(8話)
放課後になり、バレー部が活動している第二体育館へと足を運ぶ。ここに来るのは二回目だ。
練習を見学することについては、飛雄が先輩方と話をつけてくれる手筈になっている。……はずだった。
待てど暮らせど飛雄は体育館から出てこない。扉は閉まっている。なんで出てこないんだろう。ひょっとして忘れているのだろうか。体育館の中からは人の居る気配はする。ほんの少し開けてみればいいだけなのだが、そのほんの少しの勇気が出なかった。
「もー……なんで居ないのー……」
連絡しようにもあの男が部活中に携帯を見るわけがない。打つ手なしだ。思わず口から深いため息が漏れる。
「あれ? ねえツッキー、あれミョウジさんじゃない?」
入口の辺りをウロウロと歩いていると、クラスメイトの山口君と月島君がこちらに向かって歩いてくるところだった。山口君がひらひらと手を振ってくれている。一方月島君は怪訝そうな顔で眉を寄せていた。
月島君と山口君は、私の前まで来て歩みを止めた。
ジロジロと上から見つめてくる月島君の視線を半分ほど手で遮ると、ますます不機嫌そうに月島君の眉が歪んだ。
「何してるの。何か用なわけ?」
「えっと……」
一瞬、月島君に頼んで飛雄を呼んでもらう案が頭をよぎるが、仲の悪そうな月島君に飛雄との仲立ちを頼むのも悪い気がした。
それならいっそのこと月島君の方から直接先輩へ練習の見学をさせてもらえるよう頼んでもらう……いや、この人がそんな面倒なことしてくれるわけがない。
脳内会議の結果、私はそっと月島君から視線を外した。
「……別に何でもないです」
「あっそう」
吐き捨てるように言って、月島君は私のすぐ脇を通り抜けて体育館へと入っていった。
やっぱり彼は苦手だ。
そんな苦々しい気持ちで月島君の背中を見送ると、ふと視線を感じた。見ると、残された山口君が困ったような顔でこちらを見つめている。
「えっと……ひょっとして影山に用だったりする? 俺、呼んでこようか?」
相変わらず穏やかな口調で、控えめに提案される。藁をも掴む思いで、私はそれに飛びついた。
「い、いいの!? 助かる! ごめんね、部活の前なのに!」
「全然。ちょっと待っててね」
そう言って山口君も体育館へと入って行った。
ああ。なんて良い人なんだろう。月島君と一緒に居るからあまり話したことは無かったが、過去に数回話した時はいつだって彼は穏やかで優しかった。先ほどまで感じていた心細い気持ちが、今はすっかり和らいでいる気がする。
ありがとう、山口君。明日から山口君にはちゃんと心を込めて挨拶をします。そう心に誓いながら彼への感謝を噛み締めていると、しばらくして飛雄が体育館から出てきた。
「悪い、忘れてた」
ケロリとした顔で言われ、こめかみがビキッと音を立てた。分かってはいた。分かってはいたが腹が立つ。
「そんなことだろうと思った。……このトリ頭!」
「あんだと!」
「飛雄はいっつもそう! 私との約束すぐ忘れちゃうんだから!」
「んなことねーだろ!」
「そんなことあるよ! 中学の時だって貸した教科書全然返ってこなーー」
「何してんだ?」
振り返ると、灰色の髪の先輩らしき人が穏やかそうな笑顔で佇んでいた。
「スガさん、チワッス」
「よぉ、影山。どうかした?」
「こいつが練習見学したいらしいんスけど、いいっすか?」
飛雄が私を指差しながら言うと、スガさんと呼ばれた先輩もチラリと私を見た。私は慌てて頭を下げた。
「おー、マジ!? いいよいいよー。ちょっと入って待ってな、今清水呼んでくっから」
ニッと笑いながらそう言うと、先輩は一足先に体育館へと入っていった。
「……良い人。ねえ、バレー部って良い人ばっかりなの? なんか感動しちゃった……」
「あ? 何言ってんだ。ほら、ボケっとしてんな。行くぞ」
初めて足を踏み入れたはずなのに、なぜか懐かしさを感じる。それもそのはず。ピンと張ったネットや、カラフルなボール、スコアボード。毎日見ていたものばかりだ。懐かしくもあり、寂しくもある。
ボールの弾む音を聞きながら、ぼんやりと体育館全体を眺めていると、先ほどのスガさんという先輩に連れられて、スラッとした黒髪美人が現れた。あまりの美しさに、思わず見惚れてしまったほどだ。
「あなたが見学希望?」
「は、はい。一年四組のミョウジナマエです。よろしくお願いします」
慌てて頭を下げると、美人の先輩は抑揚のない声で「マネージャーの清水潔子です。よろしく」と言った。
「四組ってことは月島達と同じクラスか。俺は三年四組の菅原ね。じゃあ、分かんないことあったら清水に聞いてな」
そう言い残し、菅原先輩と飛雄はコートへと向かった。いきなり二人きりになってしまい、チラリと清水と呼ばれた美女を見上げる。
「見学は上から? それとも下で見る?」
美しさと相まって、淡々とした口調からは若干の冷たさを感じた。やはり迷惑だったのだろうか。男目当てで見学したがっていると思われているのかもしれない。……いや、西谷さん目当てなのだから、男目当てといえばそうなんだけど……。
なんとなく感じた場違い感に、調子に乗って見学したいなどと申し出た自分を、少しだけ後悔した。憧れの選手が同じ高校に居ただけで、浮かれすぎていたのかもしれない。
「あ……どちらでもいいです。でも上の方が邪魔にならなそうなので、上から……」
その答えに、清水先輩は少し考え込むように沈黙した。
「……ジャージ持ってる? それかハーフパンツ」
問いかけに首を傾げた。
見学であろうとも、体育館に居る以上はジャージに着替えろということだろうか。意外と厳しい。さすが、マネージャーであっても体育会系なんだな。
「えっと……私も着替えた方がいいですか?」
「上から見るなら梯子使うから。着替えるかスカートの下にジャージを履いた方がいいかも。持ってないなら私の予備のを貸すけど」
言われて、ようやく清水先輩の意図したことを理解した。
「あ、今持ってます。体育あったので。い、今、履きます」
あわあわしながらジャージを取り出すと、清水先輩は少し驚いたような顔をしてから、小さく笑った。
「慌てなくていいよ。まだ練習始まらないから。着替えたら、一番端の扉を開けておくからそこから入ってきてね」
クスクスと笑いながら言われ、私もつられて笑顔になる。先ほどまでは恐い先輩なのかと思っていたが、どうやら思い違いのようだ。先ほどの菅原先輩同様、やっぱりバレー部は良い人ばかりなんだ。
ジャージに着替え体育館へと戻ると、ちょうど練習が始まるのか部員らしき人達が一箇所に集まっていた。
「ミョウジさん、こっち」
清水先輩に呼ばれ、二階へ上がる梯子へと向かう。なるほど。この梯子を使って上に上がるなら、下にジャージ等を履かなければ下着が丸見えになってしまうだろう。
「ここから自由に見てね。帰るときはいつでもいいから、さっきの梯子から降りて来て。途中で帰り辛かったら、何度か休憩もあるから」
「ありがとうございます」
コートへと視線を向けると、すぐにお目当ての彼を見つけた。
中学時代に見た時と変わらない、いやむしろ当時よりも遥かに洗練された動きに、思わずため息をつく。
わぁ……、本当に西谷さんだ。
西谷夕さん。ベストリベロ賞を獲った中学最後の大会を今でも覚えている。初めて彼のプレーを見て、一瞬で心を奪われた。どんなサーブでも拾い、そのボールは綺麗にセッターへと返っていく。彼が居れば大丈夫。きっとチームメイト全員がそう思っている。まさに守護神だと思った。
あんなふうになれたら。そう思い、必死に練習した。……でも、なれなかった。自分は彼らと違う。そう認識するのに、しばらくかかった。自分が凡人にすぎないのだと認めるのには、勇気が必要だった。認めたくなかった。
その人の努力を、才能の一言で片付けるのはよくないことだと分かっている。それでも、努力の差というだけでは足りない何かが、確実にそこにはあった。
どんなに足掻いても届かない。目の前の高い壁に何度絶望したことだろう。その時の気持ちを少しだけ思い出した。
でも、もうそんなこと考えなくていい。だって私は、もう同じ土俵からは降りたんだから。自分にできないことを難なくやってのける彼らを見て、焦りや苛立ちを感じる必要もない。
バレーはできなくなってしまったけれど、そういった煩わしさからは解放されたんだ。これからは、ただの一観客としてバレーを楽しめばいい。そう思うと少しだけ気が楽になった。
ふう、とため息を一つ吐くと、コートへと視線を戻す。
見ると、青葉城西との練習試合の時と比べて、西谷さんとは別にもう一人メンバーが増えていた。
髭の生えた少し厳つい感じのその人は、怖いくらいの殺気を放ちながら、ブロックを物ともせずにバンバン点を獲得している。『エース』という名がピッタリのスパイカーだ。三枚ブロックとも勝負できるエーススパイカーがいたのなら、何故先日の試合に出ていなかったんだろう。
私たちと同い年には見えない。ということは先輩だ。西谷さん同様、部活禁止だったのだろうか。
あ、ひょっとしたらOBの人なのかも。どう見ても高校生には見えないし、OBなら当然試合にも出ない。そう考えると辻褄が合う。
そんなことを考えながら全体を見渡すと、月島君がこちらを見ているのが見えた。少しの間目が合って、月島君はすぐに目を逸らした。
なんだったのだろう。
青城での練習試合の後、月島君とは特に会話をする機会もなく、今日まで来てしまった。自分がバレー部を避けていたというのも大きいが、元々あまりウマの合わない彼と話すこと自体がまず無い。さっきだって一言二言話しただけで険悪な雰囲気になってしまった。
それに、青城との練習試合の後、調子に乗って知ったような口をきいてしまった。案の定、月島君は気分を害したようだったし、それについてはいつか謝りたいとは思っている。思ってはいるが、おそらくそんな機会は訪れないだろう。
きっと、月島君と私は、卒業までロクに話すことなく過ごすのだと思う。私はそれでいいと思っているし、きっと月島君本人もそれを望んでいるだろう。それがお互いのため。どうしても性格が合わない人間は居るものだ。
その後、月島君とは一度も目が合うことはなかった。
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