- ナノ -


(3話)



 ゴールデンウィークと呼ばれる連休へと突入すると、部活をやっていないナマエなどはいよいよやることが無かった。


 同窓会の誘いは断ることにした。やはりあの男に会うのがどうしても怖かった。掴まれた腕の痛みも、殴られた頬の痛みも、まだ覚えている。思い出すだけで身がすくむ思いがする。
 会う必要が無いのに、わざわざ怖い思いをすることもないだろう。

 一応進路が決まっているとはいえ、勉強をしなくていいわけではない。むしろ、推薦で入学するためには、成績は上位をキープしていなければならない。部活に入っていないナマエにとっては尚更だ。

 先程から仕方なく机に向かっているが、一向にやる気は湧いてこない。

 椅子から立ち上がり、ボスっとベッドへと倒れこむと、鳴りもしない携帯を見つめた。告白してからというもの、なんとなく東峰に連絡を取れずにいる。

「旭に会いたいなぁ……」

 誰もいない部屋にナマエの声が響く。耳から入ってくる自分の声に、ナマエはハッと息を飲んだ。
 完全に無意識だった。たかが四日会えないだけでやばくないか、自分。どこか冷静な頭で自分に問いかける。

 連休最終日の今日は、バレー部は烏野総合体育館で練習試合があるのだと言っていた。告白する前なら、きっと堂々と観に行けただろう。でも今は無理だ。
 やはり告白したことが悔やまれる。
 バレーのことは全く分からないが、東峰の姿が見れるなら何でもいい。会いたい。東峰に会いたい。

 ナマエは大きくため息をついた。

 告白の返事はまだ聞いていない。聞かないように逃げていたから。
 ……でも、答えは聞かなくても分かっている。

 言いにくいことを切り出そうとしている時の東峰の顔はすぐに分かる。優しい東峰は、目の前の人間を傷つけまいとしていつだって気を回している。
 きっと、出来るだけ傷つけずに伝えようとしてくれているのだろう。だから切り出される前に逃げてきた。そういう話ができないように、逃げ続けた。

 でも、それもそろそろ限界だ。
 きっと休み明けにでもすぐに答えを告げられるだろう。気が重い。聞きたくない。

「ダメだぁー!」

 ガバッとベッドから起き上がると、ナマエは着ている服を次々と脱ぎ捨てた。
 家にこもっているからいけないんだ。外に出よう。別に用はないが、街に出て店を見るだけでもきっと気分転換になるはず。とくに欲しいものもなければ買いたいものもないけれど、家にいるよりはきっとマシだ。

 自分に言い聞かせるようにして、ナマエは部屋を飛び出した。




***



 いざ出掛けてみたはいいが、何を見てもやはり気が乗らない。洋服、アクセサリー、ケーキ、どれを見てもピンと来ない。これでは家でゴロゴロしていたときと同じだ。
 ナマエは仕方なしに本屋へと向かった。本屋ならば何かしら興味の湧くものが見つかるだろう。

 新刊コーナーを眺めながら、雑誌のコーナーへと差し掛かったところでふと足を止めた。


『月刊バリボー』

 東峰達がよく読んでいる雑誌だ。ナマエは思わず手に取り、パラパラとめくってみる。数ページ読んでみて、パタンと閉じる。

 ダメだ。全然わからない。

 そもそもバレーボールのルールすら曖昧なナマエにとって、バレー専門誌など、何が書いてあるのかも、何が面白いのかもさっぱりだ。もっとこう……『バレーボール入門』とか読んだ方がいいんだろうな。読む気もないくせにそんなことを考えてしまい、ナマエは小さく笑った。

 結局、振られることを覚悟した今でも、自分の頭の中は東峰のことでいっぱいだ。興味のないバレーだって、東峰が好きなものだと思えば不思議と興味が湧いてくる。

 好きだ。東峰旭が好きだ。

 ふぅ、とため息を一つ吐き、もう一度雑誌を手に取る。パラパラとめくると、県内の高校が特集されていた。

『白鳥沢学園』

 県内でも有名な強豪校だ。さすがのナマエでも、ニュースなどで何度か名前を聞いたことがある。

 雑誌に載るなんてすごいなぁ。そんなことを思いながら、ナマエは雑誌をぼんやりと眺める。

 特集の最初のページには主将らしき人物が写真付きで載っている。凛々しい眉をした、真面目そうな感じの選手だ。

 ……でも旭の方がカッコいい。

 そんなことを思いながら雑誌を閉じる。

 だめだ。何をしたって考えることは東峰のことばかりだ。きっと、この先もずっと自分はこうやって東峰の事ばかりを考えて、結婚だって出来なくて、そうやって処女のまま死んでいくんだ。

 ため息を吐きながら棚に雑誌を戻す。


「……ナマエ?」

 声をかけられ顔を上げると、東峰が立っていた。

 ナマエは数回瞬きをすると、両目を手で押さえる。とうとう自分の精神状態がヤバイ域に達してしまったのだろうか。きっと会いたさが募って幻覚を見ているんだ。そうに違いない。ナマエはグイグイと目をこすった。

 そっと目を開けると、東峰はより一層心配そうな顔をしてナマエを見つめていた。バレー部の黒いジャージがよく似合う。カッコいい。

「だ、大丈夫か? 目にゴミでも入った?」

 あ、喋ってる。本物だ。

「……旭、なんでいるの?」

 ぼーっとしたまま問いかけると、東峰は困ったような顔で答えた。

「えっ……と……、今日練習試合だったんだけど、試合終わって大地達と飯食おうかって話になって、その前にスガが参考書買いたいって言うから……」
「……そうなんだ」
「ナマエは買い物?」
「うん。ちょっと気分転換に」
「気分転換? 勉強でもしてたのか?」

 まさか東峰のことを考えすぎて頭がおかしくなりそうだったなどとは口が裂けても言えない。

「……まぁね。あ、試合どうだった?」
「あー……。結局三試合やったんだけど、完敗だったよ。でも、自分たちに足りないものも見えてきたし、結果としては良かったと思う」

 誇らしげに話す東峰の顔には、以前のような迷いはなかった。

 やっぱり旭はカッコいい。

「おまたせ、旭。……あれ、ミョウジ? 何してんの?」

 参考書を買ってきたであろう菅原と澤村がやってくる。

「珍しいな、ミョウジがスポーツ雑誌読むなんて」
「いつも旭達が読んでるから。でも何書いてあんのか全然分かんなかった」

 ははは、と笑いながらそう言うと、澤村達も笑った。

「なあなあ! 俺たちこれから飯食い行くんだけど、暇ならミョウジも一緒に行かね?」
「えっ、私も?」

 菅原が言いながら、「いいよな!?」と澤村達に確認している。

「ああ、もちろん。旭は?」

 東峰はなんて答えるのだろう。恐る恐る見上げると、東峰はいつもの穏やかな表情を浮かべて言った。

「ナマエが良いなら」




 ファミレスに着くと、ガラの悪そうな連中が店の外でたむろしているのが見えた。関わりたくない。あの一件以来、ああいった輩は苦手だ。心なしか見覚えがあるような気すらしてくる。

 先に澤村と菅原が並んで奥の席へ座る。ナマエは東峰の隣に座った。

「あれ? 澤村じゃん」

 聞き覚えのある声に、ナマエの心臓がドクンと音を立てた。恐る恐る顔を上げる。この世で一番会いたく無い人間がそこには立っていた。先程店の外にいた奴らはコイツの連れだったらしい。どうりで見覚えがあるはずだ。コイツに会わないために同窓会をパスしたのに、なんでこんなところで会わなければいけないんだろう。

 ああ、嫌だ。会いたくない。顔も見たくない。同じ空間にいるのが怖い。

 血の気が引くというのはこういう感じなのだろうか。頭の先から段々と冷えていくような感覚に、ナマエの歯がカチカチと音を立てた。

「ナマエ? どうした?」

 東峰が小さな声で話しかける。その声を受けて、男がナマエを見た。
 目が合う前にサッと視線を逸らす。

「ナマエ? なんだお前ナマエかよ。そっか、お前ら二人とも烏野だったもんな」

 反応の無いナマエに、男は怪訝そうな顔をしてナマエの顔を覗き込むと、可笑しそうに笑った。

「おい、聞いてんのかよ」

 そう言いながら男はナマエの手首をグッと掴んだ。

「いっ……」

 強く握られ、思わず痛みに顔をしかめる。

「おい! 何してるんだ! やめろ!」

 澤村が見兼ねて声をかけるが、男は無視して不機嫌そうにナマエを睨んだ。

「なあ、お前なんで同窓会来なかったんだよ。俺ラインしただろ?」
「は、話すことなんて……今更無いでしょ?」
「勝手に決めんなよ。ちょうど良いから少し話そうぜ。ちょっと来いよ」
「や、やだ! ……ちょっと!」

 引きずるようにナマエを席から立たせると、男は更に握った手に力を込めた。

「痛っ……やめてよ! 本当に痛いんだってば!」

 痛みにギュッと目を瞑ると、突然痛みから解放されて目の前に大きな影ができた。


「離せ。コイツに触るな」


 そっと目を開けると、男との間に立ちふさがる様にして東峰が立っていた。
 いつもの穏やかな彼とは似ても似つかぬ鋭い声に、ナマエも息を飲む。

「あ……あさひ……」
「何、お前。ナマエ、こいつが今カレかよ?」
「ち……ちがーー」
「だったら何だ」

 東峰の言葉に、ナマエは顔を上げる。

「お、おい、旭……。ちょっと落ち着けよ。な?」

 菅原が焦った様に東峰に声をかけると、一緒にいた友人らしき男達が慌てた様子で男に耳打ちした。

「コウちゃん、やべーって。コイツ烏野のアズマネだよ」
「あぁ? だから何だよ!」
「ほら、いいから行くぞ!」

 男はなおも東峰を睨んでいたが、友人達が引きずる様にして男を店外に連れ出した。


 男達が店の外に出たのを確認すると、ナマエはヘナヘナと座り込んでしまった。情けないことに膝がガクガク震えている。

「だ、大丈夫か?」

 東峰はナマエを支えて立たせると、席に座らせてくれた。
 先ほどと違い、いつもの穏やかな東峰の声に、ナマエは安心したように胸をなでおろした。

「ありがとう……」
「腕、大丈夫か? 赤くなってるから冷やしといた方がいいかもな。俺冷たいおしぼりもらってくるよ」

 そう言って菅原が席を立つ。


「全く、相変わらずだな」

 ため息混じりにそう呟くと、澤村はウンザリといった顔で天井を仰いだ。

「ホント……困っちゃうよね……。ゴメンね、変なことに巻き込んじゃって……」

 ははは、と乾いた笑いが口から漏れる。チラリと隣の東峰を盗み見ると、眉間にシワを寄せた怖い顔で黙り込んでいた。

「……旭……?」

 小さな声で呼びかけると、東峰はハッとしたように視線を向けた。

「あ……悪い。なんでもない」

 そう言ったきり、東峰は黙り込んでしまった。


 戻ってきた菅原からおしぼりを受け取ると、掴まれた部分にそっと当てる。ジンジンとした痛みが、ほんの少しだけ和らいだ様な気がした。


「えーっと……、さっきのは……元カレかなんか?」

 菅原の問いかけに、ナマエは小さく頷いた。

「中学の時、少し付き合ってたの」
「なんであんなのと付き合ってたんだよー」

 菅原が口を尖らせながら問いかける。

「友達の彼氏に紹介されて……。中学の時はもう少し普通だったんだけどな……」
「まぁ、ちょっとヤンチャってくらいだったな」
「うん。そんな感じ」
「友達の彼氏の友達かぁー……。そういうのって断りづらいよな」

 菅原はため息混じりにそう言った。


「だからってあんな……」

 見ると東峰が難しい顔で俯いていた。
 眉間に皺を寄せ、唇を噛み締めている。怒っているようにも見えた。

「……あんなのおかしいだろ」
「へ、平気だよ。旭が助けてくれたから。あれくらい何でもないよ。ほら、ご飯注文しよ。おなかすいちゃった」

 ね? と東峰を見上げると、ようやく東峰もいつもの表情に戻った。









 店を出て、帰宅の途に着くかという時、澤村が小さく咳払いをした。

「旭、コイツ送ってけよ」
「えっ……。でも大地同じ方向だろ?」

 戸惑った様に問いかける東峰に、澤村は続けた。

「俺は用があるんだよ」
「平気だよ。そんなに遅い時間でもないんだから。一人で帰れるよ」

 笑いながらそう言うと、今度は菅原が「ダメダメ!」と声を上げた。

「さっきのやつが待ち伏せしてたら大変だろ!? 旭に送ってもらえって! な、旭!!」

 菅原に言われ、東峰は困ったように頬を掻いた。

「えっと……俺でもいい? 頼りないかもしれないけど……」

 申し訳なさそうに言われ、ナマエはぶんぶんと首を振った。

「そんなことない! さっきだって……助けてくれた時……カッコよかったし……」

 言いながらなんとなく恥ずかしくなり、ナマエは自分の顔が熱くなるのを感じた。夜でよかった。赤い顔を隠さなくて済む。

「じゃあ、ちゃんと送ってけよ!」
「またな、旭! ミョウジ!」

 笑顔で見送る二人と別れ、ナマエは東峰と一緒に帰路についた。





 しばらくの間無言で歩いていると、東峰が口を開いた。

「腕、もう痛くないか?」

 言われて腕を見ると、赤みも引いており、痛みもほとんど感じなかった。

「うん、もう大丈夫」
「そっか。よかった」

 再び沈黙が訪れ、なんとなく気まずい雰囲気に包まれる。
 今度はナマエが口を開いた。

「……呆れてる?」
「呆れる?」
「あんな人と付き合ってて……」
「そんなことは……ないけど……。ほら、見た目で判断するのって良くないだろ? 俺もよく見た目でどうこう言われるからさ。きっと、ナマエには分かる良さがあったから……付き合ったんだろ……?」

 言われて考える。

「……良さ……。そうだね。最初は、いつでも自信満々なところが、良かったのかも。私には無かったから。……でも、付き合っていくうちに、そんな強引な所が怖くなったの。私の意思とは関係なく、どんどん先に進んでいくのが怖かった。だから別れたいって言ったら、殴られた」
「……は?」
「昔は大人しかったんだよね、私。今だったらちょっとくらい殴り返せてると思うんだけどさ。あの頃は怖くて……今でもちょっとトラウマかも」

 ははは、と笑いながら言うが、東峰は目を見開いたまま固まってしまった。

「あー……、な、殴るっていってもそんな強くじゃないよ? 跡だって別に残ってない――」
「そんなの当たり前だ!」

 強い口調で言われ、ナマエはビクリと肩を震わせた。

 あー、言うんじゃなかった。ベラベラと余計なことを話しすぎた。なんで話しちゃったんだろう。これじゃただの愚痴だ。こんな話を聞いて、気分が良いわけがない。

「……ごめん。誰かの悪口なんて聞いてて面白くないよね。ホント……ごめんなさい」

 小さな声で謝るが、東峰は無言のままだ。

 少しして、東峰がナマエの手を取った。ナマエの手が、東峰の大きな掌にすっぽりと収まる。

「……だからさっき震えてたんだな」
「はは……情けないけど、ちょっと怖かった。ゴメンね、ガッカリしたよね」
「ガッカリ? なんで?」

 東峰が不思議そうな顔でナマエを見つめる。

「旭は、私のこと強くてカッコいいって言ってくれたから。あの時は嬉しくないって言っちゃったけど、本当は嬉しかった。ずっと強くなりたいって思ってたから。
 私ね、小さい頃からすっごく怖がりだったの。夜中にトイレだって一人で行けなくて、いつもお母さんを起こしてた。でも、そんな自分がすごく嫌で、強くなりたいって思ってた。
 でも、本当に強いって、そういうのじゃないよね。私のは、ただの強がり。旭の方が、よっぽど強いよ……」

「俺は強くなんか……」
「旭は、強いよ。……部活に戻る時、本当は怖かったでしょ? 部活に戻るのも、戻りたいって言うのも。これから先に立ち向かわなきゃいけない壁だってあるのに。そういうのに立ち向かう覚悟を決められるのは、旭が強いからだよ」

 ナマエは東峰の大きな手をギュッと握り返した。

「本当はね、……旭に、付き合ってほしいって言ったことも、本当はすごく……後悔してて……。言わなければ……ずっと……友達でいられたのにって……。覚悟なんか、全然できてないの。ダメなの、私……」

 言いながら、ボロボロと涙が溢れてくる。

「旭の……そばにいたい。恋人になれなくてもいい……友達でもいいから、旭のそばに――」
「ちょ、ちょっと待って! なんで俺が断る前提になってるの?」

 焦ったような声でそう言われ、ナマエは顔を上げた。

「だって……断ろうとしてたでしょ?」
「いや……その……」

 困ったような顔でそう言うと、東峰は顔を伏せた。はぁ、と大きくため息をつくと、東峰は再び口を開いた。

「……最初は、断ろうと思った。ナマエは可愛いし、明るいし、男女関係なく人気もあるし……。それなのに俺は、くよくよしてばっかりで、部活だってようやく再開したばっかりだし……。情けない俺なんかじゃ釣り合わない。もっと、きっとナマエには相応しい相手がいる、って……そう思った。でも、なかなか言えなかった。言ったらナマエが俺の側から居なくなるって分かってたから、どうしても言えなかった」

 東峰の手が、ナマエの髪を撫でた。

「でもさっき、ああやって怖がって震えてるナマエを見てたら、俺がこの手で守りたいって思った。他の奴なんかじゃなくて……俺が」
「旭……」
「この先、ナマエが泣くことがないように、俺がこの手で守ってやる」

 東峰の優しい瞳が、ナマエを真っ直ぐに見つめた。

「……やっぱり旭は世界一カッコいい」
「そ、そんなこと……」
「その自信なさげな顔も好きだよ。あと、傷ついて泣きそうになってる顔も好き。あとは――」
「も、もういいよ。なんかそれ以上聞くとへこみそう……」

 大きな身体を小さく縮めながら、東峰は言う。

「えっと……なので、こんな俺でよかったら、付き合って欲しい……です」
「はい」

 そう言って、ぎゅっと東峰の身体を抱きしめると、東峰はぎこちないながらもそっとナマエの背中に手を回した。





***





「待って、じゃあなんで私のこと避けたの?」

 手を繋いで歩きながら東峰のことを見上げると、東峰はキョトンとした顔でナマエを見返した。

「避けた? いつの話?」
「教室で、あの一年の元気な子が来た時! 私が旭を呼んだら露骨に目を逸らしたじゃない!」
「一年って日向達のことか? あの時は……」

 言いかけて、東峰の顔が真っ赤に変わった。

「どうしたの?」
「いやっ……あの……あれはっ……」
「私、あれで振られるんだって思ったんだよ?」
「いや……その……」
「ちゃんと答えて!」
「……言わなきゃダメか?」
「だめ」

 はぁ、と東峰が大きなため息をついて項垂れる。

「……あの日、ナマエ髪上げてただろ?」
「髪? そうだったっけ? それがどうしたの?」
「…………ナマエの……うなじが……その……色っぽいなーって思ってたら、ナマエが急に振り返るから……」
「えっ……」

 聞くなり顔がカアッと熱くなる。ナマエは慌てて繋いだ手と反対の手で自分のうなじを覆うと、東峰から視線を外した。

「な、なにそれ……。か、勝手に見ないでくれる?」
「し、仕方ないだろ! ……綺麗だなって、思ったんだよ」

 いきなり『綺麗』だなんて言われて、今度はこちらの顔が紅くなってしまいそうだ。なんとなく顔が熱い気もするし、すでに真っ赤かもしれない。
 コッソリと東峰を見上げると、東峰も照れたように顔を赤らめながら、ナマエをチラリと見下ろした。

「じゃ、じゃあ、また今度……髪上げてくね?」
「……おう」
「あんまりジロジロ見ちゃダメだよ?」
「……わかった」

 そう言いながらも、東峰の顔は心なしか嬉しそうだ。

 やっぱり可愛い。

 ようやく手に入れたこの可愛い男をどうしてくれようか。幸せを噛み締めながら、ナマエは繋いだ手にそっと力を込めるのだった。



(あとがき)
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