もう離れらんないよ
 ああ大丈夫だよ、心配はいらない。
 そう、街の医者は話していた。
 しかしレイヴンは渋い顔で、ベッドに横たわる患者――ナマエの顔を見つめていた。

「大丈夫って言われても、全然大丈夫に見えないのよねぇ……」

 旅の最中にたまたま立ち寄った街で、不意にナマエの顔が真っ赤になり、ふらりと倒れ込み、急きょ宿屋に運んで医者に診てもらった結果がこれだった。何でもこの地域特有の虫が媒介する感染症があるらしい。幸いにも人から人へ感染することは無く、毎日薬を飲んで大人しくしていれば治るそうだ。ちなみに他の仲間は無事である。ナマエだけが、厄介な貰い物をしてしまったわけである。「ほらこれが虫にやられたとこだね」と医者が指差したナマエの右腕に真っ赤に腫れた箇所があった。
 すぐに治るから、と医者が飲み薬と軟膏を置いていってもう三日になる。依然ナマエの顔は赤い。街に入る直前の魔物との戦闘で怪我を負って足を痛めていたところにこれだ。確実に運気の上がる品が存在するならすぐにでもプレゼントしてやりたい。
 だが、当のナマエの意識ははっきりとしていた。横になったまま、レイヴンを見て呑気に笑っている。

「確かにクラクラしますけど、薬のおかげでずっと楽になりましたよ。怪我も治ってきたし、大丈夫です」
「説得力が皆無なのよ、ナマエちゃん。クラクラするって全然大丈夫じゃないから」
「皆にうつるようなものじゃなくて本当に良かったです」
「俺様の話聞いてる?」

 大分腫れの引いた右腕を伸ばしてみせるナマエに、レイヴンの声は届いていないようだった。

「ほら、もう治ってる」
「そんなに腕ブンブン振らない! 判ったから、腕をベッドの中にちゃんとしまう!」

 レイヴンはナマエの腕をつかむと、無理やり毛布の下へと戻した。
 いい加減体を動かしたくてたまらないらしいナマエへ、厳しくレイヴンは言う。

「おっさんが看病役を任されたからには、絶対安静を貫いてもらうわよ」
「エステルより過敏じゃないですか……?」
「嬢ちゃんだったらこんなもんじゃあ済まんでしょ。そもそもおっさんも何故看病役を任されたのか全くわかんないし」
「よく引き受けましたね……」

 ナマエに返しながら、彼は仲間のことを振り返る。
 ユーリ、ラピード、カロルは買い出しに出た。エステル、リタ、ジュディス、パティら女性陣もまとまって買い物へ出かけた。フレンは生真面目に街の巡回へ。
 ……あ、とレイヴンは気付いた。

「おっさんだけ、やること無いから。多分それだね」
「ああ、なるほど」

 そこで納得されてしまうと寂しいのはなぜだろう。自分で言っておきながら項垂れるレイヴンに、やはりナマエは気付かない。呑気に同調した直後、酷く咳き込んでしまったからだ。
 弾かれた様にレイヴンは立ち上がり、ナマエへ駆け寄った。げほげほ、と大きな咳を繰り返すナマエの顔は赤さを増してしまう。

「ナマエちゃん!」

 見るからに苦しそうな彼女の背中をさすってやると、ナマエは途切れ途切れに溢す。「すみませ、っ」「そんなの良いから!」無理に喋らないようにと言葉を遮る。
 ようやっとナマエの呼吸が整ってくると、ほう、とレイヴンは胸を撫で下ろした。何かの発作かと勘違いするほどの苦しそうな姿を見ている間は気が気でならなかったが、無事に済んで何よりだ。

「本当にすみません……レイヴンさん……」
「いーってことよ。落ち着いた?」
「はい……。この病気、ひどい風邪みたいな感じです。レイヴンさんがかからなくて良かった」
「俺様がかかったら誰も心配してくれないかもしれないしね」
「大丈夫ですよ。みんなで心配します」

 ナマエの柔らかな微笑みがレイヴンの瞳を捉えて離さない。

「もしおっさんも病気になっちゃったら、ナマエちゃんが愛情込めて看病してちょーだいよ?」
「そうですね、今回看病してもらったお礼をしなくちゃ……」

 けほ、と軽い咳を溢してナマエは頷く。
 レイヴンは苦笑しつつ、「そんな貸し借りみたいに考えなくていいのに」とぼやいた。
 恐らく他の仲間たちの手が空いていたとしても、レイヴンは自ら看病役を買って出ていたであろう。治癒術の使えるエステルや、同性であるジュディスたちに任せる方が良いのかもしれない。それでもレイヴンは、彼女が本当に元気になる姿を傍で確認しなくては気が済まなかった。ちょっと目を離した隙にベッドから抜け出して「もう平気」と言い出してしまいそうなナマエを大人しく療養させるためにも。自分の気持ちとしても。

「にしてもあの医者、大雑把すぎでしょ。ダイジョーブとヘーキの連呼で! ばったり倒れた人間が“大丈夫”な訳ないでしょーが」

 今更になってレイヴンは愚痴ったが、当のナマエはあっけらかんとしていた。

「それなりに体力があって幼くもなくお年寄りでもない人間なら“大丈夫”なんですよ、きっと」
「体力とか抵抗力って歳も関係あるけど個人差あるし……、って、おっさんと話す暇があったら寝なくちゃでしょナマエちゃん!」
「寝すぎてもう眠るのが辛いです、眠気が毛ほどもない感じで……」
「けど、その顔が赤いうちはとにかく休んでもらうしかないからねぇ」

 彼女は、なるべく元気そうな態度を作っている可能性がある。赤みの引かない顔、先の咳き込みぶりから、レイヴンは密かに推察していた。

「暇なのも判るけど、動かれて悪化したら俺様泣いちゃうから。しっかり治すことだけ考えてな」

 ナマエの頭をぽんぽんと撫でて、レイヴンは笑った。

「このイイ男の顔を拝んで、イイ夢でも見なさいよ」
「自分で言っちゃうんですか……それ」

 くすくすと笑いながらも、ナマエは否定しない。

「確かにイイ男ですもんね。ドキドキしちゃって眠りにくくなっちゃうぐらい」

 そして、一瞬でレイヴンの心に火をつけた。もとからついていたものなので、勢いを増したというのが正しいだろう。レイヴンの顔がボッと沸騰したかのように赤くなる。
 ――弱っている時の独特の儚さ漂う笑顔と思わせぶりな言葉、そんなのたまらないじゃないか。
 常日頃重ねてきた想いが爆発しそうだ。だが大人の男として、看病役として、ありのまま表現するわけにはいかない。

「もう、口説いてほしいなら元気になってからいくらでもしたげるわよ」
「要らないです、看病してもらってるだけで嬉しいから」
「またまた〜。ナマエちゃんも上手くなったもんだわねぇ」

 なるべく冗談っぽく、いつも通りの調子で流そうとする。

「そうだ、何か飲むものでも取ってこようか。水分補給せんともたんからね」

 何せ風邪みたいなものなんだから。レイヴンがそう言って席を立つと、ナマエは一瞬だけ心細そうな顔をした。目ざとく気付いていた彼は「すぐ戻るから」苦笑して部屋を出た。
 急ぎ足で必要なものを持って戻ってくると、ベッドの上で状態を起こしているナマエと目が合った。

「んま! 一人で起きちゃったの?」
「重病人じゃないんですから、これぐらい一人で出来ますよ」
「こういう時ぐらいおっさんに甘えてベタベタに看病されてくれていいのにぃ」

 サイドテーブルに飲み物の入ったコップと切った果物を盛った皿を置いて、レイヴンはむすっと子供っぽくむくれてみせた。些かオーバーな反応ではあったが、無理に一人で動くことを避けてほしいという気持ちは嘘ではない。
 ナマエはそんな彼の心情を知らぬまま、呑気に穏やかに微笑んでいる。

「まだ歩くのは厳しいですから、そういう時には遠慮なくお世話になりますよ」
「なら良いけどねえ。……はい、どうぞ」

 言いながらレイヴンが差し出したコップを、ナマエは両手で受け取った。淡い黄色のドリンクは、ほんのりと気品ある香りを漂わせている。ナマエが病気で寝込んでから、宿屋の夫婦が作ってくれている飲み物だ。
 この街の人々はみんな、虫から病気を貰ってしまった時にこれを飲むのだという。原料は、その病気の元である虫が集めた花の蜜。それを飲みやすいように水で割り、家によっては果汁を足したりアレンジを加える。薬が出来るより以前から地域に根付いている、病気への対処法だった。勿論薬だけでも効果はあるが、どこの家でもいまだにこの飲料を作るらしい。

「甘い良薬も世の中にはあるんだなって、コレを飲んで思いました」
「子供にゃニガーイお薬よりコッチの方が良いだろうね。おっさんはお薬のが良いけど」

 レイヴンがぼやくと、ナマエはふふっと笑みを溢しながら、甘い薬を啜った。そんな彼女をレイヴンは物珍しそうに見つめている。そんなに美味しいのだろうか。甘いものが苦手ではあるが、ここのところずっとアレを飲んでいるナマエの反応からして、悪い味ではないらしい。

「存外、飲んでみたらイケるかもですよ。ちょっと飲んでみます?」

 ナマエが、試しにどうぞ、とレイヴンへコップを差し出してきた。そこで彼はおそるおそるコップに鼻を近づける。が、甘い香りについ反射的に眉を顰めてしまう。やはり甘い。花と言う花をかき集めて凝縮したような――花の蜜だからまさしくそうなのだが――強い甘みが、においだけで伝わってくる。
 だが味と香りは共通ではない。おそるおそるレイヴンはコップを受け取った。

「……ナマエちゃん」
「なんですか?」
「おっさんがコレに口付けたら自然と間接キスになっちゃうけどいいのかね」
「今更そんなことで恥ずかしがったりしませんからお気になさらず」
「そっか……」

 見事な即答に、レイヴンは何となくしょげた。しょげた気持ちのまま、一口甘いジュースを啜ってみた。そして、

「……やっぱ、おっさんには甘すぎる、わ……」

 震えながら、渋い顔で、感想を絞り出した。
 カタカタ震えるレイヴンの手からコップを受け取ったナマエの肩が震えている。ふふっ、と押し殺しきれていない少女の笑い声が耳に届く。口の中にじわあっと広がる甘さに耐えつつ、彼は呟いた。

「蜜だから甘いの当然なんだけども……うん。おっさんはやっぱり大人しく苦い薬飲む方が良い……」
「なんかごめんなさい、そこまで響くとは……」
「いやいや、挑戦したおっさんの自業自得だから」

 手をひらひら振って返せば、ナマエは安堵したように肩の力を抜いた。話し込んでいたせいか、笑ったせいか、また顔がやけに赤くなってきている。
 寝るように促しておきながら起こし続けてしまった。
 レイヴンが後悔しているうちに、ナマエはコップを空にした。実に見事な飲みっぷりだった。ふう、と一息つき、コップをサイドテーブルへと戻す。代わり今度は果物が盛られた皿を持つ。

「ちょっと笑いすぎたかな、クラクラしてきました」
「あー、ごめんねぇ……。おっさんうっかり話し込んじゃって」
「謝らないでくださいよ、眠くないからって起きてたのは私だから」

 さほど食欲が無いのか、リンゴを一切れ食べただけでナマエは皿をテーブルへ戻した。それから、ややぎこちない動きで、ベッドへ再び潜っていく。そう言えば足の怪我の具合を確認していなかった。レイヴンはハッとして、ナマエに問う。

「足の方、後でエステルちゃんに看てもらうよう伝えとこっか?」
「大丈夫。エステルにこんな些細なことで力を使わせたくないから」
「けどさ……。じゃあ、もう一度医者呼んで……」
「平気です」

 レイヴンの顔を見上げながら彼女は言った。

「レイヴンさんに看病してもらえるだけで、良いんです。……さっきも言ったでしょ?」

 彼が何か答えるより先に、ナマエは瞳を閉じた。熱のせいで汗ばんだ額や頬に髪の毛を張りつけたまま、彼女は眠り始めた。
 ……ナマエの言葉を噛み締めながら、レイヴンは笑った。
 ――いつにも増して、素直で可愛いもんだ。
 彼女の汗をタオルで拭う。それからそっと赤い頬に触れてみた。初日よりずっと熱が引いたものの、油断はできない。結界に守られた場所で休養することで、早く病気や怪我の苦しみから抜け出せるように心から祈る。
 ナマエが怪我をしたのも、体調を崩したのも、今回が初めてではない。そしてそうなったのは、何も彼女だけではない。自分や他の仲間たちだって、調子の優れない時はある。
 ――でも、やっぱり大事な人がいつも通りじゃないってのは、誰でもダメージ喰うわな。
 きっとこの世の誰もが慣れない事象だ。日ごとにその大切さを実感する相手のこととなれば特に。
 もう一度彼女の額から伝う汗を拭ってやってから椅子に座り直す。背もたれに体を預けて大きく息を吐いた。
 二人きりの部屋、ナマエの控えめな寝息だけが聞こえる。寝息すら周りに気を遣っているような感じがして、微笑ましくなった。
 ナマエの寝顔を見守りながら、レイヴンは思案した。
 病気はともかく、戦闘での怪我に関しては未然に防ぐことが出来たのではないか。ナマエの戦い方のクセを振り返りながらシミュレーションしてみる。……突飛かつ瞬発力のあるナマエの行動についていくことが前提になるのだが、果たして上手くいくだろうか。

「青年やワンコぐらい速けりゃいいんだが、おっさんも歳だわねぇ……」

 台詞は弱気でも、実際の心境は違った。
 弱って無防備となった姿を抵抗なく見せてくれるほど心を許してくれた少女の想いを無下にしてなるものか。信頼と好意に、それ相応の男気で応えるのみだ。そのぐらい大袈裟なほうが、自分にも彼女にも丁度いい。
 レイヴンはナマエが余した果物を食べることにした。せっかく持ってきたものを残すのも勿体なかったし、果物の自然な甘さであれば許容範囲だ。最中もナマエの額に汗が滲めばこまめに拭ってやり、咳き込めばすぐに背中を擦ってやった。

「早く元気になってな、ナマエちゃん」

 ぽんぽんと毛布越しに肩を撫でてやり、まじないのようにレイヴンは溢した。
 心なしかナマエの表情が和らいだ気がする。気のせいだとしても、嬉しくなった。
 ――ひょうきんな言動の目立つレイヴンが真剣にナマエの看病に励む姿を、ユーリらは水を差すことなく見守り続けていた。レイヴンのナマエへ対する情を、仲間たちが気付かぬはずもない。

「レイヴン、本当にナマエのことが心配なんだね」
「おっさんはあれでいて一途じゃからの」
「ちゃんとレイヴンも休んでるんでしょうか? ずっとナマエにつきっきりです」
「体調管理も出来ないような歳じゃないでしょ。やりたいようにやらせときゃいいのよ」
「そうね。どうしても駄目だったら、私たちにそう言うでしょうから」

 こっそり部屋を覗いては、別室でレイヴンとナマエの様子について語らう仲間の輪。それを一歩離れたところから聞きながら、ユーリは嘆息する。

「普段からあの調子で真面目にやってくれりゃあいいのによ、おっさん」
「ワウッ」
「それはそれで落ち着かないんじゃないかい?」

 フレンの指摘に、ユーリは「それもそうだな」と納得してしまった。
 なにせ隣に、真面目が鎧を着て歩いているような人間がいるのだ。ユーリの即答も仕方ないことである。
 勿論その真意をラピード以外に悟らせること無く、青年はやり過ごしてみせた。
 その後、ナマエの症状は通常よりぐっと早く治まった。医者も驚く回復力に、ナマエは、

「愛の力です」

 と真顔で即答した。
 医者が瞬きする後ろで、耐えかねたレイヴンが両手で顔を覆って何かを堪えている。
 その光景を見て、ユーリらも別の何かを堪えて震える。
 ただひとり病み上がりのナマエだけが、やたら晴れやかな表情をしていた。
 奇妙な沈黙に耐え兼ね、レイヴンがそろりと顔を上げて訴える。

「素面で何てことを言うのかね……」
「事実ですから」
「ナマエちゃんってばおっさんより鋼の心臓」

 彼は再び顔を覆うしかなかった。
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