最遠菜園再演
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その日、足立透の名前が久しぶりに新聞に載った。朝刊である。紙面には上告や再審、裁判員制度などといった教科書でおなじみの固い言葉が華やかに舞っているのだが、俺には「足立透」と「死刑」という文字だけが白黒の紙面の白黒の言葉の中で色づいて見えた。極彩色の毒々しい言葉だ。それは林檎を絵具で緑色に塗って蜂蜜をかけた時の、溶けだした色と苦みと、ねっとりした匂いによく似ているように思われた。
しかしこれは嘘だ。自分はそんなものを見たことがない。

まとまらない思考にうんざりとし、首を振りながら「死刑」を指でなぞると、汗ばんだ指先に黒いインクがにじんだ。なんとはなしに指紋の溝に染み込んだそれを舐め取れば、嘘のリンゴと違い、真実苦い。その指に眉をしかめ、思い出す。あの人の指先も確かこんな味がしたものだ。
資料探しに明け暮れた(ふりをした)あの日の彼のインクに汚れた指。夕日に染まった彼の部屋で奪い取った手が鮮明に思い出される。舌先でなぞった彼の指紋、そぎ取った黒いインク、「やめてよ」、声、木の匂い。あの人の顔だけがぼやけている。
彼は死んでしまった。




※ ※ ※


ざくり、とスコップが土に刺さる瞬間瞬間に、誰かを刺殺しているような気持ちになる。靴に土がぱらぱらと毀れるのさえ滴る血液のようだ。そういった残虐な行為を繰り返し、首筋から落ちる汗が暗い地面に飲み込まれていくのを見て、ようやく我に返る。深く掘りすぎていた。汗をぬぐって腕時計を確認すると、丁度正午だ。少し気分がいい。
あの記事を読んだ後、学生鞄の代わりにスコップを片手に、学校の代わりに橋の下の空き地に走った。この都会には珍しく、まるで整備されていない場所だ。日当たりが悪くいつも乾ききらない地面や飛び回る虫のせいか、ホームレスさえ寄り付かない。けれど俺はここが嫌いではなかった。なにより、あの町と違ってこちらにはそんなところしか本当の地面がない。

痛む腰を知らぬふりで屈んで、いつだったかに買った種を掴み撒いた。かつてあの人に食べてもらうためにと買った、(そうだった、そんな日もあった。)旅行鞄の底に取り残された幼い自分だ。
柔らかく土をかぶせると、あの町の記憶がいくつも積み重なった。ふんわりとした感触を死刑の文字が踏み固める。こんなじめじめとした日陰でうまく植物が育つものだろうかという不安もあるにはあった。しかしうまく育てばそれは、何よりもあの人にふさわしいだろうと感じる。
土に汚れた手を、舐めた。それすらも記憶につながり、どうも味覚に頼りすぎているようだと苦笑した。
仕上げにと、コンビニで買った2リットルペットボトルの水を如雨露に入れて撒く。水が明るすぎる太陽に当てられてキラキラと輝く瞬間だけ、俺はどこかに感じている罪悪感から逃れられる。あの町にいたときもそうだった。確たる形を持たないそれが光そのもののようにワッと散っていくその光景だけが、俺を肯定する。生み出す行為は神聖だ。


「免罪符のつもりなの?」

いつか足立さんはそういって意地悪な顔をした。11月の中旬、叔父も従妹もいないその家で彼を抱いた後、畑をいじっているときだった。

「免罪符?」

種をまきながら疑問符で問うと、足立さんは「そうだよ」と高圧的に言った。彼が警察めいたのはこの時が初めてだ。

「普通、した後に畑いじりなんかするかよ。君は性行為をはき違えてるっていうのをほんとはわかってるんだ。僕と君が何も生み出せないから、そうやって代替行為で罪滅ぼしをしている気になってるんだろう? 異常なんだよ」

「そんな、罪滅ぼしなんて、そんな」

「異常なんだよ!!」


「……あんまりですよ」



泣いていたんじゃないかと思う。俺も足立さんも。
足立さんはその後「帰る」と一言いうと一度家の中に引っ込み、荷物をもって行ってしまった。ついに俺のことを一度も見なかった。その後一度も。
犯人だと追いつめて、戦って、捕まえて、手紙のやり取りもあったけど、結局それが最後だったように思える。彼と俺の触れ合った最後だった。そして彼は、これから死ぬ。


空になった如雨露を手からプランと下げて、立ち尽くしていた。
日はまだ頭上に赤々と燃えている。もしあれが神の目でも、この橋の下は見つけられないだろう。

「きっと、生みましょう」

膝についた土を何度もはたきスコップを持ち上げると、足立さんに言った。いつまで経っても俺の口は愛してるとささやくには幼すぎて遠回りする。
いつか俺はあの人に許してもらえるんだろうか。
苦笑いをして俺は足立さんを許した。神の目は届かず、免罪符にもならないちゃちな感情だった。








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