この身に宿った体温を思い出にはさせない
 一瞬でも多く、仲間たちより多く。
 ナマエは神経を研ぎ澄ませて、いち早く、相対した魔物へ突進する。その鎌の一振りで、足りなければ拳と足で、そして術で、なるべく多くの魔物を屠る。
 仲間の生命を脅かすものは一瞬でも早く、仲間の手を煩わせることなく、消す為に。
 それは自分がすべきこと。当然のこと。義務であり、責任であると思っている。
 誰よりも丈夫な自分が、誰よりも先に行うべきことだ、と。
 鬼気迫る彼女の姿は、時として、どちらが獣なのか判らなくなるほどの獰猛さと狂気を醸し出す。それらが魔物の本能に訴えかけ、四肢を縫いとめ、隙を作ってくれる。お陰でナマエは素早く魔物を切り伏せることが出来た。

「ちょっとは俺様にも譲ってちょうだいよ〜」
「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんですけれど……」
「ラピードばりの俊足だね、ナマエ」
「ありがとう、最高の褒め言葉だよ!」

 仲間たちの言葉にもしっかり返答をしつつ、また一匹仕留める。
 そうしてひとまず、襲い掛かって来た魔物たちを全て片付けた。
 次の街まではまだ距離がある。今後も戦闘はあるだろう。だが今日はここまでだ。陽が傾き始めている。

「今日は、ここで野宿だな」

 ユーリの言葉に、仲間たちは頷いた。勿論ナマエも続く。
 ――夜は、ナマエが当然のように寝ずの番を申し出、他の仲間たちは彼女に甘えて眠りについた。
 そうして完全に皆が寝静まった頃、ナマエはひとり、焚き火の傍に腰を下ろした。張りつめていた気がほんの少し和らぐ。仲間の目が無い場所でなくては出来ないことがあるのだ。仲間に見られてはいけない秘密。
 蓄積した疲労と怪我を、じっくりと癒すことだった。
 戦闘中、常に身体能力を活性化させていた負担を一晩で無かったことにしなくてはならない。過負荷による痺れ。感覚の鈍化。戦闘中は意識の外に追いやっていた痛みたち。それら全てを、出来得る限り、元通りにする。
 静かにコートを脱ぐ。上着で隠してあって傍目には判らないが、左腕を先日負傷した。巻いていた包帯がすっかり赤黒いもので汚れてしまっている。何とかなると思っていたが、この頃の無茶が祟り、治癒力の活性化が上手くいかずにいた。仕方なく治癒術を掛けてから包帯を取り払う。些か血が滲んではいたが、大分良くなった。包帯をかえて数日もすれば治せるだろう。
 身体能力の底上げによる疲労は、空気じゅうに立ち込めるエアルの吸収で行う。暴走するほどエアルが満ちている今の世界は、皮肉なことに今の自分を癒すには効率の良い環境になっていた。

「あー、便利な体……」

 新しい包帯を巻き、再びコートを着たナマエは笑った。すっかり何もかも慣れて板について来たという安堵が頬を緩ませる。
 直後、彼女の脳天を鋭い打撃が襲った。「ぐっ!?」衝撃のあまり悲鳴を上げてしまったが、仲間を起こしてはいけないという意識が働いて最小限のボリュームに抑えることが出来た。だが痛みをも抑えられた訳ではない。

「なーにが便利な体、だ。バカ」

 咎める声に、ナマエは恐る恐る背後を振り返る。

「ゆ、ユーリ……」

 ついさっきナマエの脳天を直撃したユーリの手刀が再び放たれる。「あいだっ!」やや威力は下がったが、痛い。
 ナマエが頭を押さえて震えていると、その隣にどっかりと彼は腰を下ろした。

「怪我をいちいち隠してまで無理とかふざけんな」
「私は、みんなより治りが早いし丈夫だから……」
「そういう問題じゃねえんだよ」

 ユーリの睨みに、ナマエは体を縮める。
 立てた片膝を使って頬杖をついたユーリが、ナマエへ問う。

「いつからこんなことしてたんだ」
「……自分の力の使い方を、思い出してから」

 ユーリは何も言わない。じっと非難するような黒曜の瞳がナマエに向けられていて、それだけだ。
 耐えられなくなったナマエは、なかば自棄になりながら理由を打ち明ける。

「だって……エステルにあまり治癒術を使わせたくないんだよ、エステルのためにも。エアルに強くないのに、ちょっと誰かが怪我したら見過ごせなくてすぐ術を使う。その繰り返しの負担がどんなにか、私にはわかる。それにもし治癒術を使わなくちゃいけなくなったとしたら、その時は、私じゃなく他の皆のぶんだけで済むようにって思って――」
「おまえ、オレらを馬鹿にしてんのか?」

 訴えは逆効果だったようで、ユーリの眼差しは剣呑さを増す。
 ナマエは視線を逸らすことすらできず、恐ろしく不機嫌な青年の顔を見つめるしかなかった。

「オレらだって極力ケガだとかしねえように戦ってる。おまえの言い方だと、オレらはすぐ怪我すっからエステルの術が必要ってふうにもとれるぜ」
「ち、違う。ただ私は、エステルの大事な力は必要な人にだけ使ってほしいの。私は自分で治せるし、すぐ治るから、私のことは要らないって意味で……」
「お前のそのすげー回復能力にだって限度があんだろ。ほら」

 そう言ってユーリが手にしたのは、ナマエが片付けそびれていた血塗れの包帯だった。これでは言い逃れのしようがない。

「おまけにいつもの“自分は仲間じゃない”みてえな言い方。エステルにとっちゃおまえだってかけがえのない大事な仲間だ。エステルの世界にはな、おまえも必要なんだっての。ったく……」

 ユーリはその包帯を焚き火に投げ込みながら舌打ちをする。
 包帯はあっという間に燃え尽きて、灰になった。

「だいたい、こんだけ付き合いが長けりゃ察するんだよ。他の奴らは気付いてねぇみたいだけどな」
「ごめん……」
「謝るぐらいなら最初からすんじゃねえ。ほら、グミ食っとけ」

 そう言ってユーリは小さな道具袋から取り出したグミをナマエに差し出した。おろおろとユーリとグミへ交互に視線を彷徨わせるナマエのしょげた顔に、ユーリは「いいから食えって」と促す。
 ……ようやっとナマエがグミを食べ始めると、ユーリは幾らか穏やかな顔つきになった。

「おまえさ、無茶すんのは“力があるから”って言ってたな」
「え? あ、うん……。そんな感じになるかも」

 戸惑うナマエを見つめ、青年が苦笑を溢す。

「その性格じゃあ、力があっても無くてもどうせ無茶してそうだ。あの姫様もだけどよ」
「ユーリも結構無茶するじゃない……。説得代わりに自分の腕切ったり、砲撃の盾になったりさ」
「うーん、そりゃ無茶じゃなくて“やれると思ってやってる”だから違うな」
「そんなこと言ったら私だって“やれると思ってやってる”だし」
「おまえの場合は、その結果、無理しすぎてガタがきた、と」
 
 ユーリには敵わない。ナマエは旅の最中散々思い知ったはずのことを改めて実感していた。
 ぐうの音も出ないとはまさしくこれだ。ナマエは膝を抱えて黙り込む。それしか出来なかった。
 己の考えの甘さが針の筵となって心に刺さる。
 自分には出来る、出来なくてはならないと強く思い込み、休まず駆け回った。能力を酷使し続けた。
 ――そのための力だと思い込んで、突っ走った。
 だがユーリに見つかり、咎められて、それらは全て間違っていたことに気付いてしまった。
 旅を続け、様々な記憶を刻むうちに、ナマエは身の振り方が判らなくなっていた。その不安から目を逸らす為の何かが必要だった。
 自分に責任や義務を勝手に作り上げたのも、全部、自分の心を軽くするための逃げ道に過ぎなかったのだ。

「私、本当に身勝手で空回りなヤツだね……」
「わかってんなら次から直せばいい。遠慮なくオレらを頼る。それだけでいいんだからよ」

 まるでナマエの悩みを全て把握しているかのようにユーリの返答は的確で優しかった。
 その優しさで、張りつめていたものが切れてしまったらしい。ナマエは抗い難い疲労感に襲われた。支えきれなくなった体がぐらりと傾いでいく。
「っ、と!」寸でのところでユーリが支えに入ってくれたおかげで、彼女が地面に頭を打ち付けることは無かった。

「ごめん……急に来た」
「本当に急だな」

 ユーリとナマエは、見つめ合いながら苦笑した。
 ナマエは体を起こそうと腕に力を入れたのだが、傷と痺れのせいで上手くいかない。一刻も早くユーリから離れなくてはいけない、と妙に心臓を急かせていると、彼は「起き上がれないならこのままにしとけ」と額を小突いて来た。
 申し訳ないながらも言葉に甘え、彼女はユーリに身を委ねることにした。
 夜空とも、洞窟の奥とも違う。艶やかで美しい黒を纏った仲間の顔を見上げながら、ナマエは何故か視界が滲むのを感じた。

「……私ね、きっと自分が皆にとってあまり価値の無い存在であって欲しいんだ」
「そりゃ無理なこった。オレらは絆でがんじがらめのぎっちぎちだぜ」
「うん。そうなんだよね。嬉しいけれど……私、ネガティブだから、怖いんだよね……」

 そっとユーリの顔から視線を逸らして、夜空を見上げた。テントの簡易結界のお陰で魔物のやってくる気配はない。
 本来、こうして火の番をする必要も無いのかもしれない。だが念には念を入れ、万が一に備え、彼らはこうして火の番と共に周囲の警戒にあたる。夜盗――人間には簡易結界などなんら意味を持たないのだ。ナマエとユーリの状況はとても見張りとは呼べない状態だったが、まるでそれを見計らったかのようにラピードが目を覚まし、やや遠くへ歩み出し、見張りをし始めていた。
 ラピードの気遣いにナマエは気付けぬまま、夜空に瞬く星を眺める。細められた瞳からは、今にも涙が零れ落ちそうだ。

「私は本当はここにいちゃいけないんじゃないか。だから、いつかこの場所を失うんじゃないか。そうなるとしたら、最初から、なるべく皆にとって私の存在は薄い方がいいって思って。でも、ここを失うなんて怖くて、ユーリたちといられなくなるのは嫌で、だから誰よりもとにかく役に立ちたくて無茶したりして……。そうしたら少なくともユーリたちにとって悪い思い出にならなくて済むかなとか。とにかくあいつは元気だったね、役に立ったよね、頼もしかったよね、って……」

 どうして自分でもこんなことを言ってしまっているのか判らなかった。ナマエの言葉に静かに耳を傾け、遮ることなくその思いを受け止めてくれるユーリの姿が彼女の口をどんどん滑らせているようだった。
 ユーリに抱かれたまま、ナマエは笑う。

「おかしいよね、反対同士の気持ちのために、私、よくわかんなくなってるの」

 表情に反して、その目じりからは一滴の涙が伝い落ちて行った。
 無茶をして、無理をして、きっとナマエはとうに限界だったのだろう。自虐的な思考回路で自分を追い詰め、奮い立たせ、躍起になって動き続けて。
 ――本当に、バカな奴だ。
 ユーリは胸中で溢す。同時に、まさかここまで彼女が自身を追い詰めていたとは気付かずにいた己の目測の甘さに苛立った。それを口にすれば「ユーリは悪くない」とまたナマエがどうしようもないことを言うのは安易に想像できたから、彼はあえて触れずに、

「判んなくなるだけ頑張り過ぎたんだろ、ゆっくり休め」

 精一杯の、ねぎらいの言葉を絞り出した。

「もっと力を抜いて生きてけよ。仲間なんだから、変な気ぃ回さなくていいんだ。おまえがオレらを大事に思ってくれてるように、オレらもおまえが大事なんだ。おまえがどう言おうと何しようと、それは変わりゃしねえ」
「ユーリ……」
「だからもう無理すんな。ゆっくり、少しずつでも良い。改めてオレらを頼れよ」

 ユーリはナマエの視界を遮るようにして顔を覗き込んだ。ナマエの瞳からは、ゆっくりと涙が落ち続けている。
 そっとナマエの額に自分の額を押し当てて、ユーリは瞳を閉じた。恐ろしいほどナマエの体温は低かった。

「じゃねえと、許さねえからな」
「うん」
「難しいことは考えんな。オレらといたいなら、オレらといるのが大事なら、それが答えで良いんだ。安心しろよ、嫌でも離してやったりしやしねえから」
「……うん」
「だから、ゆっくり休め」

 額を離して、ユーリはそっと目を開いた。涙の止まったナマエの瞳が真っ直ぐに自分を見据えている。ほのかに笑みを見せた後、彼女は静かに瞳を閉じた。ユーリの腕にかかる重さが僅かに増し、ナマエの体温が更に下がっていく。
 思わず彼は、最悪の状況を想像してしまった。
 慌ててぐったりしたナマエの体を抱き締め直して、彼女の口元に耳を近づけた。……とても小さいが、呼吸していることが確認できる。体温もそれ以上下がることは無く、時間が経つごとに、少しずつ平常な温度へと戻って来た。

「ったく、本当に心臓に悪い奴……」

 そう呟くユーリの額には脂汗が滲んでいた。盛大な溜息を吐いたのち、彼はナマエを抱きかかえて立ち上がる。テントに寝かせてやるのが一番なのだろうが、女性陣の使用しているテントへ入っていくのは流石に憚られた。

「ラピード、良いか?」
「ワンッ」

 小声でラピードを呼び寄せたユーリは、ナマエをラピードに寄り添う形になるように下ろしてやった。それから近くにあった外套を引っ張ってきてかけてやる。まるで一見死人のように見えたが、間違いなくナマエは生きている。回復の為に極限まで身体機能を絞っているのだろうか。
 異変が起きればすぐにラピードが察してくれる。
 ユーリは一安心し、改めて見張りに戻った。
 ゆらゆらと揺れる火を眺めていると、先のナマエの言葉が断片的に蘇ってきた。
 ――私は本当はここにいちゃいけないんじゃないか。
 ――いつかこの場所を失うんじゃないか。
 きっと誰もが一度は抱く疑問だと思う。すぐに振り払える程度のものだとばかりユーリは思っていたが、ナマエは違うらしい。
 何よりナマエの口ぶりでは、暗に、自分たちから離れることを望んでいるかのようにも思えた。
 そしてユーリは、そんなことがあってはならないと即決した。
 だから精一杯に言葉を振り絞り、無茶を押し通す彼女の言い分を遮って抑え込んだ。何とか今回はナマエも納得してくれたが、また同じ思いが首をもたげないとは限らない。
 今後はもっとじっくり、しっかり言い聞かせてやる必要がありそうだ。

「……オレから離れるとか、二度と言わせねえからな」

 少し離れた場所でラピードに体を預けて眠る少女へ向けて、低い声でユーリは呟いた。
 ラピードがその言葉に反応して片耳をぴくりと揺らす。「ワフッ」小さな鳴き声は、相棒への同意を表していた。
 ユーリの顔にようやっと笑みが戻る。何もナマエを引き留めるのは、自分だけじゃない。ラピードたちがいるのだ。
 きっとナマエの無理も直る。きっと、直してみせる。
 ユーリの決意は固かった。
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