- ナノ -


(17話)



 翌日、私は再び仙台市体育館へと足を運んだ。

 試合開始時刻よりも余裕を持って家を出たはずなのに、会場内はすでに応援の観客で賑わっていた。相手は県内ベスト四の青葉城西なのだから無理もない。とりあえず試合が見れればいいので、席はどこでもいいのだが、できれば変な輩の近くでは見たくない。特に……。

「きゃー! 及川くーん!」
「頑張ってぇー!!」

 そう。あんな感じの人達の近くには座りたくない。

 中学時代を思い出す。あの甲高い声も、ジロジロと相手を値踏みするような視線も、何もかも苦手だった。こちらは何もしていないのに、一方的に決めつけられて、責められる。
 ……いや、違うか。きっと彼女らにとっては私は加害者で、『敵』なのだろう。及川先輩と仲良く話す女子は、みんな『敵』。……ばかみたいだ。小さい頃はよかった。男女の区別も無く、男の中に女が混じってバレーをしていても誰からも何も言われなかった。

 私はただ、バレーが好きなだけだったのに。


「お! ナマエちゃーん!」

 すっかり聞き慣れた声がして、振り返ると嶋田さんと滝ノ上さんが手を降っていた。ちょうどいい。ご一緒させてもらおう。

「こんにちは。今日もいらしてたんですね」
「相手はあの青城だからな。おかげでしばらくは休日返上で働くよ……」

 ハハハと乾いた笑いを浮かべながら、嶋田さんが言った。

「あ、そうだ。コレ」

 そう言いながら、嶋田さんは袋を一つ差し出した。袋にはあの可愛いブタさんが描かれている。

「昨日言ってたタオル」
「えっ!? 本当に持ってきてくださったんですか!?」

 慌てて中身を確認すると、シンプルなタオルが一つ入っていた。
 やだ。すっごい可愛い。このつぶらな瞳が本当にたまらない。

「え、本当にいただいちゃっていいんですか!?」
「そんな大層なもんじゃないって!」
「そんなことないです! やーん、可愛い……」

 大事にしよう。できるだけ使わないで……そうだ、部屋の壁に飾っておこう。そう心に決めて、汚れないように丁寧に折り畳んで鞄へとしまった


「あ、そういや、お前の『弟子』サーブ上手くなった?」

 滝ノ上さんがコートを見ながら呟く。

「弟子?」
「ああ、烏野の一年がコイツんとこにサーブ習いに来てんだよ。な?」
「弟子っていってもまだ一週間だぞ。まぐれ当たりはあっても、狙って無回転打てるにはまだまだだろ」

 嶋田さんはそう言ってため息を一つついた。

「無回転ってことは、ジャンプフローターサーブですか?」
「おっ、さすが元バレー少女。よく知ってるな」

 嶋田さんがニッと笑いながら言った。

 試合が低迷した時、戦況が思わしくない時。そんな時に頼りになるピンチサーバーが居るのと居ないのでは大きく違う。サーブ一つで流れが大きく変わることも往々にしてある。烏野には今の所ジャンプフローターを打つ人は居ないようだったし、モノになったら切り札になるかもしれない。
 もちろん今すぐには無理だろう。それでも、こういうことの積み重ねが明暗を分けるということは往々にしてある。


「整列ー!!」

 大きな掛け声と共に選手たちが動き出す。どうやら試合が始まるようだ。

「どっち勝つかな」
「さすがに青葉城西だろ」

 どこからともなくそんな声が聞こえてくる。たしかに、青城は県内でも有数な強豪校だ。公式戦を見るのは初めてだが、先日の練習試合でもチーム全体のレベルが高かった。控えセッターであれなら、及川先輩が入ったら一体どうなるのか。烏野贔屓の私としては畏怖の念が半分。でも従兄達の活躍が見られることへのワクワクが半分というところだろうか。

 どちらにせよ、目が離せない戦いになるだろう。



***



 試合は、開始早々及川先輩がツーアタックを決めたり、その後飛雄が同じようにツーでやり返したり、点を獲り合って目まぐるしく動いていった。及川先輩は相変わらずで、相手を翻弄するようなゲームメイクが上手かった。しかし烏野も負けてはいない。及川先輩の最初のサーブを、西谷さんは綺麗に上げてみせたし、日向の速攻も決まっている。青城にわずかにリードされているとはいえ、このまま上手いこと食らいついて、何かをキッカケに流れを掴んで波に乗りたいところだ。
 ところが、このまだ動きのない序盤で、青城はタイムアウトを取った。

「なんだろう……こんな序盤で普通タイムアウト取りますかね?」

 隣で同じように戦況を見守る嶋田さんに問いかけると、嶋田さんも私と同じように首を傾げた。

「ああ、たしかに珍しいな。何かあったかな……?」

 青城の選手たちは集まって何やらミーティングのような感じで話している。それを遠くから見つめる飛雄の顔が、心なしが険しい気がした。


 タイムアウトが明けても、とくに目立った動きは無いように見えた。……はずだった。

 サービスエースを取られたわけでも、スーパープレイがあったわけでもないのに、何故か点差が四点まで広がっていた。その大半が烏野のレシーブミスによるものだった。それだけじゃない。飛雄のツーアタックが及川先輩によって難なく止められ、日向の速攻も先程よりも決まらなくなってきている。


「なんか……日向の速攻、急に止められることが多くなったような……」
「もしかしたら、合図とかバレたのかもな」
「合図?」

 そんなもの、あの二人が使ってたんだろうか。

「あのスピードで普通の速攻と使い分けるなら合図がなきゃ無理だろ。なんらかの形で合図出し合ってたんだと思うよ」
「そうなんですか!? 野生の勘とかで合わせてるんだと思ってました……」
「野生の勘! ナマエちゃん面白ぇなあ!」

 そう言って滝ノ上さんが笑う。

 そうか。合図か。一体どんな合図だったんだろう。試合が終わったら聞いてみよう。


 そうこうしているうちに、再び及川先輩にサーブが回ってきた。

 そういえば、練習試合の時は月島君が徹底的に狙われていた。だが、今回は後衛の時はリベロの西谷さんと交代しており、西谷さんは及川先輩の最初のサーブも難なく返していた。当然、同じミドルブロッカーの日向も同じように西谷さんと交代するので、あからさまに穴になりそうなところは今の後衛には無いはずだ。

 ところが、その『標的』には今回は田中さんが選ばれたようだった。

 田中さんは常に烏野のムードメーカーのような人だった。まずはその田中さんを潰そうということなのだろう。相変わらず怖い人だ。絶対に敵に回したくない。

 数点が取られたのち、ようやく一球まともなレシーブが上がった。そして田中先輩はしっかりと自分でスパイクを決めた。あそこまで追い詰められても崩れないで居られるなんて、メンタルが強すぎる。


「あーよかった。嫌な流れでしたね」
「ああ。あのままもう何点か取られてたら危なかったかもな」

 ようやく嫌な流れが断ち切れた。そう思ったのも束の間。なかなか烏野の攻撃が決まらない。

「なぁ、なんか……烏野の攻撃だんだん早くなってきてないか? なんか前のめり気味っていうか……」

 滝ノ上さんがポツリと言った。
 言われてみるとそんな気がする。早い攻撃は相手の意表を突く事もできるが、同時に味方から準備する時間も奪う。助走をしっかりと取る時間。体制を整える時間。打ち分けるコースを選ぶ時間。そういったものも全て奪ってしまう。

「なんかみんな窮屈そう……」
「一方、青城の方はのびのびーって感じなんだよなー」

 確かに、及川先輩の上げるトスは、どのスパイカーも打ちやすそうに見える。だから青城の選手
みんなが生き生きして見えるのだろうと思った。

 それとは対称的に、なんだか飛雄の様子がおかしいような気がした。焦っているような、追い詰められているような、そんなふうに見えた。そしてその焦りは、月島君とのコンビミスとなって現れる。

「うわっ、このコンビミスは痛いな……」


 なんだか中学時代と重なる。

 いつも飛雄はたった一人で戦っているみたいだった。だから最後に仲間達からそっぽ向かれた。
 嫌だ。こういう飛雄を見ていると、嫌でも思い出してしまう。コートを去っていく彼の後ろ姿を。


「あ、烏野、セッター替わる」

 誰かがそう呟く声が聞こえた。ハッとしてコートを見ると、菅原さんがコートのすぐ外で九番の札を持って立っていた。

 自分の心臓の音がすぐ耳元で聞こえる。

 飛雄が交代する……。

 今回も、コートを出て行く飛雄の顔は、私からは見えなかった。



***



 飛雄の代わりに菅原さんが入って、コートの中の雰囲気が柔らかくなったのを感じた。

 菅原先輩は、及川先輩のように色んな選手に積極的に声をかけていて、声をかけられた人達は皆、少しホッとしたような、上手く力が抜けたような、そんな顔をしている。

 その証拠に、皆どんどん動きが良くなっていく。

 とっさに菅原さんと位置を入れ替えはじめ君のスパイクを綺麗にブロックした月島君を初め、日向もそこそこ背の高いはずの二番の人の速攻をしっかりと止めた。これで二連続ブロックポイントだ。まぐれなんかじゃない。

「日向すごい!」
「ああ! このまま勢いに乗っちまえ!」


 チラリと交代した飛雄の様子を見ると、真剣な面持ちで試合を食い入るように見ていた。中学の時のように気落ちした様子は無い。まだまだやる気満々なようで、ホッと息を吐き出した。

 このまま離された点差が少しでも縮まってくれれば。そう思うが、そう簡単には縮まらない。
 七点差のまま、再び及川先輩のサーブが回ってきた。

 前回のサーブでは徹底的に田中さん狙いだったけど、今度は誰を狙うんだろう。

 一本目のサーブは西谷さんと田中さんの間へと飛んでいった。勢い良く二人ともボールに飛びつき、結果的に『お見合い』になってしまった。

「くぁー! 今度は間狙いか! 絶妙なトコに打ってきやがる……」

 滝ノ上さんの言う通り、本当に『絶妙』だ。なんであの威力であそこまで正確にボールをコントロールできるんだろう。

 二本目は打って変わってゆるい軟打だった。サーブフォームからは全く分からなかった。威力の高いジャンプサーブを警戒して少しラインを下げていた烏野は当然拾えない。

 これで青城のセットポイントだ。後一点でこのセットは取られてしまう。

 三本目、主将と東峰さんの間に向かって放たれたサーブは主将の力強い声かけで先程のようにお見合いになることはなかった。その後も東峰さんのバックアタックなど、数回にわたって攻防が続く。
 そして日向のブロックしたボールが惜しくもエンドラインを割り、青城が第一セットを取った。
prev next

Back  Novel  Top