対話
 その後オレは刑部さんから、彼女が爾さんという名前で、三成様のいい人であることを聞いた。
 オレは呆気にとられ、けれど、すぐに納得した。
 確かにあの人なら、三成様のお姫様になっちゃうだろうと。
 変に気取る感じもないし、柔らかくて、あたたかい。何となく三成様の求めていそうな人だと思った。
 あの人が、今の三成様にとっての“陽”なのかも知れない。
 三成様の噂のお人が知れたとあっては黙ってはいられなかった。オレは心持ちからかうような調子で、三成様に訊ねた。

「三成様、何で言ってくれなかったんスか? 爾さんのことっ!」
「……何故貴様に言う必要がある」

 何処から聞いた、と言いたげな三成様の鋭い視線。本当の最初に存在を知ったのは別の誰かが噂してたからだし、爾さんと出会ったのも不可抗力だ。
 このぐらいで怖じ気づくオレではなかった、けれど……あまりの雰囲気の鋭さに、思わず口ごもる。

「自分の嫁を部下に紹介するくらい良いでしょうに」

 そんなオレに助け船を出してくれたのは、ふらりと現れた爾さん当人だった。今日の着物はこの間のより少し色が濃いめだ。何だか見慣れない紋が刺繍されている。……狐だろうか?
 オレは「お久しぶりっす!」なんて調子よく挨拶したけれど、三成様は何でか血相を変えていた。
 青ざめる三成様を見つめながら、爾さんはわざとらしく悲しげにしてみせる。

「それとも、他所に見せられないほど酷い嫁ということ?」
「お前……! 早に戻れ、身体に障ってはどうする!」
「三成は心配性過ぎだなあ。もう大丈夫だよ」
「お前の“大丈夫”が信憑するに足らないことを私は重々承知している!」

 三成様は怒鳴っているけれど、怒っている訳じゃない。何だろう、これは……怯えている?
 なにやら爾さんと三成様の口論が始まってしまった。三成様の様子も普段とは全然違うし。
 困るオレの元に、これまたふらりと現れた刑部さんが教えてくれた。

「爾も以前は戦に出ていたのだが、大きな怪我をしてな。以来、三成は、その過保護ぶりに拍車を掛けたのよ。かけがえの無い、愛い姫故に」
「へえ、戦に……。そうだったんスか」

 三成様が焦った理由を把握して頷く。
 奥さんに対して過保護とか、可愛いとこあるじゃないスか。決して口にはできない気持ちを胸中のみで発散する。
 でも待って下さい。怪我したって割に爾さん、前、お部屋から飛び降りてきたりしてたような……。大怪我したんですよね? あれ良かったんですか?
 そんなオレの視線を察知したのか、爾さんはオレを見た。ゆっくり右手の人差し指を口許に添え、「しーっ」の仕草。多分以前のことは言わないで、という事なんだろう。
 オレも笑って「しーっ」の返し。朝帰りのことは内証ですからね、の訴えだ。こくこく頷く爾さん。

「爾、左近。こそこそと何の密約を交わした?」

 勿論オレたちのやりとりを三成様が見過ごすはずがない。けれど既に約束を交わした身。オレと爾さんは、にんまり笑って口裏を合わせる。

「秘密は秘密だよ、三成」
「そーっスよ三成様!」

 それでも三成様はなかなか諦めなくて、爾さんと刑部さんに宥められて渋々引き下がっていた。
 拗ねた子供のようにふいと顔をそらし、「もう良い」とぼやいた三成様の姿ときたら。
 オレと爾さんは、また顔を見合わせて笑ってしまった。

「あらら、やり過ぎちゃいましたかね」
「三成はすーぐ機嫌損ねるんだから。……大丈夫、左近さんには被害が及ばぬようにするよ」
「本気っスか! 有り難うございます!」

 爾さんは小首を傾げながら約束してくれた。素直に礼を言う。後で三成様にどやされやしないかという不安が、僅かなりにもあったからだ。
 けれど、ひとつ気になったことをオレは申し出てみた。

「あの、爾さん。オレの事は“左近”で良いですよ。三成様の奥さんなんスから」
「そう? じゃあそうするね。あ、此方も呼び捨てで構わないよ」

 さも当然のように爾さんが返してくる。
 三成様の嫁さんをまさか呼び捨てるだなんて! 恐れとか色々多すぎる。
 手やら首やら振れるものはぶんぶんと振りながら、慌てて口を開いた。

「いやいや、そうはいきませんって! 三成様の奥さんなんスから! 爾様と呼ばなきゃいけないかもってぐらいなのに」

 オレの言葉に、爾さんは顎に手をあて、ううん、と小さく唸った。眉間にうっすら皺を寄せる姿に妙な愛嬌があって、まるで謎かけでも出された子供のような顔をしていた。
 そうして爾さんは、思案の果てにこう呟いた。「様よりは、さんが良いな」オレはその言葉をしっかり受け取って、頷く。

「了解っす、爾さん」
「ありがとう、左近」

 笑って言うと、爾さんも笑って返してくれた。名前を呼ばれただけで、にやけが止まらなくなる自分が恥ずかしい。ひとつひとつに丁寧な答えが必ず返ってくるのが嬉しかった。
 ――爾さんと話すのは心地良い。まだ言葉を交わして間もないのに、オレはそんな印象を受けていた。
 話に区切りがつくと、爾さんはゆるりと踵を返した。

「ご機嫌斜めであろう殿の様子を見に行かなきゃね」

 ちょっとからかうような、そんな台詞を残して。
 三成様と爾さんが行った方を見ながら、オレは口許が緩むのを感じた。はたと横を見れば、刑部さんが物言いたげに此方を見ている。
 オレは緩い顔のまま答えた。

「いやぁ、三成様と爾さん、お似合いじゃあないスか」
「そうさな。三成について行ける女子は、爾くらいであろうな」

 しみじみと呟く刑部さんは、まるで父親のようだった。誰のと聞かれたら困るが、本当にそんな情が滲んでいた。
 爾さんは、刑部さんの信頼もしっかり獲得しているらしい。

「裏表無いって感じで気持ち良い人っすよね。前は戦出てたってことは……強かったんでしょうねぇ」
「太閤の拳に当たっても挫けぬ強靭さよ」
「お、大怪我ってまさかソレ!?」
「此れはコレ、其れはソレよ。われから多くは言わぬ。気になるならば当人に聞くが良かろ」

 笑って誤魔化されたような気がするけれど、刑部さんはそう言って戻って行ってしまったのでどうしようもなかった。
 それに今日はもう、十分に話を聞いたし、良いものを見た。
 珍しい三成様の素の顔を見れて、正直楽しかった。あんなに急に慌てたり、みるみるうちにむくれたり。戦や主従、仲間としての付き合いでは絶対に見られないであろう姿だった。
 何よりも印象深いのは、やっぱり、爾さんへの態度だ。
 貴様ではなくて“お前”という呼称。
 相手の顔を見るなり心配で慌てふためいて、感情のまま飛び出していた言葉。
 想う人にだけ見せる顔。

「すごい人だな、爾さんって」

 あの凶王をただの男にしてしまうのだから。
 彼女の、気さくな笑みと飾らない喋りが頭の中に蘇って、何となしに体は熱を持った。
 今思えば、オレの胸中に漂うものを、この時既に刑部さんはお見通しだったのかもしれない。

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