・メフィストが仄かに病んでいる
・ほんのりサタユリ表現あり(アニメ設定)







ああ、何て、滑稽な。







夕闇が差し迫る黄昏れ時、薄暗い室内に、突如己以外の存在が顕れる。
書類に落とす視線をそのままに、メフィストは、静かな声音で侵入者の名を呼んだ。


「何用だ、アマイモン」
「兄上」


一瞥をくれてやれば、いつの間に現れたのだろう――部屋の中央で、静かに佇む弟の姿を捉えた。
いつも連れ歩いている愛玩ペットが見当たらず、しかも、不気味なほどに大人しい。

何か、畏まることでもあるのだろうか。

書類を脇に追いやり、本格的に弟と対峙することにする。
自分と近しい翠色の瞳が瞬く。弟の唇が、ゆっくりと開く。


「兄上。父上が、憂いています」


何に、とは、言わなかった。
アマイモンは再び口を閉じ、兄をジッと見据える。
メフィストは深く椅子に腰掛け、悠然と腕を組んだ。


「今更、放蕩息子が心配になったとでも?」
「…父上にしてみれば、かなり心配している感じですね」


兄上が、余りにも父上の【器】に、入れ込みすぎているので。
このままだと、兄上が父上に牙を剥くんじゃないか――そう、兄弟達が囃し立てていますよ。


「父上は、兄上の好きにすればいいと、仰っています。
ただ、兄上は【アレ】が父上の【器】であることを、忘れていませんか」


アマイモンは淡々と言葉を羅列する。明翠の双眸に、鋭利な光りが宿った。



刹那。



「――お前が【アレ】を【器】扱いするな」



ピシリ



机上の湯呑みに皹が入り、真っ二つに割れる。
空気が軋む。室内の温度が、急激に下がった。


「ハイ、すみません、兄上」


兄の怒気に、アマイモンは素直に謝罪を口にする。
メフィストは机に肘をつき立てて、弟を睥睨した。


「兄弟共に伝えておけ。父上がアレに【器】以上を求めぬ限り、裏切りはないと」



アレは父上の【器】である前に、私の【者】だ。
それに。



「父上はたった一人の女しか見ていない。だから、私が牙を剥く日は来ない」


アマイモンは首を傾げた。


「はぁ、よく解りません。
父上も兄上も、何故一人の人間に固執するのでしょう」


人の命は、蝋燭に燃ゆる灯のようなものだと思っている。
弱くも儚い、貪欲な生き物。そして、生き急ぐように老いて逝く。
それがアマイモンの認識であり、悪魔達の見解だ。
だが父は、人間の女と想いを通じ、子を成した。
女は双子を産んだ後に逝ってしまったが、父は未だに女を想っている。
また兄も、同性の人間を大事にしている。
それが、理解し難い――アマイモンは眉間に皴を寄せた。


「人は面白いとは思います。だが、個人に執着するのが、解らない」


アマイモンの言葉に、メフィストは淡く微笑した。


「解らないなら、そのままでいい。
悪魔たる者、そんな気持ちを抱かない方が、幸せだろう」



だが、一度解ってしまえば――世界が変わり、言いようのない幸福感と支配感に包まれるだろう。
そして抜け出せなくなり、手放せなくなるのだ。



「兄上は、それを理解した上で、幸せなんですか」
「ああ、この上なくな」


頬杖をついたメフィストは、うっそりと微笑む。
兄の微笑に、弟は、では、と、口を開いた。


「アレが父上の【器】となったとき、どうしますか?
おそらく命を落としますよ」


兄は、父が【アレ】を【器】として見るならば、是とした。
つまり、父がアレに憑依した際、落命しても良い、ということになる。
アレを大事に想うならば、兄の言うことには矛盾が生じる。


「その時兄上は、どうされるんです」


アマイモンの顔から、表情が抜け落ちる。
重厚な威圧感が大地を軋ませ、大気を揺るがす。
地の王を戴く悪魔のプレッシャーに、しかしメフィストは、愉しそうに嗤った。


「―――【器】としてならくれてやる。寧ろ、好都合だ」


人の肉体など、百年も保たない。
勿論肉体の在る内は、肉体ごと愛でてやろう。
ただ、己が欲しいものは、そんなもんじゃない。


「私はな、アマイモン。とてつもなく貪欲で、強欲なのだよ」



儚く朽ちる肉体など要らない。
本当に欲しいのは、アレの魂、時間、未来、輪廻。



「アレの魂が亡くなるまで、一生放してやらん」



愛という檻に囲い、情という鎖で搦め捕る。
アレは私の性分をよく理解している。
私の思惑に気付いても尚、終わりが来るまで傍に居るだろう。



「そこに付け込んで絆していく。
まぁ…それが悪いと思わないことに、罪悪感なら感じるがなぁ」


うっそりと笑みを深める兄は、罪悪感どころか、嬉々としている。
アマイモンは目を細め、息を吐いた。


「ああ、安心しました――兄上は、誰よりも悪魔らしい」
「ふん――もういいか。そろそろアレが来る」


手払いするメフィストに、アマイモンは瞬き一つで、音もなく消える。
再び静けさを取り戻した室内は、宵闇が支配権を握る。



「――囚われ囲われ搦められ」



愛しいと啼く声は、このまま狂い堕ちるのか、報われ応えられるのか。



「実に厄介な感情だ」



ただ、棄てられない、棄てたくない感情であることに、不変はない。
宵闇に浮かぶ翡翠の瞳が揺らめく。
深い色を湛えた瞳は、やがて闇へ融けるように、瞼の中へ消えていった。




………………




小さな窓から見えるのは、暗い室内。
更に目を凝らせば、兄と、兄が執着する人間が、ぼんやりと見える。
人間は兄と同じ性で、悪魔の敵である祓魔師だ。


「兄上。やはり、理解は出来ません」


離れた所からでも解る――兄の、酷く優しい表情。人間も穏やかな眼差しで、悪魔を見詰めている。
異種族同士で、真の愛とやらは、生まれるものだろうか。


「ただ―――」



ただ、解らないままの方が、悪魔として幸せかもしれない。
ただ、解ったのならば、父と兄の見る世界を識れるかもしれない。
知りたいようで、知りたくない。



「はぁ、もどかしい」


星屑降り注ぐ夜空を仰ぎ見、ゆっくりと瞳を閉じる。
さすれば徐々に身体が闇へ還ろうとせんと、透け始めてくる。
やがてアマイモンの姿は完全な闇と同化し、消え失せたのだった。






不都合真実



(後に彼は識ることになる)
(人しか持ち得ない愚かさと、美しさと、尊さを)




11.11.05




(1/9)
[back book next]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -