わたしだけのあなたでいて
 ジュディスの槍が敵を薙ぐ。神速一閃と言っても過言ではない。その卓越した槍捌きは、目を見張るものがあった。
 ノアは、その様を見つめて、はあ、と感嘆の溜息を漏らしていた。彼女の鎌使いとてジュディスと得物は違えど、パーティ内においては今や無くてはならない戦力となっている。
 槍を払い、魔物の血を落とすと、ジュディスはノアからの視線に気づいて、敵影が無くなったことを確認してから微笑んだ。

「どうしたのかしら」
「いや、見事だなぁと思って」

 素直なノアの感想に、ジュディスは若干面食らった様子で瞬きした。内向的なノアの真っ直ぐな想いに僅かな気恥ずかしさを覚えるも、それを微笑みに覆わせてジュディスは「ありがとう」と返した。

「本当にジュディスの戦い方は美しいと思うよ」

 呟きながら、ノアは魔物のそばに屈んだ。目を閉じて、一礼する。

「――いただきます」

 使い込んだナイフを懐から取り出す。
 魔物から素材となるものをはぎ取るためだ。牙を削ぎ、毛皮を剥ぐ。肉もいくらか切り出す。全ての肉を持たないのは、持ちきれないからというより、彼女の狩りのルールか何かのようだった。

「どうして肉は持ちきらないの?」

 少しばかり好奇心がうずいて、ジュディスはノアに尋ねた。ノアは即答する。

「他の動物たちの餌になるからだよ。自然の恵みを人間だけで平らげるんじゃなくて、この辺りに住む他の魔物や動物たちとも分け合うんだ。私はお母さんからそう習ったんだよ」
「お母さまから」
「最近思い出したんだけれどね」

 手際よく魔物を捌くノアの傍らに座りながら、ふうん、とジュディスは瞬きした。
魔物を捌くのは別にノアだけの仕事ではない。レイヴンやユーリらも行うことだ。しかし、狩猟を生業とする一族の出らしいノアの技は、ジュディスの目には特別な儀式のように見える時があった。

「ノアの捌き方は綺麗よね」
「そうかな。そうだと良いな」
「私が言うんだからそうよ。……それとも私の言葉、信じられない?」
「そんなことはないけれど」

 しばらく作業に集中するノアと、それを見守るジュディスの沈黙が続いた。他の仲間たちは粗方作業を終えたようだった。ノアも程なくして素材を取り終える。

「お待たせ」
「おう。じゃあ進むぞ」

 ノアとジュディスが合流すると、ユーリが再出発の号令をかけた。



 夜は野宿することになった。寝ずの番を申し出たのはノア。素材の整理などをしておきたい、とのことだった。この辺りの魔物がさして驚異ではないこと、テントの魔物忌避剤も有効なことから、誰もノアに番をさせることを心配していなかった。ジュディスを除いては。

「ノア」

 月明かりの眩しい夜だ。焚火の側で素材袋を広げているノアの元へ、ジュディスが足音を忍ばせてやって来た。

「ジュディス、寝なくていいの?」
「ノアこそ寝なくていいのかしら? 今からでも私、火の番を変わるわよ」
「私、今日は寝なくて大丈夫な日だから」
「あら、そんな日があるの」
「うん。そんな日もあるよ」

 ノアらしい、つたないはぐらかしに、ジュディスはくすくすと笑った。意固地なノアのことだ、何を言っても絶対に眠ろうとはしないだろう。決めたらテコでも動かない。そういうところがノアにはある。

「じゃあせめて、私もお供するわ」
「ジュディスが平気なら。ありがとう」

 でも途中で辛くなったらいつでも寝て良いからね、とノアは口添える。
 ジュディスは微笑んで頷いた。
 ノアはあまり口数の多い方ではない。素材の整理を始めてジュディスから視線を外すと、すぐに作業に熱中した。
 その横顔をジュディスはじっくりと眺める。
 ジュディスは、ノアのことが好きだ。仲間として。親友として。歳の近い二人は気が合った。ジュディスが『竜使い』だと分かった時、ノアの記憶が戻った時、様々な出来事があったが二人の仲は睦まじかった。時に、それは友の境界を超えているような気すらジュディスはした。ならばこの感情はどう表わすべきなのだろう、そんなことを思いながらノアの横顔を、作業を見守る。
 ノアが素材の選別を終えて、何やら違う作業を始めた。整頓された素材から一つずつを選び取って、手元で何か工作している。羽飾り、だろうか。魔物から採取したとは思えないほど艶のある美しい羽たちが重ねられ、一つの飾りとなっていく。針と糸を取り出してそれらを纏め上げたノアは、よし、と出来上がった飾りを見て微笑んだ。

「ジュディス」

 ジュディスは呼ばれるままにノアの顔を見た。此方を見て微笑む彼女と目が合ったかと思うと、そっと両手が伸ばされた。優しくノアはジュディスの髪に触れる。
 出来上がった飾りは髪を彩るものだったらしい。ノアは出来たばかりの髪飾りをジュディスの髪へとつけて、にっこり笑った。

「やっぱり似合うね」
「そう? 自分では見えないから分からないけれど、あなたが言うならきっとそうなんでしょうね」
「余計なお世話だったかな」

 またノアの手がジュディスの髪へと伸びて、飾りを取る。ノアが困ったように手の平の上に飾りを乗せたまま目を伏せるので、ジュディスは苦笑した。

「とても素敵よ。その髪飾り。本当に私が貰っても良いのかしら」
「ジュディスに似合うと思って作ったやつだから……」

 ジュディスのためだけに、ノアはこれを作ってくれたらしい。

「一人旅をしてた頃に、よくこうやって飾りとか作って売ってたんだ。好評だったから悪くはないと思うんだけど」
「言ったじゃない。とても素敵って」

 ノアの手から髪飾りを取って、ジュディスは笑い返した。

「ノアが今から何を言おうと、これは私のものよ。だって、私のために作ってくれたんだものね?」

 子供のようにジュディスが言ってみせると、ノアは気の抜けた顔で頷いた。

「あ、そうだ」

 頷いた後、何か思いついたようにぽんと手を打つ。ノアは、小袋から赤い紐を取り出すと、ジュディスに掲げてみせた。

「どうせならもっと何か作ろう。ジュディス、測らせて」
「え?」
「首回り。ネックレスなんていかがでしょうか」

 恭しく尋ねるノアに、ジュディスはくすりと笑う。

「それじゃあ、お願いしようかしら」

 ノアは満面の笑みで頷いた。
 ジュディスの首へと手を伸ばすと、ゆったりめに紐をかける。僅かに髪を撫でられ、遠慮がちにナギーグに触れられ、正直、ジュディスはくすぐったかった。
 そんなジュディスの心情まで思い至らないノアは作品作りにすっかり集中していた。このぐらいかな、と紐を切り、早速、切った紐を頼りに、次の作品に取り掛かり始めた。
 細かな道具を取り出して、ノアは器用に装飾品を組み立てていく。魔物が落とした角を削り、磨き上げたものを中心に、次々と素材を組み合わせる。ジュディスをイメージした、ジュディスの為だけの作品がまたひとつ、ノアの手によって生み出された。

「どうでしょうか」
「とっても素敵ね」

 その言葉を了承と受け取って、ノアは、そっとジュディスの背に回る。ネックレスをつけるためだった。「ノア」と呼びかけられて、ノアは少しだけ首を傾げた。しかし気にせず、ジュディスに触れ、ネックレスを飾る。

「ジュディスは飾り甲斐があるね!」

 正面に戻ったノアは手を叩いて笑った。

「綺麗な子はやっぱり殊更綺麗になる。楽しいなあ」

 ジュディスは贈られたネックレスにそっと手を添え、ほんのり頬を染めている。
 ――私ったらどうしたのかしら。
 ジュディスは自分でも、どうして頬が熱くなったのか分からなかった。そっと優しくノアに触れられて、ノアが自分の為だけに作品を作り上げてくれて。
 それだけなのに。
 それだけだからなのだろうか。
 ノアの時間が自分の為に使われるということに、ジュディスは言いようのない感情を抱いた。優越。違う。尊敬。違う。これは、この感情は。もっと単純な……嬉しさ。喜び。幸せ。
 ノアは穏やかな顔をしてジュディスを見つめている。

「普段はこんな風に自分を飾ったりできない旅だけれど、こんな息抜きがあっても良いよね」

 ジュディスは深く頷いた。

「ええ。しかも、他ならないノアからの贈り物で飾られるなんて、嬉しいわ」
「地道に腕を鍛えた甲斐があったよ」

 照れくさそうに頬を掻くノアを見て、ジュディスは微笑み、そっとネックレスを外した。甘えて取って貰うことも考えたが、それは欲張りな気がした。
 贈られた髪飾りとネックレスを改めて手の中に置き、じっと見つめる。
 こんな風に誰かに贈り物を貰うなんて、いつぶりだろう? それを純粋に喜んだのも。

「大切にするわね。旅が終わったら、この子たちを付けておしゃれするわ」
「良いなあ、着飾ったジュディス、見たいなあ」

 ノアののんびりとした返事に、ジュディスは少しばかり疑問を覚える。まるで旅が終わったら、ノアはジュディスと一緒にいられないようなニュアンスでもって発言されたからだ。
 訝しむようにジュディスは問いかける。

「ノア、この旅が終わったらあなたはどうするつもりなの?」

 すると、喋りの不得手なノアが、いつも以上に歯切れを悪くしてこう答える。

「そうだなあ……野となれ山となれ、って感じかなぁ」
「何も決めていないということ?」

 ジュディスが更に問い詰める。

「なにぶん、帰る場所もそれらしい目星も無いからなあ」

 ぼんやりと夜空を仰ぎながら、ノアはそう答えた。そのノアの様子といったら、今すぐ何処かに消えてもおかしくないように見えた。少なくともこの旅の目的が果たされるまで、そんなことは決して有り得はしないのに。
 じゃあ、旅が終わった後は?
 思わずジュディスは、ノアの手を掴んでいた。ぎゅっとその手を握り締めて、ノアに顔を寄せる。

「ノア、あんまりぼんやりしちゃ嫌よ。帰る場所が無いんだったら私も似たようなものだわ」

 そう言うと、ノアは首を振って笑った。心配しないで、とでも言うように。

「ジュディスは〈凛々の明星〉があるでしょう。大丈夫だよ」
「なら、あなたもギルドに入ればいい。別に〈凛々の明星〉である必要はないわ」

 ジュディスは焦っていた。今、ノアの旅のその後を話しておかなくてはならないような気がした。そうでなくてはノアが、何処か知らない場所へ行ってしまうのではないかと感じた。

「ジュディス、そんな顔しないで」

 よほど酷い顔をしていたのだろう、ノアはジュディスの顔を覗き込んで呟く。

「ジュディスの心配しているようにはならないよ」
「本当に?」
「本当だよ」

 ノアは、ジュディスの手を握り返しながら頷いた。優しい微笑み。ジュディスはいつの間にか剥き出しになっていた心をその笑みに包まれて、ほっと、安堵した。
 ノアと話していると、いつもこうなる気がする。ノアの心を覗くつもりが逆に覗かれて、優しく手に取られて、抱き締められる。つたないノアの言葉は的確にジュディスの心の鎧を剥いで、ただの少女にさせてしまう。少女と呼ぶにはもう遅いはずの、ジュディスのことを。ノアはいつでも「ただの少女ジュディス」にしてしまうのだ。
 ――いつからこんな風だったかしら。
 思い返しても心当たりが見つからない。気が付いたらノアの存在はジュディスの心の深くに入り込んでいた。そして、ジュディスはそれを受け入れていた。
 ――ノアはどうなのかしら。
 いつもたどたどしくて仲間の後ろを付いて行くようなタイプなのに、何故ジュディスと二人きりになるといつの間にかリードする側に回っているのだろうか。素面のまま贈り物をしてきたり、自然と触れてきたり、ジュディスを落ち着かせるように笑ったりしてくる。
 ――ノアにとって、私は。
 それを尋ねようとするより先に、ノアが口を開いた。

「ジュディスは私にとって妹みたいなものなんだから、嘘つかないよ」

 まさかの発言に「い、妹?」ジュディスは思わず繰り返す。
 うん、とノアは頷いた。

「だって、ひとつだけとはいえ、私の方がお姉さんだからね」

 胸を張るノアに、ジュディスは呆気にとられる。まさかの妹扱い。拍子抜けしてしまった。確かに年齢順で言えばノアの方が姉と呼べるのかもしれないが……まさかそんな言葉で片付けられてしまうとは。
ジュディスの抱いた動揺も喜びも何もかも、姉妹ごっこで片付けられてしまうのだろうか。そう思うとジュディスは歯痒く、苦しくなった。
 俯くジュディスに、ノアは不思議そうに首を傾げる。

「どうかした?」

 そう言ってこちらの顔を覗き込んでくるノアに、ジュディスはたまらず手を伸ばした。
 ノアの首にジュディスの腕が絡む。くいと引き寄せられるまま、ノアはジュディスの腕の中に収まった。柔らかな胸に顔を埋める形で。

「ジュディス……?」
「嫌よ」

 ノアを抱き締めながらジュディスは呟く。

「姉妹なんて生易しいものじゃないわ」

 そう、姉妹だなんて。抱き留めた温もりを確かめるようにノアの髪へ頬を寄せるジュディス。夜明けの空に似た青色のそれは、柔く、ほんのりと甘い香りがした。ジュディスは鼓動が高鳴るのを感じながら、ようやっと想いを口にする。

「……分かったの。私、あなたが好きよ」

 ノアが息を呑むのをジュディスは感じ取った。意味を違えることなく言葉はそのまま伝わったらしい。
 ジュディスの腕の中から抜け出したノアは、真っ直ぐに彼女を見据えた。
 いつもは穏やかな笑みをたたえる紅の瞳が、真剣に自分を見つめている。そして「好きよ」ともう一度口にした。
 思わぬ告白に、ノアは動揺しなかったわけではなかった。だが、動揺以上に、自分はジュディスにとって特別であるという告白は、耐え難い嬉しさを伴った。
 万が一この告白が他の誰かに向けられていたら、と想像するノア。……悲しみと、ほんの少しの怒り……いや、妬みが生まれる。ジュディスが自分以外の誰かを好いたら、嫉妬してしまう。そのことに気付いて、はっとした。
 今まで何かとジュディスを気に掛けるのは同年代ゆえからだとか、自分が姉のような立場だからだとか、ジュディスが無理をしないようにだとか、そういう理由だと思っていた。もちろんそれらも嘘では無いのだが。本当の理由が「ジュディスを好きだから」だと思い知って、呆然としていた。
 呆然としているとジュディスと目が合った。改めて彼女を好きだと実感すると、視線が合うだけだというのに、照れくさくなってくる。
 上手く言葉に出来ず、もじもじとしながら、ノアは言う。告白に対して誠実に対応しなくてはならないとそればかりが頭を過っていた。

「……ありがと、ジュディス」

 そして、小袋からもう一度赤い紐を取り出すと、ジュディスに向き直った。

「意思表示としてお願いしたいことがあるの」
「なあに?」

 焚火に照らされたノアの顔が、わずかに赤らんでいるのをジュディスは認めた。真剣だけれど、可愛らしい。そう思っていると、思わぬことをノアは告げる。

「証の指輪を、作らせてほしい」

 その瞬間、ジュディスは、自分の顔もきっと同じように赤く染まっているのだろうと思った。証の指輪。それが何を意味するのか、考えるのは容易かった。
 ジュディスは小さく微笑んだ。

「喜んで」

 仲間たちの目を盗むようにして、ふたりの乙女は、小さな愛の実りを感じ取っていた。

「指輪はきっと時間が掛かるわね」
「うん。でもきっと完成させるよ」
「だったら、ずっと傍にいてね」
「うん。その為の証だから」

 額を寄せて、ジュディスとノアは笑い合う。
その後に彼女たちが最初にしたことは、指輪に嵌める石を二人で決めることだった。
 夜が更けるのも、眠ることもすらも忘れて、二人は互いの気持ちを確認し合っていた……。
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