お祈り
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あなたがいくら人を殺そうと俺は何にも構いはしない。今になってやっとそういうことが分かった。
ぎゃはははと笑うとおもむろに足立さんの手を引っ張った。痛いよ、という言葉なんか聞こえないふりだ。ぐいと腕を引いて地面を蹴りつけた。アスファルトが固く靴底を押し返し俺の脚は跳ねるように前へ進む。足立さんの体重が掴んだ腕から感じられた。
「足立さん、俺が全部、あなたを助けてあげる」
車ももう通らない田舎の夜は俺たちの靴音を響かせる。軽快な俺の足音に、もつれるような足立さんの足音が重なって不安定なリズムがそこに完成した。へたくそなダンスよりまだひどい。今にも転びそうな二人の影を、切れかかった街灯がちかちかと忙しなく映しては消した。
春先のにぶい風が頬をなぜる。
「ちょっと、ねえ、なんのつもり」
引き摺られながらとぎれとぎれの言葉はどこか白々しい。また忘れてしまっているのか、それとも単なる意地悪だろうか。
――いや、なんだっていい。
歩を速めた。
「何度あなたが殺したって、俺は今の今まで気付かなかったけど、殺したって、俺はそれでいいよ」
ぎゃは。高揚した気分のため上がる息に中途半端な笑い声が乗った。繋いだ彼の手が強張って汗ばむ。しらを切ろうと認めようと構わない。もうなんにも関係ない。俺はこのままあなたの手を離しはしないのだ。硬くつないだまま駅へと向かって、線路をたどって知らない町へ行こう。
「逃げよう、足立さん」
もう一度速度を上げた。互いの汗で滑る手を握りなおして強く引く。足立さんは何か言っているかもしれない。何も言わないで考え事をしているかも。あくどい顔をしていることもあるし、悲しい顔をしていることもあるだろう。でも俺はそこに足立さんがいればなんだっていい。彼を連れ出して、逃げ出せればそれでいい。駅までもう後少しだ。
「あなたがいることが全てだったんです」
気付くと、ほとんど全力で走っていた。いつの間にか足音は重なり合って、つないだ手の躊躇いもない。そこにあるのはただただ人間の手首の重みで、足立さんの体が俺と同じように動いて、走って、逃げているのが分かった。
綿飴を噛みしめたときのように甘い陶酔が広がる。やはり構わないと思った。
(足立さん、もし逃げきれなくても俺が身代わりになってあげよう、いつでも祈っていてあげよう。足立さん。あなたがどこかにいるように。立ち消えて、紛れてしまわないように。何度だってあなたのことを許してあげよう)
俺たちの住んでいた町は、人は、霧は、知っているものもこれから知るものも全部フィクションだった。
明かりの消えた駅で、実在しない俺はせめて祈る。
(お願いです、神様)
「……君はバカだねえ」
足立さんは乱れた呼吸で笑った。
静まり返った駅は、冷たい線路を持て余している。
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