(35話)
小学校からの友達に、彼女ができた。
ツッキーと俺は小学校からずっと一緒で、所謂幼馴染というやつだった。ツッキーの後をついて行くのが俺の人生の日課で、バレーを始めたきっかけは偶然だったけど、今まで続けてきたのはきっと、ツッキーが居たからだろうと思う。
ツッキーは背が高くて、頭が良くて、何をするにも完璧で、いつだってかっこよくて。
ツッキーは、出会った時からずっと、俺にとってのヒーローだった。
そんなツッキーに彼女ができた。
相手はクラスメイトのミョウジナマエちゃん。この夏、我らが烏野高校バレー部のマネージャーになったばかりだ。
ツッキーとは最初こそ喧嘩ばかりしていたけれど、なんだかんだ言いながらも気が付くと二人は一緒に居て、まるで『喧嘩するほど仲が良い』を体現しているかのようだった。最近は言い合いをしているところを見ると、微笑ましく思ってしまうほどで、いっそのこと早く付き合えばいいのに、なんて思っていたのだが、俺の心配をよそにいつの間にかそういうことになったらしい。
直接報告を受けたわけじゃないけれど、ツッキーのナマエちゃんを見る目が今までよりも格段に優しいから間違いないと思う。
俺のこういう勘はよく当たるんだ。
***
「や、山口君、ちょっといい?」
声をかけられ振り返ると、ナマエちゃんが立っていた。しきりに周囲を窺うように大きな目を動かしている。
「うん。どうかした?」
「ちょっと話したいことが……ちょ、ちょっと来て!」
「えっ! あの――」
「いいから!」
言うなり俺の袖を引っ張りながら足早に歩き、適当な空き教室ヘと入った。
教室に入るなり彼女は難しい顔をして黙り込んでしまった。どうやら必死に言葉を選んでいるようだ。
「……ナマエちゃん? 大丈夫……?」
「だっ、大丈夫! ……あのね……その…………なんて言ったらいいのかな……」
「……ツッキーと何かあった……?」
なんとなくピンと来て、助け舟を出すような気持ちでそう言うと、彼女の大きな瞳が更に大きく見開かれた。
「そ、そうなの! ……えっとね……その……わ、私とけい……月島君! その、付き合うことになって。ほら! 山口君には、色々話聞いてもらったから? その、直接言いたくて! でも、け……月島君は、わざわざ言わなくていいって言うから……。あ! 違うの! 蛍は照れ屋だから! 別に山口君がどうとかってことじゃなくて――」
両手をバタバタと忙しなく動かし、しどろもどろになりながら必死に言葉を繋ぐ彼女が可愛くて思わず吹き出すと、彼女は面食らったように目を瞬かせた。
「ごめんごめん、大丈夫。分かってるよ」
目尻に浮かんだ涙を拭いながら答えると、彼女はホッとしたように息を吐き出した。
「……そういうわけなの。だからね、どうしてもちゃんと言いたくて。でも、蛍は知らないんだ、私が山口君に話すこと。……勝手に話しちゃったから、あとで怒られちゃうかも」
「大丈夫だと思うよ。それに、なんとなくそうかなって思ってた」
「えっ!? そうなの?」
再び彼女は大きな目がパチパチと瞬いた。
「うん。なんとなく、二人の距離が前よりも近くなったのと……ツッキーがナマエちゃんと一緒にいる時に、すごく優しくて穏やかな顔してるから」
率直な感想を伝えると、ナマエちゃんは腑に落ちないというように眉間に皺を寄せて首を傾げた。
「……そうかな? いつも意地悪言われますけど?」
「あ、時々ね。ナマエちゃんのことを見る目が優しいっていうか……」
「そうなの? ……んー……、私はよくわかんないけど、山口君がそう言うならきっとそうなんだね」
そう言ってナマエちゃんは、少し照れたように肩をすくめた。コロコロと変わる表情は、端から見ていても飽きない。きっとツッキーは、彼女のこういうところも好きなんだろうと思った。
「よかったね」
「ん?」
「ほら、ナマエちゃん前に『付き合ったりできない』って言ってたから。良い結果になってよかった。俺も嬉しい」
「……ありがとう」
以前話した時とは見違えるくらい幸せそうに笑う彼女を見ていたら、ツッキーのことをどれだけ好きかなんて嫌でも伝わってくる。きっとツッキーも幸せなんだろうなと思ったら、自分のことのように嬉しかった。
「ツッキーはさ、ちょっと天邪鬼なところあるから。意地悪言うのも愛情の裏返しっていうか――」
「山口、勝手なこと言わないでくれる?」
不意に声をかけられ振り返ると、不機嫌そうな顔をしたツッキーが教室の入口に立っていた。
「ツッキー! いつの間に……」
「部活始まる。早く着替えなよ。……ナマエも」
「は、はい!」
ナマエちゃんは弾かれたように姿勢を正しながら、慌ててツッキーの元へと向かった。
「ごめんね。怒ってる?」
「怒ってないよ」
「本当? 本当に怒ってない? 勝手に山口君に話しちゃったから……」
「怒ってないってば」
「でも……ほら、眉間にシワが……」
「しつこい」
「着替えてきまーす。じゃあ、山口君。そういうことなので、これからもよろしくおねがいしますね」
ナマエちゃんは俺に向かってペコリと頭を下げと、更衣室の方へと駆けて行った。
「……ったく、なんでわざわざ言うかな」
面倒くさそうに髪をかき上げながら言う割には、頬はしっかり赤くなっている。普段冷静沈着なはずのツッキーのこんな顔を見るのは初めてかもしれない。少し意外だったが、これはこれで微笑ましい気もする。
そんな俺の視線に気付いたのか、ツッキーが再び不機嫌そうな顔をしてこちらを睨んだ。
「……なに」
「あ、いや……ツッキーもそういう顔するんだなぁって、なんか安心したっていうか……」
「……うるさい、山口」
「ごめん! ツッキー!」
いつものやり取りのはずなのになぜか新鮮な気がして、俺は自分の頬が緩むのを止められなかった。
***
春高一次予選の二回戦を無事突破した俺たちは、十月に控える春高代表決定戦へと駒を進めた。
「攻撃が達者になってもレシーブは相変わらずクソだなおめーはよ。ホギャって何だホギャって」
「いっ、一応上がっただろ!」
「飛雄、クソって言うのやめな。日向、またレシーブ練習頑張ろうね」
「えー。ナマエこえーんだもんなー」
「怖いって何よ、怖いって」
「お前は十分こえーだろ」
「そんなことないし!」
「ナマエ、ボール持つと人変わるよな」
「そんなこともないし!!」
憤慨したような声をあげて、ナマエちゃんは助けを求めるようにツッキーの隣へ移動してきた。なんとなくお邪魔な気がして、俺はこっそり二人の後ろへと移動する。
「……そんなことないよね?」
小さな声で問いかけるナマエちゃんに対して、ツッキーは少し冷ややかな視線を向けてから、そっと目を伏せて小さく笑った。
「……ノーコメントで」
「嘘! なんで!? どういうところが!?」
「だからノーコメントだってば」
笑いながらそう繰り返すツッキーの顔を見上げてから、ナマエちゃんはハムスターのように頬を膨らませた。
……ナマエちゃんは気付いていない。ツッキーが意地悪なことを言いながらも、実は優しい目でナマエちゃんのことを見ていることを。ほら、今も。ナマエちゃん、今だよ、ツッキーを見て!
「……何、山口」
「えっ! いやっ! 何でもないよ!」
振り向いたツッキーに急に声をかけられ、思わず変な声を出してしまった。
「……そ、そういえばナマエちゃん、足はもういいの?」
ツッキーからの視線に耐えきれず、やや強引に話題を変える。
「うん! もう体育くらいなら普通にやってもいいって」
「前もそんなこと言ってダメだったろ」
前を歩いていた影山に呆れたような視線を向けられ、ナマエちゃんはバツが悪そうに目を白黒させた。
「アレは……アレよ、ちょっと調子に乗っちゃったっていうか……。でも今度はもう大丈夫。無茶はしないし」
「本当だろうな」
「本当だもんね」
「ハァ! 弁当箱忘れた!!!」
飛び上がらんばかりに声を上げると、日向は急いで来た道を引き返して駆けていった。
「……試合が終わったばっかりなのに元気だね、日向は」
「僕たちとは身体の構造が違うんじゃないの」
呆れたような口調で答えるツッキーを見上げてから、ナマエちゃんは先ほどよりもほんの小さな声で問いかけた。
「……蛍は疲れた?」
「まあね」
声を落としているのは、周りにバレないための配慮なんだろうか。ナマエちゃんもツッキーも、部活内では付き合っていることを公にはしていないようだった。なんでだろう? 揶揄われたりするのが嫌なのかな。
「二メートルの子、大きかったもんね」
「まぁマッチアップしてたのは僕じゃないけどね」
「でも二試合もしたら疲れるでしょ?」
「まあね」
「まあね、ばっかり。……人の話ちゃんと聞いてる?」
「……まあね」
「もう!」
ほっぺたを膨らませたナマエちゃんが、ツッキーを軽く小突く。ツッキーはちっとも痛くなさそうな顔で笑いながら、小突かれた脇腹をさすっていた。そんな二人の掛け合いから、仲の良さが嫌でも伝わってくる。
――みんなに気付かれるのは時間の問題かもしれないな。
そんなことを思いながら、俺は今度はツッキーにバレないようにこっそりと笑った。
***
体育館の出入り口を出た辺りで、忘れ物を取りに行った日向の帰りを待っていると、ふいにナマエちゃんが声を上げた。
「あ! そうだ。課題で分からないとこあったんだった」
「この間終わったって言ってなかった?」
「そうなんだけど、よく考えたらまた分からなくなっちゃって。……蛍、教えてくれる?」
「別にいいけど……。じゃあ明日部活の後にうち来る?」
「うん!」
ナマエちゃんが嬉しそうに頷く。ツッキーの顔はやっぱりすごく優しくて、本当にお似合いの二人だな、なんてことを思いながら、再び自分の顔が緩むのを感じた。
「――山口君は?」
「えっ! 俺!?」
不意に話題を振られ、思わずうわずった声が出てしまった。
「課題。山口君もやらない?」
「いや、俺は大丈夫!」
邪魔しちゃ悪いし。そう思って断りを入れると、ナマエちゃんは少し困ったように眉を寄せた。
「……そっか」
「ナマエちゃん? どうかした?」
問いかけると、ナマエちゃんはこっそりと俺に耳打ちした。
「……最近、蛍を独り占めしちゃってるから」
そう言うと、ナマエちゃんはほんのりと頬をピンク色に染め、照れたように、そして少し申し訳なさそうに肩をすくめた。
その仕草はものすごく可愛かったけど、それ以上にツッキーのことがものすごく好きなんだというのが伝わってきて、なんだかもうたまらなかった。今すぐにでも大声で叫びたいし、なんならこのまま走り出したい気分。
そんな衝動を何とか抑え込むと、お返しにと俺もナマエちゃんの耳元でこっそりと告げた。
「大丈夫だよ。二人が仲良くて俺も嬉しいし」
ナマエちゃんは少し驚いたように大きな瞳を瞬かせると、今度は照れ笑いのように顔を綻ばせた。
そんな俺たちのやり取りを見て、ツッキーが怪訝そうな顔を向けた。
「あ、俺ちょっと先輩とかの方に行ってくるね」
「うん。じゃあまた後でね」
そそくさとその場を離れ、遠くから二人の様子を覗き見ると、ナマエちゃんがツッキーに何やら耳打ちしているのが見えた。さっきのやり取りを説明しているんだろうか。心なしかツッキーの顔が赤い気がする。
最近、一つ分かったことがある。ツッキーは意外とヤキモチ焼きだ。
『名前……そんな風に呼んでたっけ?』
いつだったか、ナマエちゃんを名前で呼んだ時、ツッキーがそんなことを言った。
直後の恥ずかしそうなツッキーの様子から、驚きのあまり咄嗟に口をついて出てしまったんだということが見て取れた。いつだって完璧な彼からは想像もできないような意外な一面に驚いた反面、ツッキーも自分と同じ高校生なんだというのを実感して、なんとなく嬉しくなったのをよく覚えている。
――なんかあれだな。ツッキーに彼女ができたら、ツッキーを取られたような気になって寂しくなったりするのかな、なんて思ってたけど全然だな。むしろ微笑ましくてずっと見てたい気分……。
少し離れたところから二人の様子を見守っていると、後ろから東峰さんと澤村さんの声が聞こえてきた。
「……なんかナマエちゃんと月島、やけに仲良くない? 距離が近いっていうか……」
「そうか? いつもあんな感じだったろ」
「いや、絶対いつもより近いって!」
……やっぱり。あれだけ仲良かったら分かるよね。うんうん、と内心頷きながら、そっと振り返り様子を窺うと、清水先輩を除いた三年生が集まっていた。心なしかウキウキした顔で問いかける東峰とは対称的に、澤村さん達はあまり気にしていなさそうな顔をしている。
「なあ、山口もそう思わない?」
「えっ!?」
ちょうど近くにいたからなのか、急に話を振られ、思わず面食らう。どうしよう。真相を話すべきか……、いやでも、ツッキーが公表していない以上、下手なことを言うべきではない……かも……?
「えっと……」
「いや、あいつら付き合ってんだべ?」
どう答えるべきか考えあぐねていると、菅原さんが何でもないことのようにサラリと言った。どうやら二人のことに気付いていたらしい。
「えっ! そうなの!?」
「合宿の時とか仲良かったじゃん。旭ってそういうとこ鈍いよなー」
さっきの流れの中で、菅原さんがこの手の話題に食い付かないのが意外だったが、なるほど合点がいった。
すると、どこで聞いていたのか、二年生の先輩たちもワラワラと集まってきた。
「えー! マジっすか! だってあいつは影山が好きなんじゃ……」
「俺もそう思ってた……」
「いや、青城の及川とデートしてたじゃん。あれは?」
「俺じゃねーのかよ!!!」
ショックを受けたように叫んだ西谷さんの隣で、縁下さんが半ば呆れたような顔で笑っている。
「西谷のことは好きだと思うけどさ、恋愛とは別なんだって。だから言ったろ? そういうんじゃないって」
「くそぉー! 弄びやがってー!」
「ノヤさん、ドンマイだな」
頭を抱える西谷さんの肩を、田中さんがポンポンと叩く。
バレてしまったが、案外みんな気にしていないようだ。
――これなら今までと同じ感じで過ごせそうだよ。
向こうで仲良さそうに笑っている二人に向かって、俺は心の中でそう呟いた。
***
「潔子さん遅くねえかっ」
しばらくして、田中さんがそんなことを言い出した。確かに、忘れ物を取りに行ったはずの日向もまだ戻ってきていない。何かあったんだろうか。
「見に行くか!」
田中さんに応えるようにして西谷さんが呟く。すると、体育館の出入口からゾロゾロと派手な風貌の集団が出てきた。全体的に明るい髪色や派手な髪型が多く、一回戦で当たった扇南高校とは少し違った近寄り難さがあった。
威嚇するように睨みつけられ、ビクリと肩を震わせた東峰さんとは対照的に、田中さんや西谷さんは負けじと睨み返そうと眉間に皺を寄せている。まさに一触即発という雰囲気が漂い始めた瞬間、「ウホンッ!」という澤村さんの一喝で、波が引くように静かになった。
俺はというと、連中とは目を合わせないようにしてやり過ごし、一目散にツッキーの所へ向かった。
「ツッキー、大丈夫だった?」
「ああ、別になんともないよ」
「……あれ、ナマエちゃんは?」
「ここだよー」
さっきまで居たはずの彼女の姿が見えず、辺りを見渡すと、ツッキーのすぐ後ろから小さな人影がひょっこりと顔を覗かせた。
「ああ、よかった」
「『よかった』? 何かあったの?」
「今出てきた人たち、なんか派手な人たちだったから……先輩たちも睨まれてたみたいだし、絡まれてないかなって心配だったんだ」
「そうだったんだ。蛍の影で隠れちゃって見えなかった。蛍は気付いた?」
後ろから覗き込むように見上げたナマエちゃんを見下ろすと、ツッキーはそっと視線を外した。
「……さあ?」
「あ、あの人たちかな? ホントだ、なんか派手だね。どこの高校だろう?」
「勝ち進んだとこならそのうち分かるデショ。……あんまりジロジロ見て絡まれても知らないよ」
そう言って、再びツッキーはナマエちゃんを自分の背中へそっと隠した。ナマエちゃんは不思議そうにツッキーを見上げると、何かに気付いた顔をしてから、嬉しそうに顔を綻ばせた。
そんな一連のやりとりを見ていて、ふとあることが頭に浮かんだ。
――ひょっとして、ツッキーの影に隠れて見えなかったんじゃなくて、見えないようにツッキーが隠してたんじゃ……。
ハッとして二人を交互に見やると、ほんの少しだけバツが悪そうな顔をしたツッキーと目が合った。
「…………何」
「なっ、何でもないよ!」
ほんのりと紅く染まった頬を見て、疑惑は確信に変わる。慌ててかぶりを振ると、ツッキーが小さくため息をつくのが聞こえた。
「……蛍って、ため息多くない? 幸せ逃げちゃうよ」
「なにそれ」
「知らない? ため息つくと、幸せが逃げちゃうんだって」
「そんなの迷信デショ。むしろため息みたいに長く息を吐くのは、副交感神経が優位に働くから自律神経のバランスを整えるのにいいって言われてるしね」
「そうなの? 蛍って物知りだよね。博士って呼んでいい?」
「やだ」
「そんなこと言わないでよ〜。ねえ、博士〜」
「やだ」
思いっきり顔を顰めたツッキーに、ナマエちゃんがカラカラと笑う。そんなナマエちゃんにつられてか、ツッキーも小さく笑う。
彼女を見つめるツッキーの目は、やっぱりすごく優しい。
そんな二人のやり取りを見て、俺は再び走り出したい衝動に駆られるのだった。
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