甘さは自ら探すくらいがいい
 ナマエの駆るクノイチカスタムは、ルシファーの剣の一凪ぎで砕け散った。派手な爆発と共に、ナマエのCCMに「ブレイクオーバー」の文字が表示される。この画面にも、散っていくLBXの最期にも、すっかり見慣れてしまった。

「……また負けた」

 そして、また触れることすら許されなかった。
 愛想に欠けるナマエがぴくりと眉を動かしたのを見て、コウスケは笑った。眉が動いたのは、冷静沈着な彼女なりの、精一杯の感情表現だった。呟きにも僅かに悔しさが滲んでいて、そんなナマエの微妙な感情の変化を楽しみながら、彼は口を開く。

「ボクの美学がまたこうして裏付けられたわけだ……。そうだろう、ナマエ」
「美学も何もやっぱりあなたは強いっていうだけでしょ」

 フン、と顔を背けてナマエは返す。彼のナルシストぶりには溜め息しか溢れない。自分に自信が無いよりずっと良いが、時折相手にするのが酷く億劫になる。この男に心底惚れている自分に、そんな資格はないかもしれないが。
 ナマエはスクラップと化したLBXをさっさと回収した。今回も自分のカスタマイズ技術では彼に敵わなかった。それが判れば、後はLBXに用は無い。代わりに、もう一つ彼に確かめようと思っていた話題を振る。

「あなたのお父様、様子がおかしいと思うの。あなたを留学から呼び戻したこともそうだけれど、この頃、神谷重工については変な噂が飛び交ってる。あなたも関わってるんでしょう?」
「ダディはいつも通りさ。ボクもいつも通り。特にボクに関しては今のバトルで痛感したはずだよね」

 気障っぽい笑みのままコウスケがナマエの肩に触れる。その手をナマエはすぐさま払い除けた。
「つれないなあ」大して反省もしていない彼の愚痴に、ナマエは「話を誤魔化そうとするからでしょ」とそっけなく返す。
 苛立ちが隠し切れなくなってきている少女を見て、コウスケの歪んだ笑みは更に深まる。

「君との交際もようやっと認めてもらえたぐらいに、君はダディから邪険にされているんだ。酷く心苦しいが、いくら愛する彼女の頼みといえど、ボクが戻って来た理由は明かせないね。……何なら“君が恋しくて帰って来た”なんてのはどうかな?」
「……ぞっとした」
「へえ。ぞっとするような男を好いているのか、君は。悪くはないと思うよ。神々しいものに震えるのは、人としてごく自然な感情だ」
「何か腑に落ちない」

 コウスケに見下ろされ、ナマエは反発するような眼差しを返していた。“君が恋しくて”というフレーズに一瞬でも急いた自分の心臓を潰したくなっていた。その焦りをなだめるのに神経が持っていかれて、反論のきれも悪い。

『ボクは神に選ばれし者。ボクも僕のLBXに触れることはできないのさ』

 初対面でそう言ってのけた彼に、ナマエは相反する二つの感情を抱いた。嫉妬と憧憬。神に選ばれたと自称するだけあり、彼の独自の美学とセンスは凡人を寄せ付けず、常人を凌駕していた。LBX以外のものへナマエが心を動かされたのは、神谷コウスケ、ただひとりだけ。そのことへの羞恥を隠そうとそっけない態度になってしまうが、コウスケには全て筒抜けであった。そして彼は、ナマエの想いに同等の想いで応えてみせた。

『君をボクの恋人にしてあげるよ。ボクの描いた美学を、理想を、君なら理解してくれるだろう』

 彼に選ばれたことは、ナマエにとってこの上ない至福であった。
 だが同時に、彼は最大最強のライバルであった。
 コウスケのLBXは美しい。操作技術もプレイスタイルも美しい。何もかもが完成されている。だがそれでも彼は遥か上を、更なる美学を追及して止まない。ナマエの目標は、いつしか『神谷コウスケのLBXに触れること』となっていった。一度でも彼のLBXに攻撃を決めてみせたい。自分の美学の結晶であるLBXを傷つけられたとき、彼はどんな反応をしてみせるのだろう。きっと取り乱すだろう、とナマエは思った。完璧な彼が揺らぐ姿を初めて見るのは自分でありたい――……。歪曲した愛情を自覚しながらも、ナマエは日々、彼に挑む。そして彼もまた、ナマエの不器用な愛情表現に快く付き合ってみせる。
 家柄も大して良いわけではない。二人を繋いだのは、LBXに抱く“理想”の形に共通したものがあったこと。無愛想な彼女を父が好いていないことは重々承知していたが、貴重な理解者であるナマエと離れるつもりなど、コウスケにはこれっぽっちも無い。親不孝なボクを許してくれ、と心の中で唱えながら、彼はまたナマエに触れる。指先でナマエの髪を弄びながら、その一本一本まで確かめるようにじっくりと視線を落とす。

「少し傷んでいるようだ。ちゃんと手入れは――」
「してると思う?」
「一応確かめただけだよ。いい加減そんな怖い顔は止めてくれないかな? 流石のボクも傷ついてしまいそうだ」

 コウスケとしては十分本気のつもりだったが、ナマエは単なる皮肉と受け取ってしまったらしい。渋い顔のまま、ナマエは口を閉ざす。
 彼女が感情を極端に表に出さない理由を、そういえば聞いたことが無い。聞いたところで話しそうにもないし、コウスケもそこには興味を抱かなかった。過去よりも現在、そして未来へ向け、共に同じ理想と美学を追及していけるパートナーとなりうるナマエが大切で愛おしいのだ。

「クールなところも気に入っているんだけどね」
「……無理におだてなくていい」
「とんでもない。君にとっては短所でも、ボクからしてみれば立派なチャームポイントさ。あまり騒がしいのは嫌いだし、ちょうどいいよ」
「そう」

 返事は短かったが、明らかにナマエの顔に安堵が浮かんだのをコウスケは見逃さなかった。
 普段が冷静過ぎるゆえに、つつき続ければ混乱して刺々しくなる彼女の姿も大変魅力的だった。喧嘩するほど仲が良い、というのは、きっと自分たちの為に作られた諺だ。本音のままにぶつかり合えて、その為に傷つくことなく、寧ろ仲を深めていくボクたちの為の言葉。

「幾分古臭いというのは否めないけれどね……」
「何が?」

 小首を傾げるナマエの質問にコウスケは答えなかった。微笑んだままナマエの体を抱き寄せ、唇を重ねる。口を塞がれ、動きも拘束され、ナマエは目を見開いていた。驚きの後、やや遅れて恥ずかしさがこみ上げてきて、体が熱くなっていく。自分を抱くコウスケの腕の力はその優雅さに反して強く、もがいてもびくともしない。
 このまま彼のいい様にされてたまるか、と少女はなけなしのプライドを奮い立たせる。
 ナマエの右足が、コウスケの脛を蹴った。幾ら神に選ばれた人間とはいえ、急所は変わらないようだ。余裕の無いナマエの放った蹴りは予想外に強く、コウスケは「うっ!」と呻いてナマエを解放した。
 はあはあと荒い呼吸を繰り返す恋人の真っ赤な顔を見て、コウスケは引きつった笑みを溢した。

「おいたが過ぎるんじゃあないかなぁ……。ボクだって痛覚は人並みにあるんだよ」
「キスが長いし……近いっ」
「キスをするには近づかなくちゃならないだろう?」
「それに、結局話が逸らされたままだもの……!」

 そう言えばそうだった、とコウスケは思い返す。彼女はコウスケが日本へ帰って来た理由を大層気にしていた。会えて嬉しい、というのは態度から伝わっていたが、その裏で同じぐらいにナマエは不安を抱えていたのだ。
 帰って来た本当の理由は、決して穏やかなものではないことを察して。

「あなたのお父様は、海道様たちと組んで何をしようとしてるの? 絶対危ないことでしょ、嫌な予感がするの」
「ナマエ……」

 ナマエの瞳がいっぱいの涙で潤んでいる。
 コウスケの顔から笑みが消えた。珍しく彼は驚いていた。
 ――こんなナマエは初めて見る。

「コウスケは私のライバルで、同じ夢を持ってて、恋人だから。怖いの。とっても。もし危ないことに巻き込まれたら、あなたに何かあったら、どうするの……どうしたらいいの……」

 コウスケへの問いというより、自問に近いニュアンスだった。今にも泣き出しそうな瞳以外は普段と変わらない表情で、しかし僅かに震える声音で恨めしそうに溢す。

「あなたのこと、大好きだけど、大嫌いよ。私みたいな凡人にだって、色々推測したり考えたりして、それなりの答えを見つけることが出来るっていうのを、全く判ってくれてない」
「そんなことは無いさ。君はボクには劣るが非凡なセンスを秘めている。そしてボクは、君の魅力を十二分に理解しているよ」
「だったらどうして、こんなに人を苛立たせたり泣かせようとしたりするの。LBXはいくら壊されてももう気にしないけれど、せっかく再会した喜びも散ってしまうような喧嘩をさせたりするの」
「ボクとしては喧嘩しているつもりはないんだ、君という子猫とじゃれているような、そんな愛らしい時間のつもりだった」
「全然納得いかない」

 踵を返しかけたナマエの手を、コウスケは慌てて掴んだ。

「出て行くのはボクの話を聞いてからでもいいんじゃないかな?」
「どうせまたはぐらかすんでしょうに」
「はぐらかすも何も……」

 此方を一方的に突っぱねる彼女に対して、彼の胸に、怒りではなく悲しみが押し寄せる。いまだかつてない混乱を覚え、コウスケは堪らなくなった。完璧である自分を保つための美学をこの瞬間ばかりは投げ捨て、ありのままの感情をナマエへ打ち明けた。

「危ういことに恋人を巻き込みたくないのはボクも同じということさ、ナマエ。そしてボクが戻って来た要因のひとつに、君の存在があったことは紛れも無い真実だ」

 ナマエの瞳が大きく見開かれた。執拗にコウスケの手を振り解こうとしていたのも止んでいた。
 力を失ったナマエの手がだらりと下がる。コウスケが緩く引っ張ると、呆気なく彼女はコウスケの腕の中へと戻って来た。足がもつれ、バランスを崩したナマエの体を、恋人は力強く支えて笑う。

「ああ、ボクにこんなことを言わせることが出来るのは君だけだからね」

 すっかり何時もの自信に満ちたコウスケに戻っている。
 そしてナマエもまた、彼の言葉によって平常心を取り戻しつつあった。彼の鼓動を聞こうとするようにその胸へぴったりと寄り添って、自分の言動を素直に謝った。

「ごめんなさい。私、成長が足りなくて」
「ゆっくりとボクの導きのままに歩むと良い。君の移り変わりを、その一瞬一瞬を、ボクがしっかりとこの目に焼き付けるためにも。焦らないで共に行こうじゃないか」
「有難う。……珍しく優しいね」
「おかしいなぁ。いつだってボクは紳士的だよ? 特にナマエに対してはね」

 クスクスと笑いながらコウスケはナマエの髪を撫でた。ああ、と思い出したように彼は呟く。

「髪のことだけれど、傷んでいるが決して美しくない訳ではないよ。髪に限らず、君は美しい」
「どういうこと?」

 ナマエが恥ずかしそうに訊ねる。
 コウスケは彼女の髪を撫でる手を止めない。

「このボクが見初めた女性なんだから美しいのは当然だということさ。ボクの美学を証明するための世界。美しいボクの描くシナリオと、それを後押しする世界のルール。神に選ばれしボクが選んだ存在が、美しくないはずが無い。君は美しい。ボクの美学を理解し、共に歩む価値と権利を持つたったひとりの女性。何度ボクのLBXに負けても挑んでくる愚かしくも愛おしい直向きな姿も、実に良い」

 よくそんな台詞を噛むことも無く素面で言えるものだとナマエは思った。勿論、褒めている。ナマエはコウスケを強く慕っているのだから当然だった。そしてそんな彼にここまで言われては、もう自分を卑下することも出来ない。自信を失っては、コウスケに泥を塗ることになってしまう。
 立ち直ったナマエは、ゆっくりと恋人の胸から離れた。
 コウスケを見上げると、「どうしたのかな」と実に呑気な声が返って来る。安心したナマエは、自分の髪に触れている彼の手も優しく振り払った。半歩下がりながら、彼女は言った。

「あんまりベタベタするのは柄じゃないから。あと、なでなでは嫌いじゃないけれど長すぎる」
「髪のセットが崩れないように十分配慮してあげていたのにかい」
「セットの問題じゃない。長すぎるって言ったでしょ。時間の問題なの」

 愛しい彼との時間を堪能したナマエは、今一度自分の壊れたLBXを取り出す。
 ぐしゃぐしゃになったクノイチカスタム。ストライダーフレームでは、ルシファーの攻撃を凌ぐこと自体無理なのだろうか? やはりルシファーと同じナイトフレームで挑むべきだろうか。オリジナル機体の製作プランも無いわけではないが、まだ設計が甘いし、その為にもルシファーとの戦闘データは多く欲しい。既存の機体の性能をどこまで引き出し、高めることができるのかも、技術者としては大変興味深い。
 様々な構想を練りながら、ナマエはぶつぶつと呟いている。神谷重工の闇に関してはもう興味を失っているのか、納得したのか。どちらにせよ彼女がいつも通りなことは良いことだ。
 熱心に思考を巡らせ、いかにルシファーへ触れるかを追求する恋人の姿を、コウスケも幸せそうに見つめていた。

「良いね。そうやってLBXを見つめる君の姿。凛としていてたまらない」
「いちいち言い方が気障っぽいというか、やらしいんだけれど」
「ボクがいやらしい? ナマエがそうさせているだけさ」
「いやらしいじゃなくて、やらしいって言ったの……」
「そういう単語を連呼するものじゃないよ、ナマエ」
「誰のせいだと思ってるの」

 ナマエの皮肉るような笑みと声音すら、コウスケからしてみれば“恋人の愛らしい仕草”のひとつ。
 こういう態度のせいで彼女はコウスケに出会う以前……いや、コウスケ以外の人間とのコミュニケーションに支障をきたしていた。彼女を認めないのは、コウスケの父だけでは無いのである。
 ――ダディもいつか、君の魅力を判ってくれるさ。ナマエ。
 圧倒的な自信と確信を持ってコウスケは、ナマエの言葉に答える。

「君の瞳に映る、神に選ばれた美しきこのボクのせいかな?」
「判ってるじゃない。そう。、全部あなたのせい」

 部屋の扉の前で立ち止まり、ナマエはコウスケを振り返った。

「私がバカになったのも、こんなに人を恋い焦がれておかしくなったのも、つまらない喧嘩をしたがるのも、全部あなたのせいなんだから」

 本当に、にくったらしい人。
 そう言って部屋を出て行ったナマエの顔に浮かんでいた微笑みに、コウスケはまた新たな美しさを見出してしまった。ナマエという人間は、コウスケとぶつかるたび、こんな風に美しいものを見せつけて行く。
 理想を探求する同志であると同時に、自分とは別種の美しさを秘めた存在。
 コウスケは空を仰ぎ見るかのように視線を上げた。立ち去ったナマエの姿を思い返してゆっくりと瞼を閉じ、右手で覆うと、ああ、と溜息を吐いた。

「ボクが喧嘩なんてつまらないことをしたくなるのは、やっぱり君のせいだよ……ナマエ」

 ――だって、そうやって感情をむき出しにする君は何よりも美しいのだから。
 今しがた痛感した余韻に浸る、熱のこもった呟きが部屋に木霊した。
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