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「……ちょっと痩せたろ」
飽きもせず幾度となく続いた交わりは、澪の体力的ギブアップでひとまず終わった。ベッドで2人横になり、身体に力が入らない澪を両腕で包んでいると、久しぶりに感じた澪の感触の違和感に勝手に言葉が漏れた。
「んー……、仕事しだしたから?」
「ちゃんと食ってんの?」
「食べてるけど……一人暮らし始めて自分の分だけ、って作り甲斐が無いんだよね。家族分作って余った残り物片付けるなんてこともしなくなると自然と食べる量も減っちゃった」
「……骨っぽいより肉付きいい方が好みだけど」
「……それ遠回しに胸減った、って言ってるよね」
「真面目に心配してんだって」
「食べれてないことはないから大丈夫だよ、ありがと」
胸だけのことを言ってるんじゃなくて、背中や腕、下半身も少し薄くなった気がする。1年半振りに抱いたから、澪以上に俺の方が実感しているはずだ。男が持っていない柔らかさを備えている女は抱き心地が良い方がいい──のは俺だけが思っている訳じゃない。
「──腕、痛くない?」
澪は身体の下敷きになっている俺の片腕を気にしながら、見つめて尋ねてきた。
「大丈夫だよ。全然重くないし」
「……じゃあこのままでいてもいい?あったかくて、気持ちいい……」
さっき言って欲しかった言葉があっさりと澪の口から出てきたので密かに動揺していると、澪の吐息が規則正しくなってきたのに気付いた。背中に回した手でゆっくり擦ってやると、そんなに時間もかからないうちに澪の目蓋が完全に閉じた。
澪の息が俺の素肌にかかり、澪の呼吸や感触、温かさを否応にも感じる。
少しだけ腕の力を込め、俺も目を閉じた。
**********
目を開けると、いつもは無い生々しい感触と温かさ、心地良い圧迫感。遅くまで起きていて睡眠時間は短かったはずなのに、目覚めは悪くなかった。疲労感から短期集中で深い睡眠が出来たのか、すぐに身体は動けそうだ。
目の前の堅い胸から視線を上げると、一也の目は完全に閉じていて起きていない。しばらく一也の寝顔を見つめていた私は、起こさないようにゆっくり起き上がった。身体が重く、動かそうとする度倦怠感が襲ってくるのは、昨晩の影響に違いない。
一也は昼も夜も運動したのが効いたのか、私が離れても全く起きる気配はない。時計を見ればまだ夜明け前で、今日帰京するチームに合流するのも間に合いそうだ。
今日の午前中には、一也はここからいなくなる。
一也が心置きなくここから離れられるように。
しっかり、しないと……。
静かに服を着て、一也が眠っているのを確認してから寝室を出た。
「……ひどい顔」
思わず声に出して呟いた。洗面所の鏡で向かい合った自分の顔は、昨晩泣きまくったせいで目が赤く腫れていた。昨夜はこの顔を散々一也に見せていたと思うと、恥ずかしいやら情けないやらで気が遠くなる。
私ばかり言いたいこと言って、泣きたいだけ泣いて。
それでもなお、抱いてくれた。
もうそれだけで、十分だな……。
考えを巡らせながら蛇口をひねる。まずはこの顔をどうにかしないといけない。
顔を洗い、冷凍庫に凍らせていたアイスノンを目に当てて応急処置をする。
せめて、別れる日くらいは良い顔を見せたい──その一心で。
大分マシになった顔を確認すると、朝食の準備に取り掛かる。
一也が食べて行くかは分からないけど、一応念のため。
家にあるものでパパっと作ると、日も上っていた。
そうっと寝室の扉を開けると、一也はまだ眠っていた。
帰りの時間もあるので、もう起こさないと集合に遅れたらまずい。
「──一也、起きて」
軽く身体を揺すったら、一也の目蓋が若干動いた。
「今日帰るんでしょ、朝ご飯どうする?ホテルに戻って食べるんなら早めに出ないと──」
言い終わらないうちに一也の目が大きく開いたので、驚いた私は身体を引きつらせた。その状態のままとりあえず朝の挨拶をする。
「おはよう」
「……おはよー……すげーいい匂いする」
「え?ああ、お味噌汁の匂いのこと?簡単にだけど朝ご飯作ったから──」
「食べる」
寝起きとは思えない即答をした一也はすぐに身体を起こした。反応の良さに私はたじろいだが、聞きたいことは聞けたのでとりあえず頷いた。
「……うん、じゃあ着替えて食べよっか。シャワー使うならこっち」
「おー、サンキュー」
朝から真っ裸の一也を見るのは心臓に悪いので、風呂場の位置を指し示した後そそくさと台所に移動した。
「うめー」
「本当?良かった。ごめんね大したもの無くて」
「全然いいよ。味噌汁超美味い、米も」
「こっちは水が美味しいから」
余程お腹が空いていたのか、一也は早いスピードでご飯を平らげていく。それを見ながらゆっくり食べていると、一也が手を動かしながら尋ねてきた。
「──身体大丈夫?」
「え?……あ、お陰様で全身だるいです」
「はっはっは。夜は澪をたらふく食べて、朝は澪が作った美味い飯を食うって最高だわー」
「バカなこと言ってないで食べたら家出るからね。宿泊先のホテルまで送るから」
朝の忙しさと一也の態度で、何事もなかったかのように過ごせている。ちゃんと、笑えてる。
着々と、別れの時は近づいてる。
私は一也が起きる前に身支度を済ませている。2人で「ごちそうさま」をした後手早く洗い物を済ませると、準備が出来た一也に声をかけた。
「じゃ出よっか。ホテルまで車着けていいんだよね?」
「おー」
まだ大丈夫、ちゃんと笑えてる。
玄関前で忘れ物が無いかチェックしていると、後ろから低い声が響いた。
「1つだけ、言っておきたいことがある」
急いでいる時に余りにも落ち着いた声だったので思わず振り返ると、真剣な顔をした一也が私を見つめていた。
「俺はお前を諦めない。だから澪も俺を諦めるなよ」
その言葉に、動けなくなった。
まだ顔つきが変わらないままの一也に、目が離せない。
捕らわれている間に、心の中のもやが一気に晴れていく。
──私は諦めることなんて出来やしない一也を、無理矢理諦めようとしていたんだ──
視界が良くなった心にせき止めるものが無くなって、感情が涙となって溢れ出す。
「……うん……」
昨日あれだけ泣いたのに、今日は泣かないようにしてたのに。
頷きながら手で涙を拭っていると、一也が私を抱きしめた。
「ホントは帰りたくないんだけど」
「……ははっ、うん」
「連れて帰りてーんだけど」
「……こっちで仕事あるからね」
少しだけ可笑しくなって笑うと、一也が背を屈めて私の顔を覗き込んだ。
「俺は、友達に戻る気なんてさらさら無えから」
茶化しもせず、真面目な顔をしたままの一也の言葉に、初めて話した時の事が思い出された。
『……あれ、どこかで見たことある』
『こんちは、同じ中学だよな』
『お前、名前は?』
『立木澪だよ。君は?』
『俺は御幸一也!……』
「もう友達には戻れないし、恋人としての澪を知ってしまったから、別れるなんて選択肢も無い」
そこまで言うと、おどけた表情になった一也はニカッと笑った。
「諦め悪ぃから、俺」
いつまでも、変わらないこの笑顔。
中学、高校、社会人と──年齢や立場が変わっても、この一癖ありそうな笑顔は出会った時から変わっていない。
「……うん。私も」
泣き笑いで頷いた私を、一也は再度強く抱きしめた。
身体を離し、お互い不敵な笑みで顔を見合わせると、柔らかいキスを交わした。唇を離すと、一也は少しの間考え込む素振りを見せた。
「決めた」
「……?何を?」
「俺シーズン終わったらこっち来るわ」
「……へ?はぁ!?」
再会後一番の悪巧み笑顔を見せた一也に、私は涙も引っ込み、開いた口が塞がらなくなった。
2017.12.8