- ナノ -


(16話)



 六月二日。インターハイ予選が始まった。


 病院を出て、会場である仙台市体育館へと向かう。午後の試合は一時半からだったはず。このままいけば試合までには間に合うだろう。


 先日痛めた膝については、多少のお小言はもらったものの、しばらくの間安静にしていれば大丈夫とのことだった。また体育は見学になってしまうが、仕方ない。


 会場に着いてすぐ、トーナメント表を探した。

 結果を見ると、烏野は無事一回戦を突破したようで、二回戦へと進んでいた。次は『伊達工業高校』と当たるようだ。

「あれ?」

 トーナメント表をよくよく見ると、烏野のいるブロックのシード校は、あの『青葉城西高校』だった。このまま烏野が勝ち進めば、明日には及川先輩たちのいる青城と当たる事になるだろう。
 思ったより早くて正直心の準備が出来ていないが、そういう組み合わせなら仕方ない。ならば、今日はなんとしてでも勝ってもらわなければ困る。


 会場内は伊達工業一色だった。コートは複数あるはずなのに、伊達工の応援をする生徒たちの声で他の声はほぼかき消されてしまっている。
 一方、『飛べ』と書かれた黒い烏野の横断幕のそばにはあまり人は居なかった。連休中の音駒との練習試合に来ていた商店街の人達も、今日は居ないようだ。

 『ゴミ捨て場』じゃないからかな……。


 とりあえず、伊達工の応援に紛れて烏野を応援するわけにはいかないので、烏野側へと移動する。今なら席は選びたい放題だ。でも座ると見にくいかな。後ろに人は居ないみたいだし、立ったまま見ようかな。そんな事を考えながら、最前列へと移動し始めた時、下から大きな声が聞こえた。

「よっしゃあ! 心配することなんか何も無え! 皆前だけ見てけよォ!」

 見ると、西谷さんが何やら仁王立ちして叫んでいるようだった。相変わらず声が通る。

「背中は俺が護ってやるぜ!」

 そう言い放つ西谷さんがキラキラと輝いて見えた。

 なんてかっこいいんだろう。ダメだ、腰が抜けた。やっぱり座って見よう。力の入らない下半身を奮い立たせ、ヨロヨロしながらすぐ後ろの最前列の席についた。




 始まる前はワクワクしていたはずなのに、いざ試合が始まると見ているだけのこちらまで緊張してしまうのはなぜだろう。

 たしか前回見たのは音駒高校との試合だったが、その時よりも攻撃のバリエーションが増えていた。飛雄も、日向との速攻の使い所を上手く選んでいる。強豪相手だというのに、リードしているとは驚きだ。

 やはり指導者が居ると居ないとでは大きく違うんだろう。皆、攻撃に迷いがない感じがする。


「遅ぇーよ! 試合終わってたらどーすんだよ!」
「だって珍しくお客が来てて――」
「はやくはやく!」

 後方で慌ただしい声がして視線を向けると、やって来たのは先日音駒との練習試合で会った若い二人組だった。

「お! この間の女子高生!」
「だからおっさんくさいからやめろって」

 目が合うなり再び同じようなやり取りをする二人に、思わず口元が緩んだ。

「こんにちは」
「試合、どんな感じ?」
「まだ一セット目です。烏野がリードしています」

 眼鏡の人に簡単に説明をすると、二人はコートへと視線を移した。

 それと同時くらいに、後ろからゾロゾロと人がやってくる気配がした。

「よかった、男子の二回戦まだやってる!」
「すごい、伊達工に勝ってる……!」

 商店街の二人組に続いて、烏野高校の女子バレー部の面々も現れた。

 そうか、女子も同じ会場で試合だったのか。

 そっと視線を外し、目立たないように角度を変える。
 なんとなく、女子の集団は苦手だ。

 まぁ、あちらは私のことなんか知らないだろうし、クラスに女子バレー部員も居ない。制服を着ていない今なら、私が烏野の生徒だとはバレないだろう。気づかれてアレコレと聞かれたりしたら面倒だし、このまま知らないフリをすることにした。



***



 一セット目は烏野が獲った。最初は反応すら出来なかったはずの日向と飛雄の速攻も、一セット目が終わる頃にはブロックに触れられるようになってしまった。先日の音駒戦でもそうだったが、そこはやはり強豪校。きっと経験値が違うのだろう。このまま試合が長引いたら不利になりそうだ。

 それにしても伊達工のブロックは背が高くて本当に壁のようだった。それなのに、日向はその壁が閉まるよりも速く動き、点を獲る。本当に彼には驚かされてばかりだ。
 それに、他のスパイカー達だって負けていない。日向の囮があるとはいえ、あの高い壁から点をもぎ獲る姿勢は見ていてとても気持ちがいい。

 そして、我がクラスメイトの月島君はといえば、長身を生かしてブロックの上を越えるように山なりにボールを放っていた。やっぱり月島君は頭がいい。スマートな戦い方をする。それにコートのラインスレスレにボールを落とす技術は大したものだ。

 烏野の試合を見ていると、やっぱりワクワクする。


「バレー好きなんだな」

 ふと声をかけられ視線をやると、嶋田マートの人がこちらを見ていた。

「はい。昔少しやってたんですけど、ちょっと怪我しちゃって。……でも、バレーはずっと好きです」
「そっか」
「お兄さん達は烏野のOBでしたよね」

 たしか音駒との練習試合の時にそう言っていたはずだ。

「おう。あ、自己紹介してなかったな。俺は嶋田。こっちは滝ノ上。二人とも元烏野高校排球部」

 言われて滝ノ上さんもこちらに向かって頭を下げる。

「私はミョウジナマエといいます。烏野高校の一年です。……やっぱり嶋田さんっていうんですね」
「……俺?」
「はい。以前お会いした時にスーパーの方だなって思ってたんです。あのブタさん可愛いから私覚えてて……」

 あの豚は本当に可愛いんだ。輪切りにされているとはいえ、あのつぶらな瞳は一度見たら忘れられない可愛さがある。

「そうなんだ。なら今度タオル持ってくるよ。正月に近所に配ったヤツがたしか残ってるから」
「えっ! いいんですか!? 嬉しいです!」

 なんというラッキーだろうか。棚からぼた餅とはこのことか。幸せすぎる。今日試合を見にきて良かった。日向ありがとう。誘ってくれてありがとう。

「おい、女子高生ナンパすんなよ」
「してねーよ!」

 ニヤニヤと意地悪く笑う滝ノ上さんを見て、思い出した。この人、電気屋さんの人だ。
 あーもう、なんで毎回すぐに思い出せないんだろう。タイミングが悪すぎる。ほら、もうすでに二人はコートの方へ視線を移しているし、今更電気屋さんの人ですよね、なんて言えない。これじゃ前回と全く同じだ。

 ……まぁいいか。第二セットも始まったし。今回のようにきっと滝ノ上さんとこの話をできる日が来るだろう。……多分。



***



 試合は烏野のストレート勝ちで幕を閉じた。
 無事勝ってくれてよかった。


 青城との練習試合ではレシーブミスが目立っていたはずの月島君だが、今日は上手くボールが上がっていた。あの時と違い今はリベロがいるため、日向と月島君が後衛に回ることは無い。ただ単にレシーブする機会自体が少なくなったからかもしれないが、それでも上手くなったことに変わりはない。

 この短い期間に上達するなんて、正直驚いた。練習、したのかな。また一つ、知らない一面を見た気がして、なんだか嬉しくなった。


 月島君と席が近くなり、話すようになってから、色んなことを知った。

 音楽が好きなこと。ショートケーキが好きなこと。あと、字が綺麗なこと。借りたノートはとても見やすかった。

 彼のことを苦手だった頃とは全然違う。もう月島君に会っても息が詰まったりしないし、嫌だとも思わない。むしろ、月島君と話すのは楽しいとすら思う。

 それに、月島君は優しい。素直じゃない時もあるけれど。むしろその方が多いけれど。それでも、彼は意地悪で怖いだけの人ではなかった。

 それが分かっただけでも、あの日『普通に話そう』と月島君に申し出た価値はあったと思う。



 ワーッという歓声が上がり、隣のコートを見ると、青葉城西の試合がやっていた。
 そうだ。烏野ばかりに気を取られていたが、青葉城西も今日が初戦だった。しかも試合はもうすでに二セット目、それも終盤に差し掛かっている。
 先程の歓声は、及川先輩がサービスエースを決めたことに対する歓声のようだった。相変わらずものすごいサーブを打つ。それに、はじめ君とのコンビプレーも息ピッタリだ。はじめ君だけでなく、青城の選手全員が生き生きしている。さすが、中学の大会でベストセッター賞を獲っただけのことはある。

 ぼんやりと眺めていると、あっという間に勝負がついて、明日の対戦相手は青葉城西に決まった。



「あ! ナマエ!」

 試合が終わり、帰ろうかと席を立った時、不意に声をかけられた。振り返ると、日向がキラキラした笑顔で立っていた。どうやら試合が終わり、観客席へ引き上げてきていたようだ。他のメンバーも周りに控えている。

「お! ナマエちゃん、見にきてたんだ」

 菅原さんが変わらぬ笑顔でそう言った。バレー部の人は皆良い人だし話しやすいが、中でもこの菅原さんは群を抜いている。

「はい。日向に誘ってもらって。三回戦進出おめでとうございます」
「おう、ありがとな」

 そんな菅原さんの後ろから、ニョキッと人影が現れた。坊主頭の……たしか田中さんと、もう一人は西谷さんだった。二人とも菅原さんに隠れるようにしながら、ジロジロとこちらを見つめている。

 ……というかものすごく見られている。すごい。ジロジロという効果音が聞こえるようだ。たまらずそっと目を逸らすと、主将の澤村先輩の一喝する声が聞こえた。

「こら! そういうのヤメロ!」
「お前らさぁ……ナマエちゃんが気になるならそんなことしたって逆効果だってそろそろ分かんべよ」

 菅原さんに呆れたようにそう言われ、二人は顔を見合わせた。
 すると、田中さんの方がスッと前に出た。そして凛々しい顔を更にキュッと引き締め、少しだけ微笑みながら私の方へ手を差し出した。

「田中です。よろしく」
「いや、カッコつけんなよ」

 やり取りが面白くて思わずふっと吹き出した。

「ミョウジナマエです。よろしくお願いします」

 差し出された手をそっと握りながらそう言うと、今度は一回り小さな手が目の前に出てきた。

「西谷だ。よろしく」
「だからカッコつけんなって!」

 呆れたような菅原さんの声を聞きながら、私はその差し出された手をゆっくりと握った。

 西谷さんだ……。

 改めてこうして本人を目の前にしていると、なんだか不思議な感じだ。練習だって見学させてもらったし、今日だってこうして試合を見に来た。それなのにまだ、彼が同じ高校に居るという実感が湧かない。

 この小さな手が、今はこの烏野というチームを守っている。そう思うだけで急に感動が湧き上がってきた。……なんだか泣きそうだ。


「よかったな」

 鼻の奥のツーンとした感覚と闘っていると、飛雄の声が耳に入ってきた。

 恐る恐る振り返る。

 え。なんだろう。凄く嫌な感じがする。コイツまさか本人の目の前で余計なことを言わないだろうな。

「影山、よかったって何が?」

 案の定、日向が不思議そうな顔で首を傾げている。


「ちょっと、やめてよ……?」
「ああ、こいつ西谷さんのファン――」
「わーーーー!!!!!!」

 慌てて西谷さんの手を握っていたのを離し、飛雄な口を両手で塞ぐが、時すでに遅し。バレー部の皆さんがすごい顔をしてこっちを見ている。

 あー、信じられない。本人の目の前でなんてこと言うんだ。コイツにはデリカシーというものが無いのか。少しは人の気持ちが分かるようになってきたかと思えば。穴があったら入りたい。

「なんだよ!」
「普通言う? 本人の居る前で普通言うかなぁ!?」
「はぁ!? 別にいいだろ本当のことなんだから。面倒くせぇな」
「よくないよ! 信じられない! あんたにはデリカシーってもんが――」

「おほん!」

 ハッとして視線をやると、主将の澤村さんが爽やかな笑みを浮かべていた。

「ちょっと二人、うるさいかな」
「……ウス」
「……すみません」

 ああ……死にたい。長年ファンだった人の目の前で暴露され、挙句怒られた。穴なんかじゃ足りない。シェルターだ。頑丈な岩でできたシェルターが欲しい。そうしたら私は一生そこから出ないで、誰にも会わないで恥を晒すこともなく生きていけるのに。


「えっと……ナマエちゃんって、西谷のファンだったの?」

 菅原さんがポカンとした顔をしながら問いかけてくる。

「はい……。中学の時に初めて試合を見てからずっとファンで……。先日練習見学させていただいたのも……西谷さんが烏野にいるって知って……どうしても見たくて…………すみません」
「いや、謝らんでも!」

 慌てた様子でブンブンと首を振る菅原さんの隣で、東峰さんが微笑んでいる。

「よかったなぁ、ファンだって。すごいな、西谷は」

 普段だったら和むはずの東峰さんの声も、今の心境ではより一層羞恥を煽られているような気がする。恐る恐る話を振られた西谷さんの方を見ると、ポカンとしたような顔をして硬直していた。

 ええい。もうこうなったら全部話すしかない。というか話さなければここから逃げられないだろうし。覚悟を決め、私は西谷さんへと向き直った。

「あの……中学の時……初めて西谷さんの試合を見て、それからずっと西谷さんのファンで……。今日も、咄嗟の足でのレシーブも凄かったですけど、えっと……試合前のみんなを鼓舞する背中もすっごく素敵で、その……凄かったです」

 しどろもどろになりながらなんとか喋り終えると、西谷さんが神妙な顔をして口を開いた。

「すまん。俺には心に決めた人がい――」
「あ、西谷。これ多分そういうんじゃない」

 西谷さんの言葉を遮るように大人しそうな黒髪の先輩が言うと、西谷さんの大きな目がさらに大きくなった。

「何!?」
「これ告白とかじゃないからさ。ファンって言われたろ? お前の『バレー』のファンってことだから」
「……くっ……!」
「ノヤっさん! ドンマイ!」

 坊主頭の田中さんが笑い、西谷さんがほんのりと頬を紅く染めている。数秒遅れて、先程の私の言葉が所謂『愛の告白』だと受け取られてしまったのだと理解した。そしてその誤解は私が気付く前に解かれてしまった。

 どうしよう。これ謝った方がいいんだろうか。いや、謝るのもおかしいよね。

 どうしたものかと考えあぐねていると、菅原さんが「ごめんな、気にしなくていいからな」と言って私を逃してくれた。


 ペコリと頭を下げてその場を離れると、ひとまず大きく息を吐き出した。

 ああ、ビックリした。なんだか嵐に遭ったようだった。目まぐるしすぎて何が起きたのかまだ理解ができていない。でもとりあえず、試合は終わったわけだし、そろそろ帰ろうか。むしろ恥ずかしいから早く帰りたい。

 ふと、月島君と目が合った。

「あ、月島君お疲れ様」
「どうも。……っていうか君、西谷さんのファンだったんだ」
「まあね。……っていうか今恥ずかしすぎて死にそうだからその話しないで」
「ああ、顔真っ赤だもんね」
「……うるさい」

 月島君は小さく笑って、そのまま口を閉ざした。……追撃は来ない。
 少し意外だった。今までだったらここぞとばかりにこのネタで揶揄われるかと思ったのに。

「あ、そうだ。レシーブ、上手かったね」

 先程の試合の一コマを思い出し、そのことを告げると、月島君は少しだけ眉間にシワを寄せた。といっても嫌悪を表したのではなく、何となく腑に落ちないといったような感じだ。

「……今日ほとんどレシーブしてないけど」
「サーブレシーブはね。でもディグ上手だったよ」
「……それはどうも」

 月島君はポツリとそう言うと、そっと私から視線を外した。

 ……おかしい。普段ならもう少し続く会話が、なかなか続かない。何か怒らせるようなことでもしただろうか。そんなことを一瞬考えるが、月島君の表情からは苛立ちや嫌悪感などは読み取れなかった。
 午前中も試合だったから、今日は二試合立て続けだったことになる。疲れているのかもしれない。なら早く退散した方がいいだろう。


「じゃあ、私はそろそろ帰るね。また明日」
「え、明日も来るの?」
「うん。もちろん」
「……西谷さんを見に?」

 月島君が小さな声でポツリと言った。

「違うよ。『烏野』を見にくるの。今日だって烏野を見にきたんだよ。私、烏野のバレー好き」

 見ていていつだってワクワクする。それに明日の対戦相手は青葉城西だ。先日は見られなかった及川先輩とはじめ君のプレーも見れるはずだ。もちろん応援するのは烏野だけど、それでも楽しみなものは楽しみだ。

「ほら、試合も終わったし、そろそろ撤収するぞ」

 主将の澤村さんの掛け声とともに、烏野バレー部の面々もゾロゾロと動き出す。その背中を見送ると、私も仙台市体育館を後にした。
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