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「──デッドボール!!」
満員の球場内が一斉に騒めいた。地方遠征のこの日、対戦相手は鳴のいるチーム。先発の鳴から交代したピッチャーが、自軍の強打者である諏訪(すわ)さんに死球を与えた。ボールが当たった箇所が右手甲だったため、ベンチにいるメンバーも一斉に立ち上がって諏訪さんの様子に見入る。
手を押さえ痛がる諏訪さんに、当然の如く試合は中断した。監督やコーチもすぐさま本塁に向かい、諏訪さんの状態を確認している。
「酷くないといいけどな……」
「よりによって諏訪さんかよ……」
俺の隣でチームメイトが呟いている。観客も騒然としている中、諏訪さんがゆっくりと歩きながらベンチに下がってきた。4番を任されているこの人は、チームのムードメーカー的存在であり、キャッチャーである俺とも親しくしてくれている。俺にとっては数少ない、よく話すプロ野球選手の1人だ。俺は諏訪さんと目が合ったが、いつもの自信に満ち溢れた瞳は消え顔を歪めている。
しばらく監督もスタッフも共にベンチ裏に引っ込んだ。協議の結果、試合には復帰せず病院に行くことになった。
「当たった場所が場所だけに、念のため検査してもらえる所に連れて行く」
「御幸!頼んだぞー」
「──はい」
諏訪さんと交代する選手のコールと同時に試合が再開される。
球場からは様々な声が上がっているが、俺は集中力を切らさないように努めた──この試合に勝つために。
その日の試合は、諏訪さんの抜けたショックを払拭するべく奮起したチームメイトが、動揺を隠せないピッチャーの隙を突き、再開後に大量得点をし勝利した。
今日は、試合後そのまま現地に宿泊する。普段来ない土地だからか飲みに出たりする人もいれば、ホテルで自分の時間を過ごす人もいて、滞在中の行動は人それぞれだ。
球場から乗った送迎バスがホテルに着くと、選手が続々と降車する。俺は最後の方でバスを降りると、ホテルの入口前で携帯電話で話している球団スタッフが目に入った。
「──今ホテルに着いたから──あ、御幸!」
通話中のスタッフとすれ違う直前、急に呼び掛けられた。
「?何ですか」
「今諏訪と話してたんだよ。御幸に代わって、って」
「……俺すか?」
頷くと同時に携帯を俺に差し出すスタッフに、何で俺なのかという疑問が湧いたが、先輩を待たせる訳にもいかずすぐに携帯を耳に当てた。
「代わりました、御幸です」
『おー、御幸。勝ったってな、お疲れさん』
「いえ、諏訪さんこそ怪我の状態どうなんですか?」
『んー、重くはなかったけど次の試合は無理そうだな』
「……そうなんすね」
『でもここ良い所だよ。急に診てもらうっつーのに親切でさ、今なんてもう手続き待ちなだけなのに、さっきまで職員の人がついててくれててよ〜カワイイ子がさ〜』
俺は諏訪さんのこの発言でピンときた。俺に電話を代われ、って言った理由が。
……単に自慢したいだけなんだろう。「自分が可愛い子と一緒にいる」という状態を。
俺はこの先輩がこういう性格だという事をよく知っている。特に女関係のことはやたら俺に話してくるのだ、1軍になってからは特に。
「……あー、そうっすかー良かったっすねー」
『……心こもってねーなー。名前もチェックしたんだぜ〜、立木さんって言って──』
急に耳に飛び込んできた名前を聞いた瞬間、心臓が早鐘を打ち始めた。
電話の向こうでは諏訪さんが喋り続けているが、あまり頭に入ってこない。
俺は一呼吸おいて、知りたいことを尋ねた。
「諏訪さん!……その立木さん、って人は看護師なんですか……?」
『え?いや、リハビリ部門のトレーナーだって言ってたな。今日は俺らの試合を観に行ってる職員が多くて、人手が足りないからって休憩中だったけど駆り出されたって──』
俺はその言葉を聞いた瞬間、電話口に向かって大きな声を上げた。
「諏訪さん!!今いるとこ何て名前のとこでしたっけ!?」
俺の大声に驚いた諏訪さんだったが、俺の勢いにつられたのかすぐに自分がいる場所の名前を教えてくれた。
「今からそっち行きますから!」
『え!?おい御幸!?』
失礼だとは思ったが、諏訪さんに説明する間も惜しいのですぐに電話を切って驚いているスタッフに携帯を返した。
「諏訪さんのところに行ってきます!」
呆然としているスタッフに一言そう言い捨てると、俺は荷物をフロントに預けることもせずにホテルの入口前に待機しているタクシーをつかまえて、さっき聞いたばかりの場所を運転手に告げた。
ただ名字が同じだけかもしれない。
──でも。
流れる景色を車中から眺めながら、わずかな予感と期待を感じていた。
──妙な確信を感じて。
2017.7.8