迷晰夢に浮く幸せについて
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もしもあなたが俺のものになったら小さな船を買おうと思う。
屋根があって、最低限の料理もできて、ベッドは一つでいい。海の真ん中で魚を釣りながら歌でも歌って、足立さんには野菜を育ててもらおう。好きなものを好きなだけ増やせばいい。
あなたは時々水をやり忘れるだろうから、その時は俺がこっそりやってやる。けれどさぼり癖はつかないように後できちんと注意するのを忘れない。
魚がたくさん釣れた日には足立さんに料理を手伝ってもらう。君が作ったほうがおいしいのにと少し愚痴る足立さんは、でも魚を上手く下ろそうと躍起になっている。俺は骨に気を付けるように注意を促して、でもあなたの自尊心を尊重して手出しはしない。
初めのうちはたどたどしかったそんな包丁さばきも、実は要領のいい足立さんは、何度か練習するうちに慣れてしまう。俺はそれが嬉しくて誇らしくて、でも少し淋しい。
長く暮らしていると嵐の日もあるだろう。そんな日は二人でそっと寄り添って、無事を祈る。もしかして船が壊れるかもしれない。帆が折れるかもしれない。船の壊れていく音を聞きながら、大丈夫だよと言い合うのだ。
そうして次の日、俺は昨日の嵐が嘘みたいに晴れた空の下で、手を油で真っ黒にしながら慣れない修理に挑戦するだろう。
強すぎる日差しの下肩で汗を拭く俺に、足立さんが冷たい飲み物を持ってきてくれると嬉しい。飲み物はなんだってかまわない。汚れた手でコップに触れるのをためらう俺に気づきストローを持ってきてくれる足立さんのために、俺はさらに修理に精を出すだろう。固い音が響く中で俺たちは明日の天気の話をしながら笑いあうのだ。
ただ、絶対に霧の話だけはしない。
たまには町に降りて買い物をする。牛肉や真っ白な牛乳、柔らかいパンなんかを買い占めながら固い地面に靴を鳴らし、買い過ぎてしまったパンのかけらを猫におすそ分けして船へ戻ろう。
夕日に照らされた海が燃えるように赤く光りながら太陽を飲み込んでいくのを見ながら、同じように橙色に染まった足立さんの頬にキスを落として帰ろう。
街に出かけた日の夕食はいつもよりもぐっと豪華で、足立さんは顔には出さないがその日をとても楽しみにしている。
そんな幸せな生活を送っているというのに、ある夜目を覚ますとベッドにあなたはいない。足音を忍ばせてデッキに出ればあなたはそこで一人で泣いているのだ。まん丸に満ちた月があなたの涙を黄色く照らして、まるで溶けた月みたいだ。俺はそんな静かな光景に息を潜めながらも近寄って、どうして泣いているのかと聞こう。多分あなたはこう答えるだろう。「それでもなお世の中はクソだ」。
俺はそんなあなたの言葉が理解できない。クソな世の中から連れ出して抜け出して幸せな世界に生きているはずのあなたが、どうしてそんなことを言うのかわからない。だから俺は何故そんなことを言うのかと問い詰める。
あなたはチョット腫れた赤い目で俺の顔を見た後で、笑いながら言うのだ。「これは君の妄想だよ」と、歪んだ笑いでそう言う。現実になんかならないし、夢にも見れない出来損ないの、クソだよクソ、と、ついにはゲラゲラ笑いながらあなたは俺を蔑むのだ。
俺はそんなあなたを悲しい目で見ながら、どうしていつもうまくいかないのだろうと考える。そんなことを考えている間にも足立さんと過ごした幸せな記憶が記憶ではなくなっていって、それを知ったあなたはまた笑うのだ。偽物だと叫ぶあなたの口を俺は意外な力で塞いで、あなたの軟な体を手すりに押し付けながらのけ反らせる。手を放すと、両手でそっと包み込んでいた蝶が飛ぶように、またあなたは酷いことを言い出すので、今度はその口を口でもって塞ぐ。
すると、俺の口に大量の「嘘だ偽物だ妄想だ想像だ君は馬鹿だどこを何を見ているのだお前なんて大嫌いだうぜーんだよ死ね」が雪崩れ込んできて気持ちが悪くなり、胸のあたりがむかついた俺はあなたを勢いよく船から放り出してしまう。
しかしいつまで経っても水の跳ねた、あなたの落ちた音はせず、そのかわり白い霧のようなものが満月へと立ち上っていくのが見えるだろう。もあもあと蜃気楼のように揺れるそれは最後、この海と船と月まるごと蜃気楼だといって薄く薄く、消える。
俺はそれが完全に月明かりに溶けてしまったことを確認するときれいな水で口をゆすいで一人、ベッドに戻り毛布にくるまる。暖かい毛布の中、気だるい午後の日差しの中でノートを広げた机に頬杖をついている俺の姿を妄想だと仮定してみる。あなたが殺人なんかしていないただのしがない公務員だと仮定してみる。
俺は授業なんかうわの空で、目に見える空を見上げて船を買う妄想で遊んでいて、あなたはまたどこかで要領よくさぼっているのだろう。ほっぺたにふわふわとした毛布が当たって、きっと俺はそんなあなたのことが好きじゃないんだろうなってことがはっきり分かった。
そうだ、もうすぐ授業が終わる。




俺はその夜、自慰をする足立さんの夢を見た。いつもの姿からは想像できないような切実さでテレビを見つめ、酷く汗ばんで、頬を赤らめ、呼吸も乱れて、恍惚としている。彼が熱心に見つめるテレビには、山野真由美が笑っていた。

俺はこの夢が覚めたら、船を買うだろう。








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