たった一度だけ、見たことがある。
清廉と言うには余りにも艶やかで、色情と言うには余りにも汚れなかった、あの日の情景を。
十年近くたった今でも、忘れられない、あの日の彼等の姿を。







「――――以上が、今回の屍人退治の顛末です」
「……ご苦労様です、奥村先生。相変わらず手際よい働きだ」


報告を終えた後、それまで無表情だった上司の顔に、漸くいつもの食えない笑みが浮かぶ。
雪男は一息吐いて、僅かに肩の力を抜いた。

「いやまぁしかし、今回ばかりは荷が重すぎたかと思い、心配していましたがね…とんだ杞憂だったようだ」

さすが天才祓魔師ですね、と宣うメフィストに、雪男は苦笑する。

「いえ、仲間のフォローがなければ、無傷で済まなかったと思います。
被害らしい被害を出さずに解決できたのも、全て……今回の任務を共にした、彼等のお陰です」

謙虚ですねぇと目を細めるメフィストに、雪男は一礼して、踵を返した。


「ああ、そういえば――――今日は、あれの月命日でしたね」雪男は思わず振り返り、静かに目を見開く。
豪奢な椅子に腰掛けた上司は、相変わらず食えない笑みを湛えている。
ただ、その初夏の新緑を閉じ込めた瞳の奥は、感情の読めない光を宿していた。

「お兄さんと共に、あれの墓参りに行かれるので?」
「……ええ。シュラさんも、交えて。……フェレス卿は?」

さぁ、この後の気分と天気によりますかねぇ、と、フィストはついと目を細めた。
雪男は平静を装いながら、しかし内心では動揺を抑え切れなかった。



――これは、彼の本心を垣間見るチャンスじゃないだろうか?
彼が亡き父に抱く想いの片鱗に、触れられるのではないのだろうか――



彼は、本当に必要な時でない限り、極力亡父の話題を出さない。
もし亡父の話題を出したとしても、兄が絡んでいる時のみ。
自分から決して語らないし、他者に尋ねられたときは、皆が知る亡父の姿を僅かに零すだけ。
その彼が、公の場でなく、二人きりの時に。
自らの口で、亡き父のことを、切り出すとは――雪男はゴクリと唾を飲み込んだ。



「―――今日は天気が良いから、フェレス卿も時間があれば行ってあげてください。父もきっと、喜ぶ」
「ふふっ。貴方がたが訪れれば喜ぶでしょうが、私ですと、憎まれ口を叩くでしょうよ」



まぁ、あれの憎まれ口は、大概が照れ隠しなんですがね――




それは、一刹那だった。それを見た自分は、本当に運が良いとしか言えない。
――あんな、狂おしい想いを篭めた表情をするフェレス卿を、見れるなんて。





ああ、あの時と――――あの時と、同じ、だ。





『―――獅郎』
『なんだよ、メフィスト――』


穏やかな昼下がり、緩やかな風、窓際に佇む二人。
あの時、兄と一緒に部屋で昼寝をしていたのだが、たまたま喉が渇いて目が覚め、水を飲みにたまたま父の部屋の前を通りすがり、たまたま父の部屋の扉が開いていて。
だから、たまたまあの時に、見てしまったのだ。
自分達兄弟には向けない微笑みを浮かべる父と、父の掌に頬を寄せて、言葉に出来ぬ微笑みを浮かべる、彼の姿を。
幼心に、これ以上見てはいけない、知ってはいけないと、思わせた―――清廉と言うには余りにも艶やかで、色情と言うには余りにも汚れなかった、二人の姿を。



―――あれから、二人のそういう場面に出くわすことはなかった。
否、出くわさないように、気をつけていた。
他者が踏み込むべきではない――二人だけの世界を、そっとしておきたかったのかもしれない。





「フェレス、卿は………父のことを、どう思っているのです、か……?」


声が、震えた。心臓が駆け出すのが解る。
この十年間、聞くに聞けなかった、問い掛け。
上司は何と、答えてくれるのだろうか。




「………そうですね、あれは―――実に離れ難い存在ですよ」




亡き今でも、実に恋しい





「……っ、それは……」
「ちょいと失礼すっぞー!」




突如、扉が派手な音を立てて開いたと同時に、豪快な女性の声が響き渡る。
と、同時に、ぐいっと襟首を鷲掴みにされた雪男は、目を剥いた。

「えっ、なっ、ちょっ……シュラさん!?」
「おっせーぞ雪男、何んな所でちんたら油売ってんだ!
燐も待ちくたびれてんだぞ、用が済んだんならさっさとしやがれ」

豊満な胸を惜し気なく揺らして、シュラは目を眇る。
メフィストはくつくつと喉を鳴らし、ひらりと手を振った。

「すみません、少しばかり話し相手が欲しくて、引き止めてしまいました。
用はもう済みましたので、どうぞ」
「おう、じゃあこいつ連れて行くなー」
「わっ!ちょっと、シュラさん!」

シュラに襟首を鷲掴みにされたまま引っ張られて、雪男はたたらを踏む。
とりあえず離してくれ、首が苦しい。

「シュラさん、離し……っ」

堪らず抗議の声を上げようとした、その時。





“雪男”





酷く恋しい、慣れ親しんだ声が、鼓膜を震わせた。





「―――……っ!?とう……!!」




部屋から出る間際、ばっと後ろを、振り向くと。
滅多にない穏やかな表情をした上司の、傍らに。
優しく笑う亡き父の姿を―――確かにこの目で、捉えた気がした。








清廉と言うには余りにも艶やかで、色情と言うには余りにも汚れない、あの時の彼等の姿。
他者が知ってはいけない、踏み入れるべきでない、そっとしておくべき、二人だけの世界。
その世界は今も尚色褪せることなく、二人の間に漂っている。
「雪男ー?何ボーッとしてんだ、腹でも下したか?」
「下していませんよ……それよりも、兄さんを待たせているんでしょう?行きましょうか」

晴天の下に踊り出た雪男は、チラリと理事長室の方を一瞥する。
理事長室の窓に映るは、あの時の彼等の情景。




これ以上は、知ってはいけない―――知らなくても、良い。




そっと目をそらし、先を歩くシュラの後を、追い掛けると。
再び優しい声が聞こえた気がして、雪男は幼子のように、くしゃりと、笑った。






手付かずの世界




(ただ一つ解ったことは、二人の世界は今も鮮やかに、この時を生き続けているということ)




11.07.06




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