あなたを内側から溶かすもの
 クインクスのメンバーが住むシャトーでは、何時もより賑やかな声が響いていた。突然部下たちを引き連れた什造が押しかけて来たのである。「ナマエちゃんがたくさんお菓子を作ったのでおすそわけです」什造の言葉を合図に菓子の箱を掲げる鈴屋班を見て、琲世は笑って迎え入れた。
 そこからちょっとしたパーティーのような盛り上がりを見せ、いつの間にか食卓に仕込まれたアルコールをナマエが口にしてしまった時……奇妙なパーティーは拍車をかけることになった。
 ふらりと立ち上がったナマエが、空になったコップをマイク代わりに、唐突に演説を始めたのだ。

「本日は急な来訪にも関わらずこころよく入れていただいてしまって誠にありがとうございます、ナマエと申します。年長だけど班内では一番の後輩、若輩者でありまして、無事に捜査官になるまでこぎつけたのも優しく厳しく指導してくだすった什造さんと励ましてくだすった鈴屋班の皆さまのお陰で、ひっく、おかげ、です。そして私に偏見なく接して頂いたクインクスちゃんの皆々さまにも精神的に本当に救われました。今日めでたく追跡していた“喰種”を確保できましたのもあったかなお布団みたいな皆さんのおかげで……うっぷ、そこで皆さまに日頃の礼をと思い季節のフルーツを使ったタルト、ベーシックなショートケーキ、濃厚なチョコレートケーキとチーズケーキと色々思いつく限りのお菓子を作って持ち込ませていただいた次第です。どうぞ、どうぞ遠慮なくお食べ下さい。甘いものが苦手な方もいると聞いてたのでサラダ包んだクレープとかも持ってきております。です。至らぬ点がありましたら遠慮なくお申し付けください。次こそはガッツリしっかりバッチリなデザートを作って馳せ参じたく思いましゅ」
「ナマエちゃん、しっかりです」

 ところどころ色々と危うい場面を見せつつも言い切ったナマエの背中を擦り、什造は笑う。ふらつきながらも座ったナマエを見て「ナマエちゃんはお酒を飲むとすごくおしゃべりになるんです」と説明した。ああ、飲ませたのは什造さんか。なら仕方ない。そんな雰囲気の鈴屋班の落ち着き様に、クインクス班の六月が慌てる。

「だ、大丈夫ですか? 顔色はそんなに変わってないですけど、明らかにナマエさんの中身が変わってますよ?」
「トオルは心配し過ぎです。面白いから気にしないのです」
「むっちゃんこ、普段はおっとりしんなりなナマエさんの珍しい勇姿、目に焼き付けとこうや」
「才子ちゃんまで……。ナマエさん、水持ってきますね」
「すみませぬ、むっちゃんこくんさん……」

 ――もう俺の名前が名前じゃなくなっている……。
 これは相当危ういと判断した六月が、一瞬のうちに水を汲んだコップを持って舞い戻って来た。ナマエを挟むように什造の反対側へ座って、彼女へコップを差し出す。

「ナマエさん、しっかりしてください。とりあえずお水飲んで……」
「あれ〜什造さんが二人いる? ありがとうございますー」

 コップと六月の顔へ交互に視線をやるナマエに対して、思わず六月が真顔になった。
 これは本当に危うい。危うい。

「先生、ナマエさんを寝かせる場所を……」
「そ、そうだね、ちょっと休んだ方いいね……」

 苦笑する琲世に、「だーめです!」と什造が眉を吊り上げた。一刻も早く酔っぱらいを寝かしつけようとする六月と琲世を阻むように、什造はナマエを引っ張った。

「ナマエちゃんはハイセたちがお菓子を食べてくれるまで寝ないですよ」
「そうですよ、そしてウマイかマズイかの三文字でもいいから感想を聞かないことには酔っても酔い切れないんです」

 ナマエも什造の腕を掴んだまま、うんうんと頷いて鈴屋班のメンバーへ同意を求めた。「ね、半井くん!」「水郎っす!」さっきから人の顔を見分けられずにいるのは完全に酔っているとしか思えない。早く寝た方が良いと思うのだが、ナマエと什造はお菓子の感想を聞くまで起きると騒いでいる。それをあたふたと半兵衛が押さえに入るも、しんなりした手でちょこちょこと二人の視界を遮るくらいで、さして抑止力になっていない。半井と御影は黙々とケーキを頬張っている。

「こんなにもフリーダムな班もあるのか(騒がしい上に甘ったるいニオイで胸やけする)」
「ウチとはちょっと違うノリだよな……」

 甘いものが苦手な瓜江にとっては苦行だ。勿論ナマエは“無理に食べろ”とは一言も言っていないし、才子や不知たちがものすごい勢いで菓子を消化している。自分が手を出すまでも無い。しかし、漂う香りからは逃げられず、揃った面子が自分以外全員が一心に菓子へ向かっている光景を見ているだけで胃がもたれてきそうだった。
 その間も酔っぱらいナマエは捲し立てている。

「御影くーん! 今日はお星さまのお話は無しだよ、宇宙スイーツは無いよ!」
「ナマエさんに完全に火が付いたな」

 ケーキを食べ進める半井の傍らに、何故かナマエの眼鏡がある。人の見分けがつかなくなっていたのはまさか“これ”が原因なのではないだろうか。サラダクレープとやらを齧りながら、瓜江は考える。しかし自分で確かめるのは面倒くさい。そこで、自分へと切り分けられたフルーツタルトをフォークで捌こうと悪戦苦闘している不知を小突いた。

「んなっ? なんだよウリ公」
「不知、ナマエさんの眼鏡を取ってやったらどうだ」
「は? あー、あんなトコに眼鏡忘れてるからさっきからトンチンカンなことばっか言ってるのか」

 口は悪いものの人の良い不知は、すっと腰を上げた。「すんません」と半井の横に手を伸ばして眼鏡を確保し、不知はナマエの元へ向かう。その時半井が「……気付いたか」と溢していたのを瓜江は聞いた。勿論知らんぷりしておいた。鈴屋班のユニークな思考回路についていこうとは万が一にも思わない。
 不知はとんとんとナマエの肩を叩いた。

「ナマエさん、眼鏡忘れてるッスよ」
「えっ、あ、どうりで視界がわけわからないわけです! ありがとう、えっと、どっちだろ……?」
「こっちです」

 見当違いな方向を見るナマエを見かねて不知が眼鏡を手渡す。早速ナマエは眼鏡をかけた。途端に輝かんばかりの笑顔となる。

「おお、これだ、これです。ありがとう不知くん……お恥ずかしい限りです」
「い、いやそんな……」

 深々とお辞儀をされて、不知は恥ずかしそうに頭を掻いた。
 それでもなお、ナマエは続ける。

「さっきご挨拶をさせてもらおうと思った時になんか皆さんのお顔がしっかり見えていると恥ずかしゅうて恥ずかしくて照れくさくて外したまま忘れ切ってました……。いや本当にお恥ずかしい……。してお菓子の味はどうですか?」
「あ、全然むちゃくちゃウマイです! 才子なんかもうバキューム状態で!」

 不知が指差した先には、一心不乱にケーキを頬張る才子の姿。もぐもぐと細かく動く頬、とろけんばかりのほわほわな瞳。幸せ溢れる表情を見て、ナマエは感激した。
 ――なんて可愛いの! そしてなんて良い食べっぷり!
 立ち上がったナマエが素早く才子の傍へ正座する。風が起こった。凄まじい勢いだ。それでも才子はもぐもぐとケーキを食べている。そしてナマエは、彼女の頭を……さすさすさす、と優しくしかし何度もしつこいぐらい撫でていた。

「なんて可愛いんですか才子ちゃんは……。ああもう、そんなに美味しいですか?」
「うむ……止まらぬよ……お菓子ママン」
「おばさんでいいよー才子ちゃん、お菓子おばさんでいいよ」

 人の見分けに関しては戻ったようだが、ハイテンションは変わらない。ナマエ以外のメンバーも酒を飲んでいない訳ではないのだが、ひとり派手に暴れる人間がいると周囲は自然と冷静になるものだ。
 普段、石につまづいたり電信柱に激突していそうなのんびり屋がそうなったとなれば特に。
 ナマエは六月や瓜江、不知の元もめぐる。それから半井たちにも話しかけて回っている。主に内容は「無理しちゃだめだよー」「甘いもの食べて脳みそに栄養送るんだよー」「ただでさえ忙しいんだから脳にエネルギーあげなくちゃねー」……という、お節介かつ重複した内容。壊れたオモチャのほうがまだマトモに話せそうだ。
 しかし、そんな呑気な光景を、じいっと什造が細い目で見つめていた。
 ふらりふらりと、ナマエは琲世の元へと歩み寄っていく。

「あれれ、ハイセさんも甘いものは苦手でしたか……。ああ、これはミスってしまいました申し訳ないです……。よければ好みをお聞きしていいですかね、今度失敗しないためにもー、はい」
「ああ、いや、僕はその……」

 苦笑して若干身を引く琲世、詰め寄るナマエ。
 既に別の話題で盛り上がる周囲。
 そのなかでただひとり、ずっとナマエを目で追い続けている、什造。

「ナマエちゃん、もうストップでーす」

 彼は琲世とナマエの間に割って入ると、ナマエをぎゅうっと抱き締めた。

「ハイセも困ってますよ。それにナマエちゃんも今日はコーローショーなんですから、栄養補給しなきゃいけません」
「ひゃっ、えっ、什造しゃっ……」
「ナマエちゃんの声えっちくなってますー、もう。イケナイですねぇ」

 唐突な抱擁に気が動転しているナマエを、什造はいとも鮮やかな手際で元の席へと引き戻した。そしてびったりとくっ付いて隣へ座り込む。アルコールが回っているせいもあってか、ナマエの動揺と赤ら顔はなかなか治まらない。
 その間に什造がケーキを選び、皿に盛る。

「あっ」

 べちゃっ、と皿の上でショートケーキが倒れた。

「なかなか難しいです……」
「よくあることですし、横になってた方が食べやすいですよ」

 半兵衛のフォローに「ですね」と什造は笑った。早速一口大に分けたケーキにフォークを突き刺し、什造は改めてナマエを見る。

「はい、お口開けてください、ナマエちゃん」

 あーん。そう什造が言ってフォークをゆっくり差し出す。
 それに合わせるかのように、ナマエの体がゆっくり後方へと傾いていった。

「っとおおおお!?」
「シラギン、ナイス!」

 床へ後頭部をぶつける寸前に不知が両手を差し伸べたおかげで、ナマエは痛い思いをせずに済んだ。才子の称賛の声が響き渡る。
 そっとナマエの体を押し戻した不知は、ホッと一息吐く。

「なんでいきなり倒れたんスか」
「じゅ、什造さんの『あーん』の破壊力が物凄くって……」
「よくわかんねぇ……」

 わからなくていいけど……。胸中でそう締めてから、彼はケーキを食する作業へ戻った。「み、みんな無理して食べきろうとしてお腹壊したら元も子もないからね。余したら冷蔵庫でとっておけるからね」琲世の優しい言葉に感謝しつつ、とりあえず食べたいぶん食べようと不知はフォークを動かし続ける。
 倒れかけたナマエはというと、また『あーん』をされていた。今度は倒れないように前傾姿勢だ。それはそれで前に傾いでしまったらフォークが突き刺さる危険があるのだが、今の彼女にそんなことを考える余裕などない。

「いつもあーんしてもらってるから、お返しです。あとラブラブっぷりをアピールしておかなきゃいけないので」
「なんとも大胆な……」
「いつどこで誰がライバルになるかわからない世の中ですからねぇ」

 半兵衛の慌てふためきぶりを他所に、什造は笑顔を絶やすことなくナマエへ迫る。

「ささっ。ナマエちゃんもたんと食べましょお」

 甘い誘惑についに負けたナマエは、什造の差し出すケーキを頬張った。
 ――我ながら美味いというべきか、それとも什造さんの愛情が含まれているからなのかな。
 ナマエは、感涙しながら叫ぶ。

「さいっこうに、おいひーですっ!」

 そして水分を求めて彼女が手にしたコップに注がれていたのは、甘ったるいジュースのようなチューハイだった……。
 勘違いのまま一気に酒を飲み干したナマエがバッタリと倒れる。それを什造は、事前に知っていたかのようにスムーズに受け止める。

「あー、やっぱりナマエちゃん大好きです」

 至福の笑みを浮かべ、すやすやと眠る彼女の顔を見つめて、心からそう思った。
 ほのかにアルコールの香りが漂うことも気にせず、彼はナマエをぎゅうっと抱き締めていた。
 ……周囲の視線を気にすることなく。
 クインクスメンバーはともかく鈴屋班メンバーはまるで“いつものこと”のように涼しい顔だ。ケーキを食べ終えた半井がフォークを置き、スッと右手を挙げながら琲世を振り向く。

「今日、酔っぱらってしまったナマエさんがこちらに泊まっても大丈夫ですか?」
「え? ああ、うん……。その状態じゃ帰れそうにないしね」
「付き添いで鈴屋さんも泊まると思うんで」

 琲世の快諾に、水郎もホッとしたように胸を撫で下ろした。

「こうなっちゃうとナマエさんと鈴屋さん、一緒になって朝まで起きなくなるんですよー」

「そうなんだ」と口を開くより先に、カーペットへ寝転がっている什造と、抱かれたままのナマエが琲世の目に入った。六月と才子が手分けして二人の頭の下にクッションを挟んでいる。ちょっと微笑ましい光景だ。
 ナマエも什造もぴったりくっつきあって、すっかりリラックスした顔で寝付いている。
 これはもう問わずとも、やはりそういう関係なのだろうか。それとなく匂わせるような言動や空気に今まで幾度となく琲世らは立ち会ってきたが、ナマエと什造の口からはっきりと訊いた試しは無い。……じっと見続けるのも悪い気がして、琲世はそっと視線を逸らした。
 テーブルの上には余ったケーキ少々と、その他。予想以上に皆が消費してくれたおかげで、残ったものは全部冷蔵庫に入りそうだ。
 腕まくりした琲世を見て、半兵衛がすっと立ち上がる。

「不肖ながらお片付けの助力をば……」
「ありがとう、半兵衛くん」
「お、俺も手伝います」

 六月も慌ててテーブルの上の皿を集め始めた。これならすぐに片付けられそうだ。
 今一度、爆睡するナマエと什造の寝顔を眺めてから、琲世は頷いた。

「うん、ありがとう。……起こさないように、そっと片付けようね」

 ――眠る二人を残して、鈴屋班の面子は帰った。
 豆台風が過ぎたような気分だ。楽しかったには違いないが、疲労も比例して大きい。何より困ったのがナマエの扱い方と、いつも以上にゴーイングマイウェイな什造の組み合わせ。見ている此方が恥ずかしくて照れてしまうほどだった。
 すっかり綺麗になったりリビングと掛け時計の時刻がすっかり夜中になっているのを認め、琲世は部下を顧みた。

「皆、ゆっくり休んでね」
「うん、おやすみママン」
「先生もゆっくり休んでくださいね」
「明日休みで良かったぜ……」
「全くだ(無駄に疲れた)」

 翌朝、目覚めたナマエが眼前の什造の姿を見て上げた興奮の絶叫によって起こされる羽目になるとは、流石のクインクスメンバーたちもこの時は知る由も無かった。
HOME * back
- ナノ -