自宅で休暇を楽しんでいたアルハイゼンの耳に、ささやかなノックの音が届く。さあさあ降る雨の音に紛れて消えてしまいそうなそれ。ノックの主が誰なのか、確かめるまでもない。
　本にしおりを挟んでテーブルに置き、足早に玄関へ向かう。扉を開けると、びしょ濡れになったナマエが「こんにちは」と眩しい笑顔で立っていた。両手で手提げつきの籠を抱えている。中身が濡れないよう、しっかり布が被せてあった。

「パウンドケーキを焼いたから持って来たんです。よければ兄さんと一緒に食べてください」

　差し出された籠を受け取らずにアルハイゼンは尋ねる。

「それを届けるのは今じゃなきゃいけなかったのか？」
「ええっと……思い立って歩いていたら雨に降られちゃって……」

　嘆息したアルハイゼンは、ナマエの腕を引っ張った。力なく立っていた彼女を家の中に入れるのは容易であった。
　籠をテーブルに置くと、アルハイゼンは、すぐさまバスタオルを数枚引っ張り出してきた。所在なさげに突っ立っているナマエに一枚タオルを被せると、ぽんと頭を叩く。

「君の兄は不在だ。部屋に入って、適当に服を借りるといい。妹が泊まりに来るかもしれないとか言いながら用意していたことがあった。多分適したものが見つかるだろう」
「え、あ、ありがとうございます」
「俺はタオルを貸しただけだ」

　ナマエに残りのタオルも渡すと、アルハイゼンは再びソファーに腰を下ろし、読書を再開した。
　それをそっと見守っていたナマエは、はっと我に返ると、髪や衣服から雨水が落ちなくなるだけタオルを使い、それからカーヴェの部屋に向かった。「借りるね、おにいちゃん」と小さな声で呟いてから、箪笥を見る。ピンクのリボンで印のつけられたところを、もしかして、と開けてみると、予想通り、女性ものの衣服がつまっていた。さすがの兄も下着までは用意していなかったことに安堵するべきか、どうか。着やすそうなワンピースを引っ張り出し、すぐに着用する。そしてピンときた。意匠が兄のデザインしたものであろうことに。つまりこれは兄の作ったものもしくはオーダーメイド。愛されているんだなと思うと同時に、気恥ずかしくもなった。
　リビングに戻ると、ちょうどカーヴェが帰ってきていた。パウンドケーキを一切れ頬張りながら、「ふははひい！」と破顔する。

「兄さん、アルハイゼンさん、ありがとう」
「むぐっ……気にするなナマエ！　良く似合っていてお兄ちゃんは嬉しいよ」
「カーヴェにしてはマシなデザインだ。草案に俺が忠告したのが良かったかもな」

　まるで兄がふたりいるような穏やかな心地を、口論するふたりを見てナマエは抱いた。

---

　back