、彼のことを見つめる。警戒しろって言われた。このままノコノコ付いてったらまた怒られるんじゃ……。とりあえず一歩下がって彼と少しだけ距離を取ると、月島君は怪訝そうな顔で私を見た。

「…………何、してんの」
「だって……月島君が……警戒しろって……」

 月島君は心の底から呆れたような顔をしてから、これまた大きくため息をついた。

「……バッカじゃないの。今してどうすんのさ」


 ほら、と、やや強引に私の手を取ると、月島君はスタスタと歩き出す。

 繋いだ手が熱い。

 さっき及川先輩に迫って来られた時よりも、今の方が自分の心臓がうるさい気がする。


 背の高い彼を見上げると、いつものあのフレーズが頭の中で再生された。

 ……月島君、無理です。これで勘違いしないのは。……私には無理です。
 そう心の中で呟きながら、繋いだ手に少しだけ力を込めた。

 月島君は私の方を少しだけ見てから、また視線を前へと戻した。


 最初はなんて嫌なやつだって思った。意地悪で、嫌味っぽくて、すぐ怒って。何か一つ言うと、必ず言い返される。しかもいつも私が負ける。だから、ただの意地悪で性格の悪い人だと思ってた。

 ……でも、そうじゃなかった。

 初めて見た彼の照れた顔も、焦った時の顔も、笑った顔も、全部覚えてる。意地悪な事も言うけれど、月島君はいつだって優しかった。木から降りられなくなった時も、保健室に運んでくれた時も、テーピングを拾ってくれた時も、保健室で何も言わないでいてくれた時も。


 ……そっか。私、月島君が好きなんだ。


 自分の気持ちを急速に自覚してしまい、鼻の奥がツンとした。なんでかは分からないけど、無性に泣きたい気分になった。


 怖い。もし知られたら、どうなってしまうんだろう。今の関係が壊れてしまうかもしれない。

 嫌だ。それだけは嫌だ。


 どうか、月島君に知られませんように。ずっとこのまま、今のままでいられますように。そう願わずにはいられなかった。
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