再会の日
――四国から遠く離れた奥州の地。
高さに果てのない空を見上げながら、瑞火はゆったりと歩を進めていた。見上げすぎて足がもつれても、決して転ぶことはない。
小柄で可憐な少女のごとき容姿からは想像の付かぬ、人ならざる力を瑞火は使った。故に彼は“あやかし”……妖狐と呼ばれていた。
「ん? ……戦のにおい」
視線を空から正面へと移す。
野原の向こうから、黒い煙が上がっていた。爆音がひとつ。またひとつ。得物同士がぶつかり奏でる剣戟の音は、ずば抜けた身体能力を持つ瑞火の耳にしかと届いている。
それから、海の向こうに見覚えある影を認めた。大きな鬼の顔。正しく言えばそれは、鬼の顔を模した砲台だ。砲台を備えるは、巨大な船。真っ白な帆に描かれた紋は――。
「方喰だぁ! やっぱり!」
主の領地で戦火が上がっているというのに、瑞火は無邪気に瞳を輝かせていた。
豪快な来訪者に、彼はどうやら覚えがあるらしい。諸手を上げ、水干の袖を旗のように揺らした。
「姫ちゃんが来たー!」
高らかな歓声が、野を駆ける。
金狐は歓喜していた。丘を滑るように下り、黒煙を目指して疾風のごとく駆け抜ける。己よりずっと背の高い木々の隙間を器用に抜け、瑞火は更に走る。不意に視界が開けた。崖だ。怯むことなく、瑞火は強く地を蹴った。瞬間、瑞火の体は宙に舞った。風を捉え、弧を描きながら瑞火は落ちる。戦場は既に鼻先だ。
「よっとぉ!」
体を捻り、瑞火は軽やかに地へ下りた。綿の中にでも飛び込んだかのように柔らかく、衝撃も生まぬ、人外の技だった。
突如として現れた金色の姿は、戦に血を沸かす兵たちの目を惹いた。瑞火を知る伊達軍勢は、機は来たれりと歓声を上げる。
「瑞火さん、待ってましたぜ!」
「そーだろそーだろ、ボクがいなきゃ華がないからねぇー」
「えっと、まあ、そんな感じっす!」
曖昧な兵士の返答に突っ込みを入れるのは後に回し、瑞火は敵勢へ視線を移した。
見るからに血気盛んな軍勢だ。逞しい筋骨に相応しい顔付きが揃っており、伊達の兵士たちと何処か似た空気を瑞火は感じた。
妖力の込められた札で敵を吹き飛ばしながら、瑞火は仲間へ訊ねた。
「政宗はもう敵大将とやりあってんの?」
「はい! 碇担いだ男が“竜の宝を貰いに来た”とかって真っ直ぐ筆頭に向かってっちまって」
「何とまぁ! 爾とこじゅさんは?」
「爾さんは小十郎様の指示で筆頭のところに行きました、小十郎様は――」
兵のひとりが言い掛けたとき、瑞火たちの真横を青い稲光が駆けていった。敵軍目掛けて放たれたそれが、話の小十郎の技であることを瑞火たちはすぐに悟る。
「こじゅさんはコッチでお前らの指示とお守りって訳ね。なら安心!」
瑞火はニタリと笑んだ。ぐ、と膝を折り曲げ、傍らの兵に告げる。
「ボクは政宗んとこ行くから、後はヨロシク」
そして妖狐は高く跳ね飛んだ。
人ならざる技を、人である兵らに止められるはずもない。
瑞火はあっという間に其処から姿を消した。
空を舞いながら、瑞火は眼下の戦場を探る。目的の地点はすぐに見つかった。一ヶ所だけ、ただならぬ気を放ちながら打ち合っている男二人がいる。わずかな距離を置いて立ち会う人物もひとり確認できた。
剣戟の主のひとりは、瑞火の仕える“筆頭”・伊達政宗。碇のような得物を操るもうひとりが、例の男であろう。
立会人は、小十郎の指示で駆け付けた瑞火の弟・爾だった。
「政宗に六爪抜かせてるなんて、強くなったのね」
瑞火は嬉しそうに呟くと、彼ら目掛けて――真っ逆さまに落ちた。
風を切り迫ってくる何かに、戦う彼らもすぐに気付く。瑞火の直撃を受ける前に二人は交えていた得物を離し、大きく飛び退いた。
衝撃が二人のいた場所を穿ち、粉塵を巻き上げながら地を抉る。避けなければどうなっていたか、想像するまでもない威力だ。
「――おお、避けたかー!」
衝撃を生んだ当人である瑞火は、不釣り合いなほど晴れ晴れとした顔で、その抉れた地の真ん中に仁王立ちしていた。
「避けたか、じゃないだろ!」
急な乱入者に、真っ先に声を上げたのは立会人の爾だった。乱入したのが兄だと気付くや否や駆け寄り、胸ぐらを掴みかねない剣幕で叫ぶ。
「政宗様にぶち当てるつもりだったのかよ!?」
「死にはしない死にはしない」
「こんな地面に大穴開けるような所業働いときながら何を!」
「はいはい、ごめんちゃいごめんちゃいね」
怒れる弟を適当にあしらいつつ、瑞火は歩いた。「兄ちゃん!」尚も煩い爾の怒鳴り声を軽やかに無視である。
まず瑞火は、無言で政宗の様子を確認した。少し離れた場所で彼は、六爪を携えながら、「またかよ」と言いたげな呆れた笑いをしていた。なので瑞火は「まただよ」と言わんばかりの笑みを返しておいた。
それから瑞火は、碇を操っていた男を見た。
逆立つ銀髪。左目を覆う眼帯。屈強さに満ちた体躯。そして海のように青い右の眼差し。
まじまじと瑞火に見つめられ、男は不審そうに眉を顰めていた。うっすら頬に朱が差したところを見ると、今しがた瑞火に襲われかけたと言うのに、視線に照れているらしい。
瑞火は可笑しそうに口を開いた。
「こんなに可愛い子に見つめられるなんて、なかなか無いから恥ずかしいでしょ」
「アンタ、自分で言っちまうのかよ」
「否定はしない、と。相変わらず素直でよろしい」
まるで旧知の人間をからかうような親しみが込められた声音だった。
すっかり外野と化した政宗と爾は、どちらからともなく顔を見合わせている。
銀髪の男も、瑞火の調子が不思議なようだ。瞬きし、軽く首を傾げて瑞火を見返している。
「……俺を知ってんのか?」
瑞火は、その言葉を待っていた。
「忘れちゃったの?」
深い笑みが花のように咲き、瑞火の姿を彩った。
息を呑む男に向けて、瑞火がついと手を差し出す。その手の平は、まるで誰かの手を受けようとしているようだった。
男の碧眼が震える。
瑞火は、澄んだ眼差しに男を捉えて離さなかった。
「おっきくなったねぇ、姫ちゃん」
優しい声音に、男は目を見開いた。
男の脳裏に蘇った青空の下の記憶。
金色の髪をした小さな友。
大切な大切な、あの子。
眼前の瑞火は、男の思い出に残る友人と同じ笑顔を浮かべていた。
あの子だけのあだ名で、男を――元親を呼びながら。
「……嘘だろ」
「嘘じゃないよ。そろそろ会える気がしてたんだぁ」
「そんな、いや、だってよ。まさか……」
「信じられないのはコッチの方だからね? 姫ちゃん成長し過ぎでしょ! 別人だよ別人」
「アンタが、変わらなさすぎなだけだろ……!」
感極まったように声を震わせる元親と、それを宥めるように穏やかな瑞火。二人は互いに笑い合うと、話し込み始めてしまった。様子からして、この話は長くなりそうである。
完全に爾と政宗はついていけなかった。
「兄ちゃん、長曾我部殿と知り合いなのか……?」
「俺が聞きてえよ。てか姫ちゃんって何だ」
「ですよね、長曾我部元親って名前の何処にも姫ちゃんなんて要素ありませんよね」
二人の憶測は、瑞火と元親の話が一段落するまで続けられた……。
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