いつかの未来のおはなし
初めて出会ったのは彼がまだ中学生の頃。その頃から既に背の高かった彼を、私は見上げ続けていた。成人した今もそれは変わらない。私の身長はさほど伸びなかったけれど、彼はどんどん成長して、そのすらりとした立ち姿は整った容姿も相まって溜息が出るほど美しかった。隣に立つたびに私は彼に釣り合うか常に不安に駆られ、それを悟られないよう、彼が“好きだ”と褒めてくれた笑顔で覆い隠していた。
「カノン」
「はい、何でしょうダイキくん」
久しぶりのデートで浮かれていた私は、弾んだ声で返す。今では売れっ子の占い師となった彼に休める時間はなかなか無いのだ。私も暇というわけではないけれど、彼に比べたら……そこまでじゃない。そんな貴重な時間を私の為に割いてくれていることが申し訳なくて、嬉しくて、幸せだった。
「今日の飯は俺が作る。あんたは休んどけ」
「えー!? 私、今日は久々にダイキくんに手料理を食べていただこうと張り切って来たのに……」
「たまにゃ良いだろ? それとも俺の作ったモンは不味いか?」
「とっても美味しいですけど!」
なら良いじゃないか、と私の額を小突いて、私が抱えていた買い物袋をさらっていってしまうダイキくん。
デートの終わりに、私たちは夕飯の買い出しを一緒にした。久々に二人でのんびりと料理でもして過ごそうということになったのだ。私はそれはもうほっそりとした彼がいかに沢山食べてくれるかを考えに考え抜いたメニューを胸に意気込んでいたのだけれど、ダイキくんにああ言われてしまってはそれも訴えられず。
――次にお夕飯をご一緒するときに腕を振るえばいいだけ!
そう切り替えて、単純な私はダイキくんの手料理を想像しながら頬を緩めた。
「今でも覚えてます、ダイキくんの作ってくれたほろほろの肉じゃが……。あんなに美味しい和食を頂いたの初めてでした……」
「誰でも作れるようなモンでいちいち大袈裟だな」
「誰でも作れるかもしれませんけれど、ダイキくんが作ってくれたという点が光ってますから」
私にとってダイキくんは、特別そのもの。特別眩しくて、特別温かくて、特別愛おしい。その気持ちを目いっぱいに表現してみるのに、彼は涼しい顔で「はいはい判った判った」と流すばかり。
初めて会った時から、ダイキくんは私の想いをさらっとあしらうのが上手だった。今でも片思いなんじゃないかと不安になるほど、クールな彼。こうやって過ごすことを許されて、不安は薄まるのだけれど消えるわけではない。
――だからってあまりにアプローチが過ぎたら、嫌がられてしまうかも。
一人で一喜一憂しているうちに、ダイキくんのお家に着いた。キヨカちゃんもご両親もご不在なので、実質ふたりきり。気負うことはない。だって、ダイキくんのご両親も、妹のキヨカちゃんも、「いつでも来てね」ととっても優しく私を受け入れてくれたから。
「お邪魔しまぁす」
「別に“ただいま”でも良いんだけどねぇ」
「えっ!」
ニヤリと笑ってダイキくんが私を振り返る。前回のご訪問の際、買い物帰りだったのもあって私がうっかり「ただいまです」とダイキくんご一家がそろっている時に言い間違えたのを思い出す。普通に「おかえり」と返されてから間違いに気づいた私は真っ赤になって慌てたけれど、「間違ってないようなものだから気にしなくていいのに、お姉ちゃんったら」キヨカちゃんの純粋さ故の言葉にますます取り乱して、その日作らせていただいたビーフシチューはいつもよりちょっと薄味になってしまった。
リベンジは、今度また改めて皆さんがそろっている時にしましょう、と気を取り直す。ダイキくんがお料理を振る舞ってくれるのを楽しみに、英気を養い、いっぱい笑うんです!
「ま、まだ“ただいま”させていただくには私、未熟ですから……」
「どっちかってえと俺のが足りない気がするが……まあ、アンタはゆっくりしてな」
当然のようにダイキくんと共にキッチンヘ向かおうと思ったのに、やんわり止められてしまう。
戸惑う私に、ダイキくんはとっても優しい笑みと共にこう言ってみせる。
「社長業でクタクタだろ。お手伝いは結構だ」
ぽんと頭を一撫でされ、私は、申し訳なさよりも深い愛情への喜びが抑えきれなくて、にやけながらこくりと頷いた。
ダイキくんのお家はとても落ち着く。自分の家が嫌いなわけではないけれど、どうしてもあそこにいると私は仕事を常に意識してしまう気がして。この歳で会社をやっていくことは簡単じゃないし、いくらヤマブキさんたちがサポートしてくれるからといって、それに甘えてばかりもいられない。
そんな私にとって仙道ダイキというひとは、かけがえのない存在で、仕事だ疲労だなんて面倒くさいものを吹き飛ばしてくれる大好きで大切で大事でたまらない人なのだ。
そっとキッチンを覗いて、手際よく料理する彼の背中を見つめる。あまりに見つめすぎて、ダイキくんはこちらに気づいて振り返った。ふっとその口元に笑みを浮かべ、
「あと少しで出来る。いい子にしてな」
「……はい」
私は、その大人っぽくて艶っぽい彼の色香にすっかりやられて蕩けた返事をするしかなかった。
……ダイキくんの作ってくれたご飯は、とっても美味しかった。何を作ってもらえたかは今日帰ってから改めて日記にしたためることにして、私は洗い物を片付けていた。料理を任せっきりだったのだ、洗い物ぐらいさせてもらえないと気持ちが収まらない。
それにしても、「いい子にしてな」なんて普通あんなにするっと言えるものかしら? 言ったとてああも様になるものかしら? やっぱりダイキくんって神様からこの世界への贈り物なんじゃないのかしら?
「ああもう、仙道くんって何でああも素敵なんでしょう……!」
無事に洗い物を終え、先の出来事を思い出して声を震わせながら踵を返す。心臓がドキドキしておかしくなりそう。はあ、とため息をついて顔を上げる。
……コップを片手に立つダイキくんと、目が合った……。
「せ、仙道くん……いつからそこに……」
「仙道くんて何でああも素敵なんでしょう、なんてうわ言は聞いてないから安心しろ」
「ばっちり聞いてらっしゃるじゃないですか!!」
思わず彼の胸をぺしりとはたいた。涼しいを通り越して真面目な顔で私を見つめるダイキくん。すっかり私より高くなってしまった視線を、わざわざ私のために向けてくれている。
「恥ずかしさを知らないお嬢様のぼやきにゃ慣れたよ」
そして呆れながらもたっぷりの情に満ちた言葉をくれる。
「私は聞かれるの、慣れてませんから! 恥ずかしくないわけでもないですしっ」
「それよりも呼び方がまた戻ってるほうが気になったねぇ」
「あ、あらら……そ、そうでした?」
すっと目を細めたダイキくんに指摘されて、慌てて先の発言を思い返す。……確かに、ダイキくんじゃなくって仙道くんって呼んでしまった気がする。ちょっと気が緩むと、彼の追っかけファンをしていた時代に呼び方が戻ってしまうのだ。だって、お名前をお呼びするなんて、今ですら心臓が忙しなくなるのに。
「苗字呼びは卒業って言ったはずだぜ?」ずいっとダイキくんが顔を寄せてくる。鼻先が触れそうなくらい近かった。
「そ、それよりも、お飲み物を取りに来たんでしょう? よ、用意しますわ」
「視線泳がせんな、ちゃんとこっち見ろ」
「ち、近くて緊張しちゃうんですの」
「……そういう反応されるともっとしたくなるんだって判ってるか?」
「え、えええっ……!」
何を、と聞くより先に軽く唇が重なって時が止まる。美しく目を閉じたダイキくんの姿がしっかりと瞼に焼き付いた。
数秒して音もなく離れると、彼はまるで何もなかったようにすたすたと歩いて冷蔵庫へ向かっていった。私はといえば、年上らしさの欠片もなく頬を染めて唇を両手で押さえてぷるぷると震えるしかなかった。だってまるで息するようにごく自然に触れられたから。そして離れたから。全部が当然のことのようにスムーズに彼がしていくから。
まだまだ当たり前に受け止められない私は、こうして混乱するしかない。
「……はぁ……好き……」
ため息と共に漏れた呟きはダイキくんの耳にも届いていて、予想もしなかった「俺もだ」というお返事をいただいてしまった私はますます赤くなる羽目になった。