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「──で? 結婚すんの? プロポーズしたの?」
「……いや、それはまだ……」
「はあ!?? オフシーズンの今しないでいつすんのさ!?」
痛いところを突かれた。酒の席であるのを利用して空笑いで誤魔化そうとしたけれど、正面にいる鳴は更に詰め寄ってくる。
「高校の時から付き合ってんだからさあ! ちゃっちゃとプロポーズすればいいんだよ! どーして出来ないの!? 野球では超強気なのにさあ!」
「……相手の将来を左右するんだから、そりゃ慎重になるだろ」
「そんなこと言ってたらいつまでたっても出来ないよ! 指輪買って澪の薬指にズボッとはめればいーんだよ!」
鳴の超強引なやり方に苦笑いしながらも、反論できなかった。何故なら鳴は、プロになった後に付き合い始めた彼女と、今年のオフを待たずに結婚したのだ。求婚成功者と未挑戦の俺とでは、圧倒的に鳴が優位だ。
「鳴はどーやってしたんだよ、プロポーズ」
俺の隣から尋ねたのは高校時代の好敵手であり、鳴と同じ稲城実業OBであるカルロスだ。圧倒的身体能力を買われ高卒でプロ入りをしたカルロスも、今ではチームの不動のセンターとしてレギュラー定着している。面白そうに鳴の返答を期待している表情だ。
鳴は箸を動かしながらカルロスの方を向いた。
「え? 今言ったじゃん。指輪ズボッとはめて『するよ! いい!?』って言ったら泣いてOKしてくれた」
「……そのやり方は鳴だから成立するんだろ〜」
カルロスがこの場にいる鳴以外の人間の思っていることを代弁した。しかし鳴は揺らぐことなくグラスを傾けながら自信たっぷりに言い放つ。
「要は気持ちが伝わればいいんでしょ。結婚したい! って思ってたらすぐ伝えないと、あっという間にじーさんになっちゃうよ!」
プロ野球選手──特に投手は結婚が早いが、鳴も言わずもがな。ただ、稲実出身の子じゃなくプロになって出会った女性と結ばれたのは意外だった。
「鳴はそのキャラで得してるよな〜。強引が上手くいく男なんて実は少数だぜ」
「カルロスだってどっちかって言ったら強引な方でしょ」
「……御幸のくせに高校の時から彼女いたなんて腹立つ」
稲実メンバーで盛り上がっていたので気を抜いていたら、急に白河が俺の名前を出したので驚いた。今この場にいる4人は俺以外全員稲実OBで完全なアウェイだ。東京での仕事の後、鳴に呼び出されたらカルロスと白河もいて、白河は当初からずっと俺を睨んでいる。白河の俺に対する当たりの強さも昔からなので、流石にもう慣れているから「はははー」と笑って流しておいた。
「──それにしても何で今日御幸がいるわけ」
鳴の隣に座っている白河がじとっとした目で俺を見ながら尋ねている。鳴が「一也とも久しぶりに飲みたかったから」と即答したら、白河はあまり面白くないといった様子でそのまま黙ってしまった。
「話戻すけど! 一也、澪ってモテないわけじゃないでしょ。俺達の職業って一緒にいられない時間の方が多いし、いつ他の男に澪持ってかれても知らないよ!」
鳴が身を乗り出して語気を強めた。こればかりは鳴の言うことが正しいと思うので「分かってる」と真面目に返した。
──こんな職業だから、一緒になっても寂しい思いをさせてしまうかもしれない。
澪が大切だから、大事だから。
そんな思いをさせてしまうなら、別の男と一緒になった方が幸せかもしれない。
プロポーズを考えたときに、同時に浮かぶこの感情。
俺の中で、まだこの不安を払拭出来ずにいる。
**********
「今だから言うけど、俺本気なんだ。もう患者じゃないし、真面目に考えてみてくれないかな」
私の職場で頭を下げたこの人は、先月まで私が担当していた患者の上石さんだ。怪我で通所していたが治りも良く、比較的早くリハビリを終えた。今日は経過診察に来たらしく、偶然ロビーで会ったかと思えば、話があると言われ、場所を移した後に即告白された。
私より2歳年上で、リハビリが始まってすぐに打ち解けた。そして軽く「付き合って」と言われたが「患者とはそういった関係になるのは禁止です」と軽い流れのまま断った──のに。
「……すみません。私付き合ってる人がいるんです」
「──その人とは結婚を考えてる?」
「えっ!? いえ……まだ」
「じゃあ俺が入り込める余地はあると思ってる」
「……え?」
耳に入った言葉が信じられなくて、思わず聞き返してしまった。私は彼氏がいると言っているのに、どうして。
「いつから付き合ってるの?」
「……高校の時からです」
「──で、結婚はまだと。それだけ長く付き合ってたらしててもおかしくないのに、何か理由が?」
言葉は強いのに表情や態度が苦しげで拒否できない。この人が悪い人ではないと知っているせいか、無下にできない。
「彼も……仕事が忙しいし、私と結婚なんて考えて……」
「言いたくなかったらいいけど、彼は何の仕事をしてるの?」
一也との交際がバレてもいいのだろうか、と言うのを躊躇ったが、上石さんには正直に言ってしまった方がいい──と直感し、言葉を考えながら口を開く。
「プロの……スポーツ選手です」
「! へえ〜、じゃあ尚更相手は考えてると思うけどな。立木さんは彼と結婚したくないの?」
今までこんなに突っ込んだ質問をされたことがなくて、目を見開いたまま言葉が出ない。
軽く混乱していて余計なことを考えずに済んだのが災いしたのか、正直な思いが口をついて出た。
「……今の自分じゃ堂々と彼の隣に並べないかな、って。足を引っ張りたくないし、負担になりたくないし……」
私の言葉に、今度は上石さんが目を見開いた。
「……彼は結構有名な選手なんだ?」
「あ……はい」
「じゃあ彼と付き合っている限り、一生そんな思い抱えて生きていくの?」
何気ない疑問だったのかもしれないけれど、私にとっては大きな爆弾だった。
動揺を隠すのに精一杯で、何も言えない。
「んー……分かった」
私の様子をじっと見ていた上石さんは顎に手をやり、納得したように頷いた。
「……分かった、って何を……」
「返答次第じゃ盛大に振られようと思ってたんだけど、やっぱり諦めないでおくね。仕事中にごめん、また来ます」
「えっ……、あの……!」
私の問いかけも空しく、上石さんは笑顔で手を振って去っていった。
私は上石さんの言葉が頭の中をぐるぐる回って、しばらくの間その場から動けなかった。
2018.10.11