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「──どうぞ」

「……お邪魔します」


 今住んでいる部屋の鍵を開け、一也を中に招き入れると後ろから「おお、広え」と声がした。私が先に入ったので、後ろにいる一也がどんな顔をしているかは分からない。先程部屋に入るときの挨拶もそうだったけど、声色が若干高いので機嫌が悪い訳ではなさそうだった。


「この広さでも東京より全然安いんだよ。職場の住宅手当付くし」

「──俺の実家より広くね?」

「……そうかなあ?」


 思いのほか普通に淡々と会話が続いている。職場で再会した後、一也はすぐに球団スタッフと話し始め、呆然としていた私のところに戻ってきたと思ったら「今から家に行く」と言われてしまい、帰宅するだけだった私は断ることも出来なかった。
 私には、断る権利は無い。


 部屋の中をキョロキョロして見ている一也をリビングスペースに座らせ、私はお茶でも出そうとキッチンに足を向けると、後ろから低い声が響いた。


「──そんなのいいから、座って」

「……うん」


 私は促されるまま、テーブルを挟んで一也と向かい合うように座った。部屋の主は私だけど、一也の方がどっしりと座り、私を見つめている。現状の心境が影響しているせいか、私は俯いたまま正面から刺さる目線と合わすことが出来ないでいた。


 私から、謝らないと──。


 正座をしている膝の上で拳を握り、それを見つめる。決意が揺るがないように、勢いを留めないように。自分で自分を心の中で鼓舞していると、前から溜息混じりの低い声が聞こえた。


「──俺さ」


 顔を上げ、一也を見つめる私とは対照的に、今度は一也が目線を下げる。


「澪が突然いなくなって、俺から離れて……。でも、そりゃ当然だよなー、って思って」


 はは、と力なく笑い頭をかいた一也に、私は思わず握ったままの手に力を込めた。


「……俺ホントに野球しかやってきてねえからさ。それで──澪を傷つけてたのかなって」


 予想とは違う一也の様子に、逆に私の感情が高ぶる。


「な……んで怒らないの……?」


 私の突然の剣幕に、今度は一也が予想外とばかりに私を見て目を丸くした。
 思わず声が大きくなった。


「普通怒るでしょ……!?勝手に音信不通にされて、いきなりいなくなって、酷いことされたのに……!」


 ──違う。


 手が痛くなるのも構わずに、更に強く拳を握りしめる。
 これ以上、感情的に余計なことを言わないように。 


 苛立つべきは私じゃなくて一也なのに。
 裏切られて、怒りたいのは一也なのに。


 ──自分が楽になりたいだけだ。
 怒られて、一方的に責められた方が、私の気が楽になるから。


 言う側である一也のことなんて考えずもせずに。
 こんな時でさえ、自分のことばかりで心底嫌になる。


 思わず下を向いて表情を隠す。
 ヤバい──泣きそう。

 口を噤んで泣くのを堪え、一也の返答を待った。


「……ホントに怒りは無かったよ。俺のためにやった、って分かったから」


 私の表情をうかがいながら、落ち着いた口調で一也は話してくれるけれど、私は俯いたまま首を何度も横に振る。


「怒らないと、ダメだよ……!!」


 違う、違う。
 一也のため、一也の負担になりたくない、私との関係が世間に悪い影響を植え付けるんじゃないかって思ったことは事実だけど、結局は逃げただけなんだ。

 自分から。一也から。


 もう──逃げたくない。


「……一也に嫌な思いさせたくなかったから、離れる前に別れようと思ったんだ。けど……」


 私の言葉に、一也が驚いて私を見つめたのが分かった。


「『別れて』って、どうしても言えなくて……」


 やっと、一番謝りたかったことが言える。


「ごめんなさい……。別れたくないけど、たとえ嘘でも言わなきゃいけなかったのに。──私が弱くて、悪いだけだから。一也は悪くない……」
 

 弱い自分を変えるためにも、必死に顔を上げて、一也の顔を見て言った。
 目を見開いたままの一也に笑おうとするけれど、言葉を口にすると今まで我慢していた涙が零れ始める。

 私が泣いて、どうするの……

 止めなきゃ、と思えば思うほど、涙が溢れそうになる。

 泣いたらダメだ。
 泣くと一也が言いたいことも言えなくなってしまう。
 泣きたい思いをしたのは、一也なんだから。
 このままだと冷静に話が出来なくなる。 泣いているのを見られたくないから、私は急いで立ち上がった。


「……ごめん、ちょっと顔洗ってくる。こんなんじゃ話出来ないよね。ごめん」


 一旦クールダウンしないと、と洗面所の方向に歩き出そうとした途端、斜め後ろから強く腕を引かれ、体勢を崩す。
 バランスがとれない姿勢から倒れそうになったのを、一也が抱きとめた。


「……堪えなくていいから、全部話して。今思ってること全部」


 一也の腕の中、強く抱き締められているため一也の表情が分からない。上から響く低い声と、逃げられないアスリートの強い力と、感じる体温の温かさにますます涙が零れた。


「服、汚れるよ……」

「いいから」


 もうどう思われても、いい。


 “もういいんだ”という感情になった直後、必死で留めていた涙がボロボロと溢れ出す。

 私は一也の背中に手を回した。




「──ずっと、私でいいのかなあっ……って、思ってた」


 しゃくりあげながら話し始めると、一也の腕の力がまた強くなった。


「一也がプロになって、成績も上がって、有名になってきて……っ。高校生の時から付き合ってるからって、このまま、一緒にいててもいいのかな……って……」

「……うん」

「世の中にはもっと素敵な女の人がいっぱいいるのに、ただ出会ったのが早かっただけの私でいいのかなあって……っ」

「──うん」

「一也は薄情じゃないから……私がいるから、他の女の人にいけないのかな、って」

「……それはねえよ」

「一也が、テレビに映ったり、よくインタビューを受けるようになったり、ファンから声をかけられたり、嬉しいけど、その度に私はこのまま傍にいて、いいのかなって──」



 そこまで言うと、後は言葉にならなかった。嗚咽しながら肩が上下する。うっ、ひっ、と子供の様に泣きじゃくる私を、一也はただ抱き締めてくれていた。


 しばらく泣いていたけれど、もう身体から出る水分が無くなったのか、次第に心身共に落ち着いてきた。目の前に広がる一也の服は、私が顔を寄せていた部分が見事に濡れている。
 少し身体を離すと、一也の腕が離れた。


「……ほんとごめんね。服、汚れ──」


 最後まで言い切る前に、一也に一瞬で抱き寄せられ、唇を塞がれた。
 瞬間見た一也の顔は、切羽詰まったような、今まで見たことのない苦し気な表情だった。

 
 








2017.9.12
加筆修正 2017.11.10






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