彼女とぼくの快進撃
魔物の攻撃が、ナマエの武器を弾き飛ばした。衝撃に耐えきれず地へと転がるナマエ。すぐさま武器を拾いに向かおうとしたが、進路へ魔物が立ちはだかる。他の仲間たちも交戦中で、此方にはとても回ってこれそうにない。
ちょっとやそっとの怪我は我慢して突っ込むしかないか――。
腕を支えに、ナマエが体を起こしかけた時だった。
「ナマエ!」
フレンの叫び声が彼女を引き留めた。彼は交戦していた盗賊を剣で横殴りにして吹き飛ばすと、鎧の重量をものともせぬ俊敏さでナマエと魔物の間に滑り込んできた。ナマエ目掛けて振り下ろされた魔物の爪を盾で防ぎながら、フレンは再び叫ぶ。
「僕から離れるな!」
思わぬ台詞にナマエが見開いた瞳に、一切無駄のないフレンの戦いが映る。彼の剣が魔物の腕を斬り落とし、間髪入れずに心臓を貫く。魔物が硬直し、ぎらついていた眼光が一瞬で消失する。フレンが剣を引き抜くと、魔物の体はその体勢のまま後ろへと倒れたのだった。
地にぺたりと座り込んだまま、ナマエは呆然とフレンを見上げていた。彼はふう、と一度大きく息を吐くと、剣を鞘に戻し、ナマエへと向き直った。他の仲間たちも、とっくに敵を倒し終えている。
目の前で屈み込んだフレンの青く透き通った瞳に、ナマエはつい見入ってしまっていた。
ぼんやりしているナマエを見て、フレンはハッとした。
「大変だ、擦りむいてるじゃないか! 手も足も顔も……」
「い、いや、このぐらい平気だよ。普通でしょ?」
ナマエが傷のせいでぼんやりしているとでも思ったのだろうか。立ち上がろうとするナマエの両肩を掴んで押さえ、フレンは首を振る。
「駄目だよ、怪我は怪我だ。じっとしていてくれ」
フレンはそう言って、ナマエに治癒術を掛けた。このぐらいで大袈裟な、とナマエは思ったが、まるで自分が怪我をしたかのように沈痛な表情のフレンを見たら何も言えなくなってしまった。確かに擦り傷とはいえ痛いことに違いなかった。だが、このぐらいならば皆している怪我だ。自分だけが心配されるのはどうしてだろうとナマエは不思議だった。
治療を終えたフレンの顔には笑みが浮かんでいる。ナマエの考えはお見通しだと言わんばかりのそれ。
「君は僕たちと違って、何でもかんでも我慢して手遅れになってから倒れたりするからね。普段から気にし過ぎなくらいが丁度いい」
「で、でも……」
他の仲間へ助けを求めようとナマエはユーリらを振り返ったが、誰も口を開かない。“フレンの言う通りだ”という皆からの視線が突き刺さり、かえって痛い目を見る羽目になってしまった。
フレンはナマエの手を取り、支えながら共に立つ。
「他に痛いところは無いかい?」
「大丈夫だよ」
「痛んだりしたら、すぐ僕に言ってくれ」
「わかったから、本当に無理はしないから……」
二人のやり取りを、ユーリやレイヴンは笑いをこらえながら見守っている。カロルとエステルは何故か恥ずかしそうで、ジュディスとパティは微笑んでいるし、ラピードとリタは呆れていた。
……フレンとナマエは、つい最近まで仲間だった。が、今はそれだけではなくなった。仲間であり“恋人”なのである。初々しい彼らの恋模様を、仲間たちは各々様々な形で見つめ、応援していた。特に好意が通い合ってからのフレンは判り易い。もう隠す必要はないと言わんばかりに、ナマエへの態度がガラリと変わった。
平然と恥ずかしいことを言ってのけ、ナマエが真っ赤になるようなことを真顔でやってのける。今さっきの援護もそうだ。ナマエのフォローをせんと踏み出しかけていたラピードが足をびったりと止めて目を見張ったほどの全力だった。
「そんなに早く動けるならいつもそうしてくれよ」
「必要となればいつでもそうするさ。まるで僕が手を抜いているかのように言わないでくれ」
「へいへい、すいませんでした」
ユーリのからかいをフレンは真に受けてしまう。肩を竦める友を見て、ようやくただの冗談であることに気付き、彼は目を伏せて謝った。
「いや、僕こそすまなかった。ナマエのことで少し気が動転してたみたいだ」
「わあってるよ。だからそんな気にすんなって。熱々の恋人たちに水差したみたいで悪かったな」
ユーリの言葉にナマエが真っ赤になった。慌てて両手で顔を覆ったものの、勿論遅い。
「僕も本来なら今まで通りに接していきたいんだけれどね。何て言うんだろう……。出会った時はまさかこんな風にナマエを想うとは考えたことすらなくて。その分、ユーリたちよりナマエと僕の間には大きな距離があったから、今になって縮めようと必死になっていて……」
「恋人同士なんだから、フレンくんが考えてるほど“距離”っていうのは無いんでない?」
優しいレイヴンのフォローに、フレンは心底嬉しそうに目を細めた。隣ではナマエが覆った顔を伏せて恥ずかしさに耐えている。
「そう、ですかね……。だと良いんですけれど、ナマエが何となく僕に遠慮しているような気がするんです」
「うーん、フレンくんもナマエちゃんも奥手だかんね。経験も浅いわけだし、遠慮っていうよりは慣れてないだけでしょ。これからお互い慣れてけばいいだけさ」
顎に右手を添えながらレイヴンは、恋人たちへ助言する。フレンが大いに納得した様子で頷き、ナマエもわずかばかり顔を上げてアドバイスへ耳を傾けていた。
そんなレイヴンの大人らしさを見て、カロルは瞬きする。
「レイヴン、珍しくまともなこと言ったね……」
「おっさんを何だと思ってんの、少年……。っていうか、みんなして完全同意みたいなその視線は何よー!」
切ないレイヴンが愚痴るも、誰もフォローする気配はない。
その間フレンは真面目な顔で考え込んでいた。レイヴンのアドバイスを受けて、ナマエとの仲をより深めるための方法を探っているらしい。「無理にじゃなく、ゆっくり……」ぶつぶつと呟く恋人の横顔を、落ち着かない様子で見つめるナマエ。彼女も彼女でまた、フレンとの親密な距離へ慣れるための手段がないかと悩んでいるのだ。
そして二人は、どちらからともなく……手を握り合った。
しかも、両手。
両手を繋いで見つめ合う。しかし視線に耐えきれなくなったナマエが赤くなって顔を逸らした。フレンは「どうしてなんだい!?」と狼狽える。
「……何がしたいんだよ、おまえら」
ユーリの心底呆れたふうな呟きに、仲間ら――エステル以外――は心底同意した。
友人の疑問へ、フレンは真摯な瞳と回答を返す。
「何がしたいって、慣れるためだよ。それにはこうやって触れるのが一番だと思ったんだ」
「ナマエの方からも手ぇ伸ばしたからには、まあ、おまえらは互いにそれがベストだと思ったわけだな」
「恐らく、そうだね。恋人と考えることが同じだなんて、こんなに嬉しいものだとは知らなかったよ」
「ふふ、良かったわね」
穏やかなジュディスの微笑みに、ああ、とフレンも微笑んでみせる。「ナマエ、良かったわね」とジュディスはナマエへも笑みを向けた。照れてぎこちないながらも、ナマエが顔を綻ばせて応じる。
まるで先までの緊迫に満ちた戦いが嘘かのような、酷くゆったりとした時間が流れていた。その緩やかさをもたらしているのは間違いなく、フレンとナマエである。彼らはとことん“恋”というものについて無知で、不慣れで、ちぐはぐだった。彼らと同じくそういったことに疎そうなリタですら「何なの本当にあんたら」と呆れるほどに。
ただエステルだけは、興奮気味に初心な恋人たちへ眼差しを注ぐ。何ともいえない二人の独特の仲睦まじい姿を見て、これでもかと言わんばかりに頬を緩ませていた。
「二人の間に子どもが生まれたら、きっと優しくてのびやかな子になりますね」
「こ、子ですか!? エステリーゼ様、いささか気の早い話ですよ、そんな……」
「いささか、ということは、そんなに遠くはない未来ということです!?」
「ええっ!? い、いや、僕はそういう意味で言ったわけでは……!」
目を輝かせて問い詰めるエステルに、フレンもたじろいだ。それでも握ったナマエの手を離そうとはしない。逆に一層強く握りしめてしまったらしく、ナマエがさすがに「ちょっと痛いよ」とこぼす。
すまない、と慌てて手を離したフレンの耳はほんのり赤く染まっていた。両手を擦るナマエをおろおろと心配そうに見つめ、行き場のなくした中途半端に開きっぱなしの手の平をナマエに伸ばすか否か決めあぐねていた。
「思った以上に力が入ってしまって、すまなかった……」
「う、ううん。いいの、嫌だったわけじゃないから」
「でも痛かったんだろう? ……まさか、さっきの戦闘でやっぱり大きな怪我でも――」
「落ち着けよ、フレン」忙しない友の肩を、ユーリが押さえた。
「大きな怪我だったら見りゃ判るだろ。オレらの目は節穴じゃねぇんだ」
「だが、ナマエは控えめな性格だから隠しているのかもしれないだろう?」
「恋人のことを信じてやれよ。んでもって、ナマエもフレンのこと信じて遠慮なしにぶつかれ。おまえら妙なとこでカタいし小難しく考えすぎなんだよ。もっと大雑把で良いんだって」
二人の性格を理解したユーリらしい仲裁によって、ナマエとフレンはようやく落ち着きを取り戻した。
「ユーリの言う通りだ。理屈ではわかっていてもなかなか実行するのは難しいな」
「でも、いまだに私、恋人になったせいでフレンとの今までの距離とか関係がぐちゃぐちゃになったらって不安で……」
「その不安を解消するのがフレンです!」
何故かここでエステルが鼻息荒く割り込んできた。
「ナマエは真っ直ぐフレンに不安を打ち明けて、フレンはその不安を杞憂にしてあげるんです! とっても単純で、素敵なことじゃありませんか?」
「エステリーゼ様……」
熱と期待のこもったエステルの視線に、フレンは苦笑する。改めてナマエを見つめた彼は、一度離した手をもう一度握り締め直し、力強く頷いてこう告げた。
「ナマエ。エステリーゼ様のおっしゃる通りだよ。僕が君の不安も何もかも受け止める。だから、何でも良い。少しずつで良い。僕にその心のありのままを教えてくれ。君の胸の内を知りたいという望みを叶えてはくれないか。そして僕が君へ心をさらけ出すことも許してほしい」
ナマエの顔が真っ赤になるのも無理はない、レイヴンも「気障だわねぇ」と溢すほどの情熱的な台詞。
聞いている方も赤くなりそうだ。現にカロルやエステルは赤くなっている。リタもじとっとした目つきをフレンとナマエに投げかけながら、頬を淡く染めていた。
「血色が良いわね、リタ」
「う、うっさいわね」
ジュディスの指摘を受けてますます赤くなったリタは、顔を隠そうとそっぽを向いてしまった。
言いたいことを言い切ったフレンは、ナマエの手を握ったまま返事を待ち続けている。決して彼女を急かすようなことはしなかったが、手を握り締められ凝視されているという現状が、ナマエを酷く混乱させた。急上昇する体温に歯止めをかけようにもかけられず、ナマエは必死に言葉を探した。
「こ、こちらこそお願いします……」
探した割には変哲の無い、シンプルかつ残念な回答になってしまった。ナマエは後悔したものの、フレンは全く気を悪くしたふうもない。答えをもらった喜びに、満面の笑みを見せるのみだ。
「じゃあ、改めてよろしく。ナマエ」
「うん、本当に、こちらこそ」
握った手を互いの間に掲げるように持って行ったかと思いきや、フレンは流れで彼女を引き寄せた。ぐらりと傾いだナマエを自身の胸に受け止め、両腕でしっかり抱きしめる。
見せつけられた仲間たちも目を剥いて驚いた。ユーリとラピードだけは、“フレンならこのぐらいはすると思った”と言わんばかりの悟り顔である。昔から思い切りが良く、決めてしまうと突き進むのがフレンだ。どうやら恋愛においても、その性格は変わらないらしい。
フレンは大層ご満悦といった様子だ。
「こうして愛しい人を抱きしめることが出来る幸せを失いたくない。君を必ず守る」
ナマエは、声の出し方を忘れてしまったかのように口をぽかんと開けていた。向けられた言葉に硬直し、赤面し、結果的に彼へ身を任せる形となる。仲間たちの視線に気づいた後は、ゆるゆると顔を伏せ、フレンの胸に埋もれた。「どうしたんだい、ナマエ?」何だか嬉しそうな恋人の言葉にナマエが答える余力は無い。ひたすら彼女は、仲間たちの視線から逃れるためにフレンへ体を預けていた。
誰も彼もが口ごもる空気を変えたのはユーリだった。パシン、と手を鳴らしてから彼は仲間たちを見渡す。
「ナマエがもう動けそうにないし、今日はこのへんで休むとすっか」
苦笑、困惑、照れ。表情は様々だったが、皆一様に頷いて答えたのだった。
――フレンの大胆な行動を誰もが微笑ましげに見守ってくれた。当然、その眼差しはナマエにも向けられる。抱擁から解放されたナマエは、料理当番に徹することで視線を意識しないように努めた。恥ずかしさに悶え、くたびれた心には大いに堪えたのだろう、その夜、彼女は誰よりも早く眠りについた。
「おやすみ、ナマエ」
火の番を受け持ったフレンは、恋人の穏やかな寝顔を確かめると、焚き火の前へと戻った。片膝を立てて座る友人の隣に腰を下ろし、揺らぐ火を見つめる。もう起きているのは自分とユーリだけだ。
「ユーリ、君は眠らないのかい?」
「おまえこそ、ナマエと一緒に寝てやったらどうだ?」
「料理当番をナマエが代わってくれたから、せめて見張りくらいはしたいんだ」
「そっか。まあ、たまにゃ一緒に起きてんのも悪くはねえだろ」
そうだね、とフレンも頷いた。
しばしの沈黙の後、彼は改めて友人に問うた。どうしても無二の友人に相談したいことがあったからだ。
「なあ、ユーリ。僕のナマエへの接し方はおかしいんだろうか」
「ん? まあ、ナマエに合わせてもうちょい控えめにしたらいいんじゃねえかな。あいつは人一倍、いや三倍は恥ずかしがりやだからよ」
淡々と返しながらユーリは枝を折り、火の中へ放り込む。
迷いの無いユーリの返答を、フレンはひっそりと羨んだ。やはりユーリの方がナマエを理解している。だが自分もナマエを想う気持ちは負けていないつもりだ。そのせいで自分の言動が彼女に良いものか否かわからなくなってしまう時もある。今日もつい熱が入り過ぎて、ナマエに気持ちを押し付けてしまったような気がした。幾ら急いても、自分とユーリではナマエと過ごした時間も密度も違う。どうしようもない事実なのに、どうしようもなく悔しくなる。
「……でもまあナマエは、おまえの行動の理由も気持ちもしっかり判ってると思うぜ」
そんなフレンの焦りを見通したかのように、彼は言った。
フレンは思わず目を見開いて友の顔を見た。ユーリの顔に苦笑が浮かぶ。
「あの内気なナマエが、恥ずかしさも何もかも乗り越えて、おまえを“恋人”って言ってるんだからな」
「ユーリ……」
「ま、いちゃつくならオレらのいないとこで存分にしてくれってこった。ナマエもその方が素直になりやすいだろ」
不意にユーリが立ち上がる。ふらりと踵を返した彼は、瞬きするフレンに背中を向けたまま言う。
「慣れねえことするもんじゃねえな、一旦オレ寝るわ。おまえが疲れたら交代すッから」起こしてくれ」
「ああ。……ありがとう、ユーリ」
「大したことしてねぇって」
ひらひら手を振ってから、ユーリは近くの樹の幹へ背中を預け、眠り始めた。
入れ替わるように、テントの傍で丸まっていたラピードがフレンの隣へとやって来る。
「本当にユーリは凄いな、見習わないと」とフレンが呟く。ラピードは「フレンも凄いぞ」と言いかけて、しかし止めた。輝きを取り戻した相手の顔から、下手な同調は要らぬと容易に察することが出来たのだ。
――きっとフレンとナマエなら、心配せずとも上手くいく。
たどたどしくはあれど微笑ましい恋人たちの更なる幸せを、ラピードも陰ながら応援していた。