- ナノ -


Thinking of You (前編)




 ――初めて会った時のことを、よく覚えている。




「月島君?」

 ふと声をかけられ振り返ると、見知らぬ女子生徒がこちらを見ていた。

「月島君だよね?」
「そうですけど……」

 あんたは誰? そう聞きたい気持ちを抑えて、女子生徒を見つめる。

「あのね、コレ四組の分のプリントなんだって。渡しといてって斉藤先生が」

 あまり聞き覚えのない名前を出され、一瞬頭に疑問符が浮かぶが、すぐに委員会の先生だと思い当たった。

「……わざわざどうも」
「いいえー。よかった、合ってて。私、委員会の最初の集まりの日欠席しちゃったから、他の人全然分かんなくてさー。月島君のことも分かるかなーって心配だったんだけど、斉藤先生が『月島君は背が高いからすぐ分かるよ』って。でも本当に高くてビックリしちゃった! 月島君って何か部活やってるの?」
「……一応」
「へー、何部? 私、最初に入りそびれちゃって入ってないんだよね。せっかくなら何か入っとけばよかったかなー」

 ペラペラとよく喋る女だと思った。

 どう答えるべきか。そもそも答えた方がいいのか。それとも答えなくていいのか。っていうか答えたくない。そんなことを考えながら様子を窺っていると、女は友人らしき生徒に呼ばれて去っていった。

 嵐のような女だった。自分が所属するバレー部は比較的距離感が近めなタイプが多いが、それに匹敵する煩さだった。

 ――できれば関わりたくないな。

 そんなことを思いながら渡されたプリントを眺める。クラスも違うし、今後は委員会の集まりくらいでしか会うこともないだろう。

 そんな安易な見通しは、一週間後に新しいマネージャーとして紹介された彼女と対面し、見事覆されることになる。



***



「ねー、月島ー」
「…………」

 狭い学校のバスを降りてすぐ、欠伸を噛み殺していると、後ろから肩をポンポンと叩かれた。面倒くさそうな気配しかしない。気付かないふりでやり過ごそうとしてると、今度はゆさゆさと揺さぶられた。

「ねー、聞いてる? それとも無視してんの?」
「……何」
「今日の最高気温が、どこまで上がるか、賭けない?」
「賭けない」
「即答じゃん」
「くだらないこと言ってないで早く荷物運びなよ」
「はーい」

 入部して早々に、委員会が同じでたった一度話しただけの僕のことを、まるで十年来の友達のように『月島』と呼ぶようになった彼女は、相変わらずよく喋るし喧しかった。


「ツッキー、ミョウジさんとすっかり仲良くなったね」

 まるで微笑ましいものを見守るような目で見ながら、山口が言う。

「は? 仲良いわけないデショ。委員会が同じで一回話したってだけで絡んでこられて、こっちはいい迷惑だよ。もっと絡みやすそうなのが居るのにさ……」

 ため息と共に吐き出すと、前を歩く彼女へ視線をやると、マネージャーの清水先輩と何やら楽しそうに話をしていた。終始あんな調子の彼女は、先輩たちとも最初の合宿が終わる頃にはすっかり打ち解けてしまった。他の学校のマネージャーともきっとうまくやっていることだろう。

 誰とでも仲良くなれるというのはある意味才能だな。別に羨ましくはないけど。


 ジリジリと照りつける太陽が恨めしい。前回の合宿ですら面倒だったのに更に長いなんて、始まる前から面倒くさい。当たり障りなく終わらせて宮城に帰ろう。



***



 長い一日が終わり、ようやく休めるというのに、自主練をし始める者ばかりだった。

「あ、ツッキー! 今からサーブやるんだけどツッキーは――」
「僕は風呂入って寝るから」

 山口の言葉を遮ってそう言うと、山口はあからさまに残念そうな顔を向けた。

「そ、そっか……あの……」
「何?」
「……ツッキーは何か……自主練とかしないのかなって……」
「練習なんて嫌って程やってるじゃん。ガムシャラにやればいいってモンじゃないでしょ」

 納得したのかしていないのか分からないような顔をして、山口は頬を掻いた。


 イライラする。やる気に満ちたチームメイトも、やって当たり前という空気も。


「ねえ。月島は自主練しないの?」

 呑気な声で、誰の声かはすぐに分かった。チラリと視線を向けると、いつもの能天気な顔でこちらを見上げるミョウジナマエの姿があった。

「別に。練習時間だけでも十分デショ」
「えー、そうかなぁ。せっかく遠い東京まで合宿に来たんだしさ、練習しようよ。もったいないよ。ほら!」

 グイッと手を引かれ、軽く振り払う。

「いいってば」
「そんなこと言わずに。ほら、行きにくいなら一緒に行ってあげるからさ!」

 負けじと両手で掴みながら、グイグイと引っ張られ、イライラが更に募った。

「しつこいな!」

 つい声を荒らげ乱暴に手を振り払うと、彼女はポカンとしたような顔でこちらを見上げた。何が起きたのか分からないといったような表情がやけに癇に障る。

「押し付けがましいことやめてくんない? 頼んでないよね。親切の押し売りが一番ウザいんだけど」
「ツッキー、あの……」

 山口が気まずそうな顔で彼女と僕を交互に見ている。彼女はといえば、こんな反応が返ってくるとは思わなかったのか、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたまま固まっていた。

「君はマネージャーの仕事だけしてれば? 僕に構うなよ。だいたい、君に何が分かるわけ? 選手でもないくせに――」
「ツッキー!」

 言いすぎたと自覚するよりも早く、山口の声が耳に届いた。

 恐る恐る視線をやると、彼女はただ静かにこちらを見ていた。怒るでもなく、泣くでもなく、ただじっとこちらを見ている。
 居心地が悪くてすぐに視線を外すと、僕は逃げるようにその場を後にした。


 ――ああ、サイアク。きっと明日から気まずくなって、周りからは何があったのか事情聴取でもされて、余計な恥を晒す羽目になる。クソッ! だから嫌だったんだ。普通に考えて気が合うタイプじゃないって分かるだろ。なんで僕に構うわけ。アイツがしつこく構ってこなければあんな言い方しなかったのに!

 ガシガシと頭を掻きむしりたい気持ちを抑え、大きく息を吐き出した。


 ああいやだ。バレーだけしてさっさと帰りたい。


***


「おっはよー!」

 能天気な声とともに、バシッと背中を叩かれた。ぎょっとして振り返ると、いつもどおりの能天気な顔をして、彼女が立っていた。

「アレ? まだ寝てる? 目開けながら寝れるなんて器用だね、月島」
「なんで……」

 昨日あんなやりとりがあったなんて微塵も感じさせない彼女の態度に、思わずそんな言葉が口をついて出た。すると、彼女は不思議そうな顔で首を傾げた。

「なんでって? 朝はおはようじゃん」

 とぼけているのか何なのか。そんなことを言いながら、彼女はそっと肩をすくめてみせた。

「……あんな言い方されて、なんで普通なの」

 このまま無かったことにしてしまうのは、何となく気持ちが悪い。そう思って問いただすと、彼女は思案するようにさっきとは逆の方向に首を傾げた。

「無視した方がよかった?」

 ストレートに問われ、彼女が少なからず気分を害したのだということが分かった。あんな言い方をしたのだから、無視されても文句は言えないんだぞ、とは思っているらしい。

「ほら、その顔」

 クスクスと笑いながら、彼女が視線で僕の顔を示した。

「昨日もしてた。その顔。言った後、後悔してるって顔、してたよー」

 にーっと笑いながら、僕の胸のあたりを拳でぐりぐりと押した。

「まあ、私も悪いとこ無かったかっていったら、ほんのちょっと? ちょっとだけ? あったかもしれないし? 多分無いけど」


 ――無いのかよ。


「ま。細かいことはいいじゃん? 月島は、あのまま私と気まずくなった方がいいわけ?」
「そうじゃないけど……」
「ならさ、仲直りしようよ。ハイ! 仲直りー!」

 そう言いながら、彼女は強引に僕の手を取り、勢いよく弾いた。パチンと小気味良い音が鳴る。目から鱗が落ちるというのはこんな感じなんだろうか。頭の中が急にクリアになる。

「じゃあ朝ご飯食べいこー」

 昨日と同じように僕の腕を掴むと、グイグイと引っぱった。昨日のような不快感はもはや感じなかった。


 この瞬間から、きっと彼女に惹かれていたんだと思う。




***



 秋になり、春高予選が終わる頃には、彼女の言動は気にならなくなっていた。

「あー、全然分からん」

 テキストを投げ出し、バタンと横になりながら彼女はため息をついた。

「あのさあ、教えてやってるんだから真面目にやってくれる?」
「そんなこと言ったってさー、公式が多すぎて全然頭に入らないんだもん。似たようなの多すぎ。一体何が違うわけ?」
「用途が違うに決まってるだろ。真面目にやらないなら自分でやりなよ」
「あー、そんなこと言って。私を手放したら日向か影山に教えるんだからね? 月島が選んだんだよ! 私がいいって!」
「君が一番マシだったってだけだよ」
「おい! 聞こえてるぞ!」

 少し離れていた場所で谷地さんに教わっていた日向が、憤慨したような声をあげた。そちらは無視して向かいに座る彼女へ視線を戻す。

「……好き好んで選んだわけじゃない」
「可愛くないなぁ」

 むっと唇を尖らせながら、彼女は再びテキストを拾い上げた。子供のような表情に、思わず頬が緩む。

 あれだけ気に障った賑やかな笑い声も馴れ馴れしい仕草も、慣れてしまえば心地よいものだった。それどころか、最近では大口を開けて笑う顔ですら可愛いと思うことも、実は少なくない。



 しばらくの間テキストに向き合っていた彼女が、再び大きく伸びをした。

「あー、終わった」
「はい。お疲れ様」
「ねえねえ、どう? これだけできてたら赤点はないと思わない?」
「赤点は、ね」

 テキストをしまいながら、ふと何かに気付いたように彼女が眉を上げた。

「ねえねえ、月島ちょっと前髪伸びたんじゃない?」
「……そう?」
「ほんのちょっとだけね? ほら、月島のひよこちゃんみたいな髪型も好きなんだけどさー。前髪上げても可愛いかもよ? ちょっと結んでみない?」
「やだ」

 間髪入れずに断りを入れると、彼女はいたずらっ子のような顔をしてケラケラと笑った。


 結局、あの日のことは謝れないまま、今に至っている。すっかりタイミングを逃してしまった。だがきっと、気にしているのは自分だけだ。彼女はもうすっかり気にしていないようだし、蒸し返すような真似をして気まずくなるのも怖かった。

「おーい」

 気付くと、目の前で手をパタパタと振りながら、彼女が不思議そうに顔を覗き込んでいた。

「どうしたの? なんか遠いとこ行ってたよ」
「……ねえ」
「ん?」

 蒸し返すような真似をするべきじゃない。頭では分かってる。でも、どうしてもこのままにしておきたくなかった。

「月島? どうしたの。ひょっとしてお腹痛い? どっか具合悪――」
「……あんな言い方して、ごめん」

 彼女は、ポカンとしたような顔をしてこちらを見ていた。

「なんか言われたっけ? あ、さっきの、好き好んで選んだわけじゃないってやつ? いいよー、別に本心じゃないって分かってるって」
「……前に、酷い言い方した」

 ごめん。そう小さな声で呟けば、彼女は分かっているのかいないのか、分からないような顔で笑った。

「そんなのもう忘れちゃったよー。もう、何かと思っちゃった」

 いつものようにケラケラと笑う彼女を見て、僕はほっとしたような気持ちが半分、きちんと謝罪を受け入れてもらえなかった気まずさが半分といった感じだった。まあ、この謝罪は自分のエゴのようなものだし、仕方ないのかもしれないが、なまじ引きずってきてしまったせいか、消化不良のように胃の中に残っていた。
 そんな僕の胸中を知ってか知らずか、彼女は急にいたずらを思いついた子供のような顔をして笑った。

「じゃあさ? お詫びに、月島の前髪結ばせて!」
「は?」
「絶対可愛いから! それでチャラね、チャラ」
「ちょっと!」

 言うなり自分の鞄からヘアブラシと可愛らしいポンポンのついたヘアゴムを取り出すと、鼻歌なんか口ずさみながら僕の髪を束ね始めた。こうなったら抵抗なんかしても無駄だろうからと、大人しく彼女の好きにさせることにした。

 彼女からはふわりといい匂いがして、それがなんだか落ち着かない。

「ほら見て見て! やっぱり可愛いっ! ねえねえ山口! 写真撮って! ほら、月島! ちゃんとカメラの方見て良いお顔して!」
「はぁ!? なんで僕が……」
「いいじゃん! 記念だよ、記念!」
「一体なんの記念……」

 ほら、笑って笑って! 楽しそうに言いながらスマホを構えた山口の方を指差して笑う。

 撮り終わってから、山口がその画面を見せてくれた。

 画面の中には、眉間に皺を寄せた僕と、大きく口を開けて笑う彼女が居た。その大きな口が、飾らない彼女らしくて、思わず小さく笑う。

「月島も笑えばいいのにー」
「どんな顔しようと僕の勝手だろ」
「せっかくの記念なのにー。あ! 髪の毛取らないでよ!」
「こんなの着けて帰るわけないじゃん」
「えー! せっかく可愛いのにー!」

 結ばれたゴムを外そうとしていると、部室のドアがガラリと開いた。

「あれ、まだ残ってたのか」
「あ! 縁下さんだー!」

 彼女が人懐っこい顔でパタパタと手を振ると、縁下さんも微笑ましそうに笑いながら、同じように手を振った。

「月島、可愛いのつけてるな」

 前髪の辺りを指差しながら、縁下さんが小さく笑った。慌ててゴムを外すと、ギロリと彼女を睨む。彼女は誤魔化しているつもりなのか、戯けたように肩をすくめた。

「ほら、もう戸締りするぞ。……あ、ミョウジだけ家正反対だよな?」
「はい。いつもは清水先輩とかと帰ってるんですけど、今日は居ないから」

 言われてみればそうだった。三年生たちは学校行事でみんな休みだ。なら、少し遠回りになるけど自分が送って行こうかと思ったのと同時くらいのタイミングで、縁下さんが口を開いた。

「じゃあ俺が送ってくよ。途中まで同じ方向だし、もう時間も遅いもんな」
「えー! いいんですか? 縁下さんやっさしー」
「ほら、早く支度しな」
「はーい」

 あれよあれよという間に彼女のことは縁下さんが送ることになり、とりあえず部室を出ることになった。


「じゃあまたね!」

 縁下さんの隣でいつもと同じように笑う彼女を見て、なんとなく胸がざわついた。嫌な予感がする。何か間違えたんじゃないか。しくじったんじゃないか。そんな嫌な感じが拭えない。


 結局僕は、並んで歩く二人の後ろ姿を、ただ馬鹿みたいに見送ることしかできなかった。

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