刀剣 小夜左文字

 僕が修行から帰って来た日。主のはからいでその日は宴のように過ごした。歌仙たちも腕を振るってくれて、僕は、少なからず嬉しかった。
 宴が終わった、蒸し暑い夏の夜。主が月を眺めていた。雲のかかった夜空は時折月を隠す。見事な月だと、思う。あんまり見事過ぎて、眩しくて、僕には少し辛いくらいだ。雲があることに安堵する。
 主の額をひとしずくの汗が滑り、ぱたりと浴衣に落ちた。主と月。その光景を、僕はぼんやりと見つめている。

「小夜」

 僕がいることに気付いたのだろう、主がこちらを向いて優しく微笑んだ。手招きされるままに僕は主の元へ行き、その隣に腰掛ける。

「小夜、修行お疲れさま」
「ううん。これでもっと主の役に立てるなら……」
「修行に出ても出なくても小夜は私の力になってくれているよ」

 修行に出たことを否定しているわけじゃないからね、と言い添えて主は微笑んでいる。また主の額から汗が滑り落ちる。お酒を飲んでいたから血行が良くなっているんだろう。「あっついねえ」と主は零した。
 僕は、持っていた手ぬぐいを主の額に当てた。瞳をぱちくりさせながら、主が僕を見る。僕は無言で、主の汗を拭った。

「少しは良くなるかな……」
「だいぶさっぱりしたよ。ありがとう、小夜」
「どういたしまして」

 主のすっきりした笑みは、僕の心にほんのりあたたかなものを宿した。思わず僕は胸を押さえる。主といるとたびたびこういうことがある。会った初めの頃はそんなこと無かったんだけれど、時間を重ねていくうちに、僕は、主の喜怒哀楽に反応してしまうようになっていた。そして出来れば、怒りと哀しみの表情は見たくなくて、主には喜んで楽しんでいてほしいと思うようになっていた。
 僕なんかが側にいたら、上手く叶わないかもしれないけれど――。

「小夜は暑くない? 大丈夫? 疲れてない?」
「平気だよ」
「なら、良いんだ」

 主の手が、ぽんぽんと僕の頭を撫でる。まるで母が幼子にそうするように優しくてあたたかい。もっとこうしていられたら、なんて、戦に身を置くくせに考えてしまう。
 主、どうか僕にこんな淡い願いを諦めさせて。これ以上あたたかいものを寄越さないで。
 そう考えながらも、僕は、いつも主の手から逃げようとは思わなかった。主がさみしがるから。いいや、違う、本当は……さみしいのは、ふたりだから。



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