それでも俺で良いんですか? 前
 不良に絡まれたときに助けてくれた。
 同い年だから。
 一二三が怖がらないで済むから。
 リーマンとOL同士だから。
 有給休暇をとる勇気をくれた。
 営業先だった。というか、朱智斗さんが営業先になれるように尽力してくれていた。どういうことだ。ついでに無茶苦茶朱智斗さんは昇進していた。おめでたいことだ。
 あとは、あとは、あとは……。
 とにかく朱智斗さんにお世話になっているから。

「朱智斗さんは幸せにならなくちゃあ駄目ですよ!! ダメなんです! 幸せにならなきゃ〜……!」

 飲みになるたびに繰り返した。
 朱智斗さんは今までたくさん苦労してきているから。俺みたいなのの相手をしてくれるから。
 飲むたびに言った。

「朱智斗さんは幸せにならなくちゃいけない人なんです……」

 抜けきらない他人行儀。それでも朱智斗さんは気さくに接してくれる。

「独歩くんも幸せにならなきゃだめだよ〜。っていうか同い年なんだからそんな敬語じゃなくて良いって」
「で、でも……俺と朱智斗さんには天と地くらいの差があって……」
「無いからないから」

 チューハイを飲み続け、ほんわり赤くなった顔で微笑まれる。可愛らしい。気遣いが優しい。伸びてきた手が、項垂れる俺の頭を撫でてくれた。

「独歩くんは頑張りすぎ屋さん〜」

 そんなことない。俺みたいな底辺者はこのぐらいやらなくちゃ当然で本来なら朱智斗さんと飲むなんて釣り合わな過ぎて、ずっと仕事してろよって感じで、頭下げてろよって感じで、本当なら会社に今日も泊まり込みの予定だった。それをゲストの札をさげた朱智斗さんに乗り込まれて止められて引きずり出されて。
 ――いろいろ溜まってるでしょ。吐き出そう!
 ――そして程々のところで解散して、たくさん休もう!
 朱智斗さんのその権力は何処から来るんですか?
 その勢いは何処から来るんですか?
 そして何よりどうしてその力を俺の為にそんな、俺なんかの為に使ってくれるんですか……。

「朱智斗さん……」
「あのねえ独歩くん」

 ぐずぐずの俺に、朱智斗さんは言った。

「そんなに私の幸せを願ってくれるの、独歩くんだけだよ」

 朱智斗さんが、なんだか恥ずかしそうに、えっ、恥ずかしそうにどうして?

「頑張れるの、独歩くんだからだよ」
「え? え?」
「何て言うかね、えっとね……」

 何でそんなはにかみながら。お酒よりも違う理由で赤く顔を染めながら。
 ど、ど、どうして。どうしたんですか。

「独歩くんのこと、好きなんだよね」

 俺は椅子から転げ落ちた。
 夢かと思った。聞き間違いだと思った。
 椅子に座り直して、改めて朱智斗さんを見る。
「ああああああ、あの、ど、どどど、どういう……」動揺のあまり言葉にならない。間違いでなければ俺は今しがた朱智斗さんに告白されたが、まさかそんな訳が無い。だって俺だぞ?
 俺を見つめる朱智斗さんはやっぱり恥ずかしそうにしていた。女の子の顔だ。どうしよう。もしかして幻聴じゃなかったのか? だとしたら朱智斗さんが俺に好意を向けていることになるぞ。本当にか?

「飲みの度にさ、独歩くん、自覚してるかわからないけれど、私に『幸せになって』って連呼するんだもの。そんなに優しい人に惹かれない子はなかなかいないと思う。少なくとも私は惹かれた」
「ひ、引かれたではなく?」
「心惹かれちゃったほう」

 そんなつもりじゃなかった。そんなつもりじゃ。俺はただただ朱智斗さんにお世話になっていて、有難くてありがたくて、迷惑をかけているぶん、幸せになって欲しいと願っていただけで。それはきっと俺なんかじゃ無理なので、俺の知ってる知らないともかく、朱智斗さんを間違いなく幸せにしてくれる相手と一緒になって欲しいというだけで。
 そのつもりの『幸せにならなくちゃだめ』だった。
 まさか彼女の想う先が、俺になれ、だなんてつもりは無かった。
 けれど、けれど。

「独歩くんにとって迷惑? 私は独歩くんとなら幸せになれるんだけど」

 そんなこと言われたら、そんな顔で言われたら、断れる男なんていないでしょう――

「お、俺なんかで良ければ……よろしくお願いいたします」

 ああ、聞き間違いじゃなかった。
 俺の返事を聞いて、朱智斗さんは満面の笑みを浮かべた。今にも泣き出しそうなぐらいに瞳を潤ませて喜んだ。俺なんかの返事で。俺なんかとのつながりで。朱智斗さんは「幸せだよ」と笑ったのだ。
 見間違いでもなかった。

「は〜、フラれたらどうしようかと思ってた……」
「こ、断る訳ないですよ! 寧ろ俺はリアルな幻覚を見ているのかと思ったくらいで……」

 間違いなく俺は嬉しかった。喜んでいた。間違いじゃないんだ、これ。
 朱智斗さんの手を取って、俺はその存在を確かめるように返す。

「だからその、本当に、よろしくお願いします!」

 朱智斗さんはこくこく頷いて、ぎゅっと手を握り返してくれた。
 伝わってくる熱に俺の心臓は、バクバクと忙しく脈打つ。こんなこと慣れていないから。
 自分一人でも幸せになれないようなヤツに、誰かを幸せにする力はあるのか……。
 そんな疑問も吹き飛ぶぐらい、俺も俺で舞い上がっていたのだ。
 明日が休みで良かったと心底思う。上司にあれやこれやと言い迫り俺の有給休暇をもぎ取ってくれた朱智斗さんに感謝だ。自力でも取れるようにならないと……。
 居酒屋で朱智斗さんと別れてから(仕方ないとはいえ付き合い始めるっていうのに縁起の悪い言い回しだ!)、夢見心地のまま家へと帰った。
 握った手の感触。あの花が開くような笑顔。伝わってきた熱と高揚。
 ソファーに腰掛け、開いた両手をじっと見つめる。……朱智斗さんと触れた手。そろそろと両手で顔を覆った。気持ち悪い奴と思われるかもしれない。けれど、頭を抱えてしまう。もっと格好良く決められなかったものか。というか朱智斗さんと触れた手で顔を覆うってなんだか変質者っぽくないか。でもだったらどうしたら良いんだ。髪をかきむしる。間接的にこれは朱智斗さんに髪をわしゃわしゃしてもらっているのと同じなんじゃ……ああ、ああ! 自分が気持ち悪い! いつも以上に酷い!! でもこうなったからには、好きだと言ってもらえたのだから、いつかそんな時もあるかもしれない。間接でこれだと直接ならどれほどの破壊力を有するのだろう。そうなれるとしたら、俺の他人行儀な口調を何とか脱しなくては。朱智斗さんとは同い年なんだし、敬語じゃなくていいと以前から言われているし、何なら……よ、呼び捨てでいいわけだし! 朱智斗さんも俺を呼び捨てしてくれていいんだ!

「朱智斗さん……じゃなくて、う、うう……ああぁ……」

 ダメだ、何度やっても「朱智斗さん」になってしまう。

「朱智斗さん朱智斗さん朱智斗さん朱智斗さん……」

 せめて一二三みたいに気軽で気さくな感じは出来ないだろうか。朱智斗っち……。朱智斗ちん……。いや、やっぱり無理だ。キャラじゃない。なんか俺が言うと古臭く感じるし……。こんなんじゃまた手を触れた時とかどうしたらいい? 触れるたびに心臓があんなにバクバクドクドク言うと、俺は本当に早死にしてしまうんじゃないか!? 朱智斗さん朱智斗さん……。あなたはどうしてそんなに俺の心臓を動かすのが上手いんですか……。殺す気ですか……。嫌ですよ死にたくないですよせっかく「好き」って言ってもらえたのに。いっぱい朱智斗さんと過ごして、この他人行儀な感じとか口癖のすみませんとか無くして、なんとかかんとか朱智斗さんと幸せに過ごしたい……。
 だってほかならぬ俺が「朱智斗さんは幸せにならなくちゃいけない」って言ったんだから。
 朱智斗さん……。


「たっだいま〜! 独歩!」
「ぎゃあ!」

 少し微睡んでいただけのつもりが、一二三が帰ってくる時間になっていたらしい。朝日がカーテンの隙間から差している。
 悲鳴を上げた俺に、笑いながら一二三が言う。

「こんなとこで寝てたら風邪ひくぜ〜? ずーっとうなされてたから起こしてみた」
「うなされ……?」
「うん。なんかずっと朱智斗っちの名前呟いてた」

 恥ずかしくて穴を掘って入りたくなる。夢の記憶はないが、夢に見ても不思議じゃないぐらい朱智斗さんのことしか考えてなかった。一二三はよっぽど面白かったのか、「朱智斗さ〜ん」と俺の真似をしている。

「止めてくれよ、恥ずかしい……」
「止めてもいいけどどしたん? そんなに朱智斗っちのこと考えて、何かあった?」

 声のトーンが少し変わって、俺を心配してくれているらしい雰囲気が伝わってくる。俺と朱智斗さんの間に何かあったのではないかと思ったんだろう。俺自身まだびっくりなんだが、全くの杞憂である。一二三に話さないわけにはいかないだろうと、俺は改まって口にした。

「あのな……朱智斗さんに、告白された」
「んえっ!?」
「好きって、言われたんだよ」

 抱きしめたクッションに顔を埋めた。あの瞬間の高揚が、ときめきが鮮やかに蘇ってくる。昨晩あれだけこなしたつもりが全然慣れていないのだと気づかされる。朱智斗さんの名前を思い浮かべるだけで心臓が跳ねる。餓鬼か、俺は。思春期真っ只中の乙女か。
 隣に座った一二三が俺を揺さぶってくる。

「それでそれで〜……どしたの独歩は!」
「……よろしくお願いしますって」
「言えたの? 言えたんだ!? よくやったーーーー!!」

 と思ったら今度は抱き着いてきた。騒がしい……騒がしいけれど、嬉しかった。一二三なら喜んでくれると思ったんだ。朱智斗さんは一二三にもよくしてくれるから……。前から何となく背中を押されている気もしていたから。
 わーわー騒ぎながら一二三は俺を祝福してくれた。

「前から二人とも見てるこっちがもじもじもぞもぞしちゃうっていうか分かりやすすぎるっていうかもうくっつけよ! って感じだったからさ〜〜〜〜! そっか〜朱智斗っちからなのはアレだけどよくぞ応えた独歩ちん! テンパってゴメンナサイとかしてたらマジ笑えねー! 良かった良かったぁ! 前から実は俺っちさぁ朱智斗っちから相談も受けててさ〜独歩がフリーかとか、自分は脈ありかなしかとかさぁ、あ、勿論脈ありアリのありって返しておいてそっと背中を押し続けてたワケ! そっか〜、やっとか〜ようやくか〜! 独歩にも春到来! いやめでたいわ〜! おめでとー! カップル成立おめでとー!!」
「えっ、そ、相談受けてたのかよ!?」
「あっヤベ言っちった」

 ぱっと離れた一二三が両手を口に当てる。
 そっか、そうか……。朱智斗さん、一二三に俺のことで相談してくれてたのか……。まさかの幼馴染に恋愛相談……。それで一二三も時々俺をたきつけてくるような調子だったのか……?
 にしても、朱智斗さん、こっそり相談してたなんて――か、可愛い。可愛いが過ぎる。
 一二三の反応から察するに多分「独歩くんには絶対内緒で」とか言ってたんだろうな。それで毎回一二三に相談しては背中を押されてたんだろうな。それに気付かず俺はのんびり……いや、いそいそ仕事に励んでいた。
 よく考えればそうか。特別でもない相手の為に会社に乗り込んだりしないか。初めて会った時に助けてくれたのは偶然だとしても、後のことは朱智斗さんが朱智斗さんなりに努力して頑張って起こしてくれた必然だったんだ。そう思うと、ああ、何だろう、いじらしいな。やることはちょっと大胆だけれど、朱智斗さん、すごいな。可愛らしいな。
 俺ってそんなに想われてたんだ……。こんな俺なんかを……どうしてかは本当に分かりかねるけれど、朱智斗さん、俺の為にいっぱい頑張ってくれてたんだなぁ……。

「独歩ちん超にやけてますけど」
「え、えっ? そんなにか?」
「かーなーり」
「お、お前だってにやにやしてるじゃないか!」
「にやにやもするだろーよー!」

 がっしり肩を組んできた一二三が大声で笑う。

「ずっと推してたふたりがくっついたんだぜ〜? にやけたくもなるだろ!」
「あ、ありがとな、一二三……」
「どーいたしまして!」

 一二三の影の努力を無駄にしないためにも、俺は、朱智斗さんと好き同士くっついて、その……幸せにならなくちゃいけないわけだ。
 けれど、どうしよう。
 朱智斗さんに「好き」って言われた時点で、今の段階で、かなり幸せだ。
 これ以上の幸せって、どうやったら実現できるんだろうか……?
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