仙道、令嬢宅に一泊後
「なんか仙道から甘い良いにおいがする」
「カノンんちに泊まって風呂に入ってきたからだろうな」
「はぁ!?」
指摘したのはバン、答えたのは仙道、反応したのは郷田。
今日はこの面子でクエストをこなしがてらLBX技術を磨こうということになっていた。カズヤとアミは別の友人と約束があるため来れない。そこでバンと郷田は商店街で仙道、駅でカノンと合流する予定である。しかし、その前にバンが仙道から漂う香りについて指摘したのだ。
バンも声にこそ出さなかったが、あの一匹狼の仙道がよりにもよって女子の家に泊まったと聞いて驚いた。カノンが仙道の大ファンであることが最大の理由だろうか? 答えは見つからない。見つけなくても良い気がした。
郷田も郷田で仙道の爆弾発言に驚いていた。ただその切羽詰まりようが異常なほどで、「どういうこった!?」と声を荒げている。
その叫びに対して、仙道は眉を顰めて嘆息した。
「いちいち反応が大袈裟すぎなんだよ。大したことじゃないだろ?」
「大した事あるだろ、お前! カノンの家に泊まったって……」
「何を想像してるかわからねぇが、別にダチの家に泊まるぐらい俺でもするさ」
アルテミスの様子や普段ひとりきり(もしくは必ずカノンがセット)の仙道が友人という単語を口にするのはバンですら違和感を覚えざるを得なかった。
郷田の反応は更に大きくなる。
「カノンはお前をダチとは思ってねえだろ! なんかもっとこう、信仰物的な感じで見てる!」
「俺はどこぞの宗教のシンボルかよ」
これ以上構ってられるか、と言わんばかりにそっぽを向いて歩き出す仙道。何だかんだでミソラ駅へ向かっている足取りが微笑ましい。バンは慌てて仙道の後を追いかけた。
「カノンの中では仙道教とか出来ててもおかしくないかもしれないよ」
「山野バン、ややこしくなるような形で口挟むんじゃねぇ」
本当にそんな宗教を立ち上げかねない少女の言動を思い返して、仙道はげんなりとする。
郷田もすぐさま二人に追いついた。……が、頭の中は仙道のお泊り事件でいっぱいのようである。
「風呂入ったって、おまえ、それじゃ、何だ……。カノンが背中流してくれたりしたのか」
バンは思わず吹き出した。カノンならやりかねない。しかし仙道が厳重に断るだろう。カノンの仙道に関わる思考回路は全部オーバーヒート寸前だが、対する仙道は常に冷静なのだから。
当然、仙道も「しねぇよ」と一蹴した。彼が郷田に向ける眼差しが、どんどん冷たいものになっている。
「何想像してんだ。客室に風呂ついてたからそこで普通に入って来ただけだ」
「このにおいはじゃあ、なんでだろ。カノンと似た匂いがするのは……」
バンが首を傾げると、すぐに仙道が返す。郷田に対する返答よりずっと穏やかな調子で。
「シャンプーか何かが同じ種類なのか、一晩泊まっただけで匂いが移るほど強いんだろカノンの家がな」
それだというのに、郷田とバンは「おい」と待ったをかけてきた。
「その言い方だと下手したらカノンの家がくせぇみてぇに聞こえるぞ」
「確かに。郷田の言うとおりだぞ仙道、気をつけないと」
「面倒くっせぇなあ、お前らよォ……!」
――ミソラ駅に行くんじゃねぇのかよ、てめぇら!!
仙道が胸中でのみ叫んだのは、あれこれ言ったところで無駄だと悟ったからだった。
カノンの家に泊まった感想を執拗に問うてくる二人とそれをあしらう一人がミソラ駅に着くと、「みんな〜」と気の抜けるような、しかし可憐な乙女らしい声が近づいてきた。確かめるまでもなくカノンだった。些か待ちくたびれた様子の彼女は、首を傾げながらバンたちに問う。
「何かありましたの? いつもよりゆったりでしたし、仙道くんのお顔にどことなく疲労の色が浮かんでいらっしゃいますわ」
「あー、それ、俺たちのせいかも」
申し訳なさそうに頭を掻いてバンは答えた。
「仙道がカノンの家に泊まったって言ってたから、そのことで色々聞いてたんだ」
「まあ。そうでしたのね」
郷田の言葉に、カノンは嬉しそうに微笑んだ。ふふふ、と笑いの漏れる口元を上品に……というよりは浮足立つ乙女心をおさえるように両手で覆って。
「ちょっとばかり事情がございまして。わたくしの家へ泊まりたいというかわいいお友達がいらっしゃって、仙道くんはその子の保護者役として一緒にお泊まりしましたの」
「かわいいお友達?」
「なんだよそれ。アミとかとは違うのか?」
「そこはー……ひ・み・つ、ですわ〜!」
よほどお泊まりが嬉しかったとみえるカノンは、うふふふっと笑いながらくるくる回転し始めた。何だか怖い。郷田とバンはそれ以上追及しようにも出来ずにいた。
そしてその様を見て仙道は“カノンよくやった”と内心ほっとしていた
かわいいお友達――それは、仙道キヨカ。仙道ダイキの実の妹である。昨日カノンの家に遊びに来た仙道兄妹は、兄を置いてけぼりに妹がカノンと盛り上がるといういつも通りの展開をしていた。だがその最後に、キヨカが「カノンお姉ちゃんのお家に泊まりたい」と言い出したのだ。そして兄が止める間もなく「私たちはいつでもウェルカムですわ! どうぞお泊りくださいな!」とカノンがOKを出してしまったのである。
二人の乙女の猛進に、男ひとりで敵うはずもなく。執事は男といえ令嬢の意志を尊重するだとかで何も言わずで、結局押し負けて一泊し、今に至る。そもそもあの執事は自他ともに認める似非執事なのでアテにすること自体間違っていた。
「ますます気になるじゃねえか!」
「ふふん! たまには秘密を抱えているミステリアスな年上のレディを堪能するといいですわ! 郷田くん!」
「カノン、今すごい無理して威張ったよね」
「ば、バンくん、そういう真面目で図星なツッコミはお止めくださいな……! 確かに大見栄きって恥ずかしいですけど!!」
なんだかんだでカノンが話を逸らしてはくれたものの、騒がしさは増したような気がする。
仙道が呆れている間も、クエストの為に改めて出発してからも、隙あらば三人は騒いでいた。仙道のお泊まり以外にも、若くてポジティブな彼らはとにかく話題が尽きないようである。
しかし、仙道は、カノンが話題を逸らしてくれたことを正直意外に思っていた。彼女のことだ、寧ろ熱を入れまくって楽しそうに自慢げに語るのではないかという不安もあったのだが。
郷田とバンがクエストバトルに興じている最中、仙道はこっそりカノンへと問うた。
「なあカノン。どうしてキヨカのことを言わなかったんだ?」
「え?」
カノンもまた、意外そうな顔で仙道を見つめてきた。何度か瞬きしたのち、彼女はふっと笑みを零す。
「だって、仙道くんがキヨカちゃんのことを郷田くんたちに話していないんですもの。だから私が勝手に喋るのはだめでしょう」
思わず目を丸める仙道。
視線を逸らさず、微笑み続ける令嬢は、こう続けた。
「それにわたくし、嘘は言ってませんもの。キヨカちゃんは、わたくしにとってかわいいお友達です」
「キヨカが喜ぶだろうな。兄としても礼は言っておくぜ」
「そうでしょうそうでしょう、出来ることなら妹にしたいぐらいにわたくしは悶絶していますもの」
「……お前ら、もう姉妹みたいな状態だろ」
「本当のお兄さんの太鼓判とは光栄ですわ! あ、キヨカちゃんを奪う気はないのでご安心ください。仲睦まじい兄妹を眺めているのも、キヨカちゃんと姉妹のように仙道くんの良さを語り合うのも、わたくしの幸せですのよ」
でも、と一旦言葉を区切り、少女は穏やかな声で呟いた。
「キヨカちゃんのこと、まだ、私と仙道くんの間だけの秘密みたいにしていたいって思ったのも事実です」
聞き間違いだろうか、と仙道はカノンを見て硬直した。だが先の呟きを現実だと語るように目の前の彼女はくすっと笑う。それから、何事もなかったようにカノンはバトルを続けるバンと郷田の応援へ移った。「頑張ってくださいな、あとちょっとー!!」いつも通り、大好きなLBXバトルの観戦をしつつ、エールも欠かさず、友人を見守る姿。
カノンの言葉を受け、仙道はぼんやりと思った。
「秘密、か……」
――奪う気が無いとか、いや、お前どういうベクトルの話してんだ。
呑気なカノンの応援のお陰か、バンと郷田チームは相手を圧倒し始めた。仙道の物思いは更に続く。
――俺とカノンがもし一緒になれば、キヨカは……。
……と、とんでもない方向に思考回路が傾いたのに気づいて仙道が我に返ると同時に、
「やったあ!」
「勝ったぜ!」
バンと郷田が勝利の雄叫びを上げた。応援していたカノンも諸手を上げて二人の勝利とクエスト達成を祝っている。
「やっぱりLBXバトルは最高ですわねぇ! お二人とも、とっても素敵なビクトリーでした!! お疲れ様ですわ!」
仙道はちらりとカノンを見た。普段はファンだなんだと騒がしいのに、不意に大人びたり悪戯っぽくなったりする無邪気な令嬢は、今は騒がしい方のスイッチが入っているようだ。友人がバトルに勝利すると大抵そうなる。これは付き合いの長い仙道だけでなく、バンたちもすっかり慣れた。
「仙道くん、大丈夫ですか?」
「……ああ、気にすんな」
だが、あのどきりとするほどの大人びた彼女の姿は、おそらく自分しか知っておらず、また彼女自身すら自覚していない強かさがあるに違いない。そして、これからもそんな彼女の側面は、自分以外の誰かに知られたりせず済むようにと、何故か祈らずにはいられなかった。
タロットに問うことすら憚られて、カードに触れかけた手を思わず引っ込めるほど、静かに、強い願い。
仙道にとってカノンの位置づけと存在の意味は、もはや愛用のカードですら表せないほど複雑なものと化してしていた。
「そう言えば仙道、カノンん家に泊まったなら一緒に来たら良かったんじゃねぇのか」
「仙道くんはわたくしのかわいいお友達を送りに行ってきたから別々なんですの。ね、仙道くん」
ちゃんと話を聞いていなかった仙道は、振られた話に対して曖昧に、ああ、と頷くしかできなかった。だがそれで大丈夫だと考えていた。
カノンならば、大丈夫だと。