有馬さんのとこにいた時からの付き合いだから、同期ではある。だが、俺の方がハイルより2つ年上だった。なのに実力はどう見てもハイルの方が上。そんな関係をからかっているつもりなんだろう。ハイルは俺を「ナマエ兄」と呼んでくる。邪気と無邪気が一緒に居ついているような笑顔と一緒に。普段はおっとりしていて可愛い女子なのに、クインケ持って“喰種”を目の前にしたらその笑顔のまま戦闘を楽しむ。楽しんでいるように俺が見えるだけで、本当はもっと違うところに笑顔の理由があるんだとは思う。
「ナマエ兄ぃ、まぁた一人酒ですか」
「うるせーなー。相手いるように見えるか?」
「すいません」
そう思ってないだろ、本当は。胸中で愚痴りつつ、隣に座ったハイルをじとっと睨んでみる。勿論効果は無い。嘆息しながら、酒を一口。
にしても、日本酒の進むこと、進むこと。下戸だと思っていた自分も、日本酒だけはいけた。ビールも何とか飲める。他はさっぱりだ。ワインに挑戦したとき、気が付いたら宇井先輩に羽交い絞めにされていた記憶がある。「君は飲まない方が本当はいいと思うんだけどな」そう嘆息した宇井先輩の困り顔、あれが効いているせいか、あの時以来、アルコールで我を失ったことは無い。
「何飲んでるんですか? 水ですか?」
「日本酒だよ。水な訳ないじゃんけ……」
「ですよねー。聞いてみただけです。そんな美味しいんですかソレ」
ハイルは日本酒の入ったグラスを、まるで新発見された生物か何かのようにまじまじと見つめて瞬きした。こうやってれば可愛いのになあ。戦いと有馬さんのことになるとすごいものなあ……。
「ハイルも成人したら飲んでみな」
「お酒入ってなかったらナマエ兄に訓練付き合ってもらう予定だったのになー」
「うん、俺の話全然聞いてないことだけは判った」
むすーっとむくれた顔をカウンターに乗っけるハイルの頬に、なんとなくグラスを当ててみた。
「冷たぁ!」
流石の彼女も不意打ちを食らって悲鳴を上げた。その声もどこかおっとりのんびりしていて、何から何までハイルはハイルだな、と思う。
じとーっと恨めしそうな視線をぶつけてくるハイルに、俺は苦笑した。
「何か垂れてるから引き締めてやろうと思ったんじゃい」
「ナマエ兄ー、女の子はメイクとかしてるんですよ? 台無しにする気ですか?」
「ハイルは化粧なんかなくても可愛いでしょーが。はい論破」
「論破できてないっしー、それただ褒めちょるだけですわぁ照れる」
いつもハイルはこんな調子だから、本当に照れているかどうかなんて判らない。
けれど、俺がよく飲みに来る居酒屋を知っているあたり、仲間としてはそれなりに親しい間柄に振り分けてもらっているんだろうか。だとしたら幸いだ、俺もハイルのことはそう思っている。妹がいたらこんな感じなんだろうか。まあ、俺よりこんなに出来の良い妹なんてあり得ないだろうが。遺伝子的にも、その他にも色々と。
「ハイル、何か注文したらどうだ。ナマエ兄が奢りますよ」
「やったし。その言葉待ってました〜」
ハイルはご機嫌そうに店員へ次々と注文していく。どれだけ食べるんだ。俺が少食なだけか?
程なくして届いたジュースを飲み始めたのを見て、改めてまだ彼女が未成年であることを思い出した。
「あと一年経ったらお前も酒が飲めるな」
「そうですねぇ。お付き合い上、飲まなくちゃですかねー。ちょっとめんどいですけど」
「めんどいって……戦うよりよっぽど楽だぞ」
「ナマエ兄ってば結構バーサーカーのくせに」
「ハイルちゃんに言われんの納得いかん」
「此方こそ納得いかんですよ」
いや、「誕生日プレゼント何が良い?」って聞いて「有馬さんのクインケ」と即答する人に言われた方がやっぱり納得いかないだろうが……。
不毛な言い争いをこれ以上続ける気は無くて、言いたいことは喉の奥へ酒と共に流し込んだ。
「そうだ、ちょっと気が早いけど、ハイル。次の誕生日プレゼント何が良い? 仕事関係以外で」
「えー……。先手を塞がれた……」
「塞ぐよ、そりゃあ。……何かお兄さんがプレゼントできる範囲にしてもらわんと……」
サラダを頬張りながら、ハイルが悩む。「うむー……」何処かここではない遠くを見ているような目だ。しかし淀みなくサラダを食し、時にジュースで喉を潤すことも忘れない。天然というのは、有馬さんやハイルみたいな人の為にある言葉なんだと思う。
遂にサラダを完食したハイルが、俺を見た。
「お酒。お酒が良いです」
「判った。ジャンルは……どうしよっか」
「それでいいです」
ハイルがフォークで指したのは、俺が手にしている日本酒のグラス。
「私の成人記念。此処でその日本酒、奢ってください」
「なるほど……。判ったよ」
「ボトルで」
「ボトル!? ま、まあ良いけどな……。まさか……」
「幾らなんでも一回で飲み切りませんよ?」
ふふ、と笑いながら、ハイルは俺の顔を覗き見た。
昔に比べて歳を重ねたのだから当然なのだけれど、少女から女性となった彼女の姿を見ると、何だか胸が軋むような感覚がする。
「余ったらキープって出来るんですよね?」
実際に俺がキープしている日本酒のボトルを指して、ハイルが首を傾げる。
「それして、ちょくちょく二人で飲みに来るのはどうですか? 完璧じゃあないですか〜」
「飲む暇があったら訓練する! とか言いそうなハイルが……。なんか嬉しいな」
「あ、訓練もちゃんとしますよ? その後に飲めばいいですし」
もちろんナマエ兄にもお相手してもらいますから、なんてへらへら笑うハイルに勝手に決められてしまった。反論しない俺が一番良くないが、どうせ最後には「はい」と言わされるに決まっている。素直に流されておくが吉だ。
だがこれで、来年のプレゼントについて悩む必要はなくなった。
そして、時には飲み相手もしてくれるというハイルに、俺はこっそり感謝した。
「じゃあそれまで、俺も楽しみにしとくよ」
「どうせナマエ兄は独り身ですもんね……」
「それで困ってないから別に良いんだ」
「出会いもご縁も無いんですもんね……」
「……突き刺さることをそう言わないでくれますか、ハイルちゃん」
「すみませーん」
女性に口で勝とうなどとは思わないが、程々にして欲しいものだ。
ハイルの事を俺は女性として見ているのだろうか、と自分に問う時がある。少なくとも彼女は俺を異性として意識してはいないだろう。俺も、ハイルを異性として意識しているかと言われると悩んでしまう。やはり、妹のような存在にあたるのだろうか。だが確実に言えるのは、俺にとってハイルの存在は“大切”であるということだった。
お互いいつ死ぬか判らない身で、色恋沙汰なんて踏み込んでいられない……。ハイルには「有馬さんに褒めてもらう」という何よりも大切な目的がある。俺はそれを、陰ながら応援するのみだ。
ハイル。お前ならきっと、焦らなくたって有馬さんは褒めてくれるんじゃないかな。
――そうして、月日は流れた。
ハイルは成人し、約束通り俺はあの日本酒を、此処でプレゼントした。
「次はクリスマスにぼっちで過ごさなきゃいけないナマエ兄と来ますかねぇ」
「ぼっち決定するな」
日本酒を口にしたハイルは、「ナマエ兄さん、ずっとこんなの飲んでたんですかー……」とえらく渋い顔をした。
俺も最初はそうだったよ、飲んでいるうちに慣れたんだよ、と伝えれば、「本当ですかねぇ」と疑いながらも少しずつ日本酒を飲み進めていった。
「ナマエ兄、別のお酒教えてくれません? 他のなら飲めるかも……」
「……俺も最近ようやくワインで泥酔しなくなったレベルだから、次の誕生日まで待ってくれ」
「じゃあそれまでは、テキトーに飲んでみます」
また一際美しくなったハイルの笑みを肴に、俺はお気に入りの日本酒を煽った。
――次は女の子っぽいものにしよう。女の子が好きなお酒ってなんだ、シャンパンとかか?
だとしたら店も考えなくてはいけない。少なくとも此処にシャンパンは無い。
「次の誕生日は、違う店で飲もうな」
「お、デートのお誘いですが? 残念ですがお断りします」
「普通に兄心のお祝いの提案だよ!」
「ジョーダンですよ、冗談」
だから、お前の冗談は冗談に聞こえないんだよ。
いつかのように言いたいことをぐっと堪え、俺は新しい店探しの段取りを頭の中で始めていた。
この頃激戦が多いのも手伝って、昇級する捜査官が増えている。きっとハイルも瞬く間にその階段を上がっていくだろう。だとしたら昇級祝いも兼ねて、もっときちっとした店の方が良いはず。念入りに調べておかなくては。
来年のハイルの誕生日が、今から楽しみだ――。