- ナノ -


(1話)




 桜の花が散り始める中、街路樹を眺めながらゆっくりと歩く。薄いピンク色で彩られた木々の中には、うっすらと白や緑が混じっている。

 春は好きだ。新しい事を始めるのはワクワクする。

 肺いっぱいに空気を吸い込んで、吐き出す。
 足の痛みはもう無い。それだけで心が軽くなるような気がした。




 家を出て歩く事数分。学校に到着した。


『宮城県立烏野高等学校』


 ここが、私がこれから三年間通うことになる学校だ。この学校に決めたのにはいくつか理由がある。

 一つ目は女子の制服が可愛かったこと。

 二つ目は県立高校には珍しく進学クラスが設けられていて、勉強に力を入れていること。私が受かったのもこの進学クラスだ。

 三つ目は、なんといっても自宅から歩いて五分という立地だ。登校に時間がかからないというのは本当に魅力的だった。
 空いた時間にバイトだってしてみたいし、習い事をしたっていい。友達と学校帰りに寄り道だってしたい。

 やりたいことなら沢山ある。時間が足りないくらいだ。今まで出来なかったことを、片っ端からやってやる。



***



 貼り出されているクラス表を見ながら、まずは自分の名前を探すことにした。

 進学クラスは四組と五組のはずだ。まずは四組から探そうと『1ー4』と書かれた紙の前に立つ。


「ナマエ?」

 自分の名前を一覧から探していると、不意に声をかけられた。

 振り返ると、見慣れた黒髪の男が怪訝そうな顔をしてこちらを見ていた。

 中学の同級生の影山飛雄だ。

 驚きのあまり、手に持った入学資料がこぼれ落ちそうになり、慌てて持ち直す。バレーの強豪校に行ったはずのこの男が、なぜここにいるんだろう。

 呆然と目の前の男を見つめていると、飛雄は怪訝そうに眉を寄せた。

「なんだよ」
「……なんであんたがいんの。白鳥沢は?」

 強豪校はどうしたのだと問いかけると、飛雄はムッとした顔で答えた。

「落ちた」
「落ちた!? だってあんた推薦じゃないの? 推薦でどうやって落ちんのさ……」
「白鳥沢から推薦来なかったし、一般も落ちた」

 まるでなんでもない事のようにサラリと答える。そんな飛雄に再び呆然としながらも、なんとか次の質問を投げかけた。

「ああ……そう。いや、でも白鳥沢じゃなくても他にも色々声かかってたでしょ?」
「……うるせーな」

 不機嫌そうに一言返すと、飛雄は黙り込んでしまった。どうやらこの話題には触れてほしく無さそうだ。

「まぁ……いいけどさ」

 詮索するつもりもなかったので、深くは追求せずに書類を抱え直すと、自分の名前を探すことを再開した。

 すぐに四組のメンバーの中に自分の名前を見つけた。ついでに知っている名前がないかと一覧にざっと目を通すと、同じ中学の友達が何人か見つかった。幸先は良さそうだ。

「で? 飛雄は何組?」
「三組」
「お、隣だね。私は四組だよ」
「……おう」

 そう答えたきり、飛雄は再び黙り込んだ。

 なんでだろう。先程から何故か上手く会話が続かない。飛雄と私は小学校からの付き合いなので、彼の考えていることは大体は分かるつもりだ。とはいえ、ここまで沈黙が続くとさすがに居心地が悪い。ここは一旦離れた方が良いだろう。

「じゃあ、また――」
「あ、おい!」

 私の言葉を遮って、飛雄は少し慌てた様子で私のことを呼び止めた。

「な、何……?」

 勢いよく呼び止めた割に、飛雄は再び沈黙してしまった。

「何よ、どうしたの」
「……足、もういいのか」
「足……?」

 私の足元をチラリと見ながら、飛雄がポツリと言った。

 ……なるほど、これを聞こうとしてタイミングを計っていたのか。相変わらず不器用な男だ。

「うん、もう普通に歩けるよ」

 そう答えると、飛雄はハッとしたように顔を上げる。

「なら――」
「バレーはやらないよ。もうできない」

 言葉を遮って短く答えると、飛雄の顔がサッと青くなった。

「……ちょっと、そんな顔しないでよ。別に飛雄のせいじゃないでしょ」

 肩を軽く叩きながら言うが、飛雄は黙り込んだまま一切反応を返さなかった。思いつめたような表情で俯く彼の様子に、思わずため息が漏れる。

「あのさぁ、そういうのやめてくんないかな。私が気にしてないのに、あんたが気にしてどーすんのさ。そもそも、飛雄のせいじゃないよね」
「でも俺が……」
「でもじゃない。……私は、飛雄とは違うから。バレーが無くても、私は生きていけるから。だから大丈夫。他にも沢山趣味あるしね」

 笑ってそう言うと、ようやく顔を上げた飛雄と目が合った。鋭い黒い瞳が、まだ不安げに揺れている。

「ほら! シャキッとしな!」

 背中を思いっきり叩くと、飛雄は「痛えな!」と言って私を睨んだ。

「あはは、そうそう。その方が飛雄らしいよ。じゃあ、またね」

 そう言いながらひらひらと手を振って、飛雄に背を向けた。



 思ったよりも、平気だった。飛雄と話せば辛くなるのではとも思ったが、そうでもなかった。

 良かった。私は大丈夫だ。

 たしかに、怪我をした直後は辛かった。荒れた時期もあった。でも、冷静になって考えた時、自分にとってのバレーボールは、無くなったら生きていけないものではなかった。

 飛雄と私は違う。

 たかが部活。

 でもきっと、あの男には分からない。飛雄にとってバレーは、全てで、人生で、影山飛雄そのものなのだから。



***



 教室に入ると、中学の友達の綾乃が駆け寄ってきた。


「ナマエー! 同じクラスでよかったー!!!」
「綾乃ー! 私も一緒のクラスで嬉しい!」
「ヒナと高橋も同じクラスだよ」
「うんうん! 知らない人ばっかりだったらどうしようって思ってたの!」

 手を取り合って、ピョンピョンと飛び跳ねていると、背後に人の気配を感じた。

 振り返ると、背の高い男の子が私たちを見下ろしていた。色素の薄い髪に、知的な眼鏡。そして首にかけたヘッドフォンが印象的な、整った顔をした子だった。

 背が高いなぁ。飛雄よりも大きそうだなぁ。

 そんなことを思いながら見つめていると、メガネの奥の色素の薄い瞳が、ジロリと私を睨みつけるように歪んだ。

「邪魔なんだけど。どいてくんない」
「あ、ごめんなさい」

 サッと道を開けながら謝ると、彼は小馬鹿にしたように笑った。

「君さぁ、友達と同じクラスになったからって、はしゃぎすぎじゃない? 小学生じゃないんだからさぁ」

 鼻で笑いながらそう言うと、彼は私の横をすり抜けていった。

 いきなり向けられた棘のある言葉に、思わずぽかんと口を開けたまま固まった。彼の後ろ姿を呆然と見つめていると、綾乃の不機嫌そうな声が隣から聞こえてきた。

「何アレ。感じ悪……」
「……そう……だね」

 あまりのことに咄嗟に言葉が出てこなかった。

 綺麗な顔だからこそ、余計に刺々しく聞こえたのだろうか。たしかに道を塞いでいたのはこちらだし、邪魔だったというのは分かる。でも、あんな風に言わなくてもいいじゃないか。先ほどまでのウキウキした気持ちを台無しにされたような気分だ。


「あ、感じ悪いといえばさ、影山も烏野だったんだね。さっき話してるの見たよ」
「ちょっと……感じ悪いの代表みたいな言い方やめてよ……」

 あんまりな言葉に、思わずムッとしたような顔を向けると、綾乃は少しだけ気まずそうな顔をした。

「ゴメンゴメン。でもさ、意外だよね。影山ってバレー上手いんでしょ? なんで烏野? 昔は強かったみたいだけどさ、今はそれほどじゃないよね?」
「……さあ。色々あるんじゃない?」

 たしかに、それは私も思った。県内には強豪と呼ばれる学校がいくつもあるのに、どうして飛雄は烏野を選んだんだろう。
 まあでもきっと、本人にしか分からない事情があるんだろう。あまり本人のいないところであれこれ言うのもどうかと思い、とりあえずこの会話を終わらせるべく、視線を黒板へと移した。

「あ、綾乃。ほら、私たち席近いみたいだよ」

 言いながら黒板を指差すと、綾乃もそちらを見た。私のすぐ後ろに綾乃の名前がある。

「ホントだ!」

 綾乃は飛雄の事なんかより、席の方が気になったらしい。黒板と教室内を交互に見ながら知り合いの座席を確認していた。

 話題が移せたことにホッとしながら同じように室内を見渡すと、先ほどの背の高い彼の姿が目に入った。ヘッドフォンをしながら、頬杖をついて外を眺めている。黒板の座席表で彼の位置を確認すると、『月島』と書いてある。

 月島君っていうんだ。

 ぼんやりと黒板を眺めていると、綾乃が心配そうに私の顔を覗き込んだ。


「どうかした?」
「ううん、なんでもない」


 これが、私と月島蛍の出会いだった。


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