自主規制音
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11月の終わりに、堂島家へ訪れた足立さんは俺の後頭部にそっと拳銃を突きつけた。

憔悴しきった顔で何も言わず玄関にたたずむ足立さんを家の中へ押し込んで、どうしたものかと思いながらもやかんに火をかけたその時だった。目の前のガスコンロの熱気と対抗するような、ツン、とした冷たい空気を背後に感じた。凍ったように冷たい黒さが頭に痛い。


「逃げちゃおうか、二人で」


ぽとりと。
心のどこか深い場所から漏れ出すような声を聞けば、顔を見なくても、笑うように歪んだ足立さんの顔がわかった。
この人は本当は息をするのも辛いのにその上笑おうとまでするものだからそういう顔になってしまうのだ。俺は知っている。

「知ってるんでしょう、犯人。それでも君は僕のこと好きなんだよね」

犯人、という言葉と好き、という言葉が拳銃とともに揺れた。こうして足立さんに(たとえ間接的にでも)触れたままもう二度と離れなければ、俺は足立さんの揺らぎを一つも見逃さないのだろうか。そしたら俺は彼をこの殺意から救えるのだろうか。むき出しの不安が頭の後ろで震えている。それがどうにも哀れで切なかった。

「足立さん」

「……うん」

「俺はどうしたらあなたを裏切らないでいられるのか、分らないです」


語尾がみっともなく震えて、そんな情けない声に後頭部の鉄の塊もゆらりと動揺した。いくら舌を合わせても、体をどんなに繋げても、遠く、冷え冷えと感じたこの人が今更になってこんなにも近く透き通って見えるのが不思議だった。この足立さんとなら、という期待が膨らむにつれて、この足立さんだけは、という思いが張りつめた。


「俺は、あなたと一緒に行けない」



足立さんには、放たれた音がどんなに空虚に聞こえたことだろうと思う。顔がコンロの熱で熱い。やかんが限界を迎えそうな風だった。
ダメだよ、と。足立さんの言葉も少しだけ熱を帯びる。一緒に行こう。

俺の妄想がそのまま足立さんに流れ込んだのではないだろうか。そう思ってしまいそうな甘美で枯れた誘いは、同時に俺に裏切りを強いていた。
もし俺がここで誘いに乗ったのなら、それは間違いなく彼への裏切りだった。ここで鉛の弾を体に受け入れたとしても俺はきっと本当の意味で死ぬことはない。今起こっていることはただの夢に成り下がり、足立さんの決意も苦悩もなかったことになる。結局俺はここから動けないのだ。
それを裏切りといわずしてなんと呼ぶのだろう。
だから俺は彼と行くことができない。騙して裏切る沈黙よりは、見え透いた拒絶を選びたかった。


「俺はあなたを、」




つんざくような音が俺を遮った。目の前のやかんが、真っ白な水蒸気を噴き上げていた。
あ、と小さな声がのどから離れるのと同時に、押し付けられていた銃も頭から剥がれた。そんな物騒なもので繋がれていたのに繋いだ手を離すときと同じだけの淋しさがそこに残った。甲高い音の中、身じろぎの音が思ったよりも近くに聞こえてそんなちっぽけな距離すら埋められない自分と彼との距離を実感する。冷たい架け橋が経たれてしまった今、彼と俺は信じられないくらいに、他人だった。
コンロのつまみに手をかけたとき、足立さんが小さく、本当に消えそうな声で、君は馬鹿だねと呟くのが聞こえた。聞こえたような気がする。やかんの音を都合よく聞き間違えたのかもしれなかった。
火を消してしまう頃には俺たちは物理的な意味でも遠く離れて、それなのに何もできない俺は玄関の引き戸がしまる音をただ聞いていた。
俺は彼を抱きしめることだってできただろうに。動けない体に括り付けて、それでも二人で過ごすことだってできただろうに。俺は結局ここから動けなかった。

やかんのお湯を捨てながら、俺は馬鹿なのかな、と笑う。温められたシンクがべこんと跳ねた。
そうして笑いながら彼の声を思い返そうとして、やかんのつんざくようなあの音だけが耳鳴りのようにいつまでも繰り返されることに気づき、少しだけ泣いた。








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