町を出て少し歩くと、川がある。
荒れた土、転がる強張った小石、徘徊する兵士。たまに飛び出してくる破落戸。不思議と獣には出会さない。
川に向かうまでは、そういうつまらない景色や危ない場所をある程度歩かなくてはならないけれど、それでも私は川に向かう。
何度も、何度も。
飽きもせず私は川に向かった。
「今日は楽ね」
「さっきまで破落戸に絡まれていた人の台詞とは思えないな」
「それはどうも」
川辺を沿うように進む。
アルタイルは私を馬に乗せてくれた。黒く艶やかな毛並みは、くせになりそうな手触りだ。一定の感覚で響く蹄の音が心地良い。
文字通り無駄のない引き締まった体躯。きっと、今まで幾度と無く彼を乗せ、途方もつかない距離を駆けてきたのだろう。
「この馬は人の選り好みが激しいはずなんだが、貴女は気に入られているようだ」
「あら、そんな気紛れな子に私を乗せたの?」
沈黙をなくそうというアルタイルなりの気遣いだったのだろうけれど、あえて意地悪く返してみた。
案の定、彼は困った。あ、と小さな声を漏らし、そのまま俯き、口ごもってしまう。
まさかこんなに落ち込まれるとは思わなくて、内心慌てながら私は口を開いた。
「実際こうして乗せて貰ってると判るわ。この子、とても良い子よ。選り好みが激しいわけじゃなく、たまたま相性のよくない人に会っただけでしょう」
馬の乗り方なんてろくに知らない私でも落ち着いて乗っていられるのだから、きっとそうに違いない。
「そうだわ。この子の名前は?」
「名前は……無い」
「女の子?」
「ああ」
「じゃあ、メリッサ。私はこの子をメリッサと呼ぶわ」
「……勝手にしてくれ」
彼は私に遠慮しているのかもしれない。アサシンなんて物騒な生き方をしているのに、剣を持ったこともない私なんかに。
私が怖いのかしら。
――いいや、違う。
彼は、これ以上互いが踏み込むことを恐れているからだ。
アルタイル。あなたは不器用なひと。私にはあなたが何を考えているか、何となく見えるのよ。
私を巻き込みたくないとか、そんな格好ついた理由じゃない。
あなた自身が、人間らしいものを手に入れたり縋ったりするのを怖がっているからなのでしょう。
私の名前を聞くことさえ出来なくて、それでも私に「独りは危ない」と付き添ってくれた。
川は柔らかく輝く。
この川が海と結ばれるよりもずっと長い時間、私とあなたは並んでいくのでしょう。
違いは、ひとつ。――私たちは決して結ばれることはない。
想いが同じだとしても一緒になれる訳ではない。
私は聡明だった、そういうことだけは。
「メリッサが羨ましいわ。こんなに美人さんで、ねぇ」
本当に羨ましい。私もこの子のように、しがらみのない地を駆けてみたい。大切なひとと一緒に。
わざとらしく明るく声を張ると、アルタイルは不思議そうに私を見た。何時もはフードの影になって見えない瞳と視線がぶつかる。
言葉はない。
「こういう時はね、“あなたも美人だ”とか返すものよ」
またからかうように私は笑ってみせた。
アルタイルはそんな私にまた困り顔をするのかと思いきや、真剣に私を見つめたまま視線を外さない。
逆に私が困ってしまいそうだ。
どうしたのだろうと私が口を開きかけた時、彼は、くっと笑った。
「言おうと思っていたのに、あなたがせっかちだったんだ」
――ようやくあなたが慌てる姿を見れた――。
と、彼は大層楽しそうに話した。
初めて、緩んだ彼の声を聞いた気がする。表情を見た気がする。
私は戸惑いながらも、アルタイルから視線を逸らさなかった。もう二度と見れなくなるかもしれない、優しいその姿を焼き付けるために。
陽が高くなった。
川の水面が光を返して、私の目を刺すように刺激する。
「アルタイル、下りたいの。手を貸してもらえない?」
ゆっくり手綱を引きながら、私は言った。
静かに彼は頷く。
「ありがとう」
「どういたしまして」
今はこの緩やかな流れに、すべてを任せておきたい。日常から切り離された意識のまま、せせらぎと彼の声にだけ耳を傾けながら。
――もう少し時代が違っていたなら、私たちは。
他愛のない空想は、風に紛れて霧散した。
::企画「YOU」様に提出させていただきました(お題「漾」)。
ありがとうございました!