涙の海より愛を込めて

 ぼくを見ているひとがいた。
 大柄で、髪は獅子のように逆立った銀色。左目は眼帯で覆われていて、露わになっている右目は海のように真っ青だった。凝った刺繍の施された紫の学ランを羽織っていてかなり目立っている。腕っぷしも強くて、いわゆる「不良」みたいな姿のひと。学園内でも有名な、番長格。

「長曾我部元親、だったっけ……?」

 何で見られてるんだろう。
 こんなに凝視される覚えはない。確かにぼくは人に比べて口が悪くて悪戯好きだったりするけど、さすがにあんな人には仕掛けたりしない。かすがちゃんに「いくら可愛いは正義といっても、無茶をしてはいけないぞ」と再三忠告されているのだ。美人に誉められるのは嬉しいけど、男に“可愛い”はあまり言って欲しくない。確かに童顔で小さくて高校生には見えないかもしれないけれど。長曾我部くんくらいに体格がよかったら、ぼくだってこんなポジションにいないのになあ。
 見つめ返していたら、長曾我部くんとばっちり目があった。とりあえず手を振ってみる。長曾我部くんはびっくりしたように目を丸めていた。ぼくの目つきはお世辞にも鋭いとは言い難い。番長キャラが怯える要素は何もないはずだ。ガン飛ばしてくるとかならまだしも、驚くってどうなんだ長曾我部くん。
 ちょっと面白くなってきた。


 長曾我部くんはやっぱりぼくを見ていた。他には何もないかのようにずっとだ。友達の輪に紛れながらも、ぼくはその視線を受け続けた。
 どうやら彼はぼくに興味があるらしい。あの眼差しは、小動物を追うそれによく似ている。5日目くらいに気付いた。ぼくはまた手を振ってみた。長曾我部くんは手を振り返してくれた。柄は悪いけれど彼は無害なんだと思う。よくよく見れば、彼の目は優しい。
 1週間を過ぎた頃。ぼくは思い切って彼に話しかけてみることにした。

「長曾我部くん」

 近付いて改めて感じた彼の大きさ。蛇、いや、鬼に睨まれたカエルの気分である。ちょっと引け腰になりかけたけれど、ぼくは踏ん張った。

「最近じーっとこっち見てるね」
「……悪ぃ」
「いや、別に良いんだけどね! 何かしたっけ、ぼく?」
「い、いや…別に何もしてねぇよ」
「なら良かった。もし何かあるんだったら気軽に言ってよね!」

 海色の眼差しが、何となく震えていたような気がする。またね、とぼくは踵を返した。
 あれ。そういえば、長曾我部くんはぼくの名前を知っているのだろうか? 機会があったらしっかり名乗っておこう。
 ぼくは相変わらずマイペースだった。長曾我部くんに見つめられるのにも慣れて見つめ返していたとき、彼が怪我をしていることに気付いた。ケンカだろうか。ぼくは彼に近付いた。

「長曾我部くんケガしてるよ」
「あ? ああ、うん…」
「番長の縄張り争い? 何にしろ気を付けたほうが良いよ!」
「おぅ……」

 大人しく彼が忠告を聞いてくれたことにすっかり満足してしまったぼくは、また名乗り忘れたことに後から気付いたのだった。


◆◆◆


 少しずつ長曾我部くんと口を利くようになった、ある日のことだった。
 ぼくの通うこの高校は血気盛んな人間が多い。それだけなら良いんだけれど、たまに、根性の悪いやつが紛れたりしている。人のことをいじめたり物を奪ったりする、しょうもないことをするしょうもない奴等。何処にでもいるものだ。
 それに、当たってしまったらしかった。
 ちょっとぶつかっただけだった。でも、こっちの不注意だったから、しっかり「ごめんなさい」って言った。なのに酷い。「何処に目ぇつけてんだチビ」だとか「行動が媚びてて気持ち悪ぃんだよ」だとかちまちま因縁つけてくるから。

「こんなチビに顔真っ赤にして怒って恥ずかしくないの? バカなの? バカでしょ?」

 なるべく静かに言い返したら思い切り叩かれた。尻餅をつくぼく。右頬がむちゃくちゃ痛い。口のなか切った。これ切った。しかも2対1とか酷いだろ。レベルの低い罵詈雑言を聞き流しながらぼくは頬を押さえた。

「おい、聞いてんのか、あぁ!?」
「え? なに?」

 上の空なまま答えてから気付いた。ぼくの発言は神経を逆撫でしたであろう、と。相手が手を振りかぶる。
 今度は何処だ、左頬か? 腹か?
 とにかく2発目が来ると思って、ぼくは反射的にぎゅっと目を閉じた。
 ――鈍い音が、した。
 それから、どさりと重たいものが落ちるような音が続く。

「……あれ?」

 痛くない。痛くないよ?
 そおっと、目を開いた。
 ぼくの目に映ったのは、ぶっ倒れてぴくりともしない不良1の姿。真横で凍りつく不良2。そして――物凄く鋭い眼光で不良を見下ろす、長曾我部くんの姿だった。

「とっとと失せな」

 ドスのきいた長曾我部くんの低い声に、不良2は不良1を引きずって逃げていった。
 それを確認してから、長曾我部くんはぼくを見た。さっきとは別人のように優しい目をしている。

「大丈夫か、瑞火!?」
「うん、一応…」
「本当にか? すっかり腫れちまってんじゃねえか……」

 長曾我部くんの手を借りて、ぼくは立った。まるで長曾我部くんは自分が叩かれたみたいに痛そうな顔をしていて、申し訳ないくらいだ。

「口ん中、切れちまったろ?」
「うん、痛い……」
「だよな…。アンタ、口悪いにしても相手選んだ方良いぜ」
「うん…うん…、ごめん……」
「…瑞火?」

 そういえば、長曾我部くん、ぼくの名前知ってたんだ。さっきも名前を呼んでくれた。
 ほっとして涙が滲んだ。
 ああ、怖かったんだ、ぼく。殴られて、怒鳴られて、怖かったんだなぁ。他人事のように実感した。
 足が小鹿みたいに震えて、一人じゃ立っていられない。ぎゅっと長曾我部くんの手を握ってしまった。そうしたら何故か長曾我部くんはぼくを抱えた。足腰が役立たずになっていたので正直ありがたかった。

「アンタ、危なっかしくて仕方ねぇや…」
「うぐぅ……」
「よくも悪くも餓鬼っぽくてよぉ、つい見ちまうんだよなぁ」

 視線の理由はそういう訳だったのか。長曾我部くんは面倒見のいい人のようだ。

「長曾我部くん…」
「何だ?」
「……ありがとう」

 涙を拭いながら、抱えられたまま何とかお礼を告げる。長曾我部くんは「どうってことねぇよ」と言いながらも何だか嬉しそうだった。
 ――それからもうひとつ、ぼくは彼に言いたいことがあった。

「長曾我部くん」
「ん?」
「ぼくと友達になってくれませんか」

 あったかい目をした長曾我部くんを見ているうちに募った気持ち。彼ともっと話をしてみたい。遊んでみたい。他にも楽しいことを色々と。
 長曾我部くんは、何時かのように目を丸めてぼくを見た。ついでに少し顔が赤い。

「アンタ、俺が怖くねぇのか?」
「全然。最初は大きくてびっくりしたけど、長曾我部くん優しいもん」
「そ、そうか?」
「そうだよ。だから友達になろうよ。ぼくが友達だと騒がしすぎて大変かもだけどね!」

 何時ものぼくらしい、お調子者なふうに改めて長曾我部くんに訊いてみた。長曾我部くんは嬉しそうに目を細め、頷く。

「……おう、望むところだ!」

 無邪気な長曾我部くんの笑顔に、ぼくもつい、つられて笑っていた。


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