- ナノ -


(22話)



「あれ? 山口君は?」

 お昼の時間になり、いつも席に来ているはずの彼の相棒の姿が見えす、首を傾げながら問いかけると、月島君は小さく「委員会」と答えた。

「じゃあ一人ご飯じゃん。淋しい?」
「んなわけないデショ」
「仕方ないから私が一緒に食べてあげよう」

 自分の椅子をクルリと反対に向け、月島君の机へと向かう。すると彼は怪訝そうな顔を向けた。

「そっちこそ侍女の皆さんは? 女王様」
「また女王様って言う……。綾乃は山口君と同じく委員会。ヒナちゃんは風邪でお休みでーす」
「なんだ。一人ぼっちなのはそっちじゃん。淋しいなら一緒に食べてあげようか?」

 意地悪そうな顔で笑いながらも、月島君は机の上のスペースを半分程空けてくれた。



 金曜日に送ってもらってから今日登校するまで、なんとなく気恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。でも実際会ってみると、月島君はいつも通りで全くと言っていいほど変わらず、気にしている自分が余計に恥ずかしくなったので、私もいつも通り普通に話すことにした。

『君を助けたの、別に深い意味はないから』

 あれ以来、たびたび頭の中で月島君の声がする。その度に、自分に言い聞かせている。


 大丈夫。勘違いなんかしない。って。


「どうかした?」
「ううん、なんでもない。ねぇ、月島君ちは夏休みどこか行ったりするの?」
「どこかって?」
「例えば、旅行とか」
「さぁ。家族旅行って歳でもないしね。うちは兄貴も家出てるし」

 へえ。お兄さんがいるらしい。どんな人だろう。月島君に似ているのだろうか。気難しい顔の眼鏡をかけた背の高い男の人がポンと頭に浮かぶ。無口な二人では会話は無さそうだ。月島家はさぞかし静かなのだろう。思わずクスリと小さな笑いが口から漏れた。

「何笑ってんのさ」

 不愉快そうな顔で月島君が私のことをジロリと睨む。

「いや? 何でもない何でもない」
「そっちは?」
「そっち?」
「夏休み、どっか行くわけ?」
「ああ、うちは――」

 確か親が今年は帰省しないとか言っていたような……。そんな事を思い出していると、クラスメイトの女の子が少し離れた所から手招きしているのが見えた。

「ナマエー、三年生の先輩が呼んでるよー」

 心臓がドキッと音を立てた。こうして上級生から呼び出されるのは久々だ。

「えー、やだなぁ……なんだろう……」
「告白だったりして」
「ははは、まさか。まぁでもそっちの方がマシかも……」

 中学の頃のトラウマが蘇り、ボソッと呟くと、月島君は訝しげな視線を向けた。

「何。先輩に目付けられるようなことなんかやったの」

 さすが。月島君はスルドイ。

「覚えてる限りではやってないけど、及川先輩のファンってどこにいるかわかんないからさ……」

 あぁ、行きたくない。面倒なことに巻き込まれたくない。そんな憂鬱な気持ちと闘っていると、月島君がポツリと言った。

「一緒に行こうか?」
「え……?」
「さすがにヤバそうなのだったらマズイだろうし。男が一緒に行くだけでも抑止力にはなるんじゃないの」

 興味なさそうな顔をしながら、月島君はなんだかんだ言って優しい。こういうことがさり気なく出来るから、イケメンは怖い。

『君を助けたの、別に深い意味はないから。勘違――』

 分かってる。勘違いなんかしてないから。再び出てきた頭の中の月島君をシッシと追い払っていると、月島君が怪訝そうに眉を寄せた。

「何してんの」
「なんでもない。……じゃあ、気持ちだけもらっとくね。ほら、もしかしたら月島君のファンのお姉様かもしれないしねー?」
「は?」
「だって月島君モテそうだし」

 クスクス笑いながらそう言うと、月島君は僅かに不機嫌そうな顔を向けてきた。
 しかし、言ったことに嘘は無かった。月島君は所謂イケメンという類の人間だ。『月島蛍ファンクラブ』とかあってもおかしくないくらいにはカッコイイ。及川先輩を間近に見すぎてイケメンに耐性ができていたとしても、目の前の男がイケメンかどうかくらいは分かる。

「ナマエー? 先輩待ってるよ」

 ダラダラと話していたら先ほど声をかけてくれた子がわざわざ席まで呼びにきてくれた。

「あ、ごめん。じゃあ行ってくるね。変な人じゃないかここからチラッと見てて。こっそり、チラッと」
「分かったから早く行きな」


 緊張しながら扉の向こう側を覗くと、見慣れた美女が待っていた。男子バレー部のマネージャーの清水潔子先輩だ。

「清水先輩? あ、ごめんなさい。私じゃなくて月島君か山口君にご用事でしたか?」
「ううん。ミョウジさんで合ってる。ごめんね、お昼休みに」
「いいえ。あの……何か……?」

 様子を伺うように見つめると、清水先輩は一枚のチラシのようなものを差し出した。

『烏野高校排球部 マネージャー募集』

 チラシにはそう書かれていた。

「あ……あの……?」
「部活に入ってない一年生をマネージャーに勧誘してるの。よかったら、一緒にマネージャー……やってくれないかな。……菅原から話は聞いてる。何か事情があるみたいだからって。だから無理に誘うつもりはないの。ただ、ミョウジさん、いつも楽しそうだから。その……バレー見てる時。もし断っても見学とかは今まで通りしてもらって構わない。皆も喜ぶし。でも、もし少しでもマネージャーやってもいいって思ってくれるなら……よかったら、やらない?」

 いつもクールな清水先輩が、少し緊張した顔をして、いつもより少しだけ早口で話している。それがなんだか可愛くて新鮮だった。

 答えなんて、もう決まってる。

「……私も、いつ言おうかなって思ってました。マネージャー、やりたいんですけどって……」




 席に戻ると、月島君がこちらをチラリと見た。

「お帰り。清水先輩何だって?」
「ちゃんと見ててくれたんだ」
「君が言ったんじゃん」

 そうでした。やっぱり月島君は優しい。

「部活に入ってない一年生を勧誘してるんだって。……やらない? って言われた。マネージャー」
「……なんて答えたの」
「……よろしく……おねがいしますって」

 若干の恥ずかしさを感じながら、チラリと月島君の様子を覗き見ると、ほんのりと口元が上がっているように見えた。

「へぇー……、じゃあこれからはチームメイトなわけだ」
「……はい。そうなりますね」
「なんで敬語なの」
「月島君の方がバレー部歴は先輩なので」
「何それ、意味わかんないんだけど」

 月島君が楽しそうに笑う。なんだか嬉しくて、つられて私も少しだけ笑った。



***



 正式にバレー部のマネージャーになったものの、すぐに練習には参加できなかった。今週いっぱいは痛めた足の怪我のせいでほぼ毎日の通院が確定している。なので部活に参加出来るとしたら早くても来週からだろう。来週以降の通院は、今週の経過次第、というわけだ。


 昼休みに購買で飲み物を買った帰りに、日向と飛雄が四組の教室から出てくるのが見えた。なんだか怒っているのが後ろ姿から見て取れる。不思議に思って教室に入ると、月島君が愛用のヘッドフォンをして窓の外を眺めていた。彼もまたイライラしているのだろうということがすぐに分かった。

「何かあった? 日向と飛雄が怒ってたみたいだけど」
「さあね」

 彼はそう言ったきり、机に突っ伏してしまった。

「え……ちょっと……」

 戸惑いながら声をかけるが、月島君は知らんふりをして寝たふりを決め込んでいる。そんな彼の態度に戸惑っていると、山口君が教室へと戻ってきた。

「あ、山口君お帰り」
「ミョウジさんも帰ってきてたんだ。なら待っててもらえば良かったかな」
「日向と飛雄のこと? なんか怒ってたみたいだけど何かあった?」
「あぁ……勉強教えて欲しいってツッキーのところに来たんだけど……」

 山口君は気まずそうな顔でチラリと月島君を見た。すると彼はヘッドフォンをしたまま「営業時間外に来る方が悪いんだよ」と吐き出した。

 聞こえてんじゃん。
 そう思いながら、彼のつむじをジッと見つめる。

「期末試験の勉強だね。……で? 二人はどこに行ったの?」
「五組だよ。谷地さんの所」
「谷地さん……って、新しいマネージャーの子?」

 清水先輩は私以外にも声をかけていたそうで、谷地さんという子もマネージャーとしてバレー部に入部するようだった。

「まだ仮入部だけどね。谷地さん、五組って言ってたから」
「そっか。五組も進学クラスだもんね」

 進学クラスなら勉強は得意だろうし、日向と飛雄のおバカ二人組にも対応できるだろう。


 ……なんでだろう。なんとなく胸にモヤモヤするものを感じる。思い返してみれば、飛雄に勉強を教えるのはいつだって私の役目だった。毎回必ずと言っていいほど喧嘩になるのだが、それでも飛雄はいつも私の所に来た。でもだからといって、私が常に世話を焼く必要は無い。分かってる。

 不意に山口君がクスッと笑った気配がした。
 不思議に思い視線を向けると、山口君は少しだけ気まずそうに笑った。

「あ、ごめん。ミョウジさんもヤキモチとか妬くんだなって思って」
「……ヤキモチ、とは?」
「えっと……影山が谷地さんの所に行ったから……谷地さんにヤキモチ妬いてるのかなって」

 言われたことを頭の中で反芻してから、ハッとしてブンブンと首を振った。

「まさか! 違う違う!」
「違うの?」
「違うよ! だってそれじゃあまるで私が……」

 飛雄を好きみたいじゃん。

 そう言いかけて言葉を飲み込んだ。

 たしかに飛雄の存在は自分の中で特別、だと思う。何かあれば一番に心配してしまうくらいには、大切に思っている。
 だからって恋愛対象かと聞かれれば、きっと違う。昔は好きだった。好きだと思った。でも上手くいかなかったし、今となってはあれが恋愛だったのかも分からない。

 恋愛感情の好きってどういうことなんだろう。友達に対する好きと、どう違うんだろう。私のこの気持ちは、どんな感情なんだろう。

 もうそこからして分からない。頭の中がグルグルする。


「……あのさぁ」

 ヘッドフォンで音楽を聴きながら寝ていたはずの月島君が、いつのまにか起き上がって呆れたような視線を向けていた。しかしそれは私に対してではなく、山口君に対して向けられていた。

「山口は、僕が明日から日向と一緒に帰るから別々に帰ろうって言ったらどう思うわけ?」
「えっ!? なんで日向と!?」
「例えばの話。モヤモヤしない?」
「するよ! なんで日向と……。俺とツッキーはずっと一緒に帰ってたのに……。だってツッキー日向とそんなに仲良くないよね!?」

 焦ったような声でやや食い気味に月島君に詰め寄る。そんな山口君のことを、月島はやや面倒臭そうに見つめながら、ため息を一つついた。

「だから例えばだってば。……で、今山口は日向にヤキモチを妬いてるわけだけど、お前は僕に恋愛感情抱いてたわけ?」
「れっ恋愛!? そんな訳ないよ! ツッキーのことは好きだけど、もちろん友達として……」
「ほら、友達でもモヤモヤしたりするデショ。そういうことじゃないの」

 言ったきり、月島君は再び面倒臭そうに机に突っ伏した。そんな彼を見てから、山口君と顔を見合わせた。

「山口君も、モヤモヤした……?」
「うん。俺の方が日向よりツッキーと仲良いのにって」
「うんうん。小学校からずっと一緒だったのにって」
「うん! モヤモヤするね!」
「モヤモヤするよ! よかったぁ。そうだよ、そんな訳ないもん……そんなのありえない」

 まるで原因不明の病気が治ったかのような安心感に、ホッと胸をなで下ろすと、月島君が大きくため息をついた。

「大きいため息。日向と飛雄が来たこと、そんなに怒ってるの?」
「別に」
「怒ってるじゃん」
「怒ってないよ。……しつこいな」

 怒ってるじゃんよ! すぐ怒る。怒りんぼ!

 心の中で悪態をつきながら、彼にバレないように小さくため息をついた。

 こういう時の月島君は未だに少しだけ苦手だ。

 ……まぁ、苦手と言っても、出会ったばかりの頃に抱いていたものとは違う気がした。あの頃は、悪態をつかれるたびに腹が立った。ムカついた。何とかしてコイツに一矢報いてやりたいと思った。

 でも今は、ムカつくというよりは、胸の辺りがズキッと痛む。悲しい。そんな感じだ。彼に拒絶されているような気がして、少しだけ心が傷つく。

 きっと、あの時よりも少しだけ月島君と仲良くなったからだろうと思う。


 月島君の柔らかそうな髪が風でフワリと揺れる。


 飛雄に対する気持ちが友情だということは分かった。なら、月島君に対するこの気持ちは、一体何なんだろう。


「何見てんのさ」
「……なんでもないです」
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