ほつれあってもむすばれたい
 ナマエの寝覚めは良かった。
 ぱっちりと開いた両目で天井を見上げながら、我ながら驚くほどはっきりとした意識で考える。
 とても幸せな夢を見ていた気がする。寝覚めの理由はそれだろうか?
 そう思って体を起こしかけて、自分以外の体温を感じ、ナマエはハッとした。

「……夢だけ、じゃないかも」

 ベッドにもう一度体を預けて、横を見る。
 自分以外の体温。自分を抱きしめて離そうとしない両腕。……目の前にある、愛しい人の寝顔。
 ――ユーリ。
 心の中で名前を呼んで、彼の胸へと体を預ける。素肌同士で触れ合っているからいつも以上に温かくてくすぐったい。なんて心地良くて幸せなんだろう。
 ――この感覚は夢じゃない。夢じゃないんだ。
 どうしても緩む頬。彼が起きていたら、きっと「何にやけてんだ?」と引っ張られているだろう。でも生憎ユーリはまだ夢の中。それはそれはささやかな寝息を立てて、綺麗な顔で、気持ちよさそうに眠っている。
 よくよく見れば、彼の体にはいくつもの傷跡があった。治癒術とて完璧に傷を治せるわけではない。深い傷を負えば、跡が残る。なかには、まだ鮮やかな、月日の経っていないものもあった。こっそり治癒術を施してみたものの、傷跡を変えることは出来なかった。自分の力不足、治癒術の限度を思い知る。彼はそんなことを気にしてはいないのだろうけれど、ナマエは酷く気掛かりだった。

「いっつもあんな無茶な戦い方をするから……もう」

 先陣を切ったり、仲間の盾になったり。最初の頃は、戦いの最中、彼が剣をくるくる回しているのを見て何度も肝を冷やした。次第にその行為が今までの鍛錬に裏打ちされたものだと理解し――それでもやはり内心ひやひやしていた――、見ていられるようになった。信頼や尊敬が一線を越えて深い情に変わるまで然程時間は掛からず、ユーリもまた同じ想いでいてくれた。
 仲間の目を盗んでは二人きりの時間を作るのも慣れたものだ。しかし、愛を確かめ合う行為のひとつのコレはいまだに慣れない。昨夜も嬉しさより恥ずかしさが勝って、呼吸すらままならなかった。下手に声を押さえようとするからいけないのだと言われたが、出したくないものは出したくない。思い出すと体がかあっと熱くなって、どうしようもなくなる。

「……人が寝てるときに文句か?」

 不機嫌そうな声が聞こえてナマエは我に返る。うっすらと目を開けたユーリが、ナマエを見下ろしていた。

「お、起きてたの!?」
「いきなしでけえ声出すなって。触んぞ」
「ど、どこを……」

 よく判らない脅し文句に戸惑う彼女に、ユーリは物凄く意地の悪そうな笑みを浮かべてみせる。

「触ってくれってことか、よーしわかった」
「違う違う、要らないいらない!」
「マジで抵抗すんなよ……」

 逃げようとするナマエを、ユーリはしっかり抱き締めて離さない。

「昨日あんだけくっついといて今更恥ずかしがる必要も理由もねーだろ」
「それとこれはまた気持ちとか心構えが別で……っ、やや、そこ弱いから止めて……ははっ!」

 ユーリの手が自分の肌の上をさわさわと撫でているのが伝わる。不意に脇腹をくすぐられ、ナマエは笑い声をあげた。ナマエが笑うほどユーリも笑って、更にくすぐってくる。ナマエの呼吸が苦しくなるだけ笑って涙目になったのを見ると、ようやっと彼はその手を止めた。

「これで懲りたか? ん?」
「懲りました、降参です、降参!」
「よくできました」

 親が子供にするのを真似て、ユーリはナマエの頭をわしわしと撫でた。本当にそれは言葉通り真似事であって、確かな経験のないものだった。
 血の繋がった親子という関係に覚えのないユーリは、ただそういう風景を眺めて、想像することしか出来ない。下町のハンクスたちとの関係は家族同然だ、と自分も周囲も思ってはいる。だが、血の通った家族を失う痛みとそれは結びつけても良いのか、今でも引っかからないわけではない。
 ……いつだったかそんなころをぽろっとナマエに明かした時に、盛大に叱られた。
『血でも心でも繋がれば家族は家族なんだから』と。
 それと、ナマエはこうも言った。

『夫婦っていうのも、婚約して家族になるよね。でも実際、ふたりには血の繋がりは無いでしょ。でも家族になれるんだもの。血は繋がってなくても、それからずうっと一緒に過ごす家族になる。だから、ユーリは考えすぎだよ』

 同じ孤児の自分が言うのは説得力無いかもしれないけれど――。そう、結んで。
 だが、ユーリは誰でもないナマエの言葉と考えを聞くことで、大いに救われた。
 自分とナマエでも、家族になれるのだと知れた。
 親と子でもなく、兄弟姉妹でもなく……夫婦として彼女と過ごせたら、どんなに幸せか。
 そんな空想を巡らせてはひとり恥ずかしくなったこともあった。変な病気にでもかかっておかしくなってしまったのではないかと自問自答したほどだ。思えばその時からナマエへ深い情を抱いていたのだろう。
 今となっては、それがただに空想ではなくなりつつある。ナマエの想いもまた、ユーリと同様であったからだ。
 これまでの関係が崩れてしまうのではないかと危惧したが、全くの杞憂に終わった。
 もう、夢にまで見た関係は目前なのだ。

「ナマエ、おまえって子供好きか?」
「え? うん、好きだよ」

 ユーリの唐突な質問に、ナマエは特に不思議がる様子も見せずに答える。彼の腕の中で、まるでそれが当たり前かのように無防備な顔をしていた。少しばかり視線を宙に巡らせながら、彼女は子供についての思いを語り始める。

「子供を見るとさ、守らなきゃいけないなーって思うし、そのためにも頑張らなきゃなーってなる。自分がハンクスさんたちに守って育ててもらったみたいに、私もそうしてあげたいなって」
「そっか、おまえらしいな」
「褒められてるってことで良いんだよね?」
「ああ、勿論」

 またユーリはナマエの頭を撫でる。ナマエの髪を撫でるのが好きだし、ナマエもまたユーリに撫でられることが好きだった。
 ――ナマエも子供が好きか。そうだよな、良かった。
 ふと、下町で共に子供の面倒を見ていた頃を思い出す。
 ユーリほど手際よくとはいかなかったが、見よう見まねで必死に子供らへの菓子を作ったりしていたナマエ。初めて彼女が焼いた菓子は、美味くも不味くも無い、とても微妙なものだった。試食した途端、作った当人が一番微妙な顔をして“作った人間の責任”と必死に山盛りの微妙な菓子を食べていたことを……。
 ユーリとフレンが食べるのを手伝おうとしても「もっとちゃんとしたものを二人には食べてほしい」と言って聞かなかった。
 ……あれからナマエの料理の腕前は幾らか上達したものの、まだまだユーリには及ばない。
 懐かしい思い出を振り返りながら、ユーリは呟く。

「一緒に料理すんのもいいよな、下町にいた頃みたいに」
「急にどうしたの、さっきから」
「言ったらおまえ照れそうだけど」
「良いから、言ってみて」

 仕方なくユーリはナマエの頭から手を離し、腕を彼女の腰へと回した。鼻先がくっつきそうなほど彼女へ顔を寄せて、にっと笑ってみせる。

「おまえと結婚したらどうするか……いや、正しくは計画ってのか? それを想像してたんだよ」
「結婚……」
「そ。おまえと結婚して、一緒に料理したり、子供育てたり、それは平々凡々な穏やかな生活を想像してたわけ」

 ナマエは何度か真ん丸にした目で瞬きしていた。そのうち赤くなるだろう、とユーリは踏んでいた。
 しかし彼の予想に反して、ナマエは、

「ユーリの性格じゃ穏やかな生活にならないでしょ」

 声をあげて笑ってみせた。
 思わぬ反応に、今度はユーリが目を丸くする番だった。
 笑いながらも、ナマエは理由を説明し始める。

「だって、困っている人をほっとけない優しいユーリのことだから、色んなトラブルに首突っ込んで片付けてく生活だよ。ちょっと落ち着きが欲しいぐらい忙しそう」
「オレを何だと思ってんだよ……。笑いすぎだろ」
「褒めてるんだよ、これでも」

 涙がにじむだけ笑われた挙句にそう言われても納得できない。
 ふて腐れたのか、僅かに顔を顰めるユーリの頬へ触れながら、ナマエは微笑んだ。

「そして、そんなユーリにとことん付き合う生活がしたいなあって思ってるの」

 彼女の答えに、ユーリは胸の奥が熱くなるのを感じた。頬にあるナマエの手に自分のそれを重ねてみる。
 ――温かい。
 静かに瞼を閉じると、互いの鼓動が聞こえてくるような気がした。手の平から、触れ合う肌から、じんわりと伝う温度。
 ナマエの指をなぞりながらユーリはゆっくり手を絡める。ナマエも応えるように、細い指を動かす。

「おまえ、物好きだな」
「そのまま返します」

 ユーリが目を開くと、満面の笑みのナマエの姿があった。今まで何度も彼を元気づけてくれた表情だ。ユーリが“正義”を貫くために決断を下した時も、それを告白した時も、ナマエの笑顔はそうだった。
 ユーリらとの旅の最中で彼女もまた様々な経験を重ね、その心を強くしていた。だからか、ナマエの笑顔の輝きは以前にも増していた。ささくれだった心をそっと包み込んでくれる彼女に、どれほど感謝したか判らない。
 そしてナマエもまた、頼もしいユーリの姿に勇気づけられ、感謝を重ねて過ごしていた。
 相思相愛、という言葉がある。そんなめでたい話があるのかと疑った時代もあったが、まさか自分たちが体現することになるとは思わなかった。
 その気分は、この甘ったるさは、悪くないのだけれども。

「物好きなお姫様に、僅かではありますがお礼をしてもよろしいでしょうか」

 柄にもなく畏まった口調で此方を見つめるユーリに、ナマエはきょとんとした。

「なに、それ」
「お礼はお礼だよ。……じっとしとけって」

 ナマエの額に、ユーリはそっと口づけた。ほんの少し触れられただけですぐ離れたというのに、ナマエが赤面するには十分な効果を発揮する行為だった。

「く、くすぐったいよ」

 恥ずかしがって逃げようとするが、ユーリに抱き留められている彼女には無理だった。ささやかな抗議として身を捩るだけで終わってしまう。身を捩った時に、ナマエは自分たちが服を着ていないことをハッと思い出す。
 これ以上下手に動いては、何から何まで上手なユーリにどう返されるか判らない――……。そう直感した。

「じゃあ、くすぐったくないところでも探すか」

 だが、時すでに遅く、ユーリの瞳には、とびっきりのイタズラを思いついた子供のような光が爛々と輝いていた。
 ユーリの両手ががっちりとナマエの両肩を掴む。「わ、わっ」抵抗する間もなくナマエは仰向けになり、その上にユーリが馬乗りになっていた。

「ちょ、ユーリっ」
「くすぐったくないとこ探すって言ったろ」

 両肩を押さえられたまま動けないナマエ。
 そんな彼女を涼しい顔で見下ろすユーリ。
 ナマエの視界にはどうしても彼のしなやかかつ引き締まった体が映ってしまう。肩を押さえる腕もそうだ。無駄がなくて、あまり太いわけではないのに、力強い。

「どこ見てんだ、ナマエ」
「どうしてもユーリが見えるに決まってるでしょ、こんな体勢なんだもの!」
「だよな。オレにもおまえがバッチリ見えてるしな」

 まあさっきから見えてたようなもんだけど、と小さく続けてからユーリはナマエの顔を覗き込んだ。反射的にナマエがぎゅっと目を閉じる。

「じゃ、まずはココか」

 ユーリはその閉じられた瞼の上に唇で触れた。ナマエは声こそあげなかったものの、小さく体を跳ねさせた。何だか悔しくて、すぐに目を開いて恋人を見上げる。
 意地悪な笑みを滲ませて、ユーリは問う。

「今のは、くすぐったいってことで良いのか?」
「く、くすぐったいよ。くすぐったくないとこなんて無いかもってぐらいなの知ってるでしょう!」
「はい、知りません」

 ナマエの反論は飄々としたユーリによって流される。うーうーと抵抗する気があるのか無いのか判らない微妙な呻き声を発し続けるナマエを、ユーリはそれはそれは楽しそうに見下ろす。「じゃあ続きな」と微笑んで。
 彼の口づけは、彼女の首筋、鎖骨、肩、と様々な場所へ繰り返された。次第にナマエの呻きは、何か衝動を堪えているような、熱っぽいものを帯び始める。にやりと不敵に口元を歪めて、ユーリはナマエの顔色を窺った。

「……何か、声も顔つきもアヤシイ感じになってきてんな」
「ユーリが、変なことばっかするから」
「変なこと? オレはただおまえのくすぐったくないトコ探しをしてんだけど」
「それが……変なことでしょ、う」

 次第に際どい場所へ移っていく口づけに、ナマエはささやかな抵抗を続ける。
 いつもは頼もしさを覚える恋人の腕を退かそうにもびくともせず、ほんの少し恨めしく思った。
 同時に、ブランケットの下で肌をもどかしく撫でつけてくる手の存在に気付いて、ナマエの体は硬直した。

「あの、ちょっと、ユーリ、その、左手が――」

 改めて抗議しようとナマエが開いた口は、ユーリの唇で塞がれてしまう。
 中途半端に開いてしまったのがよくなかった。ナマエは必死に空気を求めてる。もがくほど、捻じ込まれたユーリの舌が器用に動いて、ナマエを追い詰めていく。こうなると彼が満足するまで終わらない。
 どうにでもなれ、とナマエはユーリの首へと腕を回す。恥ずかしくて目を閉じる直前、ユーリと目が合った。細められたその眼差しの奥でひっそり燃えだしているものがあって、その正体を察した途端、ナマエの心臓は切なく締め付けられた。
 ……ゆっくりキスを味わったユーリが、ようやっと唇を離して呟く。

「おまえがそんな顔してっからだよ」

 ナマエは何も言えなくなった。
 少し前までののんびりと未来への想像を巡らせていたとは思えないほどがらりと変わってしまった雰囲気にあてられて、もう、諦めるしかないと悟る。
 ――みんなと合流するの、また遅れそう。
 そうナマエが胸中で溢したのを悟ったかのように、ユーリは笑う。

「いつも通り理由はオレがテキトーに繕うから心配すんな」
「うん」
「いっそもう、オレたち付き合ってますって言った方がいいか」
「えっ!? それは――」

 反論しかけたナマエの口は、またもやユーリに塞がれてしまったのだった。
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