(7話)
青葉城西との練習試合が終わった後、私は意識してバレー部を避けていた。同じクラスの月島君達の会話は、出来るだけ耳に入らないようにしたし、隣のクラスの飛雄とも出来るだけ顔を合わせないようにした。
試合を見ていて楽しかったとはいえ、まだゆっくり色々と考えたかった。そのためには時間が必要だと思ったからだ。所謂、冷却期間というやつだ。
そうして一週間ほど経った。
昼休みに自販機のある中庭へ向かうと、一人パス練習をしているオレンジ頭を見かけた。ボールが思うように飛ばないらしく、時々転がっていくボールを慌てて追いかけている。
相変わらず下手くそだ。それでもああやって一生懸命練習するのは、きっとバレーが好きだからだ。
その気持ちなら、痛いほど分かる。
足を止めて眺めていると、日向君の放ったボールが、こちらへと放物線を描いて飛んで来た。
「わっ!」
咄嗟にレシーブで返すと、日向君は驚いたように目を見開いた。
「あ! ナマエだろ! 影山の友達!」
「うん。日向君はここで一人で練習?」
「おう! 時間もったいないだろ!? スパイクはトス上げてくれる奴がいないと打てないけど、パス練なら一人でも出来るから!」
キラキラした太陽のような笑顔を向けられ、そのまばゆさに目が眩む。
「なあ! ナマエもバレー出来んの!? 今スッゲーきれいにボール返って来た!!!」
「うん。今はやってないけど、中学まではやってたよ」
「マジで!? じゃあさ、ちょっとだけ付き合って!」
「えっ……」
キラッキラの瞳で、彼はそう言った。こんな顔を向けられてしまっては断れない。苦笑いを浮かべながら頷くと、仕方なく日向君から距離を取った。
放物線を描いてボールがこちらへ飛んでくる。こうしてボールに触れるのは何ヶ月ぶりだろう。もう一年近くバレーから離れていたというのに、身体がごく自然と動く。『身体が覚えている』というのは、こういうことなのだろうか。
「ねえ、日向君は――」
「日向でいいよ。日向君とか呼ばれると、なんかくすぐったい」
「分かった。日向は、レシーブ嫌い?」
日向へボールを送りながら、先日月島君に問いかけたものと同じものを投げかける。
「んー……嫌いじゃないけど、苦手。全然思った方に飛んでくんねーの。あ、でも、ノヤさんみたいなレシーブできるようになりたいから練習してんだ!」
「のやさん?」
「そう! 二年の先輩で、うちのリベロで、守護神!」
突然聞こえてきた『リベロ』という単語に、思わず首を傾げる。青城との練習試合の時はリベロは居なかったはずだ。
「待って。烏野ってリベロ居たの? この前の練習試合は居なかったよね」
「あ! やっぱりこの間上で見てたのナマエだったんだ! 青城の制服着てたよな! なんで!?」
「制服は及川先輩……青城の先輩に借りたの。ほら、部外者は校内に入れないから」
「だ、大王様に!?」
「大王……様?」
会話がどんどん逸れていく。「おほん」と大きく咳払いをして、とりあえず聞きたいことへと話を戻すことにした。
「ねぇ、そんなことより、リベロって? 烏野に居たならなんでこの間の練習試合、出てなかったの?」
「なんか部活禁止だったんだって。でももう復活したから、大丈ーー」
「何してんだお前ら」
不意に声をかけられ、私達は揃って手を止める。すぐ隣で飛雄が怪訝そうな顔をして私達を見つめていた。
ボールがトーントーンと音を立てて地面に落ちる。
「何って……見れば分かるでしょ? 日向とバレーしながらお話してたの」
それを聞いて、飛雄の眉間にグッとシワが寄った。
「平気なのかよ」
「このくらい大丈夫だよ。先生が、体育くらいならもうしていいですよって」
「でも無理しねぇ方がいいだろ」
「心配しすぎだよ」
「平気って何が?」
訳が分からないといった顔をして、今度は日向が私と飛雄を交互に見つめていた。
「なんでもないよ。ゴメンね、日向。練習の邪魔しちゃったね」
転がったボールを拾い、日向へと手渡す。そして飛雄の背中をポンポンと叩いた。
「はい、選手交代ね。私は見てるから」
顎をクイクイっと動かして促すと、飛雄は眉間にシワを寄せて、日向から距離をとった。私も邪魔にならないように少し離れたところへと移動する。
「日向、腕振っちゃダメだよ。ボールの下に入るんだよ。腰落として。そうそう、膝使ってね」
「こう?」
「そうそう。上手」
日向のレシーブが、綺麗に飛雄へと返る。
「おお! 今の!」
日向が嬉しそうにこちらを見る。
「うん。今の上手だったね」
まるで子犬のように嬉しそうに笑う日向が可愛い。
「おい、そろそろ休み時間終わりだろ。いくぞ」
「おう! なぁナマエ! またレシーブ練習付き合って!」
先ほどのキラキラした顔で言われ、思わずうっと言葉に詰まる。これっきりのつもりが、まさかの日課になってしまうんじゃないだろうか。うすうす気が付いてはいたが、日向も飛雄に負けないくらいのバレー馬鹿だ。
コイツは危険だ。
「おい、こいつはバレー部じゃねぇだろ」
「だってナマエレシーブ上手いし、教え方だって上手いじゃん! なぁ、暇な時だけでいいから!」
お願い! 両手を顔の前で合わせて一生懸命頼み込む日向の姿が、かつての自分と重なって見えた。
中学時代、北川第一の女子バレー部はあまり強くなく、残って自主練をする者はほとんど居なかった。それでも、私はもっと上手くなりたかった。そのためには部活の練習時間だけでは到底足りない。自主練が必要だった。
そこで、当時三年で主将だった及川先輩やはじめ君に、男子バレー部の自主練に混ぜてもらうため、無理を承知で頼み込んだことがあったのだ。
困ったように笑う及川先輩の顔が今でも目に焼き付いている。及川先輩もこんな気持ちだったのだろうか。とてもじゃないが、無下にはできそうになかった。
「……わかった。時々だったらいいよ」
根負けして頷くと、日向の顔がパァっと明るくなる。
「やった!」
「時々だよ!? 時々!」
「うん、わかった! ありがとなっ!」
ピョンピョン跳ねながらそう言うと、次の授業が体育だと言って、日向は慌ててかけていった。
「分かってんのかな……」
残された飛雄と二人になって、チラリと様子を覗き見る。飛雄は怖い顔をして私を睨んでいた。
「えっ、なんで怒ってんの?」
「簡単に引き受けるなよ」
「だってあんなキラキラ笑顔で頼まれたら断れないよ。私も中学の時に及川先輩達に無理言って助けてもらったからさ。その恩を違うところで返そうかなって思っただけ」
飛雄はまだ何か言いたげに私のことを見つめていた。とりあえず何も言わずに続きを待つ。
「……辛くねーのかよ」
「何が?」
「人がバレーやってんの見るの。……自分はできねーんだろ」
思ってもみない言葉が降ってきて、思わず目を見開いた。
私の知っている飛雄は、傍若無人で無神経で、24時間365日バレーのことしか考えてなくて、人の気持ちを推し量ろうとしたことなんてなかった。それが原因でかつてのチームメイトとの間に溝が出来た事もあるくらいだ。
そんな不器用な男が、私の心情を慮っている。信じられない。中学を卒業してから今までの間に一体何があったんだろう。
まじまじと見つめていると、飛雄はたじろいだように一歩後ずさる。
「な、なんだよ」
「いや、飛雄がいつのまにか大人になっちゃったなぁって思って……」
「……なんだそれ」
照れたような、拗ねたような、そんな表情をして、飛雄は私から目をそらす。
「この間の練習試合見てる時は楽しかったよ。ワクワクした。……この先はどうだろうね。辛くなるのかな。まぁでも、辛くなったら辛くなった時に考えるよ」
笑いながらそう言うと、飛雄は複雑そうな表情で眉を寄せた。
「あ、そうだ。ねえ、烏野ってリベロ居たの? さっき日向が言ってたんだけど」
「ああ、西谷さんっていう二年の先輩でーー」
「ちょ、ちょっと待って! ……誰さん?」
聞こえた名前に驚いて、思わず飛雄の言葉を遮って問い詰める。当然飛雄は怪訝そうな顔を私に向けた。
「は?」
「名前! リベロの人の!」
「西谷さん」
「西谷さんって……、西谷夕さん!? 千鳥山中の!?」
グイと胸ぐらを掴みながら言うと、飛雄は驚いたように目を見開いた。
「な、なんで知ってんだよ」
「中学の時ベストリベロ獲った人でしょ!? 私がずっとずっとファンだった西谷さんじゃん!!!」
ガクガクと揺さぶりながら言うが、飛雄はまだぽかんとした顔をしている。
「何で覚えてないの!? 何回も言ったじゃん!! 試合一緒に観たこともあるじゃん!!」
「んなもん覚えてるわけねーだろ。ほら、予鈴鳴ってるから行くぞ」
「まっ、待って!!!」
その場を離れようとする飛雄の腕を咄嗟に掴み、私は慌てて飛雄を引き止めた。
「何だよ」
「けっ……」
「け?」
「見学させて! 先輩に頼んで!」
「はぁ? なんで俺が……」
嫌そうに形の良い眉を歪めながら言われるが、私だって負けるわけにはいかない。ずっと憧れていた選手が同じ高校にいたのだ。ゆっくり考えたいとか、しばらく時間を置こうと思っていたことなど一瞬でどうでもよくなった。とりあえず練習風景が見たい。絶対に見たい。いや、絶対に見る。
それを頼めそうなバレー部の知り合いが他に居ない以上、飛雄に働いてもらうしかない。
「いいでしょ、お願い! 大人しくするから! 絶対に邪魔しないから!」
「わ、分かった」
食い気味に詰め寄ると、飛雄はようやく首を縦に振った。
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