- ナノ -


(プロローグ 3話)



「あー! あれが『しょうよう』でしょ!? あのオレンジ!」

 烏野のメンバーの中に、昨日は居なかった派手な風貌の小さな男がいるのを見つけた。小柄な身体で、まさに元気いっぱいといったように飛び跳ねているのを見て、あれが話に聞いていた『しょうよう』だと確信したナマエは、弟の研磨に問いただした。すると研磨はあからさまに面倒くさそうな顔を向けた。

「ああ……まあ」
「ちょっと行ってくる!」
「ストップ!」

 一目散に烏野陣営に向かおうとするナマエの首元を、研磨がグイッと掴んだ。首にTシャツの襟が食い込み、一瞬息が止まった。

「ぐぇっ……! ちょっと! 苦しいんですけど!」
「行ってどうするの。何する気?」
「何もしないよ。ただ、『しょうよう』かどうか確認するだけ」
「しなくていい。あれが翔陽で間違いないから」
「えー、でも私も話してみたーい」
「ダメ」
「なんで」
「こんなうるさいのと姉弟だって思われたくないし、練習の前に騒ぎ起こされたくない」
「クロー! 研磨がー!」

 急に呼ばれた黒尾は、あからさまに嫌そうな顔を向けると、ため息混じりにナマエの元へとやってきた。

「あーコラコラ、喧嘩しないの。ナマエちゃんや、烏野が気になんなら、練習の後で連れてってやるから。な? 今はドリンク作ったり、準備手伝ってやってよ。ほら、見て。一年坊たちが困ってっからさー。頼むよ」
「……わかった」
「研磨も。俺が責任持って見とくからさ。ナマエが夏合宿前にマネやめるって言い出したら、それこそ研磨にとってもメリット無いだろ?」
「それは……そうだけど……。じゃあクロが責任持ってちゃんと見といてよ?」
「任せろって」


***


 練習が終わり、ナマエは黒尾と共に烏野メンバーの元へと向かった。日向翔陽は、人懐っこく誰とでも友達になれるタイプらしく、ナマエと日向はすぐに十年来の友達くらい気軽に話せるような仲になった。

「ナマエはバレーやんないの?」
「私は見てる方が楽しいから。『翔陽は面白い』って研磨がいつも言ってたから、本当は今回も楽しみだったんだけど、遅れて来てたしあんま見れなかったから、次の合宿楽しみにしてるね」
「お、おう……」

 なぜか浮かない顔でそう言うと、日向は口を閉ざしてしまった。何かまずいことでも言っただろうかと内心首を傾げていると、黒尾がオホンと咳払いをした。

「ほら、烏野はボチボチ出発だから。俺らも行くぞ。じゃあチビちゃん、またな」
「アッス!」
「じゃあ翔陽、またね」

 黒尾に続いて手を振り、ナマエはその場を後にした。


「翔陽はいい子だったね」
「おう。あの研磨が仲良くなっちまったくらいだからな。お前も普段初対面の相手にはからっきしなのにチビちゃんは平気だったな」
「だって研磨の友達だよ? 私の友達も同じじゃん」
「ジャイアンかよ」

 談笑しながら戻ると、もうすでにみんなバスに荷物を積み始めていた。

「おーい! ナマエも早く荷物積んじまえよー」
「あ、はーい!」



「……次は再来週か」

 荷物をバスに積みながら、黒尾がポツリと言った。

「次? 次はどこ!?」

 ナマエの問いかけに、犬岡が答える。

「森然高校っスよ。埼玉の」
「あ! 虫が多いって前に研磨が言ってたとこ? おっきいクワガタとか、カブトムシとかがいるんだよねー?」
「そうっス。涼しいんスけどね」
「超楽しみー!! 私、虫アミと虫カゴ持ってくんだー」
「こらこら。遠足じゃねーんだぞ。ま、次は長いからな。バテんなよー?」

 意地悪そうな笑みを浮かべながら、黒尾はナマエの頭をポンポンと叩いた。

「私は平気。クロこそしっかりね」
「生意気言っちゃって」


 荷物を一通り積んだところで、ナマエはある事を思い出した。

「あ! 忘れてた!」

 慌てて鞄から小銭入れを取り出すと、ナマエはバスを降りた。

「おい、どうした?」
「ちょっと忘れ物! まだ時間あるよね? すぐ戻るから!」

 走りながらそう言うと、一目散に自販機へと向かった。


***


「あかあし!」

 梟谷のメンバーの中に、黒髪の男を見つけ、走りながら名前を呼ぶ。赤葦は驚いたような顔で振り返ると、怪訝そうな顔でナマエを見つめた。

「ナマエ? どうしたの、そんな急いで」
「忘れてたから! コレ、渡すの」

 そう言って、先程購入したものを赤葦の手に無理やり押し付けた。

「何コレ……おしるこ? ……ああ、ペナルティ?」
「そう! 本当は何がいいか聞こうと思ったんだけど、分かんなかったから、とりあえず一番面白そうなやつにした」
「ははっ! たしかに面白いかもね。ありがとう」

 赤葦はそう言って缶を小さく掲げた。

「あー疲れた。連絡先聞いとけばよかった。超走っちゃった。でもよかった、ちゃんと会えて」
「ああ、じゃあ交換しようか。再来週の合宿も来るよね?」
「来る来る! そうだね! しようしよう!」

 ナマエはポケットから携帯を取り出すと、トークアプリを開いた。

「これ、私ね」

 赤葦へQRコードを差し出すと、赤葦は自分の携帯端末でそれを読み込んだ。しばらくしてナマエの元へ一つのスタンプが届いた。ふざけた顔をしたウサギが液晶画面の中で笑っている。思わずクスリと笑うと、ナマエはお返しに『スタンプかわいいね』というメッセージと共に同じスタンプを送った。

「私も持ってんの。可愛いよね」
「……木兎さんが勝手に贈ってきたんたけどね」
「今、同じ趣味とか思ったでしょ」
「…………いや、思ってないよ」
「嘘ばっかり! 沈黙の長さが物語ってるから!」

 ケラケラと笑いながら赤葦を指差すと、赤葦は小さく笑った。


「ナマエ! 何してんだ。そろそろ行くぞ」

 ふいに声をかけられ、振り向くと、怖い顔をした黒尾が立っていた。

「あ、ゴメン! 今行くとこだった!」

 つい長話をしてしまった。慌てて黒尾の元へと駆け寄ると、黒尾はジロリと上からナマエを見下ろした。

「勝手な行動は慎んでくださーい」
「ごめんって。怒んないで? ね?」
「赤葦に迷惑かけてねーだろーな」
「大丈夫だもん! ね、赤葦」
「はい、大丈夫ですよ」
「ほら!」

 黒尾は一瞬ジッと赤葦を見つめると、ため息と共にナマエへと視線を移した。

「ほら、帰るぞ。赤葦に挨拶しな」
「はーい。じゃあ、またね。赤葦!」

 パタパタと手を振ると、赤葦も同じように振り返した。


***


 足早に歩く黒尾を小走りで追いかけながら、ナマエは小首を傾げた。

「ねえ、怒ってる?」
「べっつにー?」
「じゃあなんでそんなに早く行っちゃうの?」

 いつもなら、黒尾はナマエの歩幅に合わせてくれる。こうしてナマエを待たずにズンズン歩いて行ってしまうのは、怒っている時と相場が決まっているのだ。

「……お前がうろちょろどっか行くからダローが」
「ほら! やっぱ怒ってんじゃん!」
「怒ってませんー」
「うそ、怒ってるー」
「怒ってないー」

 明らかに怒っているはずなのに頑なに認めようとしない黒尾に、ナマエは内心ため息をついた。昔から、ナマエは黒尾に怒られたり叱られたりするのが苦手だった。親に叱られた時よりも黒尾に叱られた時の方が遥かに凹んでしまうので、こんな時はひたすら黙り込むしかない。なんて言ったらいいのか分からなくなってしまうのだ。

 しばらくの間無言で黒尾の後をついて歩いていると、上から大きなため息が聞こえた。

「……怒ってねーから、んな顔すんな」

 黒尾の声に顔を上げると、黒尾は少し困ったように眉を寄せながらナマエを見下ろしていた。

「ホントに?」
「ホントホント」

 いつもと同じ口調でそう言うと、黒尾はナマエの髪をわしゃわしゃと撫でた。


「お前はホントずりぃよなー」
「なんで?」
「俺が折れると思ってすぐそういう顔すんじゃん」
「だってー……クロに怒られると悲しくなっちゃうんだもん」
「出たよ。ほら、そういうこと言う」

 諦めたように小さくため息をつくと、黒尾はナマエへと手を差し出した。なんだかんだ言いながら、黒尾はナマエに甘いのだ。

「ほら、帰るぞ」
「はーい」

 迷わずその手を取ると、ナマエは黒尾とともに皆が待つバスへと向かった。



 バスに着くなり弟の研磨が不機嫌そうな顔をしながらナマエの元へとやってきた。

「……どこ行ってたの」
「赤葦と話してた」
「は? なんで赤葦?」
「え? 友達になったから?」

 ナマエの返事を聞いて、研磨は不思議そうに首を傾げた。

「……ナマエ、人見知りなのに」
「研磨に言われたくないんですけど」
「初対面は俺より酷いじゃん。攻撃的だし」
「そんなことないし。クロ! 研磨が私のことディスってくる!」
「別にしてない」
「はいはい、喧嘩しないの」

 間に入った黒尾にやんわりと引き離されながら、ナマエはバスへと乗せられた。前寄りの窓際の席へと誘導され、隣には黒尾が座った。研磨は通路を挟んで反対側の席に座ったようだ。


「で? 初の合宿はどうだった? 疲れたろ」
「疲れた。……でも、楽しかった」
「おお、そりゃよかった」
「あのね、梟谷のマネさんと仲良くなった」
「おー、やるじゃん人見知り」
「でね、今度の合宿でね、パーティーしようねってお約束した」
「パーティー?」
「うん。お菓子パーティー」
「お菓子ばっか食べてないでちゃんと飯も食えよ」
「はーい」


 再来週からは本格的に合宿が始まる。始まる前は面倒だと思っていたが、やってみると案外楽しかった。新しい友達も出来たし、何よりみんなの役に立っているという充実感があった。

 次の合宿ではもっともっと楽しいことが起きるに違いない。

 そう確信しながら、ナマエは黒尾に寄りかかりながらゆっくりと目を閉じた。

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