青天
 佐和山城に半兵衛様がやって来た。三成様へ御用かと思いきや、爾さんの様子を見に来たらしい。「あの三成君の正室だからね」悪戯っぽい笑みが滲んでいて、珍しく半兵衛様は穏やかだった。
 爾さんには良い“目”があるのだと言う。相手を見透かし、敵意を的確に察知する瞳を。瀬戸の巫女さんとはまた別の力で、爾さんは自分を“狐の子”と話しているらしい。三成様たちに負けず劣らずの戦果を上げたり、見る“目”を使って内通者を見抜き処分を下したり、様々な活躍をしていたのだと。
 下手したらオレの想いは爾さんに知れてやしないか? と不安になったけれど、聞くに聞けない。

「そのぶん彼女は他者の機微を感じ取りすぎる。優しすぎるんだ。豊臣には向かない子だよ」

 半兵衛様がそう話した。爾さんは豊臣には向かない……端的に言えば、要らないのだ、と。しかしそんな半兵衛様の目に、爾さんや三成様への情が滲んでいるのにオレは気付いた。半兵衛様は、爾さんが戦線から退き、姫としての生活に身を置くことに安堵していた。

「向かない……っスか」
「左近君も察してはいるだろう?」
「え、えーっと……」

 半兵衛様が言わんとしていること、聞かんとしていること、それらも判らないわけじゃあない。オレが珍しく緊張している理由は別にあった。

「左近クンだっけー? そんなに肩張らないでいーよん。爾の気に入った子ならボクも邪険にゃあしないさァ」

 この、小さな来訪者のせいだった。
 ニコニコ微笑むこの人は瑞火さん。爾さんのお兄さん……らしい。見た感じ、十代半ばの美少女にしか見えない。華奢な体に白拍子のような狩衣姿。高くて可愛い声と緊張感の無い態度に、流石のオレも困った。どう対応するのが正しいのだろう。
 これでオレより年上で、瀬戸内の海と土佐を中心に活躍する長曾我部軍の参謀だなんて言うのだから、信じがたい。
 瑞火さんは爾さんよりも“狐”としての強い力を持っていて、爾さんが瀕死の重傷を負った際に手当てしてくれた身内っていうのが、この瑞火さん。他にも様々な術――忍びのそれとは全く毛色が違う――を操り、お札で戦うらしい。無茶苦茶強くて「鬼ヶ島の本当の鬼はこの人だ」と言われるほど、情け深い長曾我部元親とは対照的な鬼畜なんだとか……。
 術を使うとか参謀とか、刑部さんと仲良くなれそうな人だ……って思ってたら、実際、刑部さんとかなり仲良しらしい。流石ですよもう! 色々と!
 そんな瑞火さんは今日、軍の大将・長曾我部元親の使者として佐和山までやって来たのだ。
 足を投げ出して座る瑞火さんを見ながら、半兵衛様がくすくすと笑う。

「僕が佐和山に来ていたことをよく知っていたね、瑞火君」
「狐にゃそのぐれぇお見通しよん」
「だろうね。けれど君の話し相手が本当に僕で良いのかな?」
「元親はあくまで三成と同盟してるだけって言うけど、その三成が秀吉傘下なんだから。半兵衛ちゃんと話さなきゃ色々と上手くいかないものもあるでしょ」
「それもそうだね」

 秀吉様を呼び捨てしたり、半兵衛様のことを“半兵衛ちゃん”なんて言う人がこの世にいたなんて……。それを許容されてるなんて……! オレはとんでもないものを目撃してしまった気がする。
 瑞火さんは「それからさぁ」とオレの方を見た。

「あの三成に引っ付いてきたっていう物好きなお兄ちゃんも見てみたかったから、丁度良かったよ。ねー、左近クン」
「は、はあ……」
「まあ、身内が三成の嫁してるボクが言うのも変な話か!」

 ケラケラと笑いながら瑞火さんは手を振った。

「そういや半兵衛ちゃん、又兵衛ちゃんから手紙預かって来たんだけどー。せめて読んどいてあげてよぉ」
「彼を手懐けたのかい、君」
「いやー、そんなんじゃないよ。あんたらが要らないってんならウチに欲しいってだけ」

 またとんでもない人のこと“ちゃん”とか付けてる……! しかも半兵衛様、ちゃんと手紙受けとるし! 読むかどうかは別って顔だけど、瑞火さんスゴすぎっしょ!? 一周巡ってバカなんじゃ……いやいや! 下手なこと考えたら、このお狐様には全部お見通しだって刑部さんが言ってた。気を付けないと……。
 オレは胡座をかいたまま、ソワソワしながら二人の会話をただただ見守る。

「又兵衛ちゃんが閻魔帳にお熱なうちは無理だろうけど、このまま浪人させるには勿体無い将だし。軌道を直してやらにゃあ、あのままじゃアイツ人じゃなくなるし」
「人ではなくなる?」
「今も十分危ういけどね。……あ、今更又兵衛ちゃんに興味持ったって遅いよん? ボクの好きなようにさしてもらうからね、あの坊やのこと」

 挙句に坊や呼ばわりか……。
 茶を飲み干し、菓子を平らげた瑞火さんはすっくと立ち上がった。半兵衛様へすたすたと歩み寄ると、何処からともなく書状を取り出してみせた。

「用件はこれに全部書いてあるから。聞きたいことや確認したいことがあったら、何時ものように中に入ってる札使って飛ばして頂戴」
「ああ、了解した」

 次に瑞火さんは、何故かオレの方へ歩いてきた。面差しは爾さんに良く似ている。瑞火さんの方が妖艶で、何処か刺を感じる美人さんだった。爾さんと同じ陽の色をした瞳は、大きくてキラキラと輝いていて、だけど鋭くて少しつり上がっている。まさしく狐だ。
 瑞火さんはオレにも書状を差し出してきた。

「左近、これを三成に渡しといて。“お義兄さんからだよー”ってね」
「えっ!?」
「冗談じょーだん。ちゃんとうちの大将様からだから。三成に苦情言うときは直接ボクが言うから大丈夫」
「は、はあ……。判りました」

 オレが押されるなんて滅多に無いことだ。そのぐらい瑞火さんの勢いには、手が出せない。

(つーか、呼び捨てすんの早ッ!)

 不意に瑞火さんは顔を寄せてきた。反射的に赤くなるオレを余所に、瑞火さんの唇が耳許に近付く。

「爾を好いてくれて有難うね」
「っ!?」

 思わず息を呑んだ。よりにもよって、そこを見透かされてしまうなんて。

「大丈夫。爾は、君の好意をそういうものだとまでは悟れない。あの子、色恋沙汰にゃー鈍感なのよ」

 そこまでお見通しじゃ、ぐうの音も出ない。
 強張るオレの肩に手を添えて、瑞火さんは言った。

「爾も君を気に入ってる。三成たちに尽くすのもいいが、自分を大事にすることも忘れないでな。好いた者たちが傷つくのが、あの子にとって一番苦しいことなんだ」

 すごく静かな声だった。親が子供に言い聞かせるような、爾さんに良く似た優しい声。
 その後にオレの肩をポンと叩いて、「じゃあね」と離れる瑞火さんの微笑みは、確かにあの人の兄らしい姿だった。
 ――部屋を出た途端、瑞火さんの気配は一瞬で消え去る。

「さすが妖狐、だね」
「ホント、やべー人だってのは、すんごく判りました……」
「だろう? あれでも今日は大人しい方だったんだがね」

 とてもそうは思えなかった。呆然とするオレに、半兵衛様が淡々と語る。

「彼は、毒を吐いて人の気を逆撫でしたり、加虐的な言動を繰り返して周りの反応を楽しむのが趣味なんだよ」
「三成様とは絶対に相性悪いっスよね……」

 正に水と油な気がする。と言うかそんな悪趣味な人が本当に爾さんの兄なのか疑問だ。妹想いなことは十分伝わったけれど。

「……瑞火さんって、本当に戦強いんですか」
「ああ、強いよ」

 半兵衛様は、窓枠越しに空を見つめながら教えてくれた。

「豊臣に誘ったこともあるが、きっぱり断られた。彼は西海の鬼を大層気に入っているようで、彼処から離れるつもりがないそうだ」
「でも三成様と同盟組んでますし、味方みたいなもんですよね。安心っスね」
「今のところはね」

 戦乱の世で何が起きるかなんて、半兵衛様のように知略に長けたお方にさえ予測がつかない。それでもオレは、戦が無くなるまで、長曾我部軍との同盟が続いてくれることを願った。
 爾さんの身内と戦うなんて、考えただけで辛い――。
 それから程なくして、三成様が城に戻ってこられた。早速三成様は半兵衛様と話し合いを始め、それが終わると、すぐに半兵衛様は大阪へと戻られた。

「三成様。これ、瑞火さんからです。長曾我部軍の大将さんからだそうで」
「長曾我部か……」

 一段落した三成様に、オレはようやく瑞火さんから預かった書状を差し出す。
 三成様は無造作に書状を取るとすぐに中身へ目を通した。何が書かれているのか判らない。が、三成様はみるみるうちに眉を顰めていった。
 あんまり険しい顔をされるもんだから、眉間の皺が取れなくなるんじゃないかと不安になる。しかも血色が良くなっていってて、何事かと思った。

「どうしたんスか、三成様」
「……瑞火を使って寄越す程の文では無い。長曾我部め、何のつもりだ」

 どうやら普段瑞火さんが文を持ってくる時は、それなりの用事がある場合が多いらしい。今回は半兵衛様との会話が主要で、三成様への文は“ついで”程度のもののようだった。

「ちなみに長曾我部軍の大将さん、どんな文を……」
「勝手に読め。序でに棄てておけ」

 ぽいっと投げ出された書状を、オレは慌てて受け止める。
 当人の許可も頂いたので、折角だから読んでみることにした。海の男らしい豪快な文字で、こんなことが綴られていた。

『嫁さんとの仲はどうだ、無愛想ばっかじゃなくたまには気を遣ってやってるか』
『甥でも姪でも良いから、早く爾の産む子供の顔が見たいって瑞火がごねてる』
『今度精力がつくような海の幸を送ってやるから、うんと励め』

 世話焼きの親族のように無遠慮かつ、あの人らしい内容だった。確かに参謀を寄越した割には平穏すぎる。世間話じゃないか、これじゃあ。

「爾さんと三成様の子かぁ……」

 三成様の血色が良くなった理由は恐らくこれだろう。恥ずかしかったのか照れたのか……どちらにせよ、三成様自身、子供を持つことに関して興味がない訳ではなさそうだ。
 爾さんはきっと良い母親になる。三成様も、爾さんとの子であれば惜しみなく愛を注ぐだろう。
 ――胸の奥が痛むのにも、だいぶ慣れてきた。

「捨てるのも何だし、爾さんに渡しとくか」

 笑いながらオレは踵を返し、爾さんの過ごしている部屋を目指した。
 晴れ切った空は高くて果てしない。
 間違いなく美しいはず。
 それでも、爾さんと共に天守から見上げた空と比べて、何だか物足りないような気がした。

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