スノードロップ(後編)
「……で? それで王様と付き合うことになったワケ? 何それウケるんだけど」
クツクツと笑いながら月島が言った。
「笑い事じゃないから。月島、面白がるのやめて」
食堂で注文したカレーをつつきながら睨みつけると、月島はより一層楽しそうに笑った。
「だって笑う以外無いデショ。ホント意味わかんないことするよねぇ」
そう言いながら、彼もオムレツを一口食べた。
「意味分かんない、か……。そうだよねぇ……付き合うってこういうのじゃ無いよねぇ。……なんか私が思ってたのと違う気がする」
「なにそれ、どんな夢見ちゃってたの」
月島が吐き捨てるように言う。こういった言い方に腹が立たないのは、きっと付き合いが長いからだろう。別に悪意あっての言い方では無いと知っているから。
「もっとこう……好きとかそういうのって……なんていうのかな、ドキドキしたり、キラキラしたり……そういう感じ?」
「どういう感じ、ソレ。漫画の読みすぎデショ」
再び月島が笑う。そんな月島の隣で大人しく話を聞いてくれていた山口が、ようやく口を開いた。
「っていうかさ、影山はともかくとして、ミョウジはどうしてそれ受けたの? 影山のこと、好きだったの?」
「えっ……」
思ってもみなかったことを問われ、改めて考えを巡らせた。
最初はとっつきにくくて、いつも怒ってるのかと思うくらい無愛想で、怖くて。正直言って苦手だった。
でも、あの日の帰り道とバレー教室の日に影山と話して、怖い人ではなく不器用な人なのだと分かった。それからは、なんとなく近くに感じるようになった。
まるで真っ白な雪のように、綺麗で純粋で。そんな彼のことを知れば知るほど、胸が締め付けられた。今思えば惹かれていたからだ。
それがようやく分かった。
分かった瞬間、カァッと顔が熱くなった。
「え……嘘でしょ」
月島がものすごい顔をして私を見ている。
「ちょっと! その顔やめて!」
「だって流石に引くデショ。何で王様? 趣味悪いんじゃ無いの。頭大丈夫?」
「ちっ、違うから! そういうんじゃなくて……ただ、チームメイトだし、悪い感情は持ってなかったってだけだよ!」
こちらが弁解すればするほど、月島の目は死んでいく。まるでゴミにでもなったような気分だ。辛い。彼は嫌悪を表す時、大体こんな顔になるのだ。
「うわー…………引く」
「だからその顔やめてよ! ホント地味に傷つくんだから!」
「ツッキー、やめなって。いいじゃん。ミョウジしっかりしてるし、お似合いだと思うよ」
「だからって王様は……」
ふと、二人の視線が私よりも後方へと移る。
「おい」
見ると、怖い顔をした影山がすぐに後ろに立っていた。
「……何、そんな怖い顔して。どうしたの」
「なんで……」
影山は何か言いたそうな顔で言い淀むと、そのまま口を噤んだ。
「……なんで? って?」
影山が何を考えているのかさっぱり分からず、とりあえずオウム返しのように聞き返す。しかし影山は動かない。
「…………何でもねぇ」
「あ! ちょっと!」
ようやく口を開いたかと思えば、そんなことを言ってその場を立ち去ってしまった。
「行っちゃった……」
「何。早速何か怒らせたわけ? 大丈夫なの? 先が思いやられるんじゃない?」
「知らないよ! ねぇ山口、影山って午前中何かあった?」
「さあ、いつも通りだったと思うけど……」
***
午後になっても影山の態度はよそよそしいままだった。タオルを渡してもドリンクを渡しても、ほとんど目が合わない。
ただ、他のメンバーとは変わらずに話しているみたいだったので、自分だけが避けられているのだろうと思った。
……正直、納得がいかない。ちゃんと話をしなければダメだ。
さすがに練習中にこんな話をするわけにはいかないので、練習後にタイミングを見計らって声をかけようとしているのだが……。今日に限ってなかなかトス練習に切り替えない。
どうしたものか。
ぼんやりと他の先輩とスパイク練習をしている影山を見つめる。
……そもそも、影山はどうして私と付き合おうと思ったんだろう。
私のことを好きだったとか、そういった理由じゃ無い事くらいはさすがに分かる。部活に入るまで接点も無かったし。ロクに話したことも無い女を好きになる理由が無い。
きっと、怪我をさせた罪悪感とか、責任感なんだろうな。
なら、怪我をしたのが私じゃ無くて仁花だったとしても、同じように付き合っていたんだろうか。
小さくて可愛い仁花と並んで微笑み合う影山の姿を想像すると、胸の辺りがチリッと痛んだ。
……それは嫌だな。
そう思うってことは、少なからず私は影山の事が好きなんだろうな……。
……っていうか。なんでそもそも私が避けられなきゃいけないわけ? 私が何したっていうの? 私たち付き合ってるんじゃないの? 何に怒ってんのか分からないけど、勝手に腹を立てて無視して、理由も言わない。目も合わせない。こんなんで付き合ってるって言える?
考えていたら段々腹が立ってきた。やっぱり絶対にとっ捕まえて話しよう。
心の中でウンウンと頷きながら決意を固めていると、頭上から月島の声が降ってきた。
「見つめすぎデショ」
「……月島」
「なに、どうしたの。怖い顔して」
「……話しようかなって思って……タイミングを伺ってるだけ」
ため息交じりにそう言うと、月島は怪訝そうな視線を向けた。
「話って……影山と? ……何、昼間のやつまだ引きずってんの? 一体何したのさ」
「知らないよ。口きいてくれないどころか目も合わないんだから……」
困ったものだ。再びため息をつくと、月島も同じように息を吐き出した。
「なら別れれば? 面倒じゃないの、そういうの」
「付き合ったばっかだよ? こんなんでいちいち別れてたら誰とも付き合えないよ。ちゃんと話をして、それでもだめだったら考えるけどさ。……まずは向き合わないと」
すると月島は驚いたように目を見開いた。
「へえ。なんだかんだ言って好きなんだ。王様のこと」
「そ、そういうわけじゃ……。ただ、まだ影山のことよく知らないから……。結論を出すのはそれからでもいいかなって……思っただけで……」
若干しどろもどろになりながらなんとかそう言うと、月島は薄っすらと口元を上げた。
「……ま、山口の言う通り、君みたいなしつこいタイプの方が王様には合ってるのかもね」
「しつこいってやめてよ。山口はそういう言い方してなかったですけど」
「ハハハ。手強そうだけど、まぁせいぜい頑張れば? もし駄目になったら、やけケーキバイキングくらいなら付き合ってやってもいいよ」
「……それって自分がケーキ食べたいだけでしょ」
ジト目で見ながらそう言うと、月島はいたずらっ子のように笑った。
「あ、バレた?」
「しかも月島、絶対一個でお腹いっぱいじゃん。バイキングの意味ないし」
「君が五個くらい食べればいいんじゃない?」
「無理だよ」
「じゃあ山口に食べさせよう」
月島はさらりとそんな事を言う。
月島と話していたら、さっきまでのささくれ立った気持ちが、少しだけマシになった気がする。誤解されがちだが、月島は結構イイヤツだったりする。
「お金もったいないから普通のケーキ屋さんでお願いします。……ほら、月島も自主練行きな。梟谷の人達と練習してるんでしょ?」
「成り行きで参加してるだけだけどね。……あ、向こうも終わったみたいだよ」
ほら。と、指さされた方を見ると、影山が怖い顔をしてこちらを見ていた。そして、一瞬その鋭い瞳が哀しげに揺らいだように見えた。その直後、くるりと踵を返し、影山が体育館から出ていってしまった。
「あ! ちょっと待って! ごめん、私行くね。じゃあ月島も頑張ってね」
ヒラヒラと手をふる月島を視界の端に捉えながら、私は影山の後を追った。
「影山! ちょっと待って!」
「……何だよ」
呼び止められ、一応足を止めてくれたが、相変わらず私から視線を外すようにそっぽ向いたままだ
……子供か。
「あのさ、話……しない?」
内心ため息を付きながらそう言うと、影山はチラリと私へ視線を向けた。
「ちゃんと話した方がいいと思うから」
「……話す事なんかねぇだろ」
そう言って影山は再びそっぽ向いてしまった。
カチン。なんなんだこの男は。人がせっかく歩み寄ってるのに。さすがの私もいい加減腹が立ってくる。
「……あのさぁ。何を怒ってんのか知らないけど、そんなんじゃ何も解決しないでしょうが! 曲がりなりにも彼氏と彼女なんだから! ちゃんと話し合って解決するの! ほら、来て!」
「お、おい!」
グイと腕を掴みながらそう言うと、影山はギョッとしたように目を見開きながら私の後へと続いた。
体育館外の階段に腰をかけ隣を指差すと、影山もそのまま隣に腰を下ろした。
「何か言いたいことあるよね?」
「……別に」
「じゃあどうして避けるの? 言ってくれなきゃ分からないよ。何?」
真っ直ぐに目を見ながら言うと、影山の目が気まずそうに動いた。
「…………なんで、月島なんだよ」
「月島? 何が」
いきなり出てきた単語に首を傾げる。
影山と月島は元々仲が良くない。まあ月島の性格は嫌というほど分かっているので、影山や日向みたいなタイプとは合わないだろうことは分かっていた。日向の方は軽口を叩かれても気にせず月島に話しかけているようだったが、影山と月島が話しているところは、ほとんど見たことがない。
その月島が一体どうしたというのだろう。
「月島と! ……飯、食ってただろ……」
は? 月島とご飯なんか食べるわけないじゃん。何言ってんだコイツ。
一瞬そんなこと思うが、昼間の一コマが頭に浮かんだ。
「……ああ、お昼の話?」
記憶を辿りながらそう問いかけると、影山はコクリと頷いた。
「えーっと……ちょうどタイミングが合ったから……? それに、月島だけじゃなくて山口も居たけど」
「そうっ……だけど……っ! さっきだって……!」
そう言い淀んで、もどかしそうに頭を掻く。サラサラの黒髪が揺れている。
結局、言いかけたまま、黙り込んでしまった。
……困った。この男が何を考えているのかサッパリ分からない。
とりあえず、月島とお昼にごはんを食べていたのがご立腹の原因らしいことだけは分かった。でもだからって何故腹を立てているのか、肝心の理由が分からない。
あ、ひょっとして……ヤキモチとか……?
いやいやいや、ナイナイナイ。一応付き合ってはいるが、成り行きのようなものだし、ヤキモチなんか妬かれるわけがない。
……なら一体何だろう。
表情から何か読み取れないかと探ってみるも、眉間に深く皺を刻み、口をへの字に曲げ、まるで叱られた子供のような顔をしているというのが分かるだけだ。
うーん。分からない。どうしたものか。
「……あのさ、影山。ちゃんと言ってくれないかな。でなきゃ分かんないよ。私達、付き合ってるんだよね? それとも、そう思ってるのは私だけだった?」
「違う!」
「なら、ちゃんと話そうよ。……私は、影山が考えてること、もっと知りたいよ」
真っ直ぐ見つめながらそう言うが、影山はどうしたらいいか分からないといったような顔をして俯いてしまった。
「……オッケー、分かった。じゃあさ、私も話すから。それならいいでしょ?」
「話すって……何をだよ」
「んー……、今、私が何を考えてるかとか……何を知りたいか、とか。聞いたら影山も、思ってること、教えてくれる?」
問いかけに、影山が小さく頷いた。
「オッケー、じゃあ私からね」
とは言ったものの、何を話そう。
今、この時点で、気になってること。そう考えた時に思い当たるのは、一つだけだ。
「……か、影山は、私と付き合うの、嫌じゃなかったの?」
「どういう意味だ?」
「ほら、他に好きな子とか居なかったのかなって。あの時、断るような雰囲気じゃなかったから、言えなかったのかなって。だから、影山がもし他に気になる子とかいるんだったら、付き合うとかは無かったことに――」
「居ねえよ。……居たら付き合うわけねーだろ」
私の言葉を遮って、影山が言う。あの日、帰り道にバレーのことを話した時と同じ顔だ。
やっぱり影山は綺麗だ。
「……じゃあ、怪我したのが……仁花だったら……どうしてた? 付き……合ってた?」
「付き合わねーよ」
「どうして?」
「…………分かんねーけど……付き合わねえ」
そう小さな声で言ったきり、影山は黙り込んでしまった。
「そっか。……ちょっと気になってたんだ。……はい、じゃあ影山の番」
影山はしばらく黙ったままだったが、少ししてからようやく口を開いた。
「……お前は、つ……月島が…………好き……なんじゃねーのか」
「は? 月島? いいえ。なんでそう思うの?」
「……仲、いいだろ。さっきも……話してたし……」
『さっき』というのはきっと、先程の体育館でのことだろう。でも別に特別な話をしていたわけではないし、あの程度の話なら山口とだってするけど……。
「そりゃ……チームメイトだし。ああ、あと私達中学も一緒だし」
「!? ……そうなのかよ」
「あれ、知らなかった? だから山口も一緒」
「……そうか」
そう言って、影山は少しホッとしたように息を吐き出した。
ふと、先程の思い付きが再び顔を出した。先程はあり得ないとすぐ打ち消してしまったが、もしかしたら、ひょっとして……。
「あの……ひょっとして、ヤキモチ……だったりする……?」
「ちっ……! 違う!」
「だ、だよね! ごめん、忘れて」
あー、失敗した。いらんこと言って恥をかいてしまった。言わなければよかった。自意識過剰にも程がある。
「お前が! もし……月島を好きなんだったら……俺と付き合うわけに……いかねーだろ……」
段々と語尾が小さくなってゆく。言いづらそうに口を尖らせながら、影山は顔を赤らめた。影山と話すようになってから色んな顔を見たが、こんな顔を見るのは初めてだ。正直言って、すごく可愛い。自分よりも遥かにデカイ男をこんな風に思うなんて不思議だが、影山のことがものすごく可愛く見えた。
……なんだか自分の顔まで熱くなってくる。
「……そ、そっか。でも違うよ。月島のことは何とも思ってない……です」
「……そうか」
影山は納得したように呟くと、小さく息を吐き出した。その表情は心なしかスッキリしている。……機嫌は直ったんだろうか。
「えっと……じゃあさ、明日から……ご飯、食べない? 一緒に……」
「……二人でか?」
「……影山が、嫌じゃなかったら」
「嫌なわけねーだろ」
そう言って、影山は少しむず痒そうに口をウニウニと動かした。今度は嬉しそうだ。
なんだ。慣れてくると、影山はものすごく分かりやすい。
この人がどういうつもりで私と付き合うことを承諾したのかは分からない。
私のことを好きなのかも、今のところは分からない。これから好きになってくれるのか、それすら分からない。聞くのも、今はまだ少し怖い。
それでも、月島にヤキモチを妬いたり、こうして食事に誘えば嬉しそうな顔をしてくれる。それだけで今は十分なのかもしれない。
「じゃあ、この後はいつものトス練習するんでしょ?」
「おう。……ボール――」
「もちろん出すよ。当然でしょ」
真剣な顔をしてボールと向き合う綺麗な顔を眺める。
この人にとって、バレーが一番。それはきっと一生変わらないだろう。だからいつかバレーの次くらい、二番目くらいになれたらいいな、と思う。
そう言ったらこの人は言うのだろうか。
「なれたらいいな、じゃなくて、なればいいだけだ」と。
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