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「何で入らねーの?」
振り返った一也から声をかけられ、顔も体も固まった。
一也と沢村くん、降谷くんの合同自主トレに同行したのはいいものの。球場に着いて早々、一也に促されながら私も選手通路からダッグアウト(選手用ベンチ)に入った。私以外は慣れている様子で荷物を下ろし、各々で練習準備を始めた。
私はぎこちなくベンチに座ると、初めて見る選手側の景色に一気に目を奪われた。呆然と空と球場を眺めていると、グラウンドに入って大きく伸びをしている一也に言われたのが先程の一言。
「え、だって3人でトレーニングするんでしょ?」
「動ける服装で来てんじゃん」
「いや、これは」
今日は元々、一也と“アウトドアで身体を動かす”予定だったので、運動できる状態になっているだけだった。サプライズの2人がいる今は、邪魔をする気なんて毛頭ない。
「最初はランニングからだから。せっかく来たんだし──混ざらねえ? 運動不足解消したいって言ってたじゃんよ」
「澪さんも一緒にやりましょーよ!」
流石にプロのアスリートにはついていけない、と思っていたが、周りの3人の目が妙に期待に満ちていて否定の言葉が出なくなる。
「……じゃあ、ランニングだけ」
野球の練習用ユニフォームを着ていない私だけかなり浮いているが、気にしないように努める。取材陣に公開しない練習とはいえ、通りかかった人がいればプロ野球選手がいることに気付くかもしれない。その上、中に女がいるとバレると大事にならないか、と心配になったので一也に尋ねると「トレーナーです、って言えばいいよ。嘘じゃねーし」と一蹴された。
ダッグアウトからグラウンドに入る第一歩は一瞬躊躇したが、沢村くんの掛け声が自然と背中を押してくれ、足が前へ出た。
軽いお喋りをしながらグラウンド周りを走り始める。一也と降谷くん、その後ろを私と沢村くんが横に並んで二列で走る。
「沢村くん、私遅かったら先行っていいから」
「なーに言ってんすか! 澪さん鍛えてるって御幸先輩から聞いてますよ!」
「プロ野球選手とは比べ物にならないから……! 仕事の一環もあってトレーニングしてるだけで」
そう言いながら球場の風を感じ、走る。身体を動かすうちに爽快感が増していく。気持ちがいい。
「遅いっすよ!! 先輩も降谷も何チンタラ走ってんすか!」
「初っ端からとばすんじゃねーよ、バテるぞ〜」
「……うるさい……」
学生じゃなくなっても、プロになっても変わらない3人に笑みが零れる。こんな風に練習に付き合うことなんて今日が初めてだけれど、高校生の時に戻ったようで可笑しくなった。
ランニングの後に柔軟やストレッチを行った後、キャッチボールをするらしい。降谷くんはすぐさま一也に視線を送り、背後にやる気オーラをメラメラと立ち昇らせている。
「まだ投げ込みはやらねーぞ」
「……分かってます」
「あ、そーだ澪! 沢村の相手してやってくんね? 予備のグローブ貸すから」
「え、私!?」
「他に誰がいるんだよ。涼さんとキャッチボールやってたんだろ」
「涼くんが学生の時の話だよ! プロの球なんて──」
「キャッチボールだから大丈夫だよ」
な? と一也は私に目配せすると、グローブを取りにベンチへ向かった。ランニングだけって言ったのに、という私の反論は誰も聞いていない。
一足先にグローブを身に着けた沢村くんが「澪さーん!!」と駆けて来た。
「澪さんよろしくお願いしやす!!」
「か、軽〜くね? 軽ーく。じゃないと取れそうにない……」
「大丈夫っすよ! じゃー向こう行きましょー!」
一也が持って来てくれたグローブを受け取ると、左手にはめる。久し振りの革の感触に緊張していると「使いやすいと思うぜ〜」という一也の言葉が不敵な笑みと共に降ってきた。何かムカつく。
一也・降谷くん組と距離を取るため、沢村くんの傍まで行くと2人で外野の方に歩いていく。
「あんまり上手くないけどごめんね?──それにしても何で3人で練習することになったの? 偶数の方がこういう時困らないのにね」
「最初倉持先輩も誘ったんですけど、野手組で合同自主トレがあるみたいで日が重なっちゃって来れなかったんです」
「あー、なるほど」
事情に納得していると、沢村くんが少し小声になった。
「実は前から気になってたんすよ。青道のOB会が定期的にあるんですけど、御幸先輩から澪さんの話を全然聞かなくなって。どーしたのかと思ってたら倉持先輩やナベ先輩から澪さんが音信不通になってるって聞いてビックリして」
「……ごめんね。私の都合で、驚かせて」
「いえ! 今こーしてここで御幸先輩といるってことは、また元の関係に戻ったってことでいーんすよね!?」
「……うん」
「じゃーいいじゃないすか! 御幸先輩が澪さんに捨てられたらもう終わりですよ! 野球が恋人状態っすから」
沢村くんの物言いに私は思わず吹き出した。沢村くんの明るい態度に、私の気も緩む。
「私が勝手に一也から離れたの。一也は悪くないんだよ」
一也の名誉のために──。
本当のことを伝えると、沢村くんは一瞬間をおいてニッと笑った。
「いーんですよ! 澪さんはもっと御幸先輩を困らせていーんです!!」
「困らせてやりゃーいーんすよ!」と離れた位置にいる一也に向けて声を上げている沢村くんに、私は呆けた後思わず笑ってしまった。
「……っ、ダメじゃない? 困らせたら」
「世の中、御幸先輩の思い通りにはいかないってことを思い知らせるんです!!」
仁王立ちになって何故か自信満々に「しゃー!」と声を張り上げる沢村くんに、私は笑いが止まらない。
私がお腹を抱え出した時、沢村くんが屈んで私の顔を覗き込んだ。
「澪さんはもっと言いたいこと言っていいと思いますよ! そして奴をコテンパンに──!」
「──分かった分かった! もうストップ……笑い過ぎてお腹痛い」
一也を「ヤツ」呼ばわりし始めたところで沢村くんを止めた。
前から思っていたけど、やっぱり沢村くんは周りを明るくする力を持っている。
そして、心を軽くする。勢いづかせる。
何気ない一言や、態度。本人がそう感じてなくても、他の人間を“そうさせる”力。
「こんなに笑ったの、久し振りかも。沢村くん、ありがとう」
「俺何もしてないっすよ!! 事実を言ったまでです!」
「あはは、うん。じゃあキャッチボールやろっか!」
今やるべき事を忘れそうになっていたので、慌てて気持ちを引き戻し沢村くんと距離を取る。
笑ったのと、沢村くんの言葉に、思った以上にスッキリしている自分がいた。
「じゃあいきますよー澪さん!」
沢村くんの投げたボールは、私が胸の真ん中に構えていたグローブにピシャリと収まった。
*
キャッチボールの後は投手・捕手の練習となり、私はベンチで楽しく見ていた。
沢村くん、降谷くんの投げる球を生で間近で見れたこと、プロのボールに驚きと感激をもらったところで練習は終了した。
練習後は焼肉を食べに行き、その後沢村くん達は予約していた宿泊先のホテルへ向かった(私は「家に泊っていい」と言ったのに、一也が断固拒否した)。私は明日は仕事だが、3人は明日も自主トレをするそうだ。
お風呂も入り、一也と2人でソファーに並んで座って一息つく。
「はー……。疲れたあ」
「悪いな、付き合わせて。楽しかった?」
「うん。運動不足を痛感した……もう少し筋トレ増やそう」
腕を回しながら、少し感じ始めた筋肉痛に苦い顔をしていると、一也が黙ってしまった。
「……寝る? 一也こそ疲れたでしょ」
「んー……あのさ」
「ん?」
「……沢村と話してる時は、よく笑うよな」
「え?」
「こっち来てからさ、澪があんなに笑ってるとこ見たことなかったから」
そう言うと、一也は顔をそらして何も言わなくなった。そっぽを向いたまま、頭をかいたりしている。
これは、もしかして……。
「一也」
「……んー?」
「沢村くんに嫉妬、してるの?」
ボソッと呟いた一言は効いたようだったが、意外にも否定せず、私と顔を合わせないまま「おう」と肯定した。
……ショック、だったのかな。
“困らせてやりゃーいーんすよ!”という沢村くんの言葉を思い出す。
今まさにその状態かもしれない、けれど。
私は、やっぱり──
「……一也」
今度は肩を叩いて呼びかけると、ようやく一也はこちらを向いた。
しょげてる隙に、一也の唇にキスを落とす。
「……こういうことは、沢村くんとは出来ないよ」
「……おー」
「だから、ね」
何と言えばいいのか、上手く言葉が見つからない。
今の気持ちは十分伝えたと思う、けど。
私が言いあぐねているうちに、今度は一也が私にキスをした。
唇が離れた後の一也の顔は、拗ねた表情と照れた表情半々に変わっていた。
私は、やっぱり。
困らせたくもあるけど、その後すぐに、笑顔が見たいと思うんだ。
2018.5.9