男前な荒垣先輩に歯が立たない
「あーらーがーきーさーんっ」

 甘ったるい声と共に麻斗が後ろから飛び付いてくる。荒垣は、さほど動じることも体勢を崩すこともなくそれに耐えた。

「あらお強い」

 意外そうに呟いた麻斗に、荒垣は溜め息を吐く。

「何べんもやられてりゃ慣れる。俺をはっ倒したきゃ筋肉つけてこい」
「これ以上筋肉つけたら女装に影響が……」
「女装は止めたくねえのか」
「それは死活問題っすからね」
「女装で死ぬなよ……。まぁ考えあってのことなんだろうがな」

 麻斗は笑った。荒垣は麻斗をよく理解してくれている。だから、こんな風に自由に自分らしく振る舞うことができた。
 まるで尻尾を振る犬のように、麻斗は荒垣に引っ付く。
 耐えかねたのか荒垣は「ちっと落ち着け麻斗」と麻斗の額を小突いた。

「一昔前のギャルかテメェは。テンション高過ぎて逆に年寄りくせえぞ」
「俺って、大人しい女子にしては顔つき凛々し過ぎなんでー。テンション高い方が取っつきやすくないですか?」
「まず女子じゃねーだろ」
「あだっ! ワンモアでデコピン頂きましたー!」
「何で嬉しそうなんだよ」

 再び荒垣が溜め息を吐くも、麻斗は「えっへっへー」と変わらずご機嫌であった。麻斗はこういう判りやすく気の置けない仲ならではのスキンシップがただただ嬉しいのである。

「荒垣さんってツンデレっぽいですねー」
「知らねえよ」
「だってだってー、ツンツン無愛想なわりに、何だかんだで構ってくれるしー。あ、昨日の探索でも俺のこと庇ってくれたじゃないですか。きゅん! ってしちゃうんですけど?」
「勝手にしてろよ」

 荒垣は続ける。

「お前が目の前で怪我しそうになったらそりゃ庇うだろ」
「……俺限定なの……?」

 さも当然のように言われたものだから、麻斗は面食らった。真っ直ぐ、惚けたように自分を見つめてくる麻斗を見て、「チッ……」荒垣は舌打ちした。彼の頬に若干赤みが差したのを、麻斗はしっかりと確認した。

「……とにかく戦ってる最中に気ぃ抜くんじゃねぇ。駄目なら最初から探索になんか出ないで休んでりゃいいんだ」

 うっかり漏れた本音は、更に零れていく。麻斗はじっと荒垣を見たまま動かない。その呆け顔が次第ににやけていくのに気付いた荒垣は、自身の被るニット帽を脱ぐと、麻斗の顔を隠す勢いで被せた。

「うわっ!?」

 突然視界が真っ暗になり、麻斗は慌てた。あたふたしながら帽子の端を手で押し上げる。すると、

「ふやけた顔してっからだ」

 くっと笑いを噛み殺したような、悪戯が成功してほくそ笑むような、子供のような笑みを浮かべて荒垣が此方を見ていた。
 滅多に無いその表情に、麻斗は更に動揺した。体の芯からぼっと火がついた気がした。赤い耳と顔を隠すように、麻斗はしずしずと帽子を引っ張り、下げていく。終いには俯いた。
 しかし、それを見てますます荒垣は笑うのだ。

「急にしおらしくなりやがって」
「な、なりもしますよぉ……。荒垣さん、皆といるときと違いますもんよー……」
「そりゃ違うだろうな」

 帽子越しにぽんぽんと麻斗の頭を撫でながら、荒垣は言った。俯く麻斗へ、まるで今までと違う声音で。

「お前と俺は、仲間より更に“特別”なんだからよ」

 ――ああ、もう、たまらない。
 俯きながら、麻斗は震えていた。
 荒垣は狡い。寡黙で頼れる先輩が、背中で語るような人が、たまにしっかり言葉にしてくれた時の嬉しさや恥ずかしさたちと言ったら、表現のしようがない。普段、此方から積極的にコミュニケーションを図り、耐性を身に付けようと励んでいるが、全く結果が出てこないのだ。その間も、荒垣の情は深さを増す。だから麻斗は、いつも最終的には、してやられる。
 何度仕掛けても、手段を変えても、最後に真っ赤になるのはいつも麻斗だ。
 帽子を押さえたまま、気持ちのままに荒垣の胸へと身を預ける。「何だ?」おかしそうに麻斗に訊ねながらも、彼はしっかりと麻斗を受け止めてくれた。

「先輩ズルい、かっこよすぎる」
「恥ずかしいこと言うんじゃねえよ」
「まんま返します。それ」

 それきり麻斗は黙ってしまった。不貞腐れたのか、恥ずかしすぎたのか。
 恐らく後者だろうと判断した荒垣は、後輩の背を優しく撫でる。こうしていると、麻斗はそのうち落ち着くのだ。不貞腐れた時も、ぽんぽんと頭を撫でているうちに機嫌が直る。
 麻斗は無言で両手を荒垣の背に回した。二人は更に密着する形になった。

「そんなくっついたら苦しいだろ?」

 荒垣が問うと、麻斗は小さく首を横に振った。

「立ちっぱなしでいいのか?」

 更に荒垣は問う。
 麻斗は答えない。こう言うときの麻斗の沈黙は、肯定なのである。

「まだくっついてるか?」

 麻斗は小さく頷いた。
 妙に素直なところが可愛らしい。荒垣は笑いを堪えながら、最後の質問をした。

「……他の奴等に見られるぜ?」

 瞬間、がばっと麻斗は顔を上げた。「そ、それはちょっと!」焦って荒垣から離れようとするものの、その体はしっかりと荒垣の腕が押さえている。
 麻斗は動揺した。

「ちょ、荒垣さん!?」
「もうすぐアキがトレーニング終わって帰ってくるだろうな」
「でしょ? なら離れなきゃ!」
「くっついてるって言ったのはお前の方だったろうが」
「それとこれは話が別でしょー!」
「俺ァ一緒のつもりで言ったんだぜ?」
「えぇ!? そんなぁぁあ!」

 意地悪く笑う荒垣に、必死に抗う麻斗。二人の甘ったるい攻防に、なかな終わりは見えなかった。
 遂には、寮の面子が来る前に荒垣が麻斗ごと自室に移動し、そこにて延長戦となった。
 どちらが勝ったのかは、言うまでもない。
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